王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献名1霊界物語 第76巻 天祥地瑞 卯
文献名2第3篇 孤軍奮闘よみ(新仮名遣い)こぐんふんとう
文献名3第12章 山上祈り〔1929〕よみ(新仮名遣い)さんじょう
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ暁を告げる山烏声に、早朝目を覚ませば、栄城山朝風は颯颯と吹き入り芳しく、大野が原に霧が棚引き日陽に映え、えもいわれぬ美しい景色であった。比女はこ景色を歌に歌い、東に高照山、西に高地秀山を眺めては来し方を述懐し、顕津男神へ思いをつづった。そうちに、神々が迎えにやってきた。小夜更神が奉った石楠花花を見ても、顕津男神へ思慕を深くする比女であったが、神々案内で、山頂宮居大前に上って行った。栄城山宮居聖所に立った朝香比女は、顕津男神自らが開いた宮居に感無量となり、声もさわやかに神言を奏上した。比女礼拝に聖所もいつになく晴れ渡り、そ清清しさを栄城山神々は述懐歌に歌い、一同は再びつづら折山道を下って休憩所八尋殿へと下っていった。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年12月07日(旧10月20日) 口述場所水明閣 筆録者谷前清子 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年3月23日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 558頁 修補版 校定版389頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm7612
本文のヒット件数全 238 件/ノ=238
本文の文字数3457
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  朝香比女神は栄城山中腹に、神々心により新しく建てられたる八尋殿に旅疲れを休めむと、初夏一夜を明し給ひけるが、暁を告ぐる山烏声に眼を醒まさせ給ひ、静に床を跳ね起き給ひて、髪ほつれをととへ、白き薄き衣を纒ひ給ひつつ、居間窓を押し開き給へば、栄城朝風は颯々として芳ばしく吹き入り、展開せる大野原に棚引く霧は、陽光に映じて得も言はれぬばかり美しき眺めなりける。伽陵頻迦は木間に囀り、真鶴は松茂みに暁を歌ふ。

