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文献名1霊界物語 第73巻 天祥地瑞 子
文献名2第3篇 東雲神国よみ(新仮名遣い)めしんこく
文献名3第31章 夕暮館〔1862〕よみ(新仮名遣い)ゆうぐれやかた
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ河守比女館は、四方に青芝垣をめぐらし、常磐木松が枝を伸ばし、楠木は天をつくようにそそり立ち、清清しさに満ち溢れていた。一行は館すばらしさを称える歌を詠った。顕津男一行は館別殿に休息することとなった。すると、河守比女は顕津男正面に座り、笑みをたたえながら、実はこ館は自分ではなく、八十比女一人、世司比女であることを明かす。顕津男神はこようなところに八十比女一人がひそんでいたことに驚く。次間より、世司比女は顕津男神に相聞歌を送り、姿を現した。河守比女は場を退いた。あとに顕津男神と世司比女神は言霊による神生みを行うと、世司比女はたちまち御子神をはらんだ。顕津男神は、御子神誕生まで館に留められ、そ間国津神々を招いて、教えを講じた。顕津男神に付き従う五柱神々は、神業がつつがなく進んでいる喜びを歌に詠った。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年10月17日(旧08月28日) 口述場所水明閣 筆録者林弥生 校正日 校正場所 初版発行日1933(昭和8)年11月22日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 123頁 修補版 校定版338頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm7331
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本文  太元顕津男神は河守比女心厚き計らひにて、六頭白き駿馬を与へられ、さしもに広き日向河激流を彼方岸にやすやす渡りをへ、河守比女神に導かれ、広き大野末に遠く霞める河守比女神館に漸くつきて、駒をひらりと飛び下りつつ奥庭深く進み給ふ。
 こ館は四方に青芝垣を廻らし、常磐木松は蜿蜒として、梢を竜蛇如く庭にたれ、楠大樹は昼も猶小暗きまでに天を封じて、庭あちこちに聳り立ち、折から吹き来る科戸風に泰平春をうたふ、梢そよぎも床しく見えける。
 ここに顕津男神は、あまり館清しさにやや驚き給ひつつ御歌よませ給ふ。

『常磐木青垣めぐらせる
  これ館は何か床しも

 あちこちに空を封じて聳りたつ
  楠木群葉末光れる

 百鳥は楠梢に巣ぐひつつ
  言霊御歌うたひゐるかも

 庭面に苔青々と蒸しにつつ
  露を宿せるさま素晴らしき

 思ひきや大野末にかく
  清しき館いみじくたつとは

 河守比女神館と思へども
  床しき人籠らふがに見ゆ』

 大物主神はうたひ給ふ。

『広々と果てしも知らぬ青垣
  中に建たせるこ館はも

 空清く土また清き野果に
  澄みきらひたるこれ館よ

 百鳥は時じく春をうたひつつ
  神代前途を寿ぐがに思ふ

 ちよちよと囀る小鳥声冴えて
  楠木群はそよぎつ光りつ』

 真澄神はうたひ給ふ。

『われは今此処に来りて村肝
  心真澄神となりぬる

 庭面に白砂敷きて水を打ち
  箒目正しき館清しも

 純白砂を敷きたる清庭に
  白馬嘶き聞くは清しも

 日向河水瀬をわけて現れましし
  比女神も駒も瑞御霊か』

 近見男神は又うたひ給ふ。

『天国も早近見男神われは
  岐美に従ひ清所に来つるも

 久方高日宮に比ぶべき
  こ清庭はみづみづしもよ

 清庭もなかに湧ける真清水は
  月日を写す鏡なるらむ

 真清水をたたへし池底照りて
  真鯉緋鯉遊ぶ館はや』

 照男神は又うたひ給ふ。

『瑞御霊神御供に仕へつつ
  広河渡りここに来つるも

 吹く風に松梢はそよぎつつ
  春香散らす芳しき館よ

 大空を封じて立てる楠
  こ太幹世に珍しも

 こ太りしを見てこ
  古きを思ふ神館かも

 何神おはしますかは知らねども
  知らず知らずに謹しみわく

 こ館に住ませる河守比女神は
  楠精よりあれましにけむ』

 かく謡ひ給ふ折しも、河守比女神は再び表に現れ来り、

『掛巻も綾に畏き瑞御霊
  とく吾館に休ませ給へ

 こ館は外はすぶすぶ中見れば
  ほらほら広き住居なるぞや

 六柱住居に叶ひたる
  わが館永く留まりませよ』

 顕津男神はうたひ給ふ。

『比女神厚き心にほだされて
  神生み旅を立寄りにけり

 いざさらば比女言葉に従ひて
  御殿を深く進み入るべし

 大物主神言よ比女神
  心そむかず早や入りませよ

 大空も真澄神よわれと共に
  奥に進まむこれ館を

 近見男神も諸共進みませ
  これ館はほらほら広しも

 常磐木露も照男神
  われに従ひとく進みませ』

 かく謡ひて、顕津男神は長き廊下を伝ひながら、かけ離れたる清しき館に進み入り給ふ。五柱神は、こ侍女神に導かれて別殿に息を休め給ふ。
 ここに河守比女神は顕津男神を正座に直し、満面に笑みをたたへ給ひて、御歌詠ませ給ふ。

『久方高日大宮ゆ
  下り給ひし岐美ぞ尊き

 天地永き月日を待ちわびし
  比女神ありと岐美は知らずや

 皇神深き経綸にこ館は
  建てられにける吾家にあらねど

 こ主は正しく世司
  比女神います清所なるぞや』

 顕津男神はこ御歌に驚き給ひ、

『世司比女はわが妻何故に
  これ館にひそみゐますか

 八十比女一つ柱と主
  給ひし比女よ疾く出でまさめ』

 かく歌ひ給へば、次間より比女神御歌清しく聞え来たる。そ御歌、

『岐美待ちてけながくなりぬ吾は今
  花開かむとすも

 御顔もまだしら梅花なれば
  早く手折らせ比古遅神よ

 主神言畏み今日までも
  岐美を待ちにし心苦しさ』

と謡ひ終り、しとやかに此間に現れ給ふ女神は、艶麗譬ふるに物無く、宛然梅花露に綻ぶ如き容姿なりける。
 顕津男神は今迄退嬰心を放棄し比女神前に近づき寄り、そ手を固く握りて、二度三度左り右りにさゆらせ給へば、世司比女神はパツと面に赤き血潮を漲らせ、稍俯きておはしける。
 ここに河守比女神は、

『二柱みあひますなるこ
  われはとくとく退きまつらむ

 主依さし給ひし神業よ
  ためらひ給ふな神まにまに』

と謡ひつつ、廊下を伝ひて五柱休らへる居間へと退き給ふ。
 あとに二柱神は、互に言霊水火を凝り固め、左り右り神業を行ひ給へば、忽ち、御腹ふくらみて呼吸も苦しげになり給ひけるぞ目出たけれ。
 これより顕津男神は御子生れますまで比女に止められて、ここに国津神を招き、百教を垂れ給ひける。
 五柱神はこさまを垣間見ながら、満面に笑みを湛へ、天を拝し、地に伏し、歓び給ひて先づ大物主神は御歌うたひ給ふ。

『主固まりて
  瑞御霊水火となりぬる

 世司御水火は凝り凝りて
  貴子宿し給はむ

 あら尊とこれ館に世司
  比女神ますとは知らざりにけり』

 真澄神はうたひ給ふ。

『此処に来て神経綸を悟りけり
  八十比女神忍びます館

 八十比女一つとあれませる
  世司比女は細女なるも』

 近見男神はうたひ給ふ。

『比女神姿は見るからに
  心清しくなりにけらしな

 瑞御霊これ細女賢女を
  御樋代として御子を生まさむ

 生れませる御子は必ず国魂
  神にしあれば雄々しくあらむ』

 明晴神はうたひ給ふ。

『天も地も茲に漸くあけはる
  神神言も寿ぎまつらむ

 今となり主大神御心を
  たしに悟りぬこ館に来て

 こんもりと青芝垣をめぐらせる
  これ館は婚ぎによろしも

 二柱天御柱めぐりあひ
  ウとア言霊ひらき給はむ』

 照男神は又うたひ給ふ。

『久方空に月日も照男神
  今日は御供神と仕へつ

 常磐木色深く
  千代万代を祈りこそすれ

 常磐木松葉は枯れて落つるとも
  双葉は必ず離れぬも

 何時までもこれ館に留りて
  御子数々生ませと祈る

 わが祈る生言霊を主神よ
  うまらにつばらに聞召しませ』

 斯く五柱神々は今日みあひを祝しつつ、香具実を机代に置き足らはして、語りあひつつ食ませ給ふ。
 折しもあれ、高照山山頂を明るく染めながら、円満清朗月は、めでたきこれ館をぞかせ給ひぬ。
(昭和八・一〇・一七 旧八・二八 於水明閣 林弥生謹録)
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