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文献名1霊界物語 第52巻 真善美愛 卯
文献名2第3篇 衡平無死よみ(新仮名遣い)こうへいむし
文献名3第17章 飴屋〔1353〕よみ(新仮名遣い)あめや
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2023-12-05 13:39:58
あらすじ霊主体従とは、人間内分が神に向かって開け、神を愛し理解し、善徳を積み、真知恵を輝かせて信真徳に居り、外的事物に拘泥しない状態を云うである。こような人は地上天人にして、生きながら天国に籍を置いている。こ精霊を本守護神という。体主霊従とは、人間はどうしても霊界と現界中間に介在し、一方に天国を開き一方に地獄を開いている。ゆえに、どうしても善悪美醜たがいに交わって世神業に奉仕しなくてはならない。そこでもし、霊を軽んじ体を重んじるなら、体五霊五となり、地獄に向かって内分が開けることになる。一般に体主霊従は霊学説明上「悪」とされているが、これは生きながら中有界に迷っている人間境遇を云うである。人間は最善を尽くして一つも悪をなさなくても、そ心性情動如何によって、あるいは善となり、あるいは悪となるもである。何ほど善を尽くしたと思っても、そ愛が神的であれば天国、自然的であれば地獄に分かれるである。体主霊従的人間が、現世で一つでも悪事をなしたら、どうしてもこれは体五霊五より堕ちてしまい、たちまち地獄道に落ちなければならないである。善悪不二とは、神が中有界に迷える人間にも自愛心をもって臨むことを表した言葉であり、人間言動に当てはまることではない。人間は、肉体を保って現世に在る間は絶対的な善をなすことはできない。しかしそ内的生涯において天国に籍を置くことができるなら、これを霊主体従人ということができるである。中有界八衢は、善悪正邪審判所である。人間大部分は、中有界と地獄界に籍を置いている。人間が霊界に行ったときは、外分が除却されて内分み存在し、霊的生涯を営むことになる。純潔な霊は、肉体に附けるすべて悪が払しょくされ、霊相応に天国団体に和合することができる。あまり利己心強い精霊は、死後にいたるまでそ執着を残し、容易に駆除されず、外分み開けてしまう。またそ内底悪が暴露され、浅ましい面貌となって地獄界に堕ちるもである。文助は八衢関所に着き、白と赤守衛に比較的丁寧に導かれて、門傍ら上に腰をかけて息を休めていた。すると半町ばかり手前に騒がしい飴屋囃子が聞こえてきた。飴屋は関所前に荷を卸、ラッパを吹きたてる。たくさん子供が集まってきて、先を争って銭を差し出し、飴をくれと押し掛ける。子供にせがまれて囃子を歌い、しきりに金を出せを歌って子供相手商売をやっている。守衛たちは通行人身元調べに忙しい中、飴屋が大勢子供を集めて騒ぎ出したで面喰い、城守衛が側に寄ってきて、飴屋爺に別場所に移動するように言い聞かせた。飴屋はここが幽界八衢だとは信じず、騒ぎまわる。赤守衛は大いに怒り、飴屋を手早くひっくくって門内に姿を隠した。文助は五里霧中に彷徨した心地で、これまでことは夢か現かとしきりに首をひねっていた。
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年02月09日(旧12月24日) 口述場所 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年1月28日 愛善世界社版210頁 八幡書店版第9輯 453頁 修補版 校定版217頁 普及版92頁 初版 ページ備考
OBC rm5217
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本文  霊主体従とは、人間内分が神に向つて開け、唯神を愛し、神を理解し、善徳を積み、真智慧を輝かし、信真徳に居り、外的事物に些しも拘泥せざる状態を云ふである。斯如き人は所謂地上天人にして、生きながら天国に籍を置いて居る者で、こ精霊を称して本守護神と云ふである。至粋、至純、至美、至善、至愛、至真徳に居るもでなくては、此境遇に居る事は出来ぬ。
