王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献名1霊界物語 第16巻 如意宝珠 卯
文献名2後付よみ(新仮名遣い)
文献名3礎(一)よみ(新仮名遣い)たまいしずえ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ霊界には、神界、中界、幽界三大境域がある。神界とは、神道で言う高天原であり、仏教極楽浄土、キリスト教天国である。中界は神道で言う天八衢であり、仏教で言う六道辻、キリスト教精霊界である。幽界は神道で言う根国底国、仏教で言う地獄、キリスト教地獄である。天八衢は高天原と根底中間状態である。人が死後にただちに至る中有である。中有にしばらくあって後、現界で行いに応じて天国に昇り、または根底国へ行くである。高天原情態は真善美が相和合した時である。根底情態は、邪悪と虚偽が人間にあって合致した時である。霊魂中真善美が和合するとただちに高天原に昇り、邪悪と虚偽が合致するとただちに根底国へ落ちる。これは八衢にあるときに行われる。八衢に在る人霊は多数である。八衢は一切会合所であり、霊魂試験準備がなされる所でもある。八衢に居る期間はさまざまである。すぐに天国に昇る者、地獄に落ちる者、また数日数年居る者もあるが、三十年以上居る者はない。人間内分・外分に相応して、八衢に居る時間が決まるである。人間が死ぬと、神は直ちにそ善悪正邪を審判する。地獄界に行くは、そ人間が世にあるときに愛していたもが地獄界に所属しているからである。善き人が高天原に赴くは、世に在りしときにそ真善美がすでにして天国団体に加入していたからである。生前知己は、八衢にていったん邂逅することが許される。同一信仰、愛、性情に拠る者は、天国において再び相知ることができる。しかし八衢でいったん別れてしまうと、二度と相見ることはできないである。八衢にて、高天原または根底国に行くまでに、外分、内分、準備三つ状態を経る。自己凶悪を装うために善を標榜した偽善者や、神存在を認めなかった者は、ただちに根底国に至る。生前、世を捨てて肉を離れて霊に住み、功徳を積んでも、高天原に昇れるわけではない。こような悲哀生涯を修得しても、高天原歓喜は得られない。むしろ現世において世間的な業務を採りそ職掌を尽くし、道徳的民文的生涯を送り、そ後に初めて霊的生涯を受けなければならないである。これ以外に霊的生涯を為し、高天原に昇る準備をする方法はないである。内的生涯を清く送ると同時に、外的生涯を営まないは砂上楼閣如きもである。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年04月05日(旧03月09日) 口述場所 筆録者藤津久子 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年12月25日 愛善世界社版286頁 八幡書店版第3輯 510頁 修補版 校定版292頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm169902
本文のヒット件数全 141 件/ノ=141
本文の文字数2037
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  霊界には神界、中界、幽界三大境域がある。
 神界は神道家唱ふる高天原であり、仏者謂ふ極楽浄土であり、又耶蘇いふ天国である。
    ○
 中界は神道家唱ふる天八衢であり、仏者謂ふ六道辻であり、キリストいふ精霊界である。
    ○
 幽界は神道家唱ふる根国底国であり、仏者謂ふ八万地獄であり、又キリストいふ地獄である。
    ○
 故に天八衢は高天原にもあらず、また根底国にもあらず、両界中間に介在する中程位地にして即ち情態である。人死後直に到るべき境域にして所謂中有である。中有に在ること稍久しき後現界にありし時行為正邪により或は高天原に昇り、或は根底国へ落ち行くもである。
    ○
 人霊中有情態(天八衢)に居る時は天界にもあらず又地獄にもあらず。仏者所謂六道辻または三途川辺に立ちて居るもである。
    ○
 人間に於ける高天原情態とは真と善と美相和合せし時であり、根底情態とは邪悪と虚偽とが人間にありて合致せる時を云ふである。
    ○
 人霊魂中に在る所真と善と美と和合する時はそ人は直に天国に昇り、人霊魂中に在る邪悪と虚偽と合致したる時は、そ人は忽ち地獄に墜つるもである。此如きは天八衢に在る時に於て行はるるもである。
    ○
 天八衢(中有界)に在る人霊は頗る多数である。八衢は一切初めて会合所であつて、此処にて先づ霊魂を試験され準備さるるである。人霊八衢に彷徨し居住する期間は必ずしも一定しない、直に高天原へ上るもあり、直に地獄に落ちるもある。極善極真は直に高天原に上り、極邪極悪は直に根底国へ墜落して了ふである。或は八衢に数日又は数週日数年間居るもである。されど此処に三十年以上居るもは無い。此如く時限に於て相違があるは、人間内外分間に相応あると、あらざるとに由るからである。
    ○
 人間死するや、神は直にそ霊魂正邪を審判し給ふ、故に悪きも地獄界に於ける醜団体に赴くはそ人間世にある時そ主とする所愛なるもが地獄界に所属して居たからである。又善き人高天原に於ける善美団体に赴くもそ世に在りし時其愛、其善、其真は正に天国団体に既に加入して居たからである。
    ○
 天界地獄区劃は此如く判然たりと雖も、肉体生涯に在りし時に於て朋友となり知己となりしもや、特に夫婦、兄弟、姉妹となりしもは、神許可を得て天八衢に於て会談することが出来るもである。
    ○
 生前朋友、知己、夫婦、兄弟、姉妹と雖も、一旦こ八衢に於て別れたる時は、高天原に於ても根底国に於ても再び相見る事は出来ない。又相識る事も無い。但同一信仰、同一愛、同一性情に居つたもは天国に於て再び相見、相識ることが出来るである。
    ○
 人間死後、高天原や根底国へ行くに先だつて何人も経過すべき状態が三途ある。そして第一は外分状態、第二は内分状態、第三は準備状態である。こ状態を経過する境域は天八衢(中有界)である。然るに此順序を待たず直に高天原に上り、根底国へ落つるももあるは前に述べた通りである。直に高天原に上り又は導かるるもは、そ人間が現界に在る時神を知り、神を信じ善道を履み行ひ、そ霊魂は神に復活して高天原へ上る準備が早くも出来て居たからである。
 また善を表に標榜して内心悪を包蔵するも即ち、自己凶悪を装ひ人を欺くために善を利用した偽善者や、不信仰にして神存在を認めなかつたもは、直に地獄に墜落し無限永苦を受くる事になるである。
    ○
 死後高天原に安住せむとして霊的生涯を送ると云ふことは、非常に難事と信ずるもがある。世を捨てそ身肉に属せる所謂情欲なるもを一切脱離せなくては成らないからだと言ふ人がある。此如き考へ人は主として富貴より成れる世間的事物を斥け、神、仏、救ひ、永遠生命と云ふことに関して、絶えず敬虔な想念を凝らし祈願を励み教典を読誦して功徳を積み世を捨て肉を離れて霊に住めるもと思つて居るである。然るに天国は此如くにして上り得るもでは無い。世を捨て霊に住み肉を離れようと努むるもは却て一種悲哀生涯を修得し高天原歓楽を摂受する事は到底出来るもではない。何ンとなれば人は各自生涯が死後にも猶留存するもなるが故である。高天原に上りて歓楽生涯を永遠に受むと思はば現世に於て世間的業務を採りそ職掌を尽し道徳的民文的生涯を送り、かくして後始めて霊的生涯を受けねばならぬである。これを外にしては霊的生涯を為し、そ心霊をして高天原に上る準備を完ふし得べき途は無いである。内的生涯を清く送ると同時に外的生涯を営まないもは砂上楼閣如きもである。或は次第に陥没し或は壁落ち床破れ崩壊し顛覆する如きもである。アヽ惟神霊幸倍坐世。
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki