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文献名1霊界物語 第12巻 霊主体従 亥
文献名2第4篇 古事記略解よみ(新仮名遣い)こじきりゃっかい
文献名3第28章 三柱貴子〔524〕よみ(新仮名遣い)みはしらみこ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2021-06-12 11:34:25
あらすじ伊邪那岐命は霊界主宰者として、左目を洗って、天照大御神を生みなされた。また右目を洗って、月読命を生みなされた。目はもっとも重要な部分であり、宇宙を納める文字通り眼なである。天照大御神は、綾部本部で祭っている神様である。次に鼻を洗って須佐之男命を生みなされた。鼻は物質元を意味する。また真ん中位置を示し、統治を表すである。三貴神を得た伊邪那岐命は、喜んで御頸玉を天照大御神にお授けになった。こ御頸玉言霊解は、恒天暦、太陽暦、太陰暦三つ暦をお授けになった、ということである。天照大御神は全大宇宙主宰であり、月読命はそれを助ける補佐役目を与えられた、ということである。須佐之男命海原とは、地球を意味している。したがって、天孫降臨以前は、須佐之男命が地上をしろしめしていたことが、古事記からわかるである。しかし地上が混乱し、須佐之男命はたいへんお嘆きになった。神代といえども世が行き詰まって、さまざまなよからぬ事件が起こってきた。今日状態も、古事記に見られる神代岩戸開き前によく似ている。伊邪那岐命は、こような状態になってしまったことで、須佐之男命を責められた。これは文武百官が体主霊従に陥り、政党争いがあるため、須佐之男命がなにほど一柱で努力されても、混乱を治めることができなくなってしまったである。そため、須佐之男命は責任をかぶり、母神・伊邪那美命まします根堅洲国(月界)へと帰りたい、と申し出たである。伊邪那岐命は、こうなってしまった原因は体主霊従神々らにあることはわかっているだが、彼ら眼を覚ますために敢えて、自分子である須佐之男命を罰して、もって広く神々らを改心させようとしたであった。しかし体主霊従に陥った八百万神々らは、かえって須佐之男命が主宰者として不適格であったと、冷淡な間違った考え方を持っていた。まことに、治めがたい世であったである。
主な人物 舞台 口述日 口述場所 筆録者谷村真友[#講演筆録] 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年9月30日 愛善世界社版243頁 八幡書店版第2輯 716頁 修補版 校定版259頁 普及版107頁 初版 ページ備考
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本文
 神代太古、伊邪那岐命よりお産れ遊ばした天照大御神様、こ神様は日大神様と申上げて、本部綾部に御祀りしてあります所神様であります。こへんから申上げます。
 伊邪那岐命が
 『筑紫日向小戸阿波岐ケ原に於て禊身し玉ふ時、左御目を洗ひ給ひて成りませる神御名は天照大御神、次に右御目を洗ひ給ひて成りませる神御名は月読命』
といふことが書いて御座います。目といふもは吾々肉体から申しますると、右と左と両方に持ちて居りまして物を視るといふこと上に最も大切なもであります計りか、眼は心窓と申します位重要なもで御座います。所が一歩進んで考へて見ますと、総てこ宇宙間に形を持つて居るもは森羅万象残らず目すなはち眼目といふもがなくてはならぬ。実際凡ゆるもに眼目があると云ふ事は吾人は常に之を認め得るであります。姿こそ人間やうな姿ではないけれど、他動物に於てもこ眼をもつて居ります。禽獣虫魚草木類に至るまで此眼ないもはありませぬ。また一つ文章を読みましても、こ中にも必ず眼目といふもがあります。御勅語中にも眼があります。
 『皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ、汝臣民克ク忠ニ克ク孝ニ』
 これが教育勅語眼目であります。また戊申詔書には、
 『淬礪誠ヲ輸サバ国運発展本近ク斯ニ在リ』
