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文献名1三鏡
文献名2月鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3歴史談片よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
神の国掲載号1929(昭和4)年02月号 八幡書店版337頁 愛善世界社版 著作集 第五版34頁 第三版34頁 全集471頁 初版15頁
OBC kg263
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本文の文字数814
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本文  百人一首最初歌、か有名なる
 秋刈穂とまを荒み
  わが衣手は露にぬれつつ

と云ふがある。天智天皇お歌と云ふ事は三才童児も知つて居るが当時天皇は政変ため難を逃れて那須野をさまよはれた。いと畏き事ながら、行き暮れて宿りたまふ御よすがも無く御痛ましき事ながら野宿やむを得ざるに立ち到られたそお歌である。刈穂かけわたしたる下にて露にぬれつつ一夜を過させたまふた。稲とまは荒くて露を防ぎまゐらすに足らなかつたである。後醍醐帝が、笠置下露、花山院枕にたぐひていとかしこき御製である。
 西行法師と云ふ人は、大層歌上手やうに人は思つて居るが、大変下手な歌詠み手であつた。詠んで出しても選に入らぬで、月を眺めつつ痛く歎息した歌が、か有名な、

 歎けとて月やは物を思はする
  かこち顔なる我涙かな

歌である。それが思ひもかけず百人一首選に入つたである。それからだんだん上手になつた。百人一首歌でも最も重きを置かれて居るも

 此度はぬさも取りあへず手向山
  もみぢ錦神まにまに

と云ふ管家歌だ。
 山陰中納言は丹波国、桐庄に住んで居られたで後裔遂に桐村を名乗らるるやうになつたである。即ち開祖様(大本)御実家祖である。
 本宮山はもと本居山と書きホンゴ山と称へられて居た。そして豊受大神様を御祭り申上てあつたであるが、それが後世比沼真奈井にお移りになつたである。
 開祖様母上は足利尊氏系統をひいて居られる、尊氏と云ふ人は舞鶴線梅迫駅附近七百石と云ふ所に生れたで、初産湯井と云ふが残つて居る。
 亀岡在に篠村八幡宮と云ふがある、足利尊氏が願をかけて武運長久を祈つた神様で、此神様が尊氏を勝たしたといふかどで、外神様はどんどん昇格しても、此八幡様だけはいつまでたつても一向昇格せぬ。
 七福神お一柱、昆沙門天と云ふ方は武甕槌神様事である。
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