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文献名1霊界物語 第39巻 舎身活躍 寅
文献名2後付よみ(新仮名遣い)
文献名3附録 大祓祝詞解よみ(新仮名遣い)おおはらいりとかい
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ熊野久須毘命(熊野樟日命) データ凡例 データ最終更新日2022-11-24 10:16:57
あらすじ(一)大祓祝詞は中臣祓とも言い、毎年六月と十二月晦日大祓執行に際して、中臣が奏上する祭文であり、延喜式に載録されている。従来こ祝詞解説は無数に出ているが、全部文章辞義解釈みにこだわり、そ中にこもる真意義にはほとんど一端さえ触れていない。大祓祝詞真義は大本言霊学鍵で開かなければならない。大祓祝詞解釈は無尽蔵に近く、主要なもだけでも十二通りあるが、なるべく平易簡単に今時に適切と感じられる解釈ひとつを試みる。時運はますます進展し、人として資格有無を問う大審判日は目前に迫っているから、心ある読者諸氏はこれを読んで、真理解と覚醒途に就いていただきたい。(二)全大宇宙間には陰陽二系御神霊が実相充塞している。それは一切万有父でありまた母である。陰陽二神神秘的産霊結果はまず、一切原動力ともいうべき言霊発生となった。いわゆる八百万天津神御出現であり、御完成である。天界主宰は天照皇大神様である。次に地世界統治権確定は、天照大神様御霊統を受けられたお方が全世界救済と大道執行をするべく、天使命を帯びられた。人間肉体は生死往来することを免れないが、霊魂は無限寿命を保って活動するである。(三)地神界統治者は確定したが、宇宙間はなお未製品時代に属するで、自由行動をとって割拠争奪をこととする凶徒界が多い。これは大本開祖御神諭に示されているところであり、過去ことみではない。小規模救世主降臨は過去にあったが、大規模救世主降臨は現在である。そ結果悪鬼邪神大審判、大掃除、大洗濯が開始されいわゆる世大立替大渦中に突入する。そうなると批評も議論も疑義も反抗も全部中止となり、稜威赫々として宇内を統治し給う神御子世となるである。(四)天祖御委託によって救世主が御降臨されるについて、宇宙中心、世界中心である国土をもって宇内経綸、世界統一中府と定め給い、天地相応際から特別製に作り上げてある神定霊域に、崇厳無比神殿を御造営され、惟神大道によって天下をしろしめされることになる。それについては、直接天津神手足となって活動しなければならない責任が重い。どようなことをなし、どようなことをなしてはならないか、明確な観念を持たなければならない。次節に列挙するさまざまな罪ごととはことごとく、人として日夕服膺しなければならない重要事項みである。(五)人間は神容器として宇内経綸天職がある。ことに日本人使命は重大をきわめ、世界安否、時運興廃、ことごとくそ責任は日本人に係っている。天賦霊魂を磨き、霊智霊覚によって天然造化力利用開発に努め、同時に国徳と人徳を発揮し、立派な模範を世界中に示されなければならない。実際にはこれに反して、いたずらに物質文明糟粕をなめ、罪上に罪を重ねて現在みるごとき世界大擾乱となってきた。日本人はこ責任を免れることはできない。しかしこれは天地創造際から約束で、進化道程として免れがたいことであることも事実である。過去ことは今さら悔やむには及ばない。我々は現在および将来に向かっていかなる態度をとり、いかなる処置を講じればよいかを考究すべきである。次節にそ要道を示している。(六)天津罪、国津罪が続発することは悲しむべき不祥事であるが、致し方ない。よくそ理を明らかにして整理修祓法を講じなければならない。世界主宰大君としては天津金木を運用して宇内現勢を察知し、正しい言霊を活用して天津祝詞を天地神々に宣り伝えてそ活動を促すべきである。これが根本祭事であると同時にまた根本政事である。天津神も国津神もこれに応じてよく威力を発揮せられるである。(七)八百万天津神と国津神御活動が開始されると、罪という罪、穢れという穢れは一つも残らず根本から一掃されてしまう。大は宇宙修祓、国土修祓から小は一身一家修祓に至るまで、神力御発動がなければできるもではないである。大祓祝詞はいつ時代を通じても必要で、神人一致、罪と穢れ累積を祓い清めるように努力しなければならない。現代においては特に痛切に必要である。自己身体、家庭、国土、全地球、全宇宙から迅速に邪気妖気を掃蕩して神代にしなければ神に対して相済まない。大修祓に際して、神御活動は四方面に分かれる。祓戸四柱神々御働きである。正神界神々が修祓を行うときには、こ四方面に分かれて御活動があることを指す。(八)地球表面清潔法を施行するためには、大小河川をつかさどる瀬織津姫が御出動になる。いよいよとなれば大雨を降らして大海へ一掃してしまう。これに応じて速秋津姫御活動が起こる。必要あれば陸地まで押し寄せてあらゆるもを鵜呑みにする。邪気妖気掃除ためには気吹戸主神が控えている。最後仕上げには佐須良姫が待ち構えて揉み砕き、揺りつぶす。これでいかに山積していた罪穢もこ世から一掃される。従来は大祓祝詞は世に存在していてもそ意義さえ分からず、そ実行が少しもできていなかった。そ大実行着手が国祖国常立尊御出動である。神国人責務は重いが上にも重い。天地神々御奮発と御加勢とをもって首尾よくこ大経綸衝にあたり神業に奉仕するというが、大祓奏上者覚悟であらねばならない。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年10月21日(旧09月2日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年5月5日 愛善世界社版287頁 八幡書店版第7輯 385頁 修補版 校定版301頁 普及版 初版 ページ備考
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本文の文字数15644
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本文    (一)