 これが詰り眼になつて居る。そ通り初め天地をお造りになるに当つても、こ宇宙を治める為にはどうしても、眼といふもが必要であるといふで、そこで伊邪那岐命は天地主をお創めになつたであります。すなはち伊邪那岐命は、先づ天主をこしらへたい、こ霊界主宰者をこしらへたいと思召しになりまして左目を洗ひ給うた、こ目といふは日であります。太陽神であつて上である。右目といふが太陰神であつて下であります。言霊天則から申しますと左は男、右は女と、これは既に神様御代から定まつた掟である。然るにこ目を洗うてお生れになつたが日大神、天照大御神であつて、右目を洗うてお生れになつたが月読命、さうすると目からお生れになつたは、変性男子女子でありました。左目をお洗ひになつて直ぐお生れになつたが変性男子天照大御神でありました。これで詰り左を宇宙霊界とし、右を地球として、天上天下君をお生みになつた訳であります。
 『次に御鼻を洗ひ給ひしときに成りませる神御名は建速須佐之男命』
 はなは初めに成る意義で即ち初めである。物質元であります。花が咲いて而して後から実を結びます。人間身体が出来るにつきましても、先づ胎内に於て人間出来る初めは鼻である。それから眼が出来る。絵師が人間絵を描きましても、そ輪廓を描くに何より先に鼻を描く、鼻は真中である。鼻を先へ描いて然る後に目を描き口を描いてそこで都合好く絵が出来るである。こ初めて出来た統治位地にお立ちになるが須佐之男命であります。俗に何でも物完成したことを眼鼻がついたと申します。神様も此世界をお造りになつて、さうしてそこに初めて眼鼻をおつけになつたであります。
 『此時伊邪那岐命太く歓喜して詔り給はく』
 愈天地が完全に出来たから、神様は非常にお喜びになつた。これまでに神様は随分沢山な御子達をお産みになつて居りますが衝立船戸神様から十二柱ありました。そ次に三柱お生れになつてをるで都合十五柱であります。男神様は我はかやうに沢山子を産むだが、しかし今度様な眼鼻になる所子は初めてである。
『吾は御子生みて、生み果に三柱貴子得たり』
と仰せられまして、やがて、
『其御頸珠緒母由良に取りゆらかして』
 即ちむかし勾玉と申したやうな、高貴な人が飾りとしてかけて居つた頸珠であります。丁度今で申しますと大勲位章とか、大綬章とか、一等勲章とか云ふ意味、曲玉やうなを掛けて居られたかと思はれます。
 そこでこ玉を自分からお取り脱しになつて天照大御神にお渡しになつた。母由良にとりゆらかしてといふことは何でも非常に喜んで物を渡すときには、自然に手や身体が揺れる。一面から云へば揺つて渡す。頂くときにも亦揺つて頂く、今は然う云ふやうなことでは御座いませぬけれども、本当に嬉しいときには然うなつて来るであります。さて之を揺りよい音鳴りをさせながら天照大御神に賜ひまして詔給はく、
 『汝が命は高天原を知らせ』
と高天原を主宰せよと仰せになつて珠をお授けになつたであります。
 『かれ其御頸珠名を御倉板挙之神と申す』
 こ御倉板挙之神といふことは、言霊学上から見ても、神様方で申されまする暦――こ世界には恒天暦、太陽暦、太陰暦三つ暦が常に運行循環して居るであります。で、こ御頸珠をお授けになつたといふは、所謂御倉板挙之神、即ち恒天暦、太陽暦、太陰暦をお授けになつたであります。
 『次に月読命に詔給はく「汝が命は夜食国を知らせ」と事依さし給ひき』
 右眼よりお生れになつた月読命に夜主宰をせよと仰せられた。知らせといふことは、大事に守護り能く治めよといふ意味で、太陰世界を主宰せよと仰有つた。高天原は全大宇宙である。夜食国は昼従である。それで月読命はどこまでも天照大御神を扶けて宇宙経綸に当れと、斯う云ふ詔であります。
 『次に建速須佐之男命に詔給はく「汝が命は海原を知らせ」と事依さし給ひき』
 須佐之男命は鼻からお生れになつた方であります。海原といふは此地球上ことであります。地球は陸が三分一しかありませぬ、三分二といふもは海であります。で地球を総称して大海原と申すであります。斯うして伊邪那岐命様は深いお考へから夫々其知ろしめす所を、各々にお分けになつて、汝は高天原を、汝は夜食国を、汝は地球上即ち大海原を知ろしめせと、御神勅になつたであります。今日は天照大御神三代日子番能邇々芸命が、どうも此お国が治まらぬといふで天から大神神勅を奉じて御降臨になつて、地球上をお治め遊ばして、さうして我皇室御先祖となり、其後万世一系に此国をお治めになつてあるでありますが、それより以前に於きましては、古事記によりますと須佐之男神が此国を知召されたといふことは前大神神勅を見ても明白な事実であります。
 『故各々依し給へる御言随に、知らしめす中に、速須佐之男命、依さし給へる国を知らさずて、八拳髯胸前に至るまで啼いさちき』
 須佐之男命は大神仰に随つて地上に降臨遊ばされた。地上を治める為めに、お降りになりましたけれども、そ時こ地上は乱れて居つて、神代にも丁度今日やうな世があつたもと見えます。で今日やうに政治であらうが、宗教であらうが、教育であらうが、何から何まで一切が行き詰つて了うて、もう行きも戻りも上げも下しも出来ぬ様になつて居つた。それで須佐之男命様は、こ中を安らけく平けく治めて大神を安堵させ奉る事が出来ないから非常にお歎きになつて、『八拳髯胸前に至るまで』長く長く髯が延びて胸前所まで下つて来るまで御心配をなすつた。人といふもは髯を拵へたり髪を整へたり、いろいろことをして、容貌を整へなくてはならぬけれども、此国を治めようといふ事に、余り御心配を遊ばしたでありますから、知らぬ間にこ髯が八拳に長く伸びて居つたであります。
 『泣きいさちき』
といふは、世一切悉くが、もうどうしても、これから進むで行くとか、開けて行くとか、どうしたらよいかといふ方法がない、手つけやうがないといふまでに非常に行き詰つて了つた状態を、お歎きになるさまに形容したであります。
 『其泣き給ふ状は』
どういふ工合であつたかといふと、
 『青山を枯山なす泣き枯らし』
 今まで山など草木が青々と生ひ繁つて居たに、世が行き詰つた為に枯れて了うた。枯らして了うた。山がすつかり一変して枯山となつてしまうた。これは今日状態によつく似て居るではありませぬか。今まで十年計画、百年計画といふやうな風にいろいろな事業が企てられた。何会社が立つ、或は何事業が起されたと、無茶苦茶に四五年前から本年春までは偉い勢で、好景気を謳歌して、青々とした山如くに有頂天になつて居りましたが、青山がいつまでも天空につかへないが如くに、なんぼ木が伸びたつて天につかへる気遣ひないやうに、一朝行きつまれば最早さう云ふ勢はすつくり枯れて了ふ。今年春からこ方、元も子もなくなつて、青山は枯山になつた。どうしても伸びる方法もない、火消えたるが如き有様になつて了つたであります。
 『河海は悉に泣き乾しき』
 山が枯山となつたと同じく、河も海も悉く乾いて了うて、一滴水もなくなつたといふであります。今日中に譬へて申しますれば、郵船会社とか、商船会社とか其他いろいろ海運業も追々と仕事がなくなつて二進も三進も行かなくなつた。すると此海河労働仕事に従事して居るもは、稼殖なくなるは勿論、稼業に離れる、職に離れるといふことになつて来ると一家は子供に至るまで、悉く泣き乾しになる。最早や食ふ道がないやうになると、もう乾干になるより仕様がない。総て海に稼いで居る者も、河に従事して居る者も、其他一切ことに従事して居る者も、みんな泣き乾しになつて了うたである。
 『是を以て悪神音なひ、狭蠅なす皆沸き、万妖悉に発りき』
 神代に於ても世が行き詰つて来れば、そこにいろいろ不祥なる事件が起つて来たもと見えます。
 畏くも明治天皇陛下が、
 『之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ』
と仰せられましたやうに、真理といふもは何れ時代にも適応するで御座います。既に古事記明文にある所で御座います。今日状態を考へて見れば、丁度此岩戸開き前状態と克く似て居る。世がどん底に行き詰つて労働しようにも仕事がない、仕事がなければ妻子眷族を養ふことが出来ない。生活といふことが出来なくなるとそこで悪神音なひとなり、いろいろ騒動が起つて来る、人間心が荒んで来る。衣食足つて礼節を知る、今まで善い魂を持つて居つたもも、だんだん悪い魂力に押へられて悪化して了ふ。食ふか食はぬか、死ぬか生きるか、喰うて死ぬか食はずに死ぬか、斯う云ふ苦しい立場になりますと、人心は日増しに悪化して善くないことが往々始まる。甚だしきは警察へ行つて御厄介になつた方が楽で、養なつて呉れて安全だといふもが出来る。監獄に入れば食はして呉れる、金銭はなくても可いといふ具合に自暴自棄的に悪神音なひが始まる。此音なひといふは、神様御真意に背いた所、いろいろ論説が出て来るといふで、あちらからも此方からも異端邪説が叢り起ることであります。然うした結果が、うるさい所五月蠅やうにブンブンブンといろいろ事が湧いて、
 『万妖悉に発りき』
 一切に災禍が起つて来る。外交上に於きましても、内治上に於きましても、商工業上にも、一切万事、何も彼にも、世ありと凡ゆるもに向つて、みな災禍が起つて来るであります。そこで天から伊邪那岐大神が之を御覧になつて、
 『速須佐之男命に詔給はく』
仰有るには、
 『何とかも、いましは、事依させる国を治さずて泣きいさちる』
