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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第1篇 日本より奉天までよみ(新仮名遣い)にっぽんよりほうてんまで
文献名3第2章 神示経綸よみ(新仮名遣い)しんじけいりん
著者出口王仁三郎
概要
備考2023/12/26出口王仁三郎全集第6巻をもとに校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2023-12-28 12:52:52
あらすじ大本教聖地・綾部八尋殿において、恒例節分祭が執行された。祭り執行後、源日出雄は壇上から演説を試みた。天地万有を創造したまいし主神を斎き祭る節分祭は、一年うち最も聖なる祭典日です。大正十三年二月四日はとくに、天運循環して、甲子聖日であり、十万年に一度しか際会することできない日です教祖国照姫命にかからせたもうた神様は天地祖神・大国常立尊であり、明治二十五年正月元旦に、心身ともに浄化した教祖は、稚姫君命精霊を宿し、聖なる教えを衆生に向かって伝達されたです。開祖御役割りとは、根本大神聖慮を奉戴し、神界より地上に降したまえる十二神柱を集め、霊主体従的に国土を建設することにより、世界を最初黄金世界に復帰せしめる御神業を、国祖により任せられたです。今や天運循環し、世界各地に精神的な救世主が現れている。日出雄も主神示に基づき、小さな教団神柱となっていることができないようになってきた。現在混迷極度に達した人心に活気を与えて神聖霊宿った機関として活動せしめるためには、まず第一に勇壮活発な模範を示すことにより、人間岩戸を開いてやる必要がある。開祖は冠島、沓島開きや鞍馬山など各地霊山へ出修によって、それを行った。日出雄もまた神示をかしこみ、蒙古大原野を開拓すべく、大正六年春から密かに準備に着手していた。そこへ、大正十年事件によって天下大誤解を受けたため、意を決して活動しようと思っている。
主な人物【セ】-【場】-【名】国照姫、稚姫君命、源日出雄、高姫、徳島お福、菖蒲お花、高村高造、四方与多平、鷹巣文助、梅村信行、湯浅仁斎、西田元教、艮金神、国祖 舞台 口述日1925(大正14)年08月15日(旧06月26日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版14頁 八幡書店版第14輯 552頁 修補版 校定版14頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rmnm02
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本文  明治末葉大正初期にかけ、思想混乱極に達せる現実界に向つて、一大獅子吼をなし、神教を四方に伝達したる結果、恰も洪水氾濫して大堤防を破壊するが如き勢を以て勃興したる天授聖教、三五聖団、其大本所在地と聞えたる綾聖地──仏徒所謂霊山会場蓮華台、キリスト教徒最も憧憬して已まざるパレスチナ聖場、オレブ山、エルサレム聖地にも比すべき──神本宮、桶伏山を中心とし、宏壮なる殿堂、錦宮を建設し、四百四十四坪八尋殿に於て、盛に主神聖教を伝達し、既成宗教上に卓越して、世界万有愛教旗を飜へし、自転倒島を初め、地上世界に無数崇信者を有する三五教根源地、八尋殿に於て、恆例節分祭が執行された。此節分祭はキリスト教所謂逾越祭如きもである。此殿堂は五六七神政に因みて五六七殿と称へられてゐる。国照姫は地上に肉体を以て生存すること八十余年、大正七年陰暦十月三日神諭を書き了つて昇天し、其聖霊は稚姫君命と復帰し、天界に於て神政を行ひ、其遺骸は天王平奥津城に永眠してゐる。国照姫後継者はすでに二代三代と立並び、神教を伝達することとなつてゐる。
 源日出雄は神示によつて、明治三十二年聖地に来り、水洗礼教務を補佐し、大正十年迄神業を続けてゐた。此間殆ど二十四年、高姫精霊宿りたる徳島お福、菖蒲お花、高村高造、四方与多平、鷹巣文助、其他数多体主霊従派に極力妨害されつつも、凡て障壁を蹴破して、十年一日如く、神教に従事した。
 梅村信行、湯浅仁斎、西田元教など輔けはあつたが、分らずや妨害最も甚だしく、大いに神業進展を阻害した。
 大正五年末頃から鼻高学者等が続々と聖地に来り、大正十年に世界全滅却託を並べ、一夜作り霊学を称導し、三五声望をして、一時は天下に失墜せしめた。其結果は大正十年に於て、有名なる大本事件を勃発し、次いで桶伏山、錦、乱暴至極な取毀ちとなり、源日出雄等は一時獄に投ぜられ、いかめしき閻魔庁に引出されて、善悪邪正を審判さるることとなつた。此事件に肝をつぶし睾丸宿換さした学者連は、数十万円負債を投付け、日出雄以下純真なる神子を、千丈谷間につきおとし、知らぬ顔半兵衛をきめこみ、第二計画を立て、迷へる少年をかり集めむとし、心霊会なるもを組織したが、天は斯かる暴虐を許さず、一時其傘下に集まれる猛者連は四方に散逸し、今や孤立無援境地に立ち心霊と人生なる孤城に隠れて、切りに三五本城に向つて征矢を放つてゐる。此間日出雄は桶伏山山下、祥雲閣に於て、万有愛教旗を飜し、三五神教を伝ふべく、神示霊界物語を口述発行し、天下に宣伝せしより、教勢頓に回復し、何れも其教理に歓喜雀躍し、洋内外を問はず信者は日に月に蝟集し来り、昔日に優る大勢力を醸成した。
 源日出雄は節分祭済んだ後、壇上に立ちて一場演説を試みた。
『天地万有を創造し玉ひし独一真神主神を斎きまつる今日は、一年一回最も聖き祭典日であります。殊に大正十三年二月四日節分祭は、天運循環して、甲子聖日でありまして、吾々人間としては、十万年に一度より際会すること出来ない、最も意義ある主日であります。大神愛善徳と信真光に充たされたる各国各地役員信徒諸氏が、神縁相熟して、此八尋殿にお集まりになり、吾等と共に芽出度き大祭典に、奉仕さるることを得られましたは、至仁至愛神様御恵みに外ならないことを、皆様と共に感謝せなくてはなりませぬ。御承知通り、教祖国照姫命に懸らせ玉うた神様は、宇宙創造者、天地祖神大国常立尊でありまして、明治廿五年正月元旦、心身共に浄化したる教祖は稚姫君命精霊を宿され、前後未曾有聖教を、一切衆生に向つて伝達されたは、吾々人類為には、実に無限絶大賜物であります。主神様は厳霊稚姫君命御精霊に其神格をみたされ、地上神人たる清浄無垢霊身三五教祖肉体を終局点として来らせ玉ひ、間接内流形式に仍つて、大地修理固成神業を、三界衆生に対し洽く伝達すべく現はれ玉うたであります。其初発神諭には『三千世界一度に開く梅花、艮金神構ふ世になりたぞよ、須弥仙山に腰をかけ、三千世界を守るぞよ』と大獅子吼をされてゐます。此神示を略解すれば、三千世界とは、神界幽界現界三大境界であり、過去現在未来をも指して居ります。梅梅は言霊学上、エと云ふことになる、エは万物始、生命源泉であり、用はスといふことになり、スは一切統一意味であります。又スは清浄潔白スミキリ意味ともなる。花とは初めて成る意であり、最初意味であり、教祖意味ともなる。主神が空前絶後大神業をいよいよ開始し、最初御理想たる黄金世界を地上に完全に建設し玉ふといふ芽出度き意味であります。艮といへば東北を意味し神典にては日若宮方位であり、万物発生根源であつて太陽昇り玉ふ方位であります。又艮といふ字義は艮めとなり初となり固めとなり永しとなり、世終り初まり意味となります。金神といふ意味は売卜者云つてゐる方除けをせられたり、祟り神として排斥せられてゐるやうな人間仮りに造つた神意味ではなく、尊厳無比金剛不壊意味を有し、三界をして黄金世界に完成し玉ふ救ひ神といふ、約り言葉であります。
 須弥仙山といふは、仏経にある仮想的山であつて所謂宇宙中心を指したもであります。日月星辰が此須弥仙山を中心に進行し、須弥仙山には三十三天があるといつてゐるを見ても、無限絶対なる大宇宙意味であることが明瞭となつて来ます。此須弥仙山に腰をかけ艮金神が守ると宣示されたは、実に驚嘆すべき大神業大完成を予示されたもで、万有一切は此大神愛善徳と信真光に浴し、現幽神三界に亘り、永遠無窮に真生命を保ち、歓喜に浴することを得るであります。太古に於ける現世界住民は何れも、清浄無垢にして、智慧証覚にすぐれ、愛善と信真をよく体得し、直接天人と交はり、霊界も現界も合せ鏡如く、実に明かな荘厳な世界であつたであります。それより追々と世は降つて白銀時代となり、八岐大蛇や醜狐が跋扈し始め、智慧証覚は漸くにしてにぶり出し、降つて赤銅時代黒鉄時代と益々現実化し、妖邪空気は天地に充満し、三界に紛争絶間なく、今や泥海時代と堕落して了つたです。仏者は之を末法世といひ、基督教は地獄といひ、神道家は常暗世と称へてゐます。地上一切民は仁慈無限大神恩恵を忘却し、自己愛的行動を敢てなし、互に覇を争ひ、権利を獲得せむとし、排他と猜疑と、呪咀と悪口みを之れ事とし、仏者所謂地獄餓鬼畜生修羅惨状を現出することとなりました。此に於て国祖神霊は此惨状を座視するに忍びず、神より選まれたる清浄無垢なる霊身国照姫命をして神意伝達機関となし、万有救済聖業を托されたであります。故に三五教は根本大神聖慮を奉戴し、神界より此地上に天降し玉へる十二神柱を集め、霊主体従的国土を建設し、常暗世をして最初黄金世界に復帰せしむる御神業に仕へまつるべき大責任をお任せになつたであります。今や天運循環神律によつて、世界各地に精神的救世主が現はれてをります。就いては日出雄も主神示に従ひ、到底此小さき教団神柱となつてゐることは出来ない様になりました。今日人間は口先では実に勇壮活溌な、鬼神も跣足で逃げるような大気焔をはき、メートルを上げてる者もありますが、愈々実地となつた時は竜頭蛇尾に終るが一般傾向であります。今日人間は凡てが卑劣で柔弱で、小心で貪欲で、我利々々亡者で、排他的で、真勇気がありませぬ。かかる汚穢陀羅昏迷極度に達した人心に活気を与へ、神聖霊宿つた活きた機関として、天晴れ活動せしめむとするには、先づ第一に勇壮活溌なる模範を示し、各人間岩戸を開いてやる必要がありますで、国照姫命は荒波猛る絶海孤島冠島沓島などに、小舟で渡り、荒行をなし、或は鞍馬山幽谷其他霊山霊地へ自ら出修して、信徒肝を大ならしめ、有為なる信者を作り、社会為に至誠を尽さしめむと努められたであります。乍併元来臆病神巣窟となつてゐる人間は盲聾同様で、国照姫命聖跡をふんで、其実行を試みた者は一人もなかつたであります。勿論開祖行かれた冠島沓島や鞍馬山へ参拝して御神業が勤まつたと思つてゐる分らずやは相当にありました。けれども其精神を汲取つて其道に大活動を続けようとする勇者は一人も出なかつたであります。此体をみて憤慨した日出雄は三五信徒を始め自転倒島人間及世界人間に模範を示す為に、神示を畏み、蒙古大原野を先づ第一に開拓すべく、大正六年春より、秘かに其準備に着手して居りました。古語にも南船北馬といふ語があります。どうしても東北に進むには馬に乗ることが必要である。故に日出雄は此年より準備一端として、四頭馬を飼育し、背高き馬、低き馬、おとなしき馬、はげしき馬を乗こなし、時到るを待ちつつあつた。そこへ神示如く、大正十年辛酉年に至つて、事件為再び天下大誤解をうけ、行動自由を失つたで、意を決し、此世界源日出雄として活動せむと思つてゐます。どうか諸子は其考へを以て神業に奉仕されむことを希望致します。』
 と結んで降壇した。源日出雄心中には既に既に神命を奉戴し、空前絶後大神業を今や企てむとし、満月如く絞つた弓矢は近く放たれむとしてゐたである。
(大正一四、八、一五、松村真澄筆録)
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