文献名1霊界物語 第65巻 山河草木 辰の巻
文献名2第1篇 盗風賊雨よみ(新仮名遣い)とうふうぞくう
文献名3第2章 古峡の山〔1658〕よみ(新仮名遣い)こきょうのやま
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
あらすじ
主な人物
舞台
口述日1923(大正12)年07月15日(旧06月2日)
口述場所祥雲閣
筆録者北村隆光
校正日
校正場所
初版発行日1926(大正15)年4月14日
愛善世界社版23頁
八幡書店版第11輯 618頁
修補版
校定版24頁
普及版12頁
初版
ページ備考普及版では目次「峡」本文「峽」、八幡版「峽」、校定版・愛世版は「峡」。
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本文
今雲を出でた虎熊山の頂は、夏ながら雪に覆はれて、その上に立つ噴火の煙は、青味を帯びた黄土色をして、南へ南へと靡いてゐる。
道はトロトロ上りになつて、萱野の音淋しく、昔のバラモンの関所跡の門柱が、二本倒れかかつて悲しげに仰天してゐる。あたりの森林の景色は木の色や草の色、山々の色迄が、すべて深山的趣きを持つて居る。左右の密林を脱けると、雨にやつるる音と風に並みふす音許りで、人の丈よりも高い萱草の、中の右も左も雲許り、足に任して登りつつ細谷川を渡つて行く七人は、云はずと知れた治道居士の一行である。治道居士は例の法螺貝を吹き乍ら山野の邪気を清めつつ、密林の中の山径を登り行く。行く手に当つて二人のトランスが又もや路傍の石に腰打掛け、何か雑談に耽つて居る。
甲『オイ、タール、詮らぬぢやないか。バラモン軍に従つて、斎苑の館の征服に行く途中、鬼春別将軍が俄に心機一転し、軍隊を解散さしたものだから、俺等も生れてから、やつた事もないトランスとなり下り、住み馴し故郷に帰る訳にも行かず、セールの親分に従つて、あてどもない鳥を探して日々過ごすのは本当に気が利かぬぢやないか。俺アもう、いい加減に機会を考へて故国へ帰り、何とかして生計を立て、理想の生活を、自分の故郷に於て営んで見たいと思ふが、お前はどう思ふか』
タール『馬鹿な事を云ふな。何処で死なうと、構はぬぢやないか。凡て此天地は吾々の故郷だ。貴様の様に故郷と云つたら、自分の生れた土地許りだと思つてゐるのは、未だ真の故郷を知らぬものだ。自分の生れた故郷は只此世の旅の一夜の宿りのやうなものだ。それだから海で死ぬるもよし、山野に於て死ぬるのもよし、河で死ぬるも都で死ぬるも、田舎で死ぬるも、また、旅に出て並木の肥料になるのもいいぢやないか。天に日月星辰を宿し、地に万物を載する所、行くとして己が故郷に非ざるはなしだ。それだから此の天と地との間は、何んな処に於いて暮すも、睡るも、死ぬるも差支はない。人間が斯く悟つた以上は、別に生れた所が恋しいの、命が惜しいのと云ふ道理が無いぢやないか。何国何郡何村の何某の先祖も、元々其土地から水のやうに湧き出で、菌や筍の様に土の中から、もぐり出たものぢやあるまい。矢張外から移住して来て、其土地を開いたのぢやないか。俺達の先祖にして已に然りとすれば、その子孫たるものは何ぞ奮つて祖先の行動を採らざるやだ。見ず知らずの新しき国に至り、新しき土地を墾いて新しい村を作るも、トランス団を組織するも皆人間の自由ぢやないか。人間たるもの、ここに至つて初めて、其面目を発揮せりと云ふべしだ。一竿飄然として狐舟に棹す、又甚だ快ならずやだ。然るを何万何千噸の汽船に乗つて一度その土地を離れむとする時、数千百の蚯蚓のやうな小胆者は、別れを惜んで涙を振つてゐるが、実に吾人の、之は恥辱ではあるまいか。同じ月の国の此土地に於て活動し乍ら、故郷を恋しがるとは、甚だ以て醜の醜たるものではないか。此地を去つて彼地に至り、隣を去つて隣に至る。何ぞ離別を惜み、心身を痛むるの愚を要せむやだ。貴様の如きは鈍根愚痴、醜態も、ここに至つて真に極まれりと云ふべしだ。あまり腹の中が見え透いて、俺ヤ可笑しうなつて来たわい。些と確りせないか、そんな事でトランス商売が勤まらうかい。一波来りて一波去り、万波来つて万波去る。之海洋万里の状態だ。激浪も怒濤ももうこれ通常事だ。徒に真の故郷を解せない貴様の如きは、無暗に故郷に遠ざかるのを恐れ、顔色まで蒼白色に変じ、胸を焦す小魂小胆者だ。終には病気を起して縮み上り、身動きも出来ぬ、憐むべき代物だよ。千里の山野を渉つて腸を絞り、一村落の花園に快哉を叫ぶ腰抜け者の如きは、到底人生を語るに足らぬものだ。小さき寒村に、営々として田畑を耕し、田の草取りに日を暮す人間、よろしく寒山氷地、広袤漠々の野に家を築いて以て一大帝国をなして、天地経綸の司宰者たる本分を尽すが、男子たるものの勤むべき所だ。此天地は真に吾々の故郷だ。一夜の宿に等しき産土の地を出でては、再び古巣に帰り、家を求むる如き卑屈の事は為るものではない。之が今日の人間の世に処すべき要訣だ』
エム『お前の弁舌も一応尤もだが、併し乍ら産土の土地を恋しがらないものが、何処にあらうか。生れ故郷を忘れるやうな奴は遂には国を忘れ、仁義道徳を忘却し、妻子に対して不仁となり、祖先に対して不孝の罪を重ぬるものだ。望郷の念に駆られざるものは、もはや人間の霊性を忘却した人面獣心ぢやないか』
タール『アハヽヽヽ、人の財物を掠めるトランスと成り乍ら、仁義道徳も、孝、不孝もあつたものかい。此社会へ這入つた以上は善悪、倫常、孝悌などに超越せなくちや到底発達は遂げられないぞ。俺だつて生れつきの悪人ぢやないから、善悪正邪の区別位知つてゐる。併し乍ら俗に云ふ通り、勝てば官軍敗くれば賊だ。俺だつてトランス様で一生を終らうとは思はない。何とかいい機会があれば世間の所謂善に立帰り、虚礼虚偽の生活を送つて世間に謡はれ度いのは山々だ。其の材料を集むるために好きでもないトランスをしてるのだ……。まだ吾々は仁義道徳を称へる丈の余地が無い。そこ迄物質的の準備も無く、世間を詐る偽善の権化となつて威張る所へは行かないのだ。今の間は何よりも商売の発達を考へるのが安全第一だ。金さへ有れば愚者も賢者となり、無学者も学者と成り、悪人も善人となり、蝿虫野郎も有力者と云はれるのだからな。貴様も一つ改心してトランス学の研究に一意専心没頭するのだな』
エム『トランス学の研究も随分苦しいものだな。南無バラモン大自在天、守り給へ幸へ給へ。
霜おく野辺の夜は更て
身を裂る許りの寒風に
御空の月は清く震ふ
喧々轟々の声
彼方此方より響き来る
世は何となく物騒がし
秋の紅葉の凩に
脆くも散りて
囀る鳥の声ひそむ
あゝ荒れ果てし山野の景色
小夜ふけて峰の松風
庵を叩く
夕日の影は暗くして
バラモン男子の意気消沈す
守らせ給へ自在天
大国彦の大御神
あゝ苦しいせつろしい
こんな浮世に何として
私は生れて来ただらう』
タール『こりやエム、何と云ふ卑劣の歌を謳ふのだ。夏の真盛りに冬だの凩だのと、そんな淋しい事を云ふない。バラモン兵士であり乍ら、意気が萎むの何のつて、泣声を並べやがつて、あゝ俺も何だか浮世が嫌になつて来たわい。水は方円の器に随ひ、人は善悪の友によると云ふからな。お前のやうな悪の破産者と一緒に働いてゐると、どうやら俺も世の中の無常を感じて、社会の所謂善の道へ堕落しさうだ。ヤア法螺貝の声が聞えて来たぞ。オイ此奴アどこともなしに権威のある声ぢやないか。サアここで一つ確り、トランスの秘術を尽し、うまく、あれを岩窟に引込まねばなるまいぞ。サア此処で善だとか正義だとか云ふ名詞は抹殺するのだ』
と俄に空元気を出してゐる。
治道居士を先頭に、六人の改心組は密林の小径を辿つて漸く両人の前に現はれた。
タール『オイ、ヤク、エール、そのお方は何処へおいでになるのだ』
ヤク『此方は勿体なくも鬼春別将軍様だ。俺等やお前等がトランスに堕落して居るのを改心さしてやらうと云つて、今、結構な御説教を聞かして下さつたのだ。そしてセールの親分に誠の教を聞かせて改心をさせてやらねばならぬと云つて、俺等に案内を命じ遊ばしたのだから、貴様もいい加減に改心したがよからう。トランスなんて詮らぬからな』
タールは心の中にて、
「いや、いい鳥が引掛つた。鬼春別将軍は今あゝして比丘になつてゐるものの、元が元だから、一万両や、二万両の金は持つてるに違ひない。一つ改心したと見せかけ、うまく岩窟に引張り行かう……エール、ヤクの奴、仲々偉いわい。岩窟の中に引込み、否応云はさず、ボツタくる所存だな。俺も一つ帰順と見せかけ、一つ岩窟へ案内してやらう」
と故意と空涙を流し、
タール『これはこれは鬼春別将軍様で厶いましたか、お久しう厶います。私も、こんなトランスはし度くありませぬが、貴方から頂いたお手当金は、心の悪魔に皆使はれて了ひ、今は止むを得ずセールの世話になり、虎熊山の岩窟にトランスの乾児となつて居ります。然し貴方様が、そんな姿とお成り遊ばし、世界をお歩き遊ばすのを見て、懺悔の心が湧きました。只今限り私も改心致しますから、何卒岩窟にお越し下さいまして、セールの大親分を説き伏せ、善道へ復るやう御取計らひ下さいませ』
エム『将軍様、何分宜しくお願致します』
とエムは本当に涙を流してゐる。治道居士はタールの心の中からの改心でない、自分をたばかる為だ、とは直覚して居たが、兎も角岩窟の中に無事に到着して、セール、ハールの巨頭を改心させむと決心し、ワザとタールの言葉を信ずるものの如く装ひ、
治道『やア、それは何より結構だ。俺もお前の言葉を聞いて感謝に堪へない。サア案内して呉れ』
タール『ハイ、承知致しました。勝手覚えし此山道、近道も知つて居りますれば、お伴をさして貰ひませう』
エム『もしもし、治道居士様、何卒私を貴方のお弟子となし、どこかへ連れて行つて下さいませ。セール、ハールの大将を初め、此タールだつて到底改心の見込はありませぬ。あんな事云つて計略にかけて懐のものを盗らうと云ふ企みで厶いますよ』
タール『コリヤ、エム、何と云ふ事を吐すのだ。俺の心が貴様に分らうかい。仮令セール、ハールが悪人でも、もとの主人たる将軍様が、斯うなつて衆生済度にお歩き遊ばす姿を拝んだならば、屹度改心をなさるにきまつてる……。味方の裏切りする奴がどこにあるかい』
と小声で窘める。エムは大声を張り上げ乍ら、
エム『もし治道様、御一同様、険呑ですから御用心なさいませ。私は之にてお暇します。岩窟へでも帰らうものなら、私の今云つた言葉を大将に告げ、どんな目に合はすかも知れませぬから、貴方も何処へ逃げて下さい。さア早く早く、お逃げなさい』
と云ひ捨て、雲を霞と森林の中へ姿を隠した。
タール『ハヽヽヽ疑の深い奴だな。セールの親分だつて、元は真人間だ。治道居士様の懇篤な説示によつて改心するにきまつてる。此悪人の俺でさへも、将軍様のお姿を拝んだ丈けで、感涙に咽び、最はや悪魔は逃げ去つたのだもの、もし将軍様、何卒エムの云ふた事を信用遊ばさず、私が案内しますから、何卒岩窟へお越し下さいませ。さア、ヤク、エール、貴様は将軍様のお後からお伴し、随分抜かりなく用心して上るのだぞ』
と小声にて囁く。ヤク、エールは黙然としてニタリと笑ふ。
治道『アハヽヽヽ、随分人生と云ふものは面白いものだな。仮令悪魔に謀られようとも命を取られようとも、天に任した吾が身魂、何の恐るる事があらうぞ。之でも昔は三軍を叱咤した勇将だ。オイ、タール、心遣ひは無用だ。サア早く案内して呉れ。
虎熊の山は如何程峻しとも
安く上らむ神のまにまに。
セール、ハール、醜の司を言向けて
神の大道に靡かせて見む。
仰ぎ見れば山の尾の上は黒雲に
包まれにけり晴らしてや見む』
タール『サア御案内致しませう。之から段々坂が峻しくなりますから、足許に気をつけてお上り下さいませ。然らば私が先導致しませう』
と胸に一物、心に二物、罪の重荷を背負ひつつ、喘ぎ喘ぎ上り行く。
(大正一二・七・一五 旧六・二 於祥雲閣 北村隆光録)
(昭和一〇・六・一六 王仁校正)