 そなたは、此大海原国を治めよと言うてあるに、何故それを治めぬか、世中を斯う云ふ難局に陥らせたか、何うして騒がしい世中として了うたか、と大変にお責になつたであります。すると須佐之男命は、誠に相済まぬ事であります。兎も角これは私に力が足らぬからであります。私が悪いでありますとお答へになつた。併し斯うなつて来ては如何なる人が出て来ても、此時節には敵はない。治まるときには治めなくても治まるが、治まらぬときに之を治めるといふ事は難かしいもであります。人盛んなれば天に勝ち、天定まつて人を制す、悪運強い時には如何なる神もこれを何うも斯うもする事が出来ない。艮金神様も此時節勢には敵はぬと仰せられて、それで三千年間あ世に隠れて、今日神政成就時節を待つて、現在に顕はれ天大神様御命令を奉じて、三千世界立替立直しをなさらうといふであります。大神様でさへもさう仰せに成るでありますから、況して須佐之男命が大変に行き詰つた地上を治めようとなさつてもどうして治まらう筈がありませう。然らば何故須佐之男命御一人では治まらないであるかと申せば、それは今日文武百官がありまして、亦た政党政派が互に相争ひ、一方が斯うすれば一方が苦情を持ち出して思ふやうにならぬ如く前に申しましたやうに既にいろいろ神様達が沢山あつて、其神々様が各自に天津神御心を取り違へて、所謂体主霊従に陥つて居られたで、一人須佐之男命がどれ程誠途を開かうとなすつた所で、更に耳に入れるもがない、各自に勝手な真似をなさる。丁度強情な盲と聾と寄合やうであります。そこに千仭谷があつても盲は顛覆へるまでは知らぬ顔をしてをる。どれ程雷が鳴つても聾は足下に落ちるまでは平気である。それに強情を張つて誰が何と注意しても聴かない。神代人もそやうに体主霊従で、どうしても命命令を聴かなかつた。それで須佐之男命は、これは取りも直さず自分責任である、自分不徳致す所である、到底自分力では及ばないであると、自らをお責めになつて、
 『あは妣国、根堅洲国に罷らんと思ふが故に泣く』
 私はもうお暇を頂いて、母国に帰らうと仰せられたであります。根堅洲国と申すは母神伊邪那美命がおいでになつてゐる所であります。尤もこれまで或る国学者達は根堅洲国といふは地下国であると云つて居りますが、併し一番に此伊邪那美命は月読命と同じく月界に御出でになつたでありますから、月界を根堅洲国と言つたであります。で須佐之男命は自分力が足らないである、不徳致す所であるからして自ら身を引いて、根堅洲国へ行かうと仰有つて、一言も部下神々不心得や、其悪い行状を仰せられなかつた。如何にも男らしい潔白なお方で御座います。所が伊邪那岐命は非常に御立腹になつた。
 『然らばみまし此国にはな住みそ』
 其方やうな此海原を治める力量無いもならば、二度と此国に住むではならぬ。勝手に根堅洲国へ行つたがよからう。一時でも居つてはならぬぞとお叱りになつたけれども、伊邪那岐命は須佐之男命心中は疾くに克く御存知である。自分子がどうして此国を治める事が出来ないか、どうして自分言ふことを万神々が聴かぬか、腹底では充分に御存知でありますが、それを彼此仰有らない。心中には千万無量お悲しみを持つて居られまするけれども、他に多く神々に傷をつけるといふことは考へ物である。それで須佐之男命に刑罰を与へて罪人としたならば、そ八百万神、これに随いて居る所神等はそれを見て皆改心するであらう、そ悪かつたことを悟るであらうと思召して大神様は自分子を罰せられたでありまして、普通出来難いことで御座います。そ広大なるお情深い御心は、誠に勿体ない次第でありませぬか。此須佐之男命を罪に問うたならば、あれこそ吾々為めに罪せられたである、誠に済まないことであるから、吾々は悔い改めて本当政治をしなければならぬ、改心を早く致して命罪を赦されむ事を八百万神々が思ふであらうと思召して伊邪那岐命は此処置をお取り遊ばしたであるが、矢張体主霊従に陥られた八百万神達は容易にそれがお解りにならず、あれは当然である、政治主権をあんな者が握つて居つては国治まらう筈がない、あれが居なくなれば又善い神様が来るに違ひない、否吾々力で充分に世を治めようといふやうな頗る冷淡な間違つた考へを有つて居つたであります。寔にこんな世中を治めようとするには並大抵事ではないで御座います。
(大正九・一〇・一五 講演筆録)
(大正一一・三・五再録 谷村真友録)
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