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文献名1霊界物語 第49巻 真善美愛 子の巻
文献名2第1篇 神示の社殿よみ(新仮名遣い)しんじのしゃでん
文献名3第3章 地鎮祭〔1277〕よみ(新仮名遣い)じちんさい
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2023-06-07 14:51:48
あらすじ今を去ること三十五万年の昔、波斯の国ウブスナ山脈の山頂に、神素盞嗚大神は神臨し玉ひて、地上の天国を建設し、三五教を開いて数多の宣伝使を養成した。地上の人間に愛善の徳と信真の光を与え、地上天国を建設し、ミロクの世を開こうと御身を地上に降して肉体的活動を続け玉ふた。このとき、印度の国ハルナの都に八岐大蛇の悪霊に心魂を占領されたバラモン教の神司大黒主は、数多の宣伝使を従えて右手に剣を持ち左手にコーランを携えて、武力をもって無理に大自在天の教えに帰順させつつあった。バラモン教の教義は生を軽んじ死を重んじ、肉体を苦しめて損ない破り出血させて修業の蘊奥となす暗迷非道の邪教である。神素盞嗚尊はコーカス山、トルコのエルサレ、自転倒島の綾の聖地や天教山など各地の霊山に霊国を開き、宣伝使を下して救済の任に当たらしめた。玉国別は大神の命を奉じてハルナの都へ大黒主を言向け和しに行く征途、河鹿峠のけわしい坂道で暴風に吹かれて懐谷に難を避けたところ、山猿の群れに襲われて目に傷を負った(第43巻参照)。祠の森で治国別宣伝使一行と出くわして、目が平癒するまで特別の使命によってここに大神の御舎を建設することになった(第44巻参照)。玉国別の総監督の元、五十子姫、今子姫、道公、純公、伊太公、イル、イク、サール、ヨル、テルハルおよび晴公、珍彦、静子、楓などの人々は木を伐り土をひきならし、神殿建築の準備を着手し始めた。このとき、浮木の森に駐屯していたランチ将軍が三五教に帰順して陣営を解散し、そのためこの地域に平和が戻ったため、国人たちは三五教の神の神恩に感じて祠の森の神殿建設に献金したり労働を申し出る者が四方から集り、さびしかった谷合は建造の音、人々の歌や喜びの声に充たされた。道公は土木監督となり、石搗き歌にこれまでの経緯と、三五教の神の恩を歌いこんだ。バラモン軍からやってきた者たちも、骨身を惜しまず石搗きに活動した。三日三夜を経て基礎工事はまったく完成した。一同は石搗きの祝と神恩への感謝として祝宴を開いた。
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年01月16日(旧11月30日) 口述場所 筆録者北村隆光 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年11月5日 愛善世界社版31頁 八幡書店版第9輯 43頁 修補版 校定版33頁 普及版17頁 初版 ページ備考
OBC rm4903
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本文  今を去る事三十五万年の昔、波斯の国ウブスナ山脈の頂上に地上の天国を建設し、神素盞嗚大神はここに神臨し玉ひて、三五教を開かせ玉ひ、数多の宣伝使を養成して地上の国土に群棲する数多の人間に愛善の徳と信真の光を与へ、地上に天国を建設し玉はむとし、八岐大蛇や醜狐、邪鬼の身魂を清め天地の間には一点の虚偽もなく、罪悪もなきミロクの世を開かむと尊き御身を地上に降し、肉体的活動を続け玉ひしこそ、実に尊さの限りである。此時印度の国ハルナの都に八岐大蛇の悪霊に其身魂を占領されたるバラモン教の神司大黒主は数多の宣伝使を従へ、右手に剣を持ち左手にコーランを携へて、大自在天大国彦命の教を普く天下に宣伝し無理無体に剣を以て其道に帰順せしめむとなしつつあつた。さうしてバラモン教の信条は生を軽んじ、死を重んじ、現肉体を苦しめ損ひ破り出血なさしめて之を修行の蘊奥となす所の暗迷非道の邪教である。数多の人間は此教に苦しめられ、阿鼻叫喚の声、山野に満ち其惨状聞くに堪へざれば、至仁至愛の大神は其神格の一部を地上に降し神素盞嗚尊と現はれて中有界や地獄界に迷へる精霊及び人間を救ふべく、此処に地上の霊国、天国を築かせ玉ふたのである。之に加ふるにコーカス山を始め土耳古のエルサレ、及び自転倒島の綾の聖地や天教山や其外各地の霊山に霊国を開き、宣伝使を降して之が任に当らしめ給うた。玉国別は大神の命を奉じ宣伝使として道公、伊太公、純公の三人の従者を従へ、ウブスナ山の聖場を後にして河鹿峠の峻坂を越え、懐谷に暴風を防ぐ折しも山猿の群に襲はれて目を傷つけ漸く祠の森に辿り着き、ここに治国別の宣伝使一行と出会し、眼病の平癒するまで特別の使命によつて大神の御舎を建設する事となつた。祠の森には杉、桧、松其他立派の用材が惟神的に立並んでゐた。此河鹿峠は常に風烈しく、且つ山一面の岩石にて大木は育たず、僅に二三尺ばかりの痩せこけた古木が岩石の間を点綴するに過ぎない。然るに此河鹿山の一部なる祠の森は谷と谷との懐に当り、あまり烈風の害もなく地味亦比較的肥たれば、斯くも樹木の繁茂して相当に広き森林をなしてゐたのである。
 国照姫の神勅により、愈大神の神殿を建設する事となり、玉国別総監督の許に五十子姫、今子姫、道公、純公、伊太公及びバラモンの軍人なりしイル、イク、サール、ヨル、テル、ハル及び晴公、珍彦、静子、楓等昼夜の別なく忌鋤忌斧を以て木を伐り倒し、土ひき均し、地盤を固めて愈神殿建築の準備に着手する事となつた。此時浮木の森の陣営にありしランチ将軍、片彦将軍以下は何れも三五教に帰順し、数多の軍卒は四方八方に散乱し此辺りは漸く平和に帰したれば、其国人は是全く三五の神の恵みと打喜び其神恩に報ずるためとて祠の森の神殿建設に対し金額を献じ、或は献労をなすもの四方より集まり来り、実に淋しき此谷間は鍬の音、忌鋤、忌斧の音、並びに石搗歌や人の歓び声にて充され、猪、猿等の獣は遠く逃げ去りて影をも留めなくなつた。
 道公は土木の主任者となり工事監督の任に当つた。然し玉国別が総監督たる事は前述の通りである。石搗の歌は盛に木精に響き来る。その歌、
『高天原に現れませる  皇大神の御言もて
 神素盞嗚の大神は  ウブスナ山の聖場に
 斎苑の館を建て玉ひ  普く世人を救はむと
 珍の教を遠近に  開かせ玉ふぞ有難き
 玉国別の宣伝使  神の御言を蒙りて
 寒けき冬の初空を  沐雨櫛風厭ひなく
 河鹿峠に来て見れば  聞きしにまさる荒い風
 一歩さへも進み得ず  懐谷に身を寄せて
 風の過ぐるを待つ間に  思ひもかけぬ山猿に
 右の眼を破られて  苦しみ玉ふ悲しさよ
 尊き神の御使が  斯かる艱みに会ひますは
 全く神の戒めか  但は何かのお仕組か
 互に顔を見合せて  神の心を量りかね
 中有に迷ふ折もあれ  治国別の宣伝使
 現はれまして宣らすやう  玉国別の宣伝使
 貴方は神のお仕組で  艱みに遭はせ玉ひなむ
 心を安けく平らけく  思召されと宣りつつも
 慰め玉ふ時もあれ  五十子の姫や今子姫
 遥々ここに来りまし  国照姫の神懸
 伝へ玉ひし言の葉は  祠の森に皇神の
 瑞の御舎仕へまし  高天原に宮柱
 太しく建てて世の人を  普く救ひ曲神の
 進路を防ぎまつれよと  其神言を畏みて
 上津岩根に搗固め  下津岩根に搗こらし
 石切り開き土均し  信徒どもが寄り合ひて
 暑さ寒さも打忘れ  身もたなしらに仕へ行く
 此有様は天国の  天人どもも歓ぎつつ
 業を喜ぶ如くなり  神世の元に還りなば
 天は高しと云ふけれど  天は極めて近くなる
 天地和合のミロクの世  神人共に楽しみて
 常世の春を迎へなむ  早く身魂を研けよと
 宣らせ玉ひし三五の  厳の霊の御神勅
 今目のあたりに現はれて  実にも尊き限りなり
 アヽ諸人よ諸人よ  此世に人と生れ来て
 尊き神の神業に  汗をたらして仕ふるは
 これに過ぎたる功徳なし  生きては地上の神となり
 死しては清き天界の  珍の団体に加はりて
 至喜と至楽の生涯を  楽しむ身魂となりぬべし
 思へば思へば有難や  此地の上に住むものは
 数限りなくあるとても  神の形に作られて
 神に代りて神業を  勤むる人と生れたる
 吾等は実にも万物の  霊長なりと喜びて
 誠の神をよく愛し  善の徳をば蓄積し
 皇大神の神格を  充して下りましませる
 神素盞嗚大神を  救ひの神と慕ひつつ
 誠一つを尽すべし  打てよ打て打てよく打てよ
 下津岩根の底までも  竜宮の釜の割れる迄
 地獄の橋の落ちるまで  喜び勇む鬨の声
 高天原の天国の  各団体によく響き
 百の天人喜びて  此石搗を完全に
 仕へまつらむ其為めに  処狭きまで降りまし
 天地神人和合して  此神業に仕へつつ
 神の心に叶はなむ  あゝ惟神々々
 御魂幸ひましませよ』
と音頭をとり、ドンドンと広き敷地を四方より搗き始めたり。
『河鹿山から祠の森を見れば  ヨイトシヨ ヨイトシヨ
 皇大神の御舎を  ドツコイシヨ ドツコイシヨ
 ヨイトサ ヨイトサ  誠の人が集まつて
 汗を流して御用する  ヨイトセ ヨイトセ
 ハーア、ヨーイトセー  ヨーイヤナー
 大黒主の神さまは  ヨイトセ ヨイトセ
 印度の都に坐しまして  バラモン教の大棟梁
 ヨイトサ、ヨイトセ  ヨイトサ、ヨイトシヨ
 鬼雲姫の奥さまを  愛憎もなしに追ひ出して
 ドツコイシヨ ドツコイシヨ  天女の様な石生能姫
 其外数多のナイスをば  ヨイトシヨ、ヨイトセ
 朝から晩まで侍らせて  飲めよ歌へと散財し
 ウントコシヨ、ドツコイシヨ  人の難儀は、うわの空
 七千余国の月の国  ヨイトセ ヨイトセ
 阿鼻叫喚の声に充ち  修羅の巷となつて来た
 ヨイトセ ヨイトセ  此様な事が十年も
 続いたならば世の中は  ヤツトコセー ヤツトコセー
 サツパリ暗になるだらう  如何したらよからうかと思ふたら
 ア、ウントコシヨ、ドツコイシヨ  天道さまは吾々を
 決して見捨て玉はない  ドツコイシヨ ドツコイシヨ
 イソの館に天国の  姿を写して神柱
 ウントコシヨ、ドツコイシヨ  救ひの神と現れませる
 神素盞嗚の大神の  ヤツトコセ、ドツコイセ
 仁慈無限の神心に  遣はし玉ふ宣伝使
 ヨイトサ、ヨイトサ  天地に塞がる村雲も
 之にてサツパリ晴れるだろ  ドツコイシヨ ドツコイシヨ
 バラモン教に仕へたる  吾等は神の恵みにて
 ドツコイシヨ ドツコイシヨ  三五教に助けられ
 祠の森の御普請に  ヤツトコセー ヤツトコセー
 使うて頂く嬉しさよ  使うて貰ふた楽しさよ
 ア、ドツコイシヨ ドツコイシヨ  ヨイトセー ヨイトセー
 ヨイヤサー ヨイヤサー  打てよ打て打てドンドン打てよ
 地獄の釜の割れるまで  竜宮の城が揺ぐまで
 ドツコイシヨ ドツコイシヨ  ヨイトセー ヨイトセー』
と一生懸命にバラモン派の連中が躍起となつて骨身を惜しまず石搗に活動した。漸くにして三日三夜を経て基礎工事は全く完結を告げた。
 之より一同は石搗の祝として、四方の人々より神恩の感謝を兼ね、祝として奉りたる酒やパン其外珍しき