 大祓祝詞は中臣祓とも称へ、毎年六月と十二月晦日を以て大祓執行に際し、中臣が奏上する祭文で延喜式に載録されてある。
 従来此祝詞解説は無数に出て居るが、全部文章辞義解釈みに拘泥し、其中に籠れる深奥真意義には殆ど一端にさへ触れて居ない。甚だしきは本文中から『己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜犯せる罪』件を削除するなど愚劣を演じて居る。自己浅薄卑近なる頭脳を標準として軽挙妄動であるから、神界でも笑つて黙許に附せられて居るであらうが、実は言語道断所為と云はねばならぬ。大祓祝詞真意義は古事記と同様に、大本言霊学鍵で開かねば開き得られない。さもなければ古事記が一幼稚なる神話としか見えぬと同様に、大祓祝詞も下らぬ罪悪列挙、形容詞沢山長文句位にしか見えない。所が一旦言霊活用を以て其秘奥を開いて見ると、偉大と云はうか、深遠といはうか、ただただ驚嘆外はないである。我国体精華が之によりて発揮せらるるは勿論こと、天地経綸、宇宙神秘は精しきが上にも精しく説かれ、明かなる上にも明かに教へられて居る。之を要するに皇道真髄は大祓祝詞一篇裡に結晶して居るで、長短粗密差異こそあれ、古事記、及び大本神諭と其内容は全然符節を合するもである。
 言霊活用が殆ど無尽蔵である如く、大祓祝詞解釈法も無尽蔵に近く、主要なる解釈法丈でも十二通りあるが、成るべく平易簡単に、現時に適切と感ぜらるる解釈一個をこれから試みやうと思ふ。時運は益々進展し、人として資格有無を問はるべき大審判日は目前に迫つて居るから、心ある読者諸子は、これを読んで、真理解と覚醒途に就いて戴きたい。

   (二)

『高天原に神つまります、皇親神漏岐、神漏美命もちて、八百万神等を神集へに集へ賜ひ神議りに議り玉ひて、我皇孫命は豊葦原水穂国を、安国と平けく所知食と事依し奉りき』
△高天原に  『タカアマハラ』と読むべし、従来『タカマガハラ』又は『タカマハラ』と読めるは誤りである。古事記巻頭註に『訓高下天云阿麻』と明白に指示されて居り乍ら従来何れ学者も之を無視して居たは、殆ど不思議な程である。一音づつ意義を調ぶれば、タは対照力也、進む左也、火也、東北より鳴る声也、父也。又カは輝く也、退く右也、水也、西南より鳴る声也、母也。父を『タタ』といひ、母を『カカ』と唱ふるもこれから出るである。又アは現はれ出る言霊、マは球言霊、ハは開く言霊、ラは螺旋言霊。即ち『タカアマハラ』全意義は全大宇宙事である。尤も場合によりては全大宇宙大中心地点をも高天原と云ふ。所謂宇宙に向つて号令する神界中府所在地意義で『地高天原』と称するなどがそれである。こ義を拡張して小高天原は沢山ある訳である。一家小高天原は神床であり、一身小高天原は、臍下丹田であらねばならぬ。ここでは後意義ではなく、全大宇宙其物意義である。之を従来は、地名であるか如く想像して、地理的穿鑿を試みて居たである。
△神つまります  かみは日月、陰陽、水火、霊体等義也。陰陽、水火二元相合して神となる。皇典に所謂産霊とは此正反対二元結合を指す。日月地星辰、神人其他宇宙万有一切発生顕現は悉くこ神秘なる産霊結果でないもはない。又つまりとは充実義で、鎮坐義ではない。ますはましますと同じ。
△皇親  皇(スメラ)は澄す義、全世界、全宇宙を清澄することを指す。親(ムツ)は『ムスビツラナル』義で、即ち連綿として継承さるべき万世一系御先祖事である。
△神漏岐、神漏美  神漏岐は霊系祖神にして天に属し、神漏美は体系祖神にして地に属す。即ち天地、陰陽二系神々義である。
△命もちて  命(ミコト)は神言也、神命也。即ち水火結合より成る所五十音を指す。元来声音は「心柄」義にて、心活用生ずる限り、之を運用する声音が無ければならぬ。心(即ち霊魂)活用を分類すれば、奇魂、荒魂、和魂、幸魂四魂と之を統括する所全霊に分ち得る。所謂一霊四魂であるが、此根源一霊四魂を代表する声音はアオウエイ五大父音である。宇宙根本造化作用は要するに至祖神一霊四魂運用結果であるから、至祖神御活動につれて必然的にアオウエイ五大父音が先づ全大宇宙間に発生し、そして其声音は今日といへども依然として虚空に充ち満ちて居るだが、余りに大なる声音なで、余りに微細なる声音と同様に、普通人間肉耳には感じないまでである。併し余り大ならざる中間音は間断なく吾人耳朶に触れ、天音地籟一として五大父音に帰着せぬは無い。鎮魂して吾人霊耳を開けば、聴こゆる範囲は更に更に拡大する。扨前にも述ぶるが如く、声音は心柄、心運用機関であるから天神一霊四魂活用が複雑に赴けば赴く丈け、声音数も複雑に赴き停止する所はない。其中に在りて宇宙間に発生した清音みを拾ひ集むれば四十五音(父母音を合せて)濁音、半濁音を合すれば七十五音である。これは声音研究者熟知する所である。拗音、促音、鼻音等を合併すれば更に多数に上るが、要するに皆七十五音変形で、あらゆる音声、あらゆる言語は根本七十五声音運用と結合と結果に外ならぬ。されば宇宙森羅万象一切は是等無量無辺音声即ち言霊活用結果と見て差支ない。これは人間上に照して見ても其通りである事がよく分る。人間活用ある限り、之を表現する言霊がある。『進め』と思ふ瞬間には其言霊は吾人身体中府から湧き、『退け』と思ふ瞬間にも、『寝よう』と思ふ瞬間にも、『行らう』と思ふ瞬間にも、其他如何なる場合にも、常に其言霊は吾人中心から湧出する。即ち人間一挙一動悉く言霊力で左右されるというても宜しい。従つて言霊活用清純で、豊富な人程其使命天職も高潔偉大でなければならぬ。
△八百万神等  八百ヤは人、ホは選良義、万は沢山、多数義である。
△神集へに云々  神集会で神廷会議を催すことである。
△我皇御孫之命  五十音中でアは天系に属し、ワは地系に属す。故に至上人に冠する時に我はワガと言はずしてアガといふ也。皇(スメ)は澄し治め、一切を見通す事、御(ミ)は充つる、円満具足義、孫(マ)はマコト子、直系を受けたる至貴玉体。命は体異体別義、即ち独立せる人格義にして、前に出でたる命(神言)から発足せる第二義である。全体は単に『御子』といふ事である。元来霊も体も其根本に溯れば、皆祖神賜、天地賜である。故に皇典では常に敬称を附するを以て礼となし、人間に自他区別は設けられてないである。
△豊葦原水穂国  全世界即ち五大洲事である。之を極東或国事とせるが従来学者謬見であつた。日本を指す時には、豊葦原中津国、又は根別国などと立派に古事記にも区別して書いてある。
△所知食  は衣食住業を安全に示し教ふる事を云ふ。地球は祖神御体であるから、人間としては土地領有権は絶対に無い。例へば人体表面に寄生する極微生物に人体占領権能がないと同様である。人間は神様から土地を預り、神様に代りて之を公平無私に使用する迄である。うしはぐ(領有)もは天地神で主治者は飽迄知ろしめすであらねばならぬ。国土占領地所独占等は、根本から天則違反行為である。神政成就暁には独占は無くなつて了ふ。
(大意)全大宇宙間には陰陽二系御神霊が実相充塞しそれは即ち一切万有父であり又母である。陰陽二神神秘的産霊結果は先づ一切原動力とも云ふべき言霊発生となつた。所謂八百万天津神御出現であり、御完成である。天界主宰大神は云ふまでもなく天照皇大神様であらせらるるが、其次ぎに起る問題は地世界統治権確定である。是に於て神廷会議開催となり其結果は天照大神様御霊統を受けさせられた御方が全世界救治に当らるる事に確定し、治国平天下大道を執行監督さるべき天使命を帯びさせらるる事になつたである。無論人間肉体は世に生死往来するを免れないが、其霊魂は昔も今も変ることなく千万世に亘りて無限寿を保ちて活動さるるである。

