文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第2篇 奉天より洮南へよみ(新仮名遣い)ほうてんよりとうなんへ
文献名3第10章 奉天出発よみ(新仮名遣い)ほうてんしゅっぱつ
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/1/9出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
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データ凡例
データ最終更新日2024-01-09 15:56:43
あらすじ三月一日に日本人一同が盧占魁の公館にそろって、計画談義に花を咲かせていた。大倉伍一によると、張作霖から盧占魁に対し、西北自治軍総司令の内命が下り、索倫山において募兵して活動するようにとの命令があったとのことであった。張作霖が盧占魁の内外蒙古出征を許可するに当たっては、日本軍からの張軍閥内へのはたらきかけがあった。日出雄は、さっそく一行より先に蒙古入りをしようと提案した。佐々木は準備が整ってから奉天から列車で行くようにと反対するが、岡崎は日出雄に賛成し、次分は東三省の高等官だから護照もいらない、自動車を雇って疾走すればよい、と言って聞かない。他の満州浪人たちは安全を慮って反対するが、結局日出雄が岡崎の案を是としたので、奉天から鄭家屯まで自動車で行くことになった。三月三日の午後四時から、二台の自動車に日出雄、岡崎、守高、通訳の王元祺の四名が分乗して出発した。道路は極めて険悪で、ときどき機関が損傷し、一時間ばかり走るとまた一時間ばかり停車して修理する、という有様だった。馬賊が横行する区域とて、停車中はヘッドライトを消して懐中電灯で修理を行い、水が切れると氷を取って来て機関につめるなどの苦労をしながら北へ北へと進んでいった。また、氷結した遼河を渡ろうとした際、氷が溶けた部分に危うく落ちそうになって危機一髪自動車が停止したこともあった。翌四日午前七時、開原の城内で朝食を取り、また自動車を修理した後に出発した。午後一時ごろに昌図府の手前まで到着したが、一台の自動車が大破してしまったため、昌図府の安宿に宿泊し、奉天へ人をやって機械を取り寄せることになった。二百四十支里の前人未踏の高原を自動車で冒険的に旅行してのけたのは、開闢以来の壮挙、離れ業だと、岡崎は怪気炎を上げていた。
主な人物【セ】源日出雄、大倉伍一、佐々木弥市、岡崎鉄首、揚巨芳、盧占魁【場】真澄別、唐国別、守高【名】張作霖、岸少将、王樹棠、名田彦
舞台
口述日1925(大正14)年08月
口述場所
筆録者
校正日
校正場所
初版発行日1925(大正14)年2月14日
愛善世界社版89頁
八幡書店版第14輯 580頁
修補版
校定版90頁
普及版
初版
ページ備考
OBC rmnm10
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