 又体主霊従とは、人間はどうしても霊界と現界と中間に介在するもである以上は、一方に天国を開き一方に地獄を開いて居るもだ。故に人間はどうしても善悪混交美醜互に交はつて世神業に奉仕せなくてはならない。併しこれは、普通一般善にも非ず悪にも非ざる人間事である。人間は肉体を基礎とし、又終極点とするが故に、外的方面より見て体主霊従と云ふであるが、併しながら、之を主観的に云へば霊的五分、体的五分、即ち、霊五体五たるべきもである。若し霊を軽んじ体を重んずるに至らば、茲に、体五霊五となるである。同じ体五分霊五分と雖も、其所主愛が外的なると、内的なるとに依つて、霊五体五となり、又体五霊五となるである。故に霊五体五人間は、天国に向つて内分が開け、体五霊五人間は、地獄に向つて其内分が開けて居るもである。
 一般に体主霊従と云へば、霊学説明上悪となつて居るが、併し体主霊従とは、生ながら中有界に迷つて居る人間境遇を云ふである。人間は最善を尽し、唯一つ悪をなさなくても其心性情動如何に依りて、或は善となり或は悪となるもである。故に人間は、どうしても霊五体五より下る事は出来ない。これを下れば忽ち地獄界に堕ちねばならぬである。何程善を尽したと思つて居ても、其愛が神的なると自然的なるとに依つて、天国地獄が分るるであるから、体主霊従的人間が、現世に於て一つでも悪事をなしたならば、どうしても是は体五霊五所か体六霊四、体七霊三となりて、忽ち地獄道へ落ちねばならぬである。
 信者中には善悪不二とか、正邪一如とか云ふ聖言を楯に取つて、自分勝手よいやうに解釈して居る人もあるやうだが、是は神が善悪不二と云はるるは中有界に迷へる人間に対して云はれるであり、且神は善悪に拘はらず慈愛心をもつて臨ませらるる見地から仰せらるる言葉である。決して人間云為すべき言葉ではない。どうしても人間が肉体を保つて現世にある間は、絶対的善を為す事は出来ない。併しながら其内的生涯に於て天国に籍を置く事を得るならば、最早これを霊主体従人と云ふ事が出来るである。
 中有界八衢は善悪正邪審判所であつて、今日人間大部分はこ中有界と地獄界に籍を置いて居るもである。されども人間が霊肉脱離関門を越えて霊界に行つた時は、其外分情態は時を経るに従つて除却さるるが故に、其内分み存在し、茲に霊的生涯を営む事となる。此時は肉体に附ける総て悪は払拭され、其純潔なる霊は天国団体に、霊相応に和合し得るもである。併しながら余り利己心強い精霊は、死後に至るまで其執着を残し、容易に駆除されないが故に、外分み開け、且又外分が時を追うて脱離すると共に其内底悪は忽ち暴露され、妖怪変化如き浅ましき面貌となつて地獄界に堕ち往くもである。
 文助は漸くにして八衢関所に着いた。白、赤二人守衛に比較的叮嚀に導かれ、門ロハ台上に腰打かけ、息を休めて居た。半町ばかり手前に当つて騒がしい音が聞えて来た。
『トンチントントン チンチントントン
 チントン、チントン、チンチントン
 夕日が赤い横町に
 飴屋お爺さん鉦ならす
 大きい子供に小さな子供
 一銭出しては飴お呉れ
 二銭出しては飴お呉れ
 お爺サン両手が巧に動く
 金魚が一つ兎が一つ
 も一つ目には日がくれた
 飴屋お爺さん鉦ならす』
と子供が沢山に群がつて飴屋後から跟いて来る。飴屋は妙な身振をしながら、
『トンチントントン、チンチントントン
チントン チントン、チンチントン』
と囃し立て、八衢関所前にやつて来た。さうして其処に荷を下ろし、おもちや喇叭を頻りに吹き立てて沢山子供を集め出した。子供は四方八方から集まつて来て、お酒に酔つた赤い銭や、白粉をつけた白い銀貨を出して、先を争うて『飴呉れ飴呉れ』と押しかける。飴屋は指先を巧に動かして、兎や、鶏、達磨なぞを瞬く間に捻つては拵へ、麦藁でぷつと吹いて量を高うし、寄つて来る子供に金と引きかへに渡して居る。さうして子供所望によつて又もや歌ひだした。
『トンチントントン チンチントントン
 チントン チントン チンチントン
 飴中からお多やんエ、お多やんが嫌なら金時だ
 金時嫌なら達磨さま
 兎でも餅つく、お猿でも
 十五お月さん餅つきに
 よう似た飴屋お爺さんよ
 こりやこりや其処ら子供達
 飴が欲しけりや幾何でもやらう
 しかしお金と引きかへぢや
 地獄沙汰でも金次第
 お金が無ければ甘い汁
 どうしてもかうしても吸はりやせぬ
 お母乳よりお砂糖より
 もつと甘いは此飴ぢや
 あめが下には他人と云ふ事は
 無いもぞやと三五教
 神様が云はしやつたけれど
 何程あめ下ぢやとて
 金が無ければ他人ぢやぞ
 金が敵中だ
 こお爺さんが今打つ鉦は
 ミロク三会明け
 金無い奴ア近寄るな
 トンチントントン、チンチントントン
 チントン、チントン、チンチントン』
と一生懸命に子供を相手に暴儲けをやつて居る。
 白、赤守衛は通行人身許調べに忙殺されて居る所へ、沢山子供を集め、鉦や太鼓で騒ぎ出したで大に面喰ひ、白守衛は傍に寄つて、
『これこれお爺さん、場所を考へないか。こんな関所前で、さうやかましく云つて呉れては、俺達邪魔になるぢやないか。ちと気を利かして、彼方方へ行つてやつたらどうだ』
『構うて下さるな。私は行商と云つて道路を歩いて商ひをするもだ。これでも政府へ税金を納めて居るもだ。何処で商売をしようと構うて下さるな。子供沢山よつて居る所で、子供相手商売をやつて居るだ。私商売邪魔をするなら、損害賠償で訴へませうか』
『現界でなればお前勝手だらうが、此処は冥途八衢関所だから、お前もやがて調べてやる時が来るだ。まア暫く彼方方へ往つて居て呉れ』
『何と云つても此処は動かないだ。ヘン冥途八衢なんぞと馬鹿にしなさんな。最前から声が枯れる程歌つて子供を集め、商売繁昌真最中だ。お前勝手がよければ此方勝手が悪い、私商売が邪魔になるなら、なぜ高い税金を取るだ』
と呶鳴りつけ、尚トンチントントン、チンチントントンと鉦を叩き歌を歌つて、子供機嫌を取つて居る。
 赤守衛は、余り頑強飴屋態度にグツト目を剥き、
『これ飴屋、これ程事を分けて申すに、其方は聞かぬか』
『そんな日やうな赤い顔をして睨んだ所が、此亜米利加屋さまはビクとも致しませぬわいな、ヤンキイモンキイ云はずに、黙言つて引込んで居なさい。
 トンチントントン、チンチントントン
 飴中からお多やんと金太さんが飛んで出たよ』
と又もや踊り狂ふ。赤は白守衛に向ひ、
『困つたもですな、どうしませうかなア』
『暫くほつといてやりませうかい、訳分らぬ爺をつかまへて叱つて見た所で何にもなりますまい。やがて商売が無くなつたら帰るでせうし、子供だつて有るだけ金をつかへば飴屋に用はありませぬからなア』
赤『デモ、かう喧しくては仕方がないぢやありませぬか、どうしてもこいつは追払はにやなりますまい。こりやこりや飴屋、此処に居る事は許さないから、どこかへ行つて商売をして来るがよからう、喧しくて事務邪魔になるからな』
『ヘン甘い事仰有りますワイ。飴屋太鼓位が何喧しいだ。今日中は労働争議とか普選問題とか、小作争議だとか外交問題だとか云つて、あれだけ喧しう騒ぎ立てて居るに、其声が聞えないか。飴屋位が喧しいとはチと聞えないぢやないか。これ位事が耳に障るやうで、どうして役人がつとまるか。役人耳は何億と云ふ人民号泣声がちつとも聞えないやうに塞がつて居るだ。それでなくては今日世に処して、大人物とは云はれないぞ。仮令木端役員と雖も勤まるもぢやない。庚申さま眷族になつて、見ざる、聞かざる、言はざるを守つて居るが一番賢いやりかただ。喧しう云ふと何時までも門番をさされて苦しんで居らねばならぬぞ、ほんとに仕方ない奴だ。
 トンチントントン チントントン
 チンチントン
 八衢街道まん中で
 白と赤と守衛に出会うた
 飴味をば知らないと見えて
 苦い顔して睨みよる
 ほんに因果な生れつき
 チンチントントン チントントン』
と又もや喧しく囃立て踊り狂ふ。赤は大に怒り、矢庭に飴屋腕を後に廻し、手早く引つ括つて門内に姿を隠した。
 文助は五里霧中に彷徨した心地で、今渉つて来た山路や沼、萱野ケ原事や、両親に会うた事など思ひ出し、夢か現か将た現界か幽界かと、頻りに首を捻つて居た。
(大正一二・二・九 旧一一・一二・二四 加藤明子録)
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