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文献名1霊界物語 第73巻 天祥地瑞 子
文献名2第3篇 東雲神国よみ(新仮名遣い)めしんこく
文献名3第32章 玉泉月〔1863〕よみ(新仮名遣い)ぎょくせんつき
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ顕津男神はこ平原一帯を東雲(しめ)郷と名づけた。そして、世司比女と共に、比女館、玉泉郷庭園を散歩し、東南隅に建てられた三層高殿に登って四方を見渡し、国生み・神生みが順調に進んでいる喜びを詠った。顕津男神、世司比女神は、国形を見る歌を互いに交わした。東雲国は、常磐木松、樟が生い茂り、花が咲き乱れ、白梅が常に香っている。また無花果が常に実っている。日向河が東北から流れ、国土は東南に扇形に広がっている。高照山は南西にそびえている。平原には濛々と湯気が立ち上っている。日が暮れてきたで、二神は高殿を降り、庭玉泉傍らに立ってしばし安らった。すると、玉泉は二柱姿を鏡ように清らかに写した。顕津男神と世司比女は、夕暮れ泉に円満晴朗月が写るを見て、月恵みをたたえ、またそ結晶である御子神が宿った喜びを歌に交わした。すると、大物主神は静かに庭を進み来たり、御子神懐妊喜びと、自分が御子後見となってこ東雲国に留まり仕えようと心を、恭しく詠った。各々、玉泉傍らで述懐歌を詠い終わり、館に帰っていった。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年10月18日(旧08月29日) 口述場所水明閣 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1933(昭和8)年11月22日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 127頁 修補版 校定版353頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm7332
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本文  日向向岸  東南方に開けたる
 大平原中心に  広くかまへし神館
 玉泉郷に導かれ  太元顕津男神は
 大物主神真澄神  近見男神照男神
 久しき思ひも明晴  神を伴ひやうやくに
 河守比女に導かれ  これ館に出でたまひ
 珍景色にみとれつつ  館中に入りませば
 八十比女神一柱  世司比女に廻り逢ひ
 初めて見合す顔と顔  互に面はほてりつつ
 瑞言霊り交し  神依さし神業に
 心を浄め身を清め  慎み畏み仕へます
 神業ぞ実にも尊けれ  此平原一帯を
 東雲郷と称へつつ  世司比女と水火合せ
 国魂神を生ませつつ  鎮まり居ます大神業
 𪫧怜に委曲に述べたつる  嗚呼惟神々々
 主大神御守りに  古き神代物語
 漏れなく遺ちなく弥広に  示させたまへと瑞月が
 天恩郷東なる  水明閣に端坐して
 畏み畏み願ぎまつる  嗚呼惟神々々
 霊幸倍おはしませ。
 茲に顕津男神は世司比女神と共に、常磐木茂る玉泉郷広き庭園を逍遥したまひつつ、東南隅に立てられし三層楼高殿に、静々登りて四方国形覧はせ御歌詠ませ給ふ。