   (三)

かく依さし奉りし国中に荒振神等をば、神問はしに問はし玉ひ、神掃ひに掃ひ給ひて、語問ひし磐根樹根立草片葉をも語止めて、天之磐座放ち、天之八重雲を伊頭千別に千別て、天降し依さし奉りき。
△荒振神  天界御命令にまつろはぬ神、反抗神意である。
△神問はしに云々  神御会議。罪あるもは神に向ひて百万遍祝詞を奏上すればとて、叩頭を続くればとてそれで何効能があるではない。況ンや身欲信心に至つては、言語道断である。神様に御厄介を懸けるばかり、碌な仕事もせぬ癖に、いざ大審判開始されむとする今日、綾部を避難地でもあるが如くに考ふるやうな穿き違ひ偽信仰は、それ自身に於て大罪悪である。神は先づ其様な手合から問はせらるるに相違ない。
△神掃ひに云々  掃ひ清むること、神諭所謂大掃除大洗濯である。
△語問し  諸々糾弾である。
△磐根樹立  草枕詞、即ち磐根に立てる樹木、そ又根に立てる草義。
△草片葉  草は青人草、人こと、又片葉は下賤人草意である。
△語止めて  議論なしに改悟せしむる意である。
△天之磐座放ち  磐座は高御座也、いはもくらも共に巌石義。放ちは離ち也。古事記には、『離天之石位』とあり。
△八重雲  弥が上にも重なりたる雲。
△伊頭千別に云々  伊頭は稜威也。即ち鋭き勢を以て道を別けに別け義。
△天降し依さし奉りき  『天降し……件を依さし奉りき』義にて中間に神秘あり。天降しは天孫をして降臨せしむる事、換言すれば天祖御分霊を地に降し、八百万国津神達主宰として神胤が御発生ある事である。
(大意)既に地神界統治者は確定したが、何しろ宇宙間は尚未製品時代に属するで、自由行動を執り、割拠争奪を事とする兇徒界が多い。これは最も露骨に大本開祖御神諭に示されて居る所で、決して過去みではない。小規模救世主降臨は過去にあつたが、大規模救世主降臨は現在である。『七王も八王も王が世界にあれば、此世に口舌が絶えぬから、神王で治める経綸が致してあるぞよ』とあるなどは即ち之を喝破されたもである。其結果是等悪鬼邪神大審判、大掃除、大洗濯が開始され所謂世大立替大渦中に突入する。さうなると批評も議論も疑義も反抗も全部中止となり稜威赫々として宇内を統治し玉ふ神御子世となるである。

   (四)

