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文献名1三鏡
文献名2月鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3熊山にお伴してよみ(新仮名遣い)
著者加藤明子
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-06-30 11:01:37
神の国掲載号1930(昭和5)年06月号 八幡書店版135頁 愛善世界社版 著作集 第五版221頁 第三版221頁 全集593頁 初版187頁
OBC kg412
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本文    加藤明子
 「私もいづれ行く」とのお言葉が事実となつて、昭和五年五月十七日の午後、私は聖師様随員北村隆光氏より左の招電を受け取りました。
 セイシサマ一九ヒゴ五ジヲカヤマニオタチヨリスグコイ、
 発信局は福岡、さては愈々問題の熊山御登山と気も勇み立ち、いそいそ岡山へと志す。
 十九日は払暁より空いと曇りて天日を見ず、お着きの五時細雨頻に臻つて暗い天候であつた。着岡された聖師様はステーシヨンにて新聞記者の問に答へて
 「晴天であつたら登山するし、天候が今日の如く悪ければ止めて亀岡へ直行する積りです」
と申されてゐた。そして又小さな声で「熊山登山はまだ一年ばかり早い」と呟いて居られたので、側聞して此度は或は駄目になるかも知れないと、晴れぬ思ひで一夜を過した。追々集まる人々の中には遠く東京より態々馳せ参じた人もあつた。
 県下の新聞は申す迄もなく、大朝大毎二大新聞が前々より可成書き立て、又新調の駕篭、揃ひの法被がこれも可なり長い間待ち詫びてゐるので、どうか晴天にし度いものと願つた。
 「駄目でせうか」
 「この有様ではね」
浮かぬ顔をして皆がかう語り合つてゐる。
 雨は益々降りしきる。抑々此度九州へ御旅立のみぎり、帰途は必ず熊山へ登るのだと申されてゐたのを、急に変更され「かかる重大なる神事を他の帰りがけの序に遂行するのはよくない事である。帰つて出直してゆく」と申し出されたのであつた、だが──私は心ひそかにこの度の御登山を神剣御発動の神事、……
 バイブルの所謂「大なるミカエル立ち上れり」に相当する重大事と考へて居たので、九州お出ましは当然なくてはならぬ、天津祝詞中の「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御穢祓ひ給ふ」といふ祓戸行事にかなはせんが為めであつて、きつと御登山になるに違ひないと独り決めにして居た。北村随行に会つて聞いて見ると「岡山お立寄りの事は全然予定されて居なかつた、福岡で突如として命が下つたので驚いた」との事、しかし神界では既定のプログラであつたに相違あるまい。
 岡山に着いて見ると、熊本県小国支部の高野円太氏が、ヒヨツクリ顔を出し「聖師様がついて来なはれ」と仰有つたので随行して来ましたといふ。これも恐らく祓戸の神様を御同行になつた型であらう、背の高い高野さんの後からついて行くと、何だか大幣が歩いて居るやうな気がしてをかしかつた。北村氏の話によれば、二十日間の御旅行中、短冊一枚も書かれなかつた、未曽有の事であると。さもありなん、祓戸行事の真最中であつたから従つて今日の雨も土地に対する御禊に相違ないと高をくくつて寝につく。
 明くれば二十日。午前三時より四時に亘つて篠つくばかりの大雨、五時頃より雨は上りたれ共、暗雲低迷して晴間も見えない。御出発は八時十五分といふに……と皆が顔を見合せて、心もとなさを交換して居るのみである。然るに御起床の頃より一天俄に晴れ初めて、またたくうちに全くの好天気になつて仕舞つた。一同勇み立つてお伴する。
 九時三十分満富駅着、片尾邸に御少憩の後十時半と言ふに出発、五十町の道を突破して先頭は早くも十一時半頂上に着き、社務所に少憩、一同待ち合して零時半愈々祭典の式が初まる。
 嗚呼この光景、またとない偉大なる神事が今将に行はれんとして居るのである。古今東西、世界の人類が抑々何十万年待ち焦れた事の実現であらう。私は身体中を耳にして聖師様の御あげなさる御祭文を拝聴せうとあせつた。
 「これの戒壇に永久に鎮まり給ふ掛けまくも綾に畏き主の大御神の珍の大前に謹み敬ひ畏み畏みも申さく」と、玲瓏玉を転ばす如き御声が聞えて来た。私は心臓の血が音を立てて高鳴るのを明かに意識した。些し声をおとされて何か又奏上されたやうであつたが聞き取れなかつた。