『目路かぎりこれ大野は紫
  瑞気漂ふ東雲国よ

 此国は土地肥えたれば五穀
  ゆたに稔らむ美し

 高照山に湧き立つ紫
  雲をし見ればわが魂栄ゆも

 見はるかす此国原は東雲
  御空にも似て清しかりけり

 国造り神を生まむと立ち出でし
  我はうれしも清所を得たり

 西南空に聳ゆる高照
  山にかかれる昼月

 天渡る月は西より東
  空に進ます神代なりけり

 我も亦月御霊と現れて
  国拓かむと東せしかも

 天津日はこれ館を光らしつつ
  御空月は世を守ります

 主言霊清く凝り凝りて
  空に月日は現れましにける

 わが霊世司比女と水火合せ
  いよいよ月は満たむとするも』

 世司比女神は欣然として御歌詠はせ給ふ。

『主神言かしこみ此館に
  けながく待ちし女子よ吾は

 八十日日はあれども今日佳日こそ
  天地開くる喜びにみつ

 淡雪若やる胸をそだだきて
  岐美と寝ねなむ夜毎々を

 此館は天浮橋空高く
  神築きし天御柱よ

 東南に果てなく広く開けたる
  こ東雲国はさやけし

 永久にこれ館に鎮まりて
  国魂神を生ませ給へよ

 見はるかす大野果に膨れ膨れ
  拡ごる常磐清しも

 目路遠く限りもしらぬ国原
  光となりて生れし岐美はも

 一夜さ左り右り契りにて
  御子はわが身に宿らせ給へり

 此上は赤き心を岐美辺に
  捧げて朝夕仕へまつらむ』

 顕津男神は御歌もて答へ給ふ。

『久方露うけて
  早や孕すかいとこや比女

 栲綱白きただむき淡雪
  若やる胸を抱きてしはや

 股長に寝ねし一夜夢さめて
  今比女神とゐ向ひ立つも

 東雲国こそ目出たけれ
  弥長々に栄ゆる常磐木

 常磐木松と樟と生ひ茂る
  みくにを彩る百花千花よ

 白梅は非時香り無花果は
  永久に実りて美し国原

 高照緑におくられて
  わが東雲公に逢ふかな

 浮橋に公と立たして見はるかす
  こ東雲国は果てなき

 昼夜を慎み仕へて主
  御霊を守れ御子生まるまで』

 世司比女神は謡ひ給ふ。

『主御霊を宿せし岐美こそは
  永久にましませよこれ館に

 久方浮橋高殿に
  岐美と吾とは国形見るも

 村肝心清めて国形を
  見れば扇とひらきたるかも

 日向河東北に流れ東雲
  国は東南に果てなく広し

 西南に高照山は聳え立ち
  日向河は東北をかぎる

 濠々と此国原は湯気立ちて
  永久に生きたり勇まし国よ

 いざさらば比古遅神よ浮橋を
  下りたまへよ夕近めば』

と先に立ちて、三層楼高殿を下りつつ、二神は再び庭清所に出で給ひ、玉泉傍に立ちて、稍しばし安らひ給ふ。玉泉清泉は女男二柱御姿を清くすがしく其儘に写して、鏡如く澄みきらふ。男神は、夕暮れこ清泉に円満清朗御影浮べるを覧はして謡ひ給ふ。

『久方御空月も此水に
  写りて清しく輝きいますも

 大空をここに写して月夜見は
  恵露を湛へたまふか

 仰ぎ見る月にあれども今を見る
  月は眼下に輝きたまふ

 久方露こそは
  汝が御腹に宿りたまひぬ

 月満ちてあれ出でし御子顔は
  これ鏡に写る月はや

 いとこや御姿其ままに
  泉底に立つが清しも』

 世司比女神は謡ひ給ふ。

『水底も天津御空光ありて
  月日渡らふ玉泉かも

 清々し岐美姿頭辺に
  月は笑まひてかからせたまふ

 仰ぎ見つうつむきて見つ大空
  月は清しも岐美と吾に似て

 天も地も一つになりて月
  ここに集めし玉泉かな

 玉泉に清き姿を写しつつ
  玉子宿らせたまへり

 高照み山ごとく厳めしく
  日向流れ清しき岐美はも』

 斯く二神は玉泉両側に立ちて、御子宿らせ給ひし嬉しさを祝ぎ給ふ折もあれ、大物主神は庭真砂を静に囁かせながら進み来り、恭々しく声朗かに謡ひ給ふ。

『玉泉に立たせる神は月と月
  天と地と御姿なるも

 久方御空月を宿したる
  これ泉は世司比女よ

 常磐木梢うつして玉泉
  かからす月はさやかなりけり

 天渡る月も泉に下りまし
  露を宿せる目出度き館はも

 高照山高日宮を立ち出でで
  玉月を見るかな

 二柱ここに鎮まりましまして
  御子を生ませよ星如くに

 大空星も下りて玉泉に
  影漂はせ月を守らせり

 吾こそは大物主神司
  こ神国を永久に守らむ

 比古神御楯となりて此国に
  永久に仕へむ大物主吾は』

 顕津男神は謡ひ給ふ。

『畏しや大物主神宣
  我にかなへり魂に響けり

 神生み業を遂げなば東雲
  国は栄えむ豊栄ぼりに

 天津日豊栄ぼる東雲
  国はさやけし常春国よ

 常春司とまけられて
  ここに下らす大物主なれ』

 大物主は謡ひ給ふ。

『御子生み神業委曲に終へましし
  神御後をわれは守らむ』

 世司比女神は謡ひ給ふ。

『永久に月露あびて
  御腹御子を育みまつらむ』

 かく各も各も玉泉傍に立ちて述懐歌を謡ひ終り、静々と奥まりたる御殿に入らせ給ひぬ。
(昭和八・一〇・一八 旧八・二九 於水明閣 加藤明子謹録)
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