如此依さし奉りし四方国中と大日本日高見之国を安国と定め奉りて、下津磐根に宮柱太敷立、高天原に千木多加知りて、皇御孫命美頭御舎仕へ奉りて、天御蔭日御蔭と隠り坐して、安国と平けく所知食む国中に成出でむ天益人等が過ち犯しけむ雑々罪事は。
△四方国中  宇宙大中心。
△大日本日高見之国  四方真秀、天津日隈なく照り亘る国土を称へていふ。但宇宙大修祓が済んでから初めて理想的になるである。
△下津磐根  地質が一大磐石地で即ち神明降臨ある霊域を指す。
『福知山、舞鶴は外囲ひ、十里四方は宮内』とあるも亦下津磐根である。
△宮柱太敷立  宮居柱を立派に建てる事。
△千木多加知  屋根千木を虚空(高天原)に高く敷き義。千木は垂木也。タリを約めてチといふ。
△美頭  麗しき瑞々しき意。
△仕へ奉り  御造営義。
△天御蔭云々  天津神御蔭、日大神様御蔭と自分徳を隠したまふ義。神政成就、神人合一時代に於ては人は悉く神容器である。世界統一を実行すとて、其功績は之は天地御恩に帰し奉るが道真随で、忠孝仁義大道は根源をここから発する。坐ながらにして其御威徳は宇内に光被し、世は自然と平けく安らけく治まるである。
△天益人  天は敬称である。益人は世界全人類を指す。マスラヲといふ時は男子みを指す。マは完全、スは統治義。又ヒは霊、トは留まる義。
△罪事  ツミは積み也、又包み也。金銭、財宝、糧食等を山積私有するは個人本位、利己本位行為で、天則に背反して居る。又物品を包み隠したり、邪心を包蔵したり、利用厚生開発を怠つたりする事も堕落腐敗源泉である。かく罪語源から調べてかかれば罪一語に含まるる範囲いかに広いかが分る。法律臭い思想では其真意義はとても解し難い。
(大意)天祖御依託によりて救世主が御降臨遊ばさるるに就きては、宇宙中心、世界中心たる国土を以て宇内経綸、世界統一中府と定め給ひ、天地創造際から特別製に造り上げてある神定霊域に、崇厳無比神殿を御造営遊ばされ、惟神大道によりて天下を知ろしめされる事になる。神諭所謂『神国行ひを世界へ手本に出して万古末代動かぬ神世で三千世界陸地上を守護』さるるである。それに就きては直接天津神手足となり、股肱となりて活動せねばならぬ責任が重い。いかなる事を為ねばならぬか、又如何なる事を為てはならぬか、明確なる観念を所有せねばならぬ。次節に列挙せらるる雑々罪事といふは悉く人として日夕服膺せねばならぬ重要事項みである。

   (五)

天津罪とは、畔放ち溝埋め、樋放ち頻蒔き串差し、生剥逆剥尿戸許々太久罪を、天津罪と詔別けて、国津罪とは、生膚断、死膚断、白人胡久美、己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜犯せる罪、昆虫災、高津神災、高津鳥災、畜殪し蠱物せる罪、許々太久罪出む。
△天津罪  天然自然に賦与せられたる水力、火力、電磁力、地物、砿物、山物、動植物等利用開発を怠る罪をいふ。前にも言へる如く、所謂積んで置く罪、包んで置く罪也。宝持腐れをやる罪也。従来は文明だ進歩だと云つた所が、全然穿き違文明進歩で一ツ調子が狂へば忽ち饑餓に苦しむやうなやり方、現在世界各国四苦八苦有様を見ても、人間が如何に天津罪を犯して居るかが解る。神諭に『結構な田地に木苗を植たり、色々苗を作りたり、大切な土地を要らぬ事に使ふたり致し人民肝腎生命米、豆、粟を何とも思はず、米や豆や麦は何程でも外国から買へると申して居るが、何時までもさう行かぬ事があるから猫居る場にも五穀を植付けねばならぬやうになりて来るぞよ。皆物質本位教であるから、神国には神国行方に致さして、モーぼつぼつと木苗も掘り起させるぞよ』とあるなどは実に痛切骨に徹する御訓戒である。現在神国人とても欧米人と同じく決して天津罪人数には漏れぬ人間ばかりである。採鉱事業などになると今人間は余程進歩して居る所存で居るが、試掘と分析位で地底に埋没せる金銀宝玉等が出るもではない。之に比べると、幾分霊覚を加味した佐藤信淵金気観測法など方が何れ丈か進歩して居る。神霊御命令と御指示がなくんば、金銀其他は決して出ない。大本神諭に『五六七大神御出ましにお成なさるるにつき、国常立尊が現はれるなり、国常立尊が現はれると、乙姫殿は次ぎに結構な大望な御用が出来て乙姫殿御宝を上げて新規金銀を綾部大本に………。二度目立替を致して、何も新規に成るであるから、乙姫殿御財宝を綾部大本へ持運びて、新規金銀を吹く準備を致さな成らぬから云々』とあるなどは時節到来と共に実現して、物質万能機械一点張り連中を瞠若たらしむ事柄なである。又現在人士は電力、火力、水力、其他利用にかけて余程発達進歩を遂げた心算で居るが、一歩高所から達観すると、利用どころか悪用ばかり間接又は直接に人類破滅、天然破壊に使用されぬもが幾何かある。是等点にかけて現在人士は、所謂知識階級、学者階級ほど血迷ひ切つて居る、天津罪犯罪者である。
△畔放ち  天然力、自然力開発利用事。畔(ア)は当字にてアメを約めたも也。田畔を開つなどは単に表面字義に囚はれたる卑近解釈である。
△溝埋め  水力利用を指す。埋めには補足義と生育義とを包む。湯に水をうめる、根を土中にうめる、種子を地にうめる、孔をうめる、鶏が卵をうむなど参考すべし。
△樋放ち  樋は火也。電気、磁気、蒸気、光力等天然火力開発利用を指す。
△頻蒔き  山奥までも耕作し不毛地所などを作らぬ事。頻(シキ)は、敷地シキ也、地所也。蒔きは捲き也、捲き収める也、席巻也、遊ばせて置かぬ也、遊猟地や、クリケツト、グラウンドなどに広大なる地所を遊ばせて、貴族風を吹かせて、傲然たりし某国現状は果して如何。彼等が世界土地を横領せる事大なりし丈、彼等が頻蒔天則を無視せる罪悪も蓋し世界随一であらう。併し其覚醒時もモー接近した、これではならぬと衷心から覚る時はモー目前にある。イヤ半分はモー其時期が到着して居る。併しこれは程度差違丈で、其罪は各国とも皆犯して居る。
△串差し  カクシサガシ約にて、前人未発秘奥を発見する事。
△生剥ぎ  一般生物天職を開発利用する事。生物といふ生物は悉く相当本務あるもで、軽重大小差異こそあれそれぞれ役目がある。鼠でも天井に棲みて人間に害を与ふる恙虫などを殺すで、絶対的有害無効動物ではない。剥ぎは開く義、発揮せしむる義也。蚕をはぐなど語を参考すべし。
△逆剥  逆(サカ)は、栄えサカ也。酒なども此栄え意義から発生した語である。剥(ハギ)は生剥剥と同じく開発義。即ち全体義は栄え開く事で、廃物をも利用し荒蕪地を開墾し、豊満美麗楽天地を現出せしむる事を指す。
△尿戸  宇宙一切を整頓し、開発する義。クは組織経綸、ソは揃へる事、整頓する事、へは開発する事。
△許々太久  其他種々雑多義。
△天津罪と詔別て  以上列挙せる天然力、自然物利用開発を怠る事を、天津罪と教へ給ふ義也。
△国津罪  天賦徳、人徳を傷つくる罪を指す。
△生膚断  天賦徳性を保ち居る活物皮膚を切ること也。必要も無きに動物を害傷し、竹木を濫伐する事等は矢張罪悪である。霊気充満せる肉体に外科手術を施さずとも、立派に治癒する天賦性能を有して居る。人工的に切断したり切開したりするは天則違反で、徒に人体毀損罪を積ぬる訳になる。
△死膚断  刃物を以て生物一切を殺す罪。
△白人胡久美  白昼姦淫事。白日床組といふ醜穢文字を避け、態と当字を用ひたである。淫欲は獣肉嗜好人種に随伴せる特徴で、支那、欧米人士は概して此方面弊害が多い。日本人も明治に入つてから大分其影響を受けて居るが、元来は此点に於ては世界中で最も淡白な人種である。淫欲結果は肺病となり、又癩病となる故に白人胡久美を第二義に解釈すれば白人は肺病患者、又は白癩疾者を指し、胡久美は黒癩疾者を指す。
△己が母犯せる罪  母一字は、父、祖先、祖神等をも包含し、極めて広義を有するである。大体に於て親といふ如し。犯すとは其本来権能を無視する義也。換言すれば親、祖先、祖神に対して不孝罪を重ぬる事である。
△己が子犯せる罪  自己子孫権能を無視し、非道虐待酷使を敢てする事。元来自分子も、実は神から預かり物で、人間が勝手に之を取扱ふ事は出来ない。それに矢鱈に親風を吹かせ、娘や伜などを自己食ひ物にして顧みぬなどは甚だしき罪悪といふべきである。
△母と子と犯せる罪、子と母と云々  上二句『己が母犯せる罪、己が子犯せる罪』を更に畳句として繰返せる迄で別に意義はない。
△畜犯せる罪  獣類天賦徳性を無視し、酷待したり、殺生したりする事。
△昆虫災  天則違反罪をいふ。蝮、ムカデなどに刺されるは皆偶然にあらず、犯せる罪があるにより天罰として刺されるである。故にかかる場合には直に反省し、悔悟し、謹慎して、神様にお詫を申し上ぐべきである。
△高津神災  天災、地変、気候、風力等不順は皆これ高津神業にして罪過甚い所に起るである。災は業はひ也、所為也。鬼神から主観的に観れば一所為であるが、人間から客観的に観れば災難である。今度国祖大立替に、雨神、風神、岩神、荒神、地震神、其他八百万眷属を使はるるも祝詞所謂高津神災である。皆世界守護神、人民堕落が招ける神罰である。
△高津鳥災  鳥が穀物を荒す事などを指すで矢張り神罰である。
△畜殪し  他家牛馬鶏豚等を斃死せしむる事。一種マジナヒ也。
△蠱物  呪咀也、マジナヒ物也。丑時参りだ、生木に釘を打つだは皆罪悪である。
(大意)人間は神容器として宇内経綸天職がある。殊に日本人使命は重大を極め世界安否、時運興廃、悉く其責任は日本人に係るである。神諭に『日本は神初発に修理へた国、元祖国であるから、世界中を守護する役目であるぞよ。日本神国人民なら、チトは神心も推量致して、身魂を磨いて世界御用に立ちて下されよ』とある通り、天賦霊魂を磨き、天下独特霊智霊覚によりて、天然造化力利用開発に努めると同時に、他方に於ては天賦徳、人徳を発揮することに努め、そして立派な模範を世界中に示さねばならぬである。然るに実際は大に之に反し、徒に物質文明糟粕を嘗め、罪上に罪を重ねて現在見るが如き世界大擾乱となつて来た。無論日本人は此責任を免るる事は出来ない。併しこれは天地創造際から約束で、進化道程として、蓋し免れ難き事柄には相違ない。されば此祝詞中に『許々太久罪出む』とあり、又国祖神諭にも『斯うなるは世元から分つて居る』と仰せられて居る。要するに過去事は今更悔むには及ばぬ。吾々は現在及び将来に向つて、いかなる態度を執り、いかなる処置を講ずれば宜いかを考究すべきである。次節に其要道を示されて居る。

   (六)

如此出でば、天津宮言以て、天津金木を本打切末打断て、千座置座に置足はして、天津菅曾を本苅絶末苅切て、八針に取裂きて天津祝詞太祝詞言を宣れ、如此宣らば、天津神は天磐戸を推披来て、天八重雲を伊頭千別に千別て所聞召む。国津神は高山末短山末に登り坐て、高山伊保理短山伊保理を掻分けて所聞召む。
△天津宮言  宮言は『ミヤビコトバ』義也。正しき言霊也。宇宙経綸は言霊力によりて行はるる事は、前にも述べた。我天孫民族は世界経綸を行ひ、天下を太平に治むべき、重大なる使命を帯びて居る。然るに現在は肝腎日本人が、霊主体従天則を誤り天津罪、国津罪、数々罪を重ねて、其結果世界大擾乱を来して居る。之を修祓し、整理する途は、言霊を正し、大宇宙と同化するが根本である。換言すれば、肚内部から芥塵を一掃し、心身共に浄化して、常に善言美詞みを発するやうにせねばならぬ。悪声を放ち蔭口をきき又は追従軽薄を並べるやうな人間はそれ丈で其人格下劣邪悪な事が分る。世界経綸どころか人として次ぎ新理想時代に生存すべき資格有無さへ疑問である。日夕祝詞を奏上しても、斯んな肝要至極点が、さつぱり実行が出来ぬでは仕方がない。お互に反省上にも反省を加へねばならぬ事と思ふ。
△天津金木  則神算木也。周易算木に相当するもであるが、より以上に神聖で正確である。本来は長さ二尺四寸角檜材なであるが、運用便宜上、長さ二寸四分角に縮製さる。其数三十二本を並べて、十六結を作製し、其象を観て、天地経綸、人道政事一切得失興廃等を察するである。それは宇内統治主が大事に際して運用すべきもで、普通人民が矢鱈に吉凶禍福などを卜するに使用すべきもではない。無意無心器物を用ゐて神勅を受くるであるから、ややもすれば肉体心加味し勝ちな普通神憑りよりも、一倍正確な事は云ふ迄もない。
△本打切末打断  神算木を直方形に作製する仕方を述べたまでである。
△千座置座云々  無数神算木台に後からズンズン置き並べる事。
△天津菅曾  周易筮竹に相当するが其数は七十五本である。これは七十五声を代表するである。長さは一尺乃至一尺二寸、菅曾は俗称『ミソハギ』と称する灌木、茎細長にして三四尺に達す。之を本と末とを切り揃へて使用する也。
△八針に取裂て  天津菅曾運用法は先づ総数七十五本を二分し、それから八本づつ取り減らし其残数によりて神算木を配列するである。
△天津祝詞太祝詞  即ち御禊祓祝詞事で、正式に奏上する場合には爰で天津祝詞を奏上するである。大体に於て述べると、あ祝詞は天地間一切大修祓を、天神地祇に向つて命ぜらるる重大な祝詞である。太(フト)は美称で、繰返して、天津祝詞を称へた迄である。
△宣れ  神に向つて願事を奏上する義也。
△天磐戸  天津神まします宮門から御出動義にて、人格的に写し出せるである。
△伊頭千別き云々  前に出たから略す。
△国津神  地神界に属する神々、及び霊魂神を以て成立し、各自霊的階級に応じて大小高下、それぞれ分担権限を有す。
△高山末云々  末は頂上義。
△伊保理  隠棲也、隠れたる也。伊保理伊保も、いぶかしいぶも、烟などいぶるも、皆通音で同意義である。
(大意)天津罪、国津罪続発は悲しむべき不祥事ではあるが、出来た上は致方がない。よく治乱興廃、得失存亡理を明かにし、そして整理修祓法を講ぜねばならぬ。世界主宰大君としては、天津金木を運用して宇内現勢を察知し、そして正しき言霊を活用して天津祝詞を天津神と国津神とに宣り伝へて、其活動を促すべきである。これが根本祭事であると同時に、又根本政事であつて、祭と政とは決して別途に出るもではない。さうすると、天津神も国津神もよく之に応じて威力を発揮せられる。神諭所謂『罪穢甚い所には、それぞれ懲罰がある』又は『地震、雷、火雨降らして体主霊従をつぶす』といふやうな神力発動ともなるである。

   (七)

如此所聞食ては、罪といふ罪は不在と、科戸八重雲を吹放つ事如く、朝御霧夕御霧を、朝風夕風吹掃ふ事如く、大津辺に居大船を、舳解放ち艫解放ちて大海原に押放つ事如く、彼方繁木が本を、焼鎌敏鎌以て打掃ふ事如く、遺る罪は不在と、祓賜ひ清め玉ふ事を。
△かく所食ては  きこしめす意義は、単に耳に聴くといふよりも遥に広く深い。きくは利く也。腕が利く、鼻がきく、眼がきく、酒をきく、(酒品位を飲み分けること)などきくにて一般に活用を発揮し、威力を利用する義である。天津神、国津神達が整理修祓命に応じて活動を開始する事を指していふ。
△罪といふ罪は不在と  罪といふ限り罪は一つも残さず意。
△科戸云々  以下四聯句は修祓形容で、要するに『遺る罪は不在と祓賜ひ清め賜ふ』事を麗しき文字で比喩的に描いたもである。科戸は風枕詞、古事記に此神名は志那都比古と出て居る。シは暴風(アラシ)シと同じく風事である。ナはに同じく、トは処義。
△朝御霧云々  御霧は深き霧義。
△朝風夕風云々  朝風は前『朝御霧』に掛り、夕風は『夕御霧』に掛る。
△大津辺に居る云々  地球に於て、肉体を具備されたる神御出生ありしは、琵琶湖竹生島からは、多紀理毘売命、市寸島比売命、狭依毘売命三姫神、又蒲生からは天之菩卑能命、天津彦根命、天之忍穂耳命、活津日子根命、熊野久須毘命五彦神が御出生に成つた。これが世界に於ける人類始祖である。かく琵琶湖は神代史と密接関係あるが故に、沿岸附近地名が大祓祝詞中に数箇所出て居る。大津地名も斯くして読み込まれたもである。
△舳解放云々  泊居る時に舳艪を繋いで置くが、それを解き放つ意。
△大海原  海洋也。
△繁木が下  繁茂せる木下。
△焼鎌敏鎌  焼鎌とは、鎌で焼きて造る故にいふ。敏鎌は利き鎌義。
△遺る罪は不在と  前に『罪といふ罪は不在』とあるに、更に重ねてかく述ぶるは、徹底的に大修祓を行ふ事を力強く言ひなしたであらう。
(大意)八百万天津神と国津神と御活動開始となると、罪といふ罪、穢といふ穢は一つも残らず根本から一掃されて仕舞ふ。大は宇宙修祓、国土修祓から、小は一身一家修祓に至るまで、神力御発動が無ければ、到底出来るもではない。殊に現代如く堕落し切つた世中が、何うしても姑息的人為的処分位で埒が附くもでない。清潔法執行声は高くても、益々疾病は流行蔓延し、社会改良工夫は種々に凝らされても、動揺不穏空気はいよいよ瀰蔓するではないか。艮之金神国常立尊が御出動に相成り、世立替立直しを断行さるるも誠に万止むを得ざる話である。されば大祓祝詞は、無論何れ時代を通じても必要で、神人一致、罪と穢累積を祓清むる様に努力せねばならぬだが、殊に現在に於ては、それが痛切に必要である。自己身体からも、家庭からも、国土からも、更に進んで全地球、全宇宙から一時も迅速に邪気妖気を掃蕩してうれしうれし神代に為ねば、神に対して実に相済まぬ儀ではないか。
 大修祓に際して、神御活動は大別して四方面に分れる。所謂祓戸四柱神々御働きである。祓戸神といふ修祓専門神様が別に存在するではない、正神界神々が修祓を行ふ時には、此四方面に分れて御活動ある事を指すである。以下末段迄は各方面御分担を明記してある。

   (八)

高山末短山末より、作久那太理に落、多岐つ速川瀬に坐す瀬織津比売と云ふ神、大海原に持出なむ、如此持出往ば、荒塩八百道八塩道八百会に坐す速秋津比売といふ神、持可々呑てむ。如此可々呑ては、気吹戸に坐す気吹戸主といふ神、根国底国に気吹放ちてむ。如此気吹放ちては、根国底国に坐す速佐須良比売といふ神、持佐須良比失ひてむ。如此失ひては、現身身にも心にも罪と云ふ罪は不在と、祓給へ、清め給へと申す事を所聞食と恐み恐みも白す。
△高山末云々  高き山頂、低き山頂から義。
△作久那太理に  佐久は谷也、峡也。那太理はなだれ落つる義、山から水が急転直下し来る事形容。
△落多岐つ  逆巻き、湧き上りつつ落つる事。滝(タキ)、沸(タギル)等皆同一語源から出づ。
△速川  急流也。
△瀬織津比売云々  古事記伊邪那岐命御禊段に、『於是詔之上瀬者瀬速。下瀬者瀬弱而。初於中瀬降迦豆伎而。滌時。所成坐神名八十禍津日神、次大禍津日神。此二神者所到其穢繁国之時因汚垢而。所成之神者也』と出て居るが、瀬織津織は借字にて瀬下津義、即ち於中瀬降迦豆伎たまふとある意御名である。此神は即ち禍津日神である。世人は大概禍津日神と禍津神とを混同して居るが、実は大変な間違である。禍津神は邪神であるが、禍津日神は正神界刑罰係である。現界で言へば判検事、警察官、又は軍人なぞ部類に属す。罪穢が発生した場合には、常に此修祓係、刑罰係たる禍津日神活動を必要とする。修祓には大中小区別がある。大は天上地上潔斎、中は人道政事潔斎、小は一身一家潔斎である。若し地球に瀬織津比売働きが無くんば、万汚穢は地上に堆積して新陳代謝働きが閉塞する。所が地水分が間断なく蒸発して、それが雲となり、雨となり、其結果谷々小川水が流れ出て末は一つに成りて大海原に持出して呉れるから、天然自然に地清潔が保たれるである。現在は地表面が極度に腐敗し切り、汚染し切り、邪霊小人時を得顔に跋扈して居る。神諭に『今世界は服装ばかり立派に飾りて上から見れば結構な人民で、神も叶はぬやうに見えるなれど誠眼から見れば、全部四つ足守護に成りて居るから、頭に角が生えたり、尻に尾が出来たり、無暗に鼻計り高い化物覇張る、闇雲世に成りて居るぞよ』『余り穢うて眼を開けて見られぬぞよ』『能うも爰まで汚したもぢや。足片足踏み込む所もない』等と戒められて居る通りである。此際是非とも必要なるは、世界大洗濯、大清潔法施行であらねばならぬ。爰に於てか先づ瀬織津姫大活動と成りて現はれる。七十五日も降りつづく大猛雨なぞは此神分担に属する。到底お手柔な事では現世界大汚穢洗濯は出来さうも無いやうだ。神諭にも『罪穢甚大い所には何があるやら知れぬぞよ』と繰返し繰返し警告されて居る。世界表面を見れば、そろそろ瀬織津比売御活動は始まりつつあるやうだ。足下に始まらなくては気が附かぬやうでは困つたもだ。
△荒塩八百道云々  全体は荒き潮弥が上に数多寄り合ふ所義。八は弥意、八百道は多く潮道事、八塩道は上八百道を受け重ねていへる丈である。八百会は沢山塩道集まり合ふ所。
△速秋津比売  古事記に『水戸神、名速秋津日子神。次妹秋津比売命』とあるが如く河海要所を受持ちて働く神也。
△持可々呑てむ  声立ててガブガブ呑む義也。汚れたる世界表面を洗滌する為には既に瀬織津比売働きが起りて大雨などが降りしきるが、河海水門々々に本拠を有する秋津比売が、次ぎに相呼応して活動を開始する。大洪水、大海嘯、大怒濤、此神にガブ呑みされては田園も山野も、町村も耐つたもではない。所謂桑田変じて碧海と成るである。
△気吹戸  近江伊吹山は気象学上極めて重要な場所である。伊吹は息を吹く所義で、地球上に伊吹戸は無数あるが、伊吹戸中伊吹戸とも云ふべきは近江伊吹山である。最近伊吹山に気象観測所が公設されたは、新聞紙伝ふる所であるが、大本では十年も二十年も以前から予知事実である。
△気吹戸主  大雨、洪水、海嘯等活動に続いては、気象上大活動が伴うて妖気邪気掃蕩を行はねばならぬ。元寇役に吹き起つた神風如きも、無論こ伊吹戸主御活動一端である。
△根国底国  地球表面に於ては北極である。神諭に『今迄は世神を、北へ北へ押籠めて置いて、北を悪いと世界人民が申て居りたが、北は根根、元国であるから、北が一番善く成るぞよ………。人民は北が光ると申して不思議がりて、いろいろと学や智慧で考へて居りたが、誠神が一処に集りて、神力光を現はして居る事を知らなんだぞよ』とあるが、真に人間智慧や学問では解釈出来ない神秘は北に隠されて居る。北光、磁力は申すに及ばず、気流や、気象なども北極とは密接関係がある。即ち地球罪穢邪気は、悉く一旦北極に吹き放たれ、爰で遠大なる神力により処分されるである。序に一言して置くが、罪を犯した者が根国、底国に落ちるは、詰まり神罰で、これも一つ修祓法執行意義である。別に根国底国といふ地獄めきたる国土が存在するではない。何処に居ても神罰執行中は其処が根国底国である。
△速佐須良比売  佐須良は摩擦(サスル)也、揉むこと也、空にありては雷、地にありては地震、皆これ佐須良比売活動である。要するに全世界大修祓法は、大雨で流し、洪水海嘯等で掃ひ、大風で吹き飛ばし、最後に地震雷で揺つて揺つて揺り滅すである。それが即ち神諭世界大洗濯、大掃除、第二次大立替である。『天大神様がいよいよ諸国神に、命令を降しなされたら、艮金神国常立尊が総大将となりて雨神、風神、岩神、荒神、地震神、八百万眷族を使ふと一旦は激しい』とあるは、祓戸四柱神々活動を指すである。詳しく言へば雨、荒、風、地震神々がそれぞれ瀬織津比売、秋津比売、気吹戸主、佐須良比売神々働きをされるで、岩神が統治位置に立つである。学問末に囚はれた現代人士は、是等自然力を科学領分内に入れて解釈しようと試みて居るがそれは駄目だ。実は皆一定規律と方針下に行はるる所神力大発動である。そ事は、今年よりは来年、来年よりは来々年といふ具合に、段々世界人士が承服する事に成るであらう。
△所聞食と  八百万神達に宣り上ぐる言葉である。神々に向つて活動開始、威力発揮を祈願する言葉である。即ち天地神々様も、此宣詞をしつかり腹に入れ、四方面に分れて、大修祓為に活力を発揮し玉へと云ふ事である。我惟神大道がいかに拝み信心、縋り信心と天地相違あるかは、此辺呼吸を観ても分るであらう。末段祓戸四柱神解釈説明を下すに当り、自分は全体統一を慮り、又大本神諭と一致を失はぬやう、主として地球全体世界全体経綸見地から筆を下した。併しこれは、より大きくも、又より小さくも解釈が出来る事は前にも述べた通りである。宇宙神人、万有一切事は皆同一理法に支配せられ、宇宙に真なる事は地球にも真、地球に真なる事は一身一家にも又真である。参考為めに爰に簡単に他一二解釈法を附記して置かう。個人潔斎上から述べると瀬織津比売働きは行水、沐浴等事、秋津比売は合嗽事、伊吹戸主は深呼吸など事、佐須良比売は冷水摩擦、按摩等事である。人身生理上から述べると、瀬織津比売は口中にて食物咀嚼機能、秋津比売は食道から胃腸に食物を運ぶ機能、気吹戸主は咀嚼して出た乳汁を肺臓に持ち出す機能、佐須良比売は肺臓にて空気に触れ、それから心臓に帰り、そして全身へ脈管で分布せらるる機能を指すである。かく如く大祓祝詞は大小に拘はらず、ありとあらゆる有機組織全部に必要なる新陳代謝自然法を述べたもである。
(大意)さて地球表面清潔法施行ためには、先づ大小河川を司どる瀬織津姫が御出動になり、いよいよとなれば、大雨を降らして苛くも汚れたもは家庫たると、人畜たる区別なく大海へ一掃して了ふ。之に応じて速秋津姫活動が起り、必要あれば逆に陸地までも押し寄せ、あらゆる物を鵜呑みにする。邪気妖気掃除目的には気吹戸主神が控へて居り、最後大仕上げには佐須良姫が待ち構へて、揉みに揉み砕き、揺りに揺り潰す。これでは如何に山積せる罪穢も此世から一掃されて品切れになる。従来は大祓祝詞は世に存在しても其意義すら分らず、従つて其実行が少しも出来て居なかつた。其大実行着手が国祖国常立尊御出動である。神国人責務は重いが上にも重い。天地神々御奮発と御加勢とを以て首尾克く此大経綸衝に当り神業に奉仕するといふが、これが大祓奏上者覚悟であらねばならぬ。(完)
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