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文献名1霊界物語 第69巻 山河草木 申
文献名2前付よみ(新仮名遣い)
文献名3巻頭言よみ(新仮名遣い)かんとうげん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ曰く、天運循環した甲子年に、葦原瑞穂国(全地球)どこかに、一大聖人が現れてもおかしくはない。そような聖人でなければ無明暗黒今日世界を救うことは到底できないであろう。そこで、自分は排他主義を廃し、米国バハイ教、支那朝鮮宗教と提携し、現代世界を救うべき宗教家を探しつつあるが、今日活動である(大正十三年一月十五日)。
主な人物 舞台 口述日1924(大正13)年01月22日(旧12月17日) 口述場所伊予 山口氏邸 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1927(昭和2)年10月26日 愛善世界社版3頁 八幡書店版第12輯 263頁 修補版 校定版3頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm690001
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本文の文字数5014
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本文  吾々が現代に於て最も虫好かない嫌ひな者は沢山にある。先づ第一に借金取催促、次に絹足袋をはいて歩きまはる商店丁稚、知つたか振をして英語交り会話をやる奴、婆ア眉毛造りに、ハイカラ青年赤いネクタイ、白頭爺鍋墨顔、女学生巻煙草、風呂葱節、眼鏡越しに光つた眼をして人面を下から上に覗くやうに見上げる奴、可笑しくもないに、幇間的追従笑をする奴、箱根越えず江戸つ児を用ゐる奴、豹や狐首巻をする女等、数限りもなく嫌ひな者がある中に、最も虫好かぬは、現代政治家、宗教家唱ふる所信教自由を壅塞する時代遅れ宗教法案等である。因循姑息と時代錯誤と、頑迷無智と不親切と、偽善生活、厚顔無恥、没常識等を以て充たされた連中が、万世一系天壤無窮神国国政を料理しようとするだからたまらない。憲政逆転か時代錯誤か、時勢要求か知らないが、今日清浦内閣顔触を見ると、田舎町はづれ方にありさうな八百屋店、干からびた南瓜胡瓜大根蕪様な、到底中流家庭料理にも適せない、味悪い歯切れしない難物許である。乍併吾々は政治家でないから、却てかう云ふ内閣が出来たが時代に相応してゐるかも知れない。或は天意であるかも分らない。政治圏外に在る吾は只表面から見た丈事を云ふ迄だ。それよりも此時代に当つて精神的文明を皷吹し、国民信仰中心とならねばならぬ宗教家現状を見ると、これ亦日暮れて道愈遠し感に打たれざるを得ないである。排他と猜疑と身勝手、自己愛と嫉妬より外に知らない円頂緇衣徒やアーメン先生達は何をしてゐるであらうか。普選案が通過するとか、即行されるとかいふ噂を聞きかじつて、仏教家も牧師連も神職も教育家も、全部手に唾して、逐鹿場裡に立つて出ようとする形勢が仄見えてゐるやうだ。僧侶や牧師などは特に政治以外に超然として神仏教を説き、国民を教化してこそ宗教家権威が保たれるでないか。若し過つて宗教家が薬鑵頭に湯気を立て、捩鉢巻で選挙場裡に立つやうなことがありとすれば、それこそ信仰上大問題である。壇家は嫉視反目し、信者は党を作り、宗教家を敵視する様になり、信仰中心人物を失つて了ふ。さうすれば従つて神仏権威も失墜し、信仰中心、思想真柱を失ふ道理だ。吾人は思ふ、仮令普選案が通過し、宗教家や教育家に被選挙権が与へられたにしても、かかる俗界仕事は俗人輩に任して、超然的態度を執つて欲しいもだ。乍併翻つて宗教界裏面を考へて見れば、超人間的宗教家は金草鞋で日本全国を探しても、滅多に有相にもない。種々悪思想洪水が氾濫して、ヒマラヤ山上を浸さむとする今日場合、釈迦、キリスト、マホメット、孔子に老子、小にしては空海、日蓮、親鸞、法然其他高僧知識と呼ばれる連中を一つに円め、団子にして喰ふ様な宗教界偉人が現はれて来なくては、到底此人心悪化を救ふ事は出来ぬであらう。吾人は数十年間各宗教家を漁つて、超人間的人物を捜して見たが、寡聞寡見吾々には到底求むる事を得なかつた。そこで、信仰に国境はないといふ点から米国バハイ教を研究し、朝鮮支那新宗教を研究して、此現代世界を救ふべき真宗教家はないかと探しつつあるだ。腐敗堕落と矛盾とに充たされた現代暗黒社会には、到底大宗教家、大理想家は現はれ相にもない。乍併どつか山奥には、天運循環神律によつて一人や半人位は現はれて居りさうなもだ。今年は甲子更始年である。此葦原瑞穂国(全地球)どつかには、一大聖人が現はれるか、又は太陽、大地、太陰を串団子となし、星胡麻をかけて喰ふやうな大豪傑が現はれて来さうなもだと思ふ。さうでなくては到底此無明暗黒な世界を救ふ事は出来ないと思ふ。吾人は本年甲子よりここ数年間に於て、確に斯世を天国浄土に進展せしむべき一大偉人出現することを固く信じ、神仏を念じて、待つてゐるである。吾人が前陳理由に依つて、バハイ教と提携し、或は支那朝鮮新進宗教と握手したも、決して現代宗教家如く自教を拡張せむ為でもなく、只単に我国家前途を憂へ、世界平和と人類愛為に尽さむとする真心に外ならぬである。惟神霊幸倍坐世。
   大正十三年一月十五日(旧十二年十二月十日)

   ○月歎かひ

 吾は淋しき冬
 下界を眺め大空に
 涙顔を曇らして
 独り慄へる悲惨さよ
 浜真砂
 銀河岸につどへども
 吾まつ星は一つだになし
 いづれ星もことごとく
 月出ぬ夜を楽しむか
    ○
 吾は淋しき冬
 涙かくして大空に
 独り慄へる悲惨さよ
 大地一面草や木
 梢に遍くおく霜に
 冷き宿を求めつつ
 千々に心を砕くかな
    ○
 吾は淋しき冬
 御空に高く打ち慄ひ
 下界遥に見渡せば
 吾宿るべき池水は
 雪や氷に鎖されて
 映る術なき悲惨さよ

   ○杜鵑

 吾は深山杜鵑
 降りみ降らずみ五月空を
 さまよひながら声嗄らし
 友を求めて泣き叫ぶ
 あゝうらめしや照る月を
 深く包みし天津空
    ○
 吾は深山杜鵑
 八千八声鳴き暮し
 血を吐く思ひ最後声も
 月がないたと云はれてる
 ほんに切ない吾思ひ

   ○第十八宇和島丸
 船今神港波止場を出でむとし
  惜み見送る八人乙女等。

 艶人波止場に立ちて振る比礼に
  涙にしめる風さやれる。

 甲板に立ちて波止場見えぬまで
  首巻振りて別れを惜む。

 波音船響きもおだやかに
  辷り行くなり瀬戸内海。

 キラキラと夕日に映ゆる波上を
  心静かに進む楽しさ。

 皇神深きめぐみは瀬戸
  波照る今日麗はしきかな。

 紫中より抜き出でて
  永久に静けき淡路島山。

 夕日影波を照らして明石潟
  馳せ行く汽車床しさ。

 東路さわぎを余所にして
  静かに浮ぶあはぢ島山。

 照る波宇和島丸に身をあづけ
  心うきうき進む今日かな。

 窓開けて船外面を眺むれば
  胡蝶如き白帆漂よふ。

 淡路島呼べば答ふる許りなる
  磯辺をかすりて船行くなり。

 天地も波も静けき船上に
  いとさわがしく八重子鳥啼く。

 淑き人送り来たりし神戸港は
  遠くかすみぬ心淋しも。

 照り渡る波あなたに淋しくも
  ひとり浮べる一つ松島。

 牛嶋影目に入りて吾胸は
  いとどかなしく成りまさり行く。

 ためしなき静けき海に浮びつつ
  過ぎし昔を思ひうかぶる。

 九年前に開きし神島は
  昔ながらに吾身老ぬる。

 瀬戸海隈なく晴れて鴎飛ぶ
  波はてるてる船は良く行く。

 甲板に立出て海原見渡せば
  魚鱗波に夕日輝く。

 常になき波路と聞けど甲板は
  やはり冷たき風吹き来る。

 八重波おしわけ進むこ船は
  如何なる人造りしなるらむ。

 七人男子女子一行が
  倶にり行く神方舟。

 波音船どよめき余所にして
  鳴り渡るかな蓄音器声。

 十二夜光を浴びながら
  浮世瀬戸海渡るかな。

 冬寒さも知らぬ船室に
  一夜を送りぬ瀬戸海原。

 荒るるかと予て思ひし波
  いとも静かに越ゆる内海。

 蓄音器鳴りを鎮めてあとしばし
  波話を打ち解け語る。

 十二夜月は波間に砕けつつ
  火竜となりて海原に躍る。

 月寒く御空にふるひをきて
  星またたき清き海原。

 十二月十二月影浴びながら
  水御魂ぞ初渡航する。

 十二月十二空に瀬戸
  乗り行く火伏せ水大神。

 たまさか旅路に空晴れて
  立ちもさわがぬ瀬戸海浪。

 空はれて銀波ただよふ瀬戸
  り行くわれぞ楽しかりけり。

 煙突黒煙空に蜒々と
  風に伸び行く竜如くに。

 吾船黒煙空をかすめつつ
  月おもてを包みつつ行く。

 一つ星波上近くまたたきて
  月をも待たで沈まむとぞする。

 西へ行く月逐はむとや吾船は
  波を蹴立ててひた走り行く。

 われ一人只われ一人寒き夜に
  宿を立出で月に歎きぬ。

 月一つ御空にふるひ地に一人
  友なくふるふ吾ぞわびしき。

 空月何をふるふか瑞
  今海上にあり近く語りね。

 月清く大空寒く星晴れし
  波路を辷る船長閑さ。

 夜もすがら月を友とし甲板に
  立ちつつ深き思ひに沈む。

 灯台光目当てに進み行く
  宇和島丸勇ましきかな。

 島影波まにまに浮き出でて
  静けき夜を淋しく送る。

 二つ三つ島影見えて海
  一入高く鳴り響きつつ。

 波音いと高々と聞えけり
  磯辺に船近附きしならむ。

 あどけなき小娘共に船
  いとさわがしく海原すすむ。

 淑き人と手をとり寒き甲板に
  立ちて御空月を偲ばゆ。

 月照れる甲板上に汝と二人
  静かに立てば鴎啼くなり。

 若やぎて昔吾に還りつつ
  月下甲板に二人たたずむ。

 よき人と二人甲板にたたずめば
  沖かもめが千代々々と啼く。

 月一つ吾船一つ甲板に
  二人たたずみ風を浴びたり。

 吾友いねたるすきに起出でて
  意中月と甲板に立つ。

 小夜更けてかもめ声も静まりぬ
  去れどさやぎぬ意中月に。

 アヽぬくいぬくいと窓にかけよつて
  硝子なめつつビスケット食ふ。

 一等室吾一行に交りて
  狸老爺が唯一人居る。

 こ様な低い所に電燈が
  あるかと見れば兀チヤン天窓。

 汽笛音いと高松につきにけり
  時しも既に午後九時前。

 甲板に人足音しげくなりて
  仲仕声も高松港内。

 クナビー相手となして相撲取れば
  余り力入れどころ無し。

 瀬戸海黄金波をかきわけて
  宝舟をやるぞ楽しき。

 小舟二隻またたく間に覆へし
  一伏したる瀬戸荒浪。

 吾れる船は多度津浜近く
  なりて一入波音たかし。

 昨日より晴渡りたる港さへ
  矢張世人は今治と云ふ。

   ○伊予高浜上陸
 吾れる宇和島丸は午前七時半
  無事高浜に月汐空。

 信徒誠心こめて迎へたる
  波止場景色いとど賑はし。

   ○松山城
 松山城山上にそそり立ち
  吾待ち顔に見ゆるおもほゆ。

 君が代いづ栄えを松山
  空にそびゆる天守閣あはれ。

   ○道後公園
 珍らしき岩石樹木おき並べ
  清く築ける貴公園。

 松山金亀城を背景に
  広く造れる道後公園。

 山水粋をあつめし道後
  珍公園見るもさやけき。

   ○道後温泉
 久方天津日御子天降りまして
  憩はせ玉ひし貴御室かな。

 艶人も浮世衣を脱ぎ捨てて
  赤裸々となり霊肉洗ふ。

 神霊湯にひたりつつ信徒と
  楽しく遊ぶ道後公園。

 浮き沈み七度八度り越えて
  裸大丈夫神霊を洗ふ。

 神湯や霊湯札を売りひさぐ
  是麗はしきかな。

 天地恵み最とふかき
  道後なる神湯に浴る。

    ○
 たちまちに四人記者に取まかれ
  おもはず費やす貴タイムを。

 数十人珍まめ人あつまりて
  いと新らしく語り合ふかな。

 洋服や和装記者が訪れて
  和洋折衷談話交しつ。

 岡上にいらかも高くかがやきて
  道後見下ろす阿房宮かな。

 又しても二人記者が訪づれて
  吾スタイルを怪しげに見る。

 野も山も春めき初めて湯煙
  いと緩やかに立ち昇りつつ。

 冬ながら春景色漂へる
  道後花は城山公園。

 一生願叶ふて和田
  乗りこえ来にし道後温泉。

 室外は春光り見えながら
  窓を開けば冷風来る。

 吾姿カメラに入りて夕刊
  紙面に早くも立ちにけるかな。

 写真班道後ホテルに訪ね来て
  カメラに吾を収め帰りぬ。

 感想は如何予言はいかにぞと
  五月蠅く打出す記者言霊。

 宇宙間恐るるもは無けれども
  神道に恐るる。

 排他的既成宗教はあとにして
  開き行かなむ海外まで。

 自然愛自己愛而已現代に
  何を語るも聞く人は無し。

 敗残大本なりと見縊りて
  訪ひ来る記者けげん顔かな。

 日に月に権威重る大本を
  誤解してゐる記者可笑しさ。

○凝神著書澄懐観道。
○晴耕雨読。
 凝神著書澄懐観道
  掛軸吾に具はしくおもふ。

 大小島々あまた漂よへる
  瀬戸ながめは天津神国。

 常磐木茂り合ひたる浮島に
  胡蝶如く信天翁飛ぶ。

 真帆片帆往き交ふ状は天国
  珍景色偲ばるるかな。

 年十二月また十二日も十二
  合せて三六今日船出で。

   大正十二年旧暦十二月十三日 於道後ホテル三階 瑞月誌
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