文献名1三鏡
文献名2水鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3死に直面しての安心立命よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1928(昭和3)年10月号
八幡書店版174頁
愛善世界社版127頁
著作集85頁
第五版176頁
第三版176頁
全集432頁
初版170頁
OBC kg138
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本文の文字数644
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本文
死と云ふものは人間に取つて最も大切なる大峠である、階段である。霊肉分離の時を以て普通一般に死んだと云ふ。如何なる思想、如何なる境遇の人間も死と云ふものの境界に想を致した時は何等かの感慨に打たれないものは無い。虚心虚無の境に入つたと平素云つてゐる悟道者も亦相当の寂しみを有するのが常である。况んや俗人に於てをや。現世に対して執着の感想を強ふすると共に行く末に対しての欲求が沛然として台頭して来るだらう。
かなりの屁理屈を囀つて飯を食つてゐる間は別にその本心に衝動はないが、さて口でこそ色々と強そうなことを言つてゐても、それが愈何日の何時に汝の生命否肉体は破滅すると断定された時には、人相当の想ひを致すは事実である。それが各人各様にさうした事実が運命づけられて居ながら明かで無いから良い様なものの、適確に断定されたら可成り強烈なる衝動を感ずるであらう。
万事は天運と諦めてみようと思つてもそれは生に対する欲求が余りに強い為めに出来にくい。未来は天国へ行つて復活するといふ確信があつてもそれが時間的に断定されたら、如何しても心魂がグラツイて来る。死の境に直面して真個に微笑して行くと云ふ人は、大本信者の外には断じて無いだらう。一段の宗教家らしい人も信仰者も、精神修養者も道徳体験者も、既成宗教の何れの派の信徒も、真個に微笑して心から嬉しく楽しんでニコヤカに死につくものは無い。故に吾人は地上一般の人々に対して此の大問題を解決し心の底から安心立命させ度いが為めに日夜の活動を続けてゐるのである。