『見渡せば遠大野に霞立ちて
  そよ吹く風も初夏を匂へり

 栄城山松吹く風音も冴えて
  梢にうたふ真鶴愛ぐしも

 白梅花はなけれど鶯
  声さえたる栄城山はも

 長旅疲れやすみて吾は今
  八尋殿に国土見するかも

 常磐樹下びに咲き匂ふ
  つつじ目出度くもあるか

 石南花花桃色に咲きにけり
  小さき鳥来りてあそべる

 背岐美御後したひて吾は今
  栄城山に安居するかも

 百神あつき心にほだされて
  栄城山に一夜いねけり

 そ昔わが背岐美神言を
  宣らせたまひし御山恋しも

 東空に高照山霞み
  西にそびゆる高地秀

 高照山高地秀中にして
  清しく立てる栄城山はも

 栄城山これ聖所に岐美まさば
  吾はこ天界に思ひなけむを

 ままならぬ浮世なるかな背岐美は
  万里旅に立たせり

 翼あらば高照山を飛び越えて
  光明岐美が許に行かむを

 駿馬脚は如何程速くとも
  万里道ははろけかりけり

 御樋代神と生れて斯く
  苦しき吾とは思はざりけり

 わが思ひ淡く清しくあるなれば
  かかる悩みもあらざらましを

 谷水冷たき心持ちてわれ
  こ天界に住み度くおもふ

 さり乍ら如何なしけむわが思ひ
  炎となりて胸を焦がしつ

 わが胸炎を消すは瑞御霊
  水力に及ぶもなし

 岐美を思ふあつき心に焦がされて
  はづかしきことを忘れけるかな』

 斯く一人歌はせ給ふ折しもあれ、小夜更神は紫、紅つつじ及び石南花花を捧げ乍ら、静々比女神御殿に入り来り、比女神に捧げむとして御歌詠ませ給ふ。

『栄城山松木蔭に匂ひたる
  生命花を公にまゐらす

 小夜更けて公に誓ひし丹つつじや
  桃色石南花みそなはしませ』

 朝香比女神は小夜更奉るつつじ、石南花花を莞爾として受取り乍ら、わが唇に花台をあてさせ給ひ、御歌詠ませ給ふ。

『芳ばしき紅花よ紫よ
  桃色花よ口づけて見む

 こ花は香り妙なり背岐美
  水火まにまに匂ひつるかも

 紅つつじ心もて
  いつかは岐美に見えまつらむ

 石南花花美はしく桃色に
  香り初めたり吾にあらねど

 桃色姿を見るにつけ
  岐美つれなき心をおもふ

 背岐美をうらむらさき花つつじ
  手折りし小夜更神心は』

 斯く問はせ給へば、小夜更神は畏みながら御歌詠ませ給ふ。

『桃色石南花花たてまつり
  比女心をそこなひしはや

 石南花花美はしと心なく
  奉りたるあやまち許せよ

 紫花は目出度きしるしぞや
  やがては岐美に逢はむと思ひて

 いろいろ心を比女許に
  供へて旅を慰めむと思ひしよ』

 朝香比女神は莞爾として、御歌詠ませ給ふ。

『故もなきわが言葉に汝が神
  心悩ませしことを悔ゆるも

 只吾を慰むる為花なりしを
  深く思ひてあやまちしはや

 紅唇朝夕に
  吸ふ蝶々うらめしきかも

 いつ日か紅唇まつぶさに
  吸はむと思へば心はろけし』

 斯く歌ひ給ふ折しも、機造男神は恭しくこ場に現れ給ひ、

『朝津日は昇り給へりいざさらば
  尾宮居に導きまつらむ

 長旅に疲れましぬと思ひつつ
  朝居間をおどろかせつる

 紫雲は東大空に
  いや棚引きつ陽は昇りたり

 久方御空雲なく晴れにけり
  栄城いただき清しく』

 朝香比女神は御歌詠ませ給ふ。

『長旅疲れを岐美が真心に
  休らひにけり一夜ねむりて

 眺めよき八尋殿に導かれ
  朝景色にとけ入りにけり

 常磐樹下びに咲き匂ふ
  つつじ花にこころ休めり

 いざさらば導き給へ背岐美
  祈りたまひし聖所をさして』

 ここに機造男神は諸神と共に、朝香比女神を前後左右に守りつつ、頂上宮居大前さして上らせ給ひける。
 朝香比女神は宮居聖所に立たせ給ひ、感慨無量面持にて、四方国形を覧しながら大前に拝跪して、神言を御声さわやかに宣らせ給ふ。
『掛巻も綾に尊き
 栄城山上津岩根に
 宮柱太しく建てて鎮まりいます
 主大神大前に
 朝香比女神謹み敬ひ
 祈願奉らく
 そもそもこれ大宮居は
 顕津男神御自ら
 大峡小峡木を伐りて
 百神等を率ゐまし
 開き給ひし宮居にしあれば
 吾は一入尊しも
 いやなつかしもこ宮居に
 鎮まりいます主
 深き恵みをかかぶりて
 吾背岐美出でませる
 西方国土に恙なく
 進ませ給へと願ぎ奉る
 八十曲津神は猛るとも
 醜醜女はさやるとも
 荒野に風はすさぶとも
 大蛇は道にさやるとも
 神御水火に生れませる
 天駿馬に鞭うちて
 安らに平に岐美許に
 進ませ給ひて詳細に
 御子生み神業をねもごろに
 仕へ終へしめ給へかし
 栄城松ケ枝は
 千代みどり色深く
 真鶴声は弥清く
 伽陵頻迦音も冴えて
 御空はいよいよ明けく
 国土上まで澄みきらひ
 四方にふさがる雲霧は
 あとなく消えてすくすくと
 神依さし神業に
 仕へ奉らせ給へかしと
 栄城上に
 畏み畏み願ぎ奉る。

 見渡せば栄城山は雲上に
  そびえ立ちつつ常磐樹茂れり

 見限り四方は霞めり高地秀
  山はいづくぞ黒雲ふさがる

 雲奥空あなたに高地秀
  神山は高くそびえ立つらむ

 栄城山頂上に立ちて打ち仰ぐ
  御空深くもあるかな

 ここに来てわが背岐美功績を
  一入深くさとらひにけり

 皇神厚き恵をかかぶりて
  又もや明日は旅に立つべし』

 機造男神は御歌詠ませ給ふ。

『顕津男造りしこ宮居は
  むらさき雲いつも包めり

 比女神登らせし今日は殊更に
  御空あかるく雲晴れにけり

 日並べてこ神山におはしませ
  朝な夕なにつかへまつらむ

 見渡せば四方国原未だ稚く
  湯気もやもやと立ち昇りつつ』

 散花男神は御歌詠ませ給ふ。

『久方御空は晴れぬ山晴れぬ
  こ神山今日さやけさ

 御樋代比女神ここに現れまして
  神山雲霧とほざかりけり

 非時に春をうたへる鶯
  声に栄城山は生きたり

 家鶏鳥は宮居面に時をうたひ
  田鶴は千歳を寿ぎて鳴くかも

 風薫るこ神山いただきに
  立たせる比女光さやけし』

 中割男神は御歌詠ませ給ふ。

『こ宮居に吾は仕へて年月を
  経ぬれど晴れし吉き日なかりき

 今日如晴れわたりたる神山に
  国形を見るたしさを思ふ

 永久に栄城山は晴れよかし
  御樋代神ぼりし日より

 栄城山溪間に棲める曲津見も
  今日より雲は起さざるらむ

 比女神生言霊ひびかひに
  八十曲津見あとなく消えなむ

 国土造り国魂神を生まします
  御樋代神出でまし天晴れ

 吾も亦比女神御供に仕へむと
  思へどいかに思召すらむ』

 朝香比女御歌。

『神々厚き情に守られて
  栄城上にぼりぬ

 栄城山今日を限りに栄えかし
  常磐色ふかみつつ

 栄城山廻らす野辺はかたらかに
  いやかたまりて国秀見ゆるも

 あちこちと国魂神家見えつ
  果てなき栄えを思はしむるも』

 小夜更神は御歌詠ませ給ふ。

『晴れ渡る今日吉き日に大宮居に
  比女を守りてわれは詣でし

 高地秀山は雲間にかくれつつ
  栄城山は陽炎もゆるも

 陽炎もえ立つ尾根に佇みつ
  大野夏を見るはたしき

 山も野も緑ころも着飾りて
  夏女神をむかへゐるかも

 栄城山尾上を渡る夏風は
  爽かにして涼しくもあるか』

 親幸男神は御歌詠ませ給ふ。

『はろばろと来ませる比女神導きて
  晴れたる栄城尾根にぼりつ

 大宮居聖所に立ちて比女神
  生言霊をわれ聞きしはや

 言霊水火より生れし天地に
  言霊宣らで生くるべきやは

 いざさらば神山を下り八尋殿に
  休ませ給へ御樋代比女神よ』

 神々は尾大宮居聖所に立ちて、各自御歌詠ませつつ、岩根木根踏みさくみ乍ら、右に左りに折れつ曲りつ、九十九折坂道を比女神御憩所なる八尋殿さして下らせ給ひける。
(昭和八・一二・七 旧一〇・二〇 於水明閣 谷前清子謹録)
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki