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文献名1霊界物語 第78巻 天祥地瑞 巳
文献名2第1篇 波濤神光よみ(新仮名遣い)はとうしんこう
文献名3第5章 忍ケ丘〔1961〕よみ(新仮名遣い)ぶがおか
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ朝香比女神一行は、果て無き焼け野が原を馬にまたがって進んでいった。すると、野原真中に小さな丘があって、常盤木松が数千本、野火に焼かれず青々と残っていた。一行はここに長旅疲れを休めようと馬をつなぎ、丘上から大野が原国見をした。すると、いづこからともなく、悲しげな声が次々に聞こえてきた。朝香比女は、四方を見回しながら、歌を歌い、自分は天津高宮からやってきた御樋代神であるから、心安く姿を現すように訴えた。すると、丘南側を穿って住処にしていた数十国津神たちがつぎつぎに現れて礼拝した。国津神たちは、グロス、ゴロスに虐げられ、穴に住んで日々を送ってきたであった。国津神野槌彦は、こたび野火に曲神は逃げ去ったけれど、母が火に傷つけられ苦しんでいる、と訴えた。朝香比女は憐れに思い、野槌彦が背負ってきた老母に天之数歌を歌い息吹いた。すると、焼け爛れた老母頭部顔面は元に戻り、髪は黒くよみがえった。老母と野槌彦は喜び、朝香比女に感謝歌を歌った。朝香比女神は、いかに曲津神禍が強くとも、天数歌言霊で祓うように諭した。野槌彦は喜んで、かつてはこ休む松を神として祭っていたが、これからは主大神を斎き祭ろう、と誓った。野槌姫は、こ丘は忍ケ丘といい、国津神一行は十数年前に竜島というところから、やはり曲津神を避けてやってきただが、再び曲津神に侵されてしまっていただ、と由来を語った。初頭比古は、こような荒れた曲神島に国津神たちが先住していたことにき、こ御樋代神・葦原比女行方を慮った。そして、忍ケ丘からはるかに眺めて、沼を見つけた。野槌彦は、あ沼こそ大蛇が棲む沼であり、黒煙を朝夕吐き出しているだ、と歌った。そして、神々一行に大蛇征服を願った。朝香比女は、もう夕方に近いで、征途を明日に定めて国津神たち館に休むこととした。野槌彦は、真鶴が巣くう松だけ残して、他松を柱にして、忍ケ丘いただきに主神を祭る宮居を造ることを誓った。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年12月20日(旧11月4日) 口述場所大阪分院蒼雲閣 筆録者白石恵子 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年5月5日 愛善世界社版 八幡書店版第14輯 51頁 修補版 校定版84頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm7805
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本文  朝香比女一行は、際限もなき焼野ケ原を馬背に跨り進ませ給ふ折もあれ、野原真中に小さき丘ありて、常磐樹松数千本、野火焔にも焼かれず、青々と茂り居たりける。
 茲に一行は長途疲れを休めむと、駒を一々常磐樹幹に繋ぎつつ、際限もなき大野ケ原を国見し給ひける折しも、いづくともなく悲しき声つぎつぎに聞え来るにぞ、朝香比女神は怪しみに堪へず、四辺を見まはしながら御歌詠ませ給ふ。

『百鳥声にもあらず駿馬
  嘶きならず怪しき声すも

 ひそびそと歎き悲しむ声すなり
  国津神等ひそみゐるにや

 放ちたる野火焔に身を焼かれ
  国津神等歎く声にや

 国津神これ近処に住みまさば
  とくに出でませよ慰めくれむ

 吾こそは天津高宮ゆ天降りてし
  御樋代神よ心安かれ

 曲神をきため亡ぼし国津神
  安きを守る吾は神なり』

 斯く歌ひたまふや、丘南側を穿ちて此処を安処と永住し、附近野辺を拓きて、穀物を植ゑ育てつつ、安き生活を送り来りし数十柱国津神男女は、蟻穴を出づるがごとく、つぎつぎに神言前に集り来り、恭敬礼拝久しうし、歌もて答へらく、

『吾こそはこ島ケ根に永久に住む
  国津神等群なりにけり

 朝夕にグロス、ゴロス曲神に
  虐げられて穴に住むなり

 神々御稜威に曲津は逃げしかども
  吾ははそは母傷つけり

 吾母は煙にまかれかしらべ
  髪ことごとく焼かれてなやめり

 玉命も如何と思ふまで
  ははそは母はなやませ給ひぬ

 主恵みによりて吾母
  なやみを直に癒やさせ給はれ』

 朝香比女神はこれを聞きて憐れみ給ひ、

『火に焼けて傷つきし汝が母身を
  ただに癒やさむここに出でませ

 曲津見伊猛る国土も今日よりは
  安く楽しく栄えゆくべし』

 斯く歌ひ給ふや、国津神野槌彦は、急ぎ土穴にむぐり入り、頭髪焼け爛れて苦しみ悶ゆる老母を背に負ひ、御前に涙ながらに進み寄り、

『ははそは母は傷つき給ひけり
  命ほどもはかられぬまでに』

 朝香比女神は、直ちに数歌を宣り給ひつつ伊吹き給へば、老母焼け爛れたる頭部顔面は元如くに見る見るをさまり、頭髪は漆如く黒々と瞬く間に若き女如く生ひ立ちにける。
 老母は嬉しさに堪へず、