 悲しい哉霊覚のない私には、この時に如何に荘厳なる光景が眼前に展開したのか、少しも知る由がない。唯私の想像力は、そこに神代の儘の御英姿をもつて、素盞嗚の大神様が矗乎と立ち上られ剣を按じて微笑したまふ光景を造り上げて仕舞つたのである。
 やがて大本祝詞を奏上せらるるに相和して、九天にも通ぜよとばかり奏する祝詞の声は天地を震撼していと勇ましく響き渡つた。
 五月の空隈なく晴れて蒸せかへるやうな青葉若葉の匂ひ、伽陵頻迦の声頻りに聞えて此の世ながらの天国のさま。ボツと上気して汗ばみたまふ師の御前に手拭を捧げて「お目出度う御座います」と申上げると「ええ」と答へて頻りに汗をぬぐうて居られる。卯月八日のお釈迦様といふお姿。
 お供への小餅を一々別けて下さつて式は終つた。午後一時行廚を食し、熊山神社に参拝、亀石、新池などを見られ終つて熊山神社及四五の戒壇を巡拝され、四時半再び片尾邸に入られ少憩の後、別院の敷地たるべき向山を検分され、七時二十四分発にて岡山に引き返し一泊せられた。
 道々承はつた事どもを左に……
 あの戒壇といふのは日本五戒壇の一つと言ふのであるが、約千年位を経過して居るであらう、尊い聖跡の上に建てたものである。経の森と今一つの崩れたる大戒壇とは共に其下に素尊の御髪等を埋めてあるのである。櫛稲田姫の陵も同じく三つに別れて居て、小さな戒壇と言ふのがそれである。戒壇の斯くの如く崩壊して居ると言ふのは、仏法の戒律が無惨に破れて仕舞つて居る事を象徴してゐる。熊山は実に霊地である。名が高熊山に似通つて居るし、此山はここら辺りの群山を圧して高いから其意味に於ける高熊山である。全山三つ葉躑躅が生茂つて居るのも面白い。四国の屋島、五剣山なども指呼の間にあり、伯耆の大山も見えると言ふではないか、此処は将来修行場にするとよいと思ふ。私は駕篭であつたから楽な筈であるが、急坂を舁つぎ上げられたのだから可なりえらかつた。諸子は徒歩だから一層えらかつたであらう、今日、駕篭をかいで呉れた人達が着て居たあの法被、あれがよい、ああいふ姿で登山して戒壇を巡拝して歩くと可なりの行が出来る、崩れた戒壇は積み直さねばなるまい、亀石は別に大したものでも無い、新池には白竜が住んでゐて、赤と青との綺麗な玉をもつて居る、青の方は翡翠の如く、赤の方は紅玉のやうな色をしてゐる。
 弘法大師が熊山に霊場を置かうとしたのをやめて高野山にしたといふが、それは其地形が蓮華台をして居ないからである。向山の方は蓮華台をして其地が綾部によく似よつてゐる云々
 まだ他にも承はつた事がありますけれど、それは実際が物語つて呉れると存じます。
 兎も角も、遂に昭和五年五月二十日、旧歴四月二十二日といふ日をもつて、神素盞嗚尊の永久に鎮まり給ひし御陵の前に立たれたのである。復活! 神剣の発動 !かういふ叫声が胸底から湧出して来る。日本も世界も大本もいよいよ多事となつて来さうな気がしてならぬ。近頃のお歌日記の中から

 そろそろと世の大峠見え初めて
  立ち騒ぐなりしこのたぶれが

と言ふのを見出して私の想像も満更根底がないものでもないと思ふやうになりました。
 学術上この戒壇は日本五戒壇の一と称せられ、大和の唐招提寺、比叡山、下野の薬師寺、九州の観音寺と共に天下に有名なものださうで、ただ其大きさに於て他の四つに比して比較にならぬ程大きなもので、戒壇としても普通のものでなく、大乗戒壇であらうと考へらるるのであるが、沼田頼輔氏や上田三平博士等も何とも見当がつかなかつたといふ事である。
 莫遮、此度の御登山によつて総てが判明したのは結構な事でありました。向山は本宮山といふよりも寧ろ神島にそつくりの形をしてゐて、吉野川が其麓を流れて居る有様は確に本宮山に似て居ます。「今迄に大した因縁の地ではないが、汚されて居ないからよい」との事でした。そしてまた「神様の御気勘に叶つたと見えて、今日の登山を無事に了する事が出来た、もしさうでなかつたらこの好天気にはならなかつたであらう」とつけ加へられました。このお言葉から推して御神業は一年あまり進展したと考へてさしつかへあるまいと思ひます。此秋頃よりはエンヤラ巻いたの掛け声が熊山にも向山にも盛に起る事でせうし、又私達も大急行で身魂研きにかからねばならないやうな気が致します。
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