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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第3篇 洮南より索倫へよみ(新仮名遣い)とうなんよりそーろんへ
文献名3第15章 公爺府入よみ(新仮名遣い)こんえふいり
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/1/14出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2024-01-14 23:44:34
あらすじいよいよ公爺府に入ることが決まり、地図を手に入れたりと準備が始まった。三月二十二日には王天海、張貴林、公爺府協理である老印君らが到着した。三月二十五日早朝、一行は三台轎車に分乗し、トール河を渡って北を目指して進んでいった。そ日は洮南から百二十支里離れた牛馬宿に一泊した。翌朝出立し、正午に王爺廟張文海宅に着いた。王爺廟はラマ僧が三百人ほど居る。日本ラマ僧が来たからといって、一人残らず日出雄に挨拶に来た。日出雄は人々に携帯してきた飴を一粒ずつ与えた。大ラマは部下に命じて鯉をとらせ、日出雄に献上した。午後二時、日出雄が王爺廟を出ようとすると、大ラマは牛乳せんべいを日出雄に送った。日出雄は釈迦が出立ときに、若い女に牛乳をもらって飲んだ故事を思い出し、奇縁として喜んだ。ことき、日出雄ひらから釘聖痕が現れ、盛んに出血して腕にしたたるほどであった。しかし日出雄はまったく痛さを感じなかった。日出雄一行は公爺府老印君館に午後六時ごろ、無事に到着した。
主な人物【セ】源日出雄、岡崎鉄首、張貴林【場】-【名】守高、平馬慎太郎、真澄別、猪野敏夫、名田彦、大川金作、山田、王元祺、秦宣、佐々木、大倉、王天海、老印君、張作霖、温長興、張文海、張桂林、巴彦那木爾 舞台 口述日1925(大正14)年08月 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版133頁 八幡書店版第14輯 596頁 修補版 校定版133頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  日出雄と守高は平馬氏宅に暴風を避け、真澄別以下五人は猪野敏夫氏春山医院に陣取つていろいろ豪傑話に耽り、守高は柔術実習や講演をやつて、大にメートルを上げてゐる。そして守高は摩利支天、名田彦は一億円、真澄別は泰然自若、岡崎は霞ケ関と云ふ仇名をつけられた。猪野は鄭家屯日本坊主を殴つた話や、大川金作ローマンス追懐談に花が咲いて居る。そして東三省一美人と云ふ支那芸者が猪野に秋波を送つた事などを気楽さうに喋舌り立て、春陽気を漂はしてゐる。朝から晩まで摩利支天に一億円、山田に王元祺等豪傑連が柔道練習をやつてゐたが、日出雄が行くと直ぐに中止して了つた。副官秦宣はオチコ棒に吹出物が発生し、膿汁を拭いた手も洗はずに食器をいぢるで病毒が感染する等と云つて日本人側に嫌はれてゐた。
 愈公爺府入りが定まり、順路地図を、支那某将校から借り来り、王府まで二百支里、最高山北だなどと、頻りに地図に眼を注いだ。眼鬼将軍岡崎は佐々木や大倉やり方について大変な不平を洩らし、
『先生を中途まで送りとどけた上、一度奉天へ帰つて彼等二人やり方を調査する積りだ。万一彼奴等がようやらぬなら、自分は北京へ行つて呉佩孚や趙倜と会つて此大事業を成功させる……』
 等と捨鉢を云つてゐる。時々風吹廻しが悪いと変な事を云ふで日出雄も困つてゐた。
 葛根廟には馬賊根拠地があつて大集団をなしてゐるさうだ。近日中に女隊長が洮南に向つて襲来すると急報に、支那官憲や駐屯軍が驚いて、騒々しく動揺し初めた。
 三月二十二日午後四時頃、王天海は蒙古隊長張貴林や公爺府協理老印君と共に着洮した。そして愈奥地入り準備にとりかかつた。張貴林は日出雄に向つて云ふ。
『此先には数千馬賊団が横行してゐますが、何れも自分部下許りだから、決して先生に害を与へませぬ。私は今回自治軍旅団長に選まれましたから、安心して下さい。蒙古男子一言は金鉄より堅う御座います。先生為には一つよりない生命を擲うつてゐるですから』
 等と云つて勇ましく腕を撫してゐる。
 暫らくすると佐々木、大倉両人が日出雄奥地入りを送るべく、遥々奉天からやつて来た。さうして岡崎と議論衝突を来たし、岡崎機嫌がグレツと一変し、
『俺はこれから奉天へ帰つて張作霖を叱りつけ、自由行動を採つて見せる……』
 と頑張り、サツサと停車場を指して出て行つた。佐々木が驚いて停車場へ駆けつけ、危機一発発車間隙に漸く岡崎を和め、連れて帰つて来たで一同は漸く安心した。
『乾坤一擲大事業を策し乍ら、今から内輪揉めが出来ては到底駄目だ。満州浪人は大和魂が欠けてゐる。あゝ自転倒島では思慮浅きも為に過られて身置所なき破目に陥り、今又蒙古野に来て日本人為に過られ、千仭功を一簣に欠くやうな形勢になつて来たも、小人物小胆と高慢心と自己本位衝突からである。少し位残念口惜しさが隠忍出来得ない様な事で、何うして此大事業が成功するか。真澄別もあまり泰然自若すぎはせぬか。此際両方調停を計らねばなるまい……』
 と日出雄は吾知らず呟いた。真澄別仲裁によつて同志間は、もと平和に帰し、岡崎も再び駒首を立直し、奉天帰りを思ひ切り蒙古奥地へ侵入する事をやつと承諾したである。

 待ち佗びし吉き日は今や来りけりいざ起ち行かむ蒙古奥へ

 日出雄が洮南在留中沢山詩歌を詠んだ。そ数首を左に

 十二日過ぎてゆ陽気一変し春立ち初めし心地しにけり
 洮南は安全地帯と思ひきや馬賊横行いとも烈しき
 総司令一日も早く来れかし汝を待つ間我ぞ淋しき
 十四夜月照る下蒙古野に円を描いて小便をひる
 国人に一目見せばや蒙古地を照らす御空月影
 山も海も見えねど蒙古大野原行く身は独り魂躍る
 天か地か海かとばかり疑はる蒙古広野にひとり月澄む
 月見れば心空も晴れ渡り天国にある心地こそすれ
 スバル星西に傾き初めてより早や地上に霜は降りける
 ドンヨリと曇りし空に日は鈍し小鳥声も頓に静まる
 支那蒙古日本人も我為に心砕きて守る嬉しさ

 三月廿五日早朝、支那旅宿義和粮棧から老印君、日出雄、岡崎、守高、王通訳は三台轎車に分乗し洮南北門より馳走し、洮児河橋を渡つて北へ北へと進み行く。寒風烈しく吹き来り轎車は顛覆しさうな危険を感じて来た。副官温長興は数名兵士と共に騎馬にて前後を守り行く。途中守高乗つてゐる轎車が路傍中へ顛覆し、守高、王通訳は溝中へ投げ落され、馬夫と共に轎車を道路へ引き上げてゐる。其日午前十一時に六十支里を経た三十戸村に着き、此処にて昼飯を為す事とした。ここには支那警察もあり、兵営も建つてゐる。旅宿柱には『莫談国政』と云ふ赤紙が貼りつけてある。之も専制政治遺物だらう……。此処まで来る途上、轎車中で日出雄はセスセーナ(放尿)を煙草空罐になし、車外に捨てようとして、岡崎支那服上に零した。あまり寒気が酷しいで、忽ち膝上で凍つて了つた。岡崎は小便氷を手に掴んでゲラゲラ笑ひ乍ら道路に投げ捨てた。旅宿に着いて雲天井大便所へ行くと、毛荒い汚い豚子が半ダース許りも集まつて来て肥取人足役をつとめ、遂には尻まで嘗めあげる。そ可笑しさに日出雄はゲラゲラ吹き出してゐる。午後十二時四十分再び乗車、何十間とも知れぬ広い幅大道を愉快さうに進んで行くと、茫漠たる大荒原前方に当つて黒ずんだ一山が見えた。之は北清山と云ふ、さうして此辺には半坪か一坪許り神仏館が、彼方此方に建つてゐる。之は蒙古人が信仰表徴となつてゐるだと云ふ。
 同日午後五時、七十戸村催家店と云ふ牛馬宿に足を停めた。洮南からは百二十支里を離れてゐる。沢山支那人合客が泊つてゐて喋々喃々として賭博をやつて居る。翌三月二十六日朝五時出発予定であつたが、二十支里ほど前方に当つて官兵と馬賊と戦ひがあり、連長が戦死した場所であるから、朝早く出立するは極めて危険だと宿主人注意に依つて、八時に此処を出発する事とした。
 正午前八十支里を馳駆して王爺廟張文海宅に着いた。王爺廟喇嘛僧は三百人許り居る。珍らしき日本喇嘛僧来れりとて三百喇嘛が、一人も残らず日出雄に挨拶に出て来る。そして里人や子供が珍らしげに集まつて来た。日出雄は携帯して来た飴を一粒づつ与へた。喇嘛も里人も地上に跪いて之を受けた。大喇嘛は部下に命じ洮児河鯉を漁らせ、七八寸から一尺五六寸位を八尾許り持つて来て日出雄に進呈した。是れが本年に入つて初めて漁獲だと云ふ事である。
 午後二時日出雄が王爺廟を出発せむと轎車に乗つてゐると、大喇嘛が牛乳煎餅十枚許り持つて来て日出雄に贈つた。釈迦が出立時、若い女に牛乳を貰つて飲んだ事を思ひ出し、日出雄は蒙古奥地へ来て直ぐに喇嘛から牛乳煎餅を貰つた事を非常に奇縁として喜んだ。此時日出雄掌から釘聖痕が現はれ、盛んに出血し淋漓として腕に滴つた。然し日出雄は少し痛痒も感じなかつた。
 洮児河氷は処々解け初め、其上を轎車が通過する危険さは実に名状すべからざるもがあつたが、何故障もなく天佑下に無事通過し、王爺廟兵士や張桂林馬隊に送られ且つ張文海部下に騎馬にて公爺府まで見送られた。王爺廟以東は赤旗を戸々に立て、以西は白旗を戸々に立ててゐる。公爺府は已に白旗区域である。ここは鎮国公、巴彦那木爾と云ふ王様が二百名兵士を抱へて守つてゐる所である。日出雄一行が公爺府近く迄行くと、公爺府兵士が二十人許り捧げ銃礼をして慇懃に迎へてゐた。日出雄一行は公爺府傍なる老印君館に午後六時頃無事に着いた。
(大正一四、八、筆録)
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