文献名1三鏡
文献名2玉鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3大宇宙よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1933(昭和8)年09月号
八幡書店版64頁
愛善世界社版2頁
著作集
第五版165頁
第三版166頁
全集
初版136頁
OBC kg610
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本文の文字数637
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本文
大宇宙と云へば、世人皆大きな世界と云ふ意味に承知して居るやうであるが、さうでは無い。宇宙は大の字の形をして居るので、それで大宇宙といふのである。大の字は又人間の形である。頭があり、両手両足があり、胴がある形だ。更生館は新たに生れた事を記念する為めに大の字の形に造つたのである。
艮の金神様は、其お筆先に於て生神であると云ふ事を常に申されて居る。之は宇宙其物が生物であると云ふ事を申されて居るので、開祖様が嘗て「一度大神様のお姿を拝みたう厶います」と申上られると「其方の姿が此方の姿であるわい」と仰有つた。さうして又「本当の姿は青雲笠着て耳が隠れぬわい」と仰せられた。之は人体的に顕現せらるる場合と、御本体とを区別して申されたので、御本体即ち大国常立尊としては宇宙と其拡がりを等しうせらるる訳である。実際生きて居られて、其お姿即ち大宇宙の姿も人体と同じ形である。無論人間の肉眼をもつてしても、又如何なる精巧なる望遠鏡をもつてしても決して見得るものではないのである。之を譬へれば、象の足にとまつた蟻が決して象全体の形を見得ぬと同じ事である。たとへどんな遠方に離れて之を見ても遂に其全部の姿を見得ぬであらう。毛の中に潜り込んだ蟻などは大密林に遭遇し、行けども行けども平地に出られないといふ風にも思ふだらう。大宇宙は生きて居る、大の字即ち人の形をして生きて居る。頭もあれば、手も足もあれば、目もある。だがそれは人の想像に絶したものである。象の比喩でもつて推理して考へて見たらよい。