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文献名1霊界物語 第15巻 如意宝珠 寅
文献名2第1篇 正邪奮戦よみ(新仮名遣い)せいじゃふんせん
文献名3第1章 破羅門〔568〕よみ(新仮名遣い)ばらもん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグレコード(蓄音器) データ凡例 データ最終更新日2024-05-26 13:35:20
あらすじ子孫ハム族は、大国彦子孫である大国別を神王と迎え奉り、エジプトイホ都に宮柱を立てて、そ婆羅門教えを広めて行った。教線は拡大し、西は地中海に面したヨーロッパ各地へ、東は小アジア、メソポタミヤ顕恩郷に達し、さらに越えてペルシャを横切り、インドにまで達した。セム族流れたるコーカス山三五教神人らは、婆羅門教を言向け和そうと顕恩郷に広道別らを使わした。コーカス山を三五教に奪われ、ウラル山とアーメニヤが危機に瀕したウラル彦・ウラル姫は、常世国に逃走した。八頭八尾大蛇や悪狐邪霊たちは、大国彦末裔である大国別・醜国姫夫婦に憑依した。そしてエジプトイホ都に現れ、第二ウラル教たる婆羅門教を開かしめた。大国別は、大自在天名を称した。こ婆羅門教は、極端な難行苦行をもって神御心にかなうとした教理である。婆羅門教は進んでメソポタミヤ顕恩郷、エルサレム黄金山にまで拡大し、聖地周辺三五教教理はほとんど破壊されてしまった。コーカス山素盞嗚神は、日出神、日出別神らに命じて、婆羅門教を恭順させようとした。霊鷲山広道別(太玉命)は、妻・松代姫をコーカス山に残し、娘・照妙姫にエデン花園を守らせ、安彦(弥次彦改名)、国彦(与太彦改名)、道彦(勝彦改名)を引き連れて、顕恩郷にやってきた。婆羅門教は霊主体従教えを曲解し、極度に身体を軽視して難行苦行によって全身から血を流して神心にかなうとした。邪霊は血を好む故に、霊主体従美名下にこような暴虐なる行為を勧める教理を立てたである。婆羅門教に魅惑された人々は、生を軽んじ死を重んじるであった。しかし霊肉一致天則を忘れ、神生き宮である肉体を軽んじることは、生成化育大道に反すること、もっともはなはだしき事なである。また婆羅門教は上中下三段身魂区別を厳格に立てた。大自在天祖先たる大国彦頭から生まれたとされる者系統は、いかに愚昧であっても人々上位に立って治者となった。次に神腹から生まれたとされる者系統は、準治者地位をもって安逸な暮らしを保証された。そして両者は、神足から生まれたとされる大多数人民膏血を絞る、という教理であった。婆羅門教が拡大するにつれて、国中にはひそかに怨み声が満ち満ちていった。太玉命が安彦、国彦、道彦を連れて顕恩郷東南渡し場にやってきた。そこには関所が設けられ、鳶彦、田加彦、百舌彦三柱婆羅門教手先が守っていた。道彦は関所門前で大音声名乗りを上げ、婆羅門教徒たちを挑発した。鳶彦、田加彦、百舌彦三人は槍をしごいて道彦に襲い掛かった。道彦は槍をよけて一人槍を叩き落とした。そ槍を拾って構えると、道彦勢いに恐れをなして、鳶彦は河中に飛び込んで逃げてしまった。残る二人も槍を捨てて降参した。田加彦と百舌彦は、元は三五教だったが、仕方なく婆羅門教に降っていただ、と明かした。そして、逃げた鳶彦が軍勢を引き連れてくるを恐れて、自分たちを連れてフサ都へ逃げて欲しいと懇願する。道彦は、力強い宣伝使と一緒に来ていると言って二人を安心させる。道彦合図笛で、太玉命らは関所方に駆けつける。一方、河向こう岸からは騒々しい人声が聞こえてきた。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年03月31日(旧03月04日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年12月5日 愛善世界社版7頁 八幡書店版第3輯 283頁 修補版 校定版7頁 普及版3頁 初版 ページ備考
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本文  千早振る遠き神代物語  常夜暗を晴らさむと
 子孫ハム族が  中にも強き婆羅門
 神御言は常世国  大国彦御子
 大国別を神王と  迎へまつりて埃及
 イホ都に宮柱  太しく建てて宣伝ふ
 そ言霊はかすかにも  こ瀬戸海越えて
 希臘伊太利仏蘭西や  遂に進みて小亜細亜
 メソポタミヤ顕恩郷  此処に根拠を築固め
 次第々々に道を布き  更に波斯を横断りて
 印度を指して進み来る  エデン河を打渡り
 ハム一族悉く  顕恩郷を中心に
 婆羅門教を開きける  セム流裔と聞えたる
 コーカス山神人は  婆羅門教を言向けて
 誠道を開かむと  広道別宣伝使
 太玉命を遣はして  顕恩郷に攻めて行く
 奇しき神代物語  十五入口に
 述べ始むるぞ面白き。
 此メソポタミヤは一名秀穂国と称へ、地球上に於て最も豊饒なる安住地帯なり。羊は能く育ち、牛馬は蕃殖し、五穀果実は無類豊作年々変る事無き地上天国楽園なり。世界は暗雲に包まれ、日月光も定かならざる時に於ても、こ国土みは相当に総て物生育する事を得たりと云ふ。西にエデン河長く流れ、東にイヅ河南流して、国南端にて相合しフサ海に入る。八頭八尾大蛇、悪狐邪霊は、コーカス山都を奪はれ、随つてウラル山、アーメニヤ危険に瀕したれば、ウラル彦、ウラル姫は、遠く常世国に逃れ、茲に大自在天大国彦末裔大国別、醜国姫夫婦をして、埃及イホ都に現はれ、第二ウラル教たる婆羅門教を開設し、大国別を大自在天と奉称し、茲に極端なる難行苦行を以て、神御心に叶うとなせる教理を樹立し、進んでメソポタミヤ秀穂国に来り、エデン園及び顕恩郷を根拠としたりける。それが為に聖地エルサレム旧都に於ける黄金山三五教は忽ち蚕食せられ、埴安彦、埴安姫教理は殆ど破壊さるる悲境に陥りたるなり。
 茲にコーカス山に坐ます素盞嗚神は、日出神、日出別神をして、ハム族樹立せる婆羅門教邪神を帰順せしめむとし給ひ、霊鷲山より現はれたる三葉彦命御名広道別宣伝使太玉命は、松代姫をコーカス山に残し、夜を日に継いでエデン河上に現はれ、エデン花園を回復して根拠とし、ハム族侵入を防がしめむとし給ひ、太玉命は安彦、国彦、道彦三柱と共に、エデン園に宮殿を造り、ハム族侵入に備へ居たり。されど河下顕恩郷は遂に婆羅門教占領する所となり了りぬ。ここに太玉命は、そ娘照妙姫をエデン花園に残し置き、安彦、国彦、道彦を引連れて、顕恩郷宣伝に向ひたり。こ安彦と云ふは弥次彦改名、国彦は与太彦改名、道彦は勝彦改名せし者なり。
 婆羅門教は、一旦日出神と偽称したる大国彦子にして、大国別自ら大自在天と称し、難行苦行を以て神心に叶ふもとなし、霊主体従本義を誤解し、肉体を軽視し、霊魂を尊重する事最も甚しき教なり。此教を信ずる者は、茨群に真裸となりて飛び込み、或は火を渡り、水中を潜り、寒中に真裸となり、崎嶇たる山路を跣足まま往来し、修行初門としては、足駄表に釘を一面に打ち、之を足にかけて歩ましむるなり。故に此教を信ずる者は、身体一面に血爛れ、目も当てられぬ血達磨如くなり、斯くして修行苦業を誇る教なり。