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文献名1霊界物語 第73巻 天祥地瑞 子
文献名2第2篇 高照神風よみ(新仮名遣い)たかてるしんぷう
文献名3第19章 高日宮〔1850〕よみ(新仮名遣い)たかひみや
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ太元顕津男神が高日宮にやってきてみれば、そこは常磐松が繁り栄え、庭には白砂、木陰に七色草花が咲き乱れ、荘厳さ麗しさはたとえるももないほどであった。明晴男神、近見男神たちが出迎え、駒くつわを取り、歓迎歌を歌った。顕津男神、如衣比女神は、大御母はからいでこような美しい所に留まることができ、喜び歌を歌った。目神は、顕津男来臨によってもたらされる福音喜びを歌い返した。顕津男神は八尋殿に導きいれられる。大御母神は、こ八尋殿は顕津男神が永遠に鎮まり、如衣比女とみあって国造りをするために建てさせたもだと歌う。ここに、顕津男神と如衣比女神は婚ぎ式を行い、八十年間、こ宮居に鎮まった。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年10月13日(旧08月24日) 口述場所水明閣 筆録者林弥生 校正日 校正場所 初版発行日1933(昭和8)年11月22日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 77頁 修補版 校定版169頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm7319
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本文  太元顕津男神は、大御母神、眼知男先頭にて万神に送られながら、高照山山麓高日清所につき給へば、常磐木松は昼もほ暗きまで繁り栄え、庭面は白砂を敷きまはされ、木蔭上には七色草花爛漫として咲き乱れ、そ荘厳さ麗しさ譬ふるに物なかりける。
 ここに明晴男神、近見男神達は、白き薄衣を纒ひながらうやうやしく出で迎へ、先づ大御母乗らせる駒轡をとらせ給ひて、

『大御母神言計らひに
  四方雲霧明け晴れ

 曇りたる世も今日よりは明晴
  神心は楽しかりける』

 大御母神は馬上より降らむとして、

『主恵にひたされて
  太元顕津男神を迎へし

 今日よりは高照山雲霧も
  くまなく晴れむたもし世や』

と謡はせつつひらりと駒を降り、顕津男乗らせる駒轡をとりながら、

『はるばると来ませる神よ此処はしも
  わが住家ぞや早や降りませ

 顕津男地にます上は
  これ神国は安く栄えむ』

 顕津男神は馬上より、大御母神に御歌にて答へ謡ひ給ふ。

『いく山脈越えてわれをば迎へましし
  岐美真心かたじけなみおもふ

 岐美が住むうづ清所に導かれ
  嬉しさあまりて言葉もなし』

 如衣比女神は馬上を降らむとして謡ひ給ふ。

『山清く水また清く吹く風も
  涼しき清所に甦るかな

 背岐美御供仕へてわれは今
  貴清所に甦りつつ

 大御母神御言計らひに
  われあこがれ岐美に逢ひぬる』

 眼知男神は喜びにたへず、御手を上下左右に振りながら踊り狂ひつつ謡ひ給ふ。
『年といふ年はあれども月といふ
 月はあれども良き日てふ
 八十日びあれど今日日は
 如何なる神御恵か
 太元神現れまして
 われ等に百福音を
 教へ導き給ひつつ
 これ神国も平らかに
 いと安らかに永久に
 建てさせ給ふぞ尊けれ
 われは神力無き神
 如何に心をあせれども
 みたま曇り深くして
 世を照すべき術もなし
 目神と人はいへどもこ
 足下さへも見えわかぬ
 半日先事さへも
 明らめかぬる魂
 深きくもりを如何にせむ
 今日より総てを新しく
 眼ひらきて大道に
 仕へまつらむ目
 みたまをあはれみ給へかし
 今日良き日佳き辰は
 天地御計らひ
 いよいよ高照山
 雲霧はれて日月
 光を近く仰ぐべし
 ああ惟神々々
 恩頼ぞかしこけれ』
 顕津男神は出迎へ諸神に導かれ八尋殿奥深く入り給ふ。顕津男神は八尋殿荘厳さを見て謡ひ給ふ。

『うるはしき広き御殿に導かれ
  わが胸とみに明けはなれけり

 今しばしこれ御殿にとどまりて
  国ひらかばや力限りを』

 大御母神はこ御歌を聞きて謡ひ給ふ。

『顕津男神よつぶさに聞し召せ
  これ清所は岐美みあらか

 主依さしに汝が為めに
  われは御殿を造りて待てるも

 こ宮は瑞御霊
  永久にまつれる清所なるぞや

 月神御霊と生れし岐美なれば
  安くましませ心おきなく

 汝こそは如衣比女とみあひまして
  国造りませ𪫧怜に委曲に』

顕津男神『百神に神生み業とざされて
  国造りせむと此処に来にけり

 今日よりは誰憚らず如衣比女と
  力をあはせて神業に仕へむ』

 如衣比女神は末座に端坐しながら莞爾として謡ひ給ふ。

『幾年を岐美待ちわびし甲斐ありて
  楽しき今日となりにけらしな

 今日よりはわが魂を立て直し
  謹み畏み神業に仕へむ』

 ここに比古比女二柱神は大御母とりもちによりて、高日八尋殿に目出度婚ぎ式をとり行ひ給ひ、八十年間これ宮居に鎮まり給ひぬ。
(昭和八・一〇・一三 旧八・二四 於水明閣 林弥生謹録)
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