『不思議なる野火に焼かれてなやみてし
  吾もとごと安くなりぬる

 天津神恵みに助けられて
  吾気魂はよみがへりつも

 比女神恵みは永久に忘れまじ
  天と地と続く限りは』

 野槌彦は感謝歌をうたふ。

『野槌彦われは久しくこ丘に
  生きて始めて真火を見たりき

 天津神光と燃ゆるこ真火に
  すべて曲津は亡び失すらむ

 わが母は生言霊幸はひに
  神魂安けくなりにけらしな

 こ恵いつ世にかは忘れむや
  御樋代神光り仰ぎつ』

 朝香比女神は御歌詠ませ給ふ。

『国津神日々禍除かむと
  大野ケ原に火を放ちつる

 吾放つ真火に焼かれて汝が母
  なやみし思へばあはれなりけり

 曲津見禍如何に強くとも
  天数歌宣りて祓へよ

 一二三四五六七八九十
  百千万と言霊宣らさへ』

 野槌彦は歌ふ。

『有難し天津御神神宣
  国津神等に伝へて生きむ

 果しなき大野ケ原ただ中に
  永久住処と定めし丘かも

 こ丘に生ふる常磐松ケ枝に
  鶴来りて時々休むも

 めでたかる常磐松を神として
  国津神等は斎きまつりし

 今日よりは昔手振改めて
  主大神を斎きまつらむ

 有難き神世となりけり久方
  高日宮ゆ神天降りまして

 嬉しさ限りなきかな黒雲
  御空晴れつつ神は天降れり

 耕し業を損ふ曲津見も
  焼野ケ原に棲む術なけむ』

 野槌姫は野槌彦しりへに蹲りつつ、感謝歌を詠む。

『有難き神御稜威に照らされて
  母病はをさまりにけり

 今日よりは神伝へし数歌を
  朝な夕なに称へ奉らむ

 こ丘に永久に住まへる国津神も
  神御稜威を永久に称へむ

 御諭し数歌日並べて
  宣りあげにつつ曲津を祓はむ

 こ丘は忍ケ丘と称ふなり
  曲津荒びを忍びて住めば

 こ島を拓かむとして十年前
  竜島より渡り来しはや

 竜島は岩石多く地瘠せて
  醜曲津棲処なりける

 曲津見猛びを避けて此島に
  移りつまたも曲津に侵されし』

 初頭比古神は御歌詠ませ給ふ。

『国津神はや住ますとは知らざりき
  こ荒れはてし曲津見島に

 主経綸尊さを
  国津神等住居に見しかな

 御樋代葦原比女神司は
  いづくにますか心もとなや

 あまりにも荒れはてにつる島なれば
  御樋代神も黙しゐにけむ

 わが公功にこれ国津神
  火傷は忽ちをさまりしはや

 言霊御稜威畏く数歌
  光は神を永久に生かせる

 果しなき千里野辺を渉り来て
  国津神住む丘に着きぬる

 常磐樹青々茂りたる
  忍ケ丘眺めよろしも

 目路遠く輝くもは池水か
  一鞭馳せて見とどけむと思ふ』

 野槌彦は歌ふ。

『目路はろか白く輝く鏡こそ
  大蛇棲みし沼なりにけり

 朝夕に大蛇は沼に潜みつつ
  黒き煙を吐きいだすなり

 沼底にひそむ大蛇を諸神
  御稜威にきため給へと祈るも』

 起立比古神は御歌詠ませ給ふ。

『グロスもゴロスも沼に潜みゐて
  こ島ケ根を汚すなるらむ

 黄昏にまた間もあれば一走
  駒に鞭うち吾進まばや』

 朝香比女神は御歌詠ませ給ふ。

『沼辺に進まむ道はいや遠し
  明日にせよかし夕べ近ければ

 兎も角も今宵は忍ケ丘に寝ねて
  無限勇気を養はむかな』

 起立比古神は御歌詠ませ給ふ。

『吾公神言畏みいざさらば
  曲津見征伐を明日に延ばさむ

 国津神なやみを払ふべく
  進まむ明日もしきかな

 昼月かげは漸く吾上に
  貴光を投げさせ給へり

 天津日は波間にかくれ給ふとも
  月光に夜は明るき』

 立世比女神は御歌詠ませ給ふ。

『時じくに黒雲湧きし島ケ根も
  生言霊に清まりしはや

 沼底に潜める醜曲神を
  退ひて進まむ明日は聖所へ』

 天晴比女神は御歌詠ませ給ふ。

『天も地も清く晴れたり今宵はも
  忍ケ丘にあかつき待たむか

 天津日は漸く海に傾きつ
  黄昏幕迫り来るかも

 大空光を力とし
  荒野果てに小夜を眠らむ

 国津神数多集へるこ丘に
  駒もろともに夜を守らむ』

 野槌彦は歌ふ。

『五柱尊き神よ心安く
  わが住む館に休らはせませ

 天降りましし神姿尊さに
  国津神等は畏みてをり

 顔を上げて伏し拝むさへ畏しと
  国津神等は俯ぶしにつつ

 今日よりは神功に照らされて
  国津神たち安く栄えむ

 吾は今これ集ひ司とし
  耕し業に日々を仕ふる

 穀物これ島根にみちみちて
  国津神等栄えをたまへ

 今日よりは忍ケ丘頂に
  神御舎つかへ奉らむ』

 初頭比古神は御歌詠ませ給ふ。

『国津神言葉宜なり主
  貴御舎ここにつかへよ

 主神をあした夕なに斎きつつ
  生言霊を朝夕に宣れ

 主御霊を斎きしあかつきは
  百曲津見もさやらざるべし』

 野槌彦は歌ふ。

『有難し御供神宣
  畏み斎き仕へ奉らむ

 こ丘に生ひ茂りたる常磐樹を
  伐り透しつつ御舎つかへむ

 春されば数多真鶴集ひ来て
  梢に巣ぐひ子を生みてゆくも

 真鶴巣ぐふ常磐樹を残し置きて
  御柱選りて宮居を造らむ』

 朝香比女神は御歌詠ませ給ふ。

『百神よ国津神たちいざさらば
  今宵は安く眠りにつかむ

 駿馬は疲れけるにや嘶きて
  松樹かげに足掻きして居り

 駒よ駒早く休めよ明日はまた
  汝が力を吾は借るべし』

 斯く歌ひ給ふや、御供神も国津神も五頭駒も、月下丘に照らされながら、平和夢を結びける。
(昭和八・一二・二〇 旧一一・四 於大阪分院蒼雲閣 白石恵子謹録)
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