八頭八尾、及び金毛九尾、邪鬼霊は、人血を視ることを好む者なれば、霊主体従美名下に、斯如き暴虐なる行為を、人々身魂に憑りて慣用するを以て唯一手段となし居るが故に、此教に魅せられたる信徒は、生を軽んじ、死を重んじ、無限絶対なる無始無終歓楽を受くる天国に救はれむ事を、唯一楽みとなし居るなり。如何に霊を重んじ体を軽んずればとて、霊肉一致天則を忘れ、神生宮たる肉体を塵埃如く、鴻毛如くに軽蔑するは、生成化育大道に違反する事最も甚だしきもなれば、こ教にして天下に拡充せられむか、地上生物は残らず邪神為に滅亡する已むを得ざるに至るべく、また婆羅門教には上中下三段身魂区別を厳格に立てられ、大自在天大祖先たる大国彦頭より生れたる者は、如何なる愚昧なる者と雖も庶民上位に立ち、治者地位に就き、又神腹より生れたる者は、上下生民中心に立ち、準治者位地を受得して、少し労苦もなさず、神足より生れたりと云ふ多数人民膏血を絞り、安逸に生活をなさむとする教理なり。多数人民は種々難行苦行を強ひられ、体は窶れ或は亡び、怨声私かに国内に漲り、流石天国浄土に住み乍ら、多数人民は地獄如き生活を続くる已むを得ざる次第となりける。邪神勢は益々激しく、遂にはフサ国を渡り、印度国迄もそ勢力範囲を拡張しつつありしなり。
 太玉命は、安彦、国彦、道彦を伴ひ、顕恩郷東南を流るる渡場に着きぬ。此処には鳶彦、田加彦、百舌彦三柱魔神、捻鉢巻をし乍ら、他国人侵入を防ぐため、河縁に関所を設けて堅く守り居る。
太玉命『ヤア三人伴人よ、昔此河を渡つた時は、何とも言へぬ清らかな流れであつたが、ウラル山、アーメニヤ悪神は一旦常世国に逃げ去り、再び顕恩郷に潜かに現はれ来つて、婆羅門教邪教を開き始めてより、吹き来る風も腥く、山河草木色を変じ、河流れも亦血泥如くなつて了つた。吾々は素盞嗚尊御神慮を奉じ、メソポタミヤ野をして再び秀穂国楽園に復帰せしめねばならぬ重大なる使命を帯びて来れる以上は、仮令如何なる魔神襲ひ来る共、一歩も退くことは出来ない、汝等もそ覚悟を以て当られたし。彼河縁に建てる宏大なる館は、正しく魔神関所ならむ、汝等三人内、偵察ため一足先に至つて関所悪神と交渉を開始し、事急なるときは、合図笛を吹け、それまで吾等は此森林に身を潜めて事成行を窺はむ』
と、太玉命言葉に、道彦は勇み立ち、
『憚り乍ら、道彦に此御用を仰付けられたし』
と願ひければ太玉命は、
『御苦労だが、一足先に探険して呉れよ』
『承知致しました』
と道彦は宣伝歌を歌ひつつ、河縁関所を指して悠々と進み行く。ピタリと行当つた関所大門、道彦は大音声、
『ヤア、こ顕恩郷は昔、日出神が南天王と称して支配され、そ後鬼武彦そ神々南天王となつて永久に大神命を受け守護せられたる聖地なり。然るに何者邪神ぞ、顕恩郷を占領し且又こ河縁に関所を造るか、一時も早く此門開け、吾は三五教宣伝使道彦であるぞ』
と門戸を破れむばかりに打叩く。此時門茂みより現はれ出でたる三人男、鋭利なる手槍をしごき、三方より道彦を取りかこみ、眼を怒らせ、身体をブルブルと震動させつつ、
『ヤア、汝は三五教宣伝使なるか、飛んで火に入る夏虫、吾槍切尖を喰へよ』
と三人一度に突いてかかるを、道彦は、或は右に、或は左に、前後左右に、槍切尖を避け、一人槍をバタリと叩き落した。一人は驚いて矢庭に河に飛びこみ、対岸に遁れ去つた。ここに道彦は其槍を手早く拾ひあげ、
『サア来い、蝿虫奴等』
と身構へするや、其勢に辟易してか、二人男は槍をバタリと大地に投げ棄て、犬突這となつて、
『ヤア、どうも恐れ入りました。重々御無礼お許し下さいませ』
と泣声になつて謝罪る。
道彦『其方は婆羅門眷属と見ゆるが、何故に斯かる邪神に信従するか、委細包まず白状せよ』
百舌彦『実所、吾々は常世国より大国別部下なる玉取別に従ひて、荒海を渡り、埃及地に現はれ、追々進んで此顕恩郷門番となり、少し過失より罰せられて遂には河関所守となりました。決して旧より悪徒ではありませぬ』
道彦『然らば汝等は顕恩郷様子を悉皆存じ居るであらう。これより三五教吾々を顕恩郷城砦に案内致せ』
百舌彦『そ、それは到底吾々力には及びませぬ、グズグズして居れば吾々は申すに及ばず、あなた方御生命も危からむ、此儀ばかりは御容赦下されたし』
道彦『ナニ心配をするな、神変不可思議三五教神力を以て如何なる曲津敵も言向和し、こ顕恩郷をして再び古天国楽土となさしめむ、必ず必ず煩慮するに及ばぬぞ』
田加彦『オイ百舌彦、コンナ方を顕恩郷へでも連れて行つた位なら、それこそ大変だ、鬼雲彦大神様に、「汝は顕恩郷厳しき規則を蹂躙する大罪人だ」と云つて、又もや真裸にされて、針御制敗に逢はねばならぬ、ウカウカと物を言ふもではない。もうしもうし三五教宣伝使様、ここは一つ御思案下さいまして、双方好い様に何とか良い解決を付けて戴きたいもです。今河に飛込んで対岸に渡つた男は、鬼雲彦スパイを勤めて居る悪人ですから、数多眷属や、スレーブを引きつれ、今に如何なる事をし出かすかも分りませぬ、さうして大変に力強い奴、顕恩郷でも名代者です。今あなたに槍を持つて攻めかかり、ワザと敗けた振をして、槍を打棄てたも、深き計略あること、あなた方を顕恩郷に引き入れて、嬲り殺にしやうと云ふステージに外ならぬです。私も彼奴目玉光つて居る間は逃げる事も、どうする事も出来なかつた。あなたがお出で下さつたを幸ひ、顕恩郷を脱出して、どうぞフサ都へ連れて行つて下さい。常世国にも三五教は沢山に弘まつて居りますが、今日所はみな隠れて信仰、表面はウラル教信者と見せかけ、吾々も無理やりに此処へ引き寄せられ、河番を致しては居りますが、そ実は三五教信者で御座います。ウラル教は極端な体主霊従主義で、常世神王や、そ神々が、黄泉比良坂戦ひに全部帰順し、夫々御守護に就かれてから後は、大国彦子孫たる大国別が、何故か又もやバラモン教と云ふ怪体な宗教を開き、表面は三五教信条如く霊主体従を標榜し、数多人民肉体を傷つけ血を出させて、それが信仰本義と、すべて者に強ひるですから堪つたもではありませぬ。けれども何にも知らぬ人民は後世が恐ろしいと云つて、肉体が如何なる惨虐な目に遭はされても辛抱して喜んで居ると云ふ有様、私等は一向トント合点が往きませぬ、鬼か大蛇か悪魔様な神様じやないかと、何時も胸に手をあて考へては居るも、一口これを口ヘ出さうもなら、それこそ大変な事になりますで腹中に包み秘して、已むを得ずこ河番を致して居ります。幸ひ鳶彦が帰りました、こ間に吾々二人を伴れて、どつかへ御逃げ下さい。大変なことがオツ始まりますから………』
道彦『ナアニ、吾々は神御守護がある、又三人神徳強き宣伝使を同行し居れば、大丈夫だ、心配致すな』
百舌彦『三人お方は何処に居られますか、どうぞ一時も早くこれへお越しを願ひたう御座います。グズグズ致して居ると鳶彦奴、今にドンナ事を為向けて来るか分りませぬから………』
 道彦は合図笛を吹いた。太玉命外二人は合図笛にスワ一大事突発と、急いで此場に現はれた。河彼方には騒々しい人声次第々々に高まり来る。
(大正一一・三・三一 旧三・四 松村真澄録)
 此日大先生御吹込蓄音器円板到着、夕礼拝後五六七殿に於て参拝者一同に拝聴せしむ。
(昭和一〇・三・一八 於台中市高橋邸 王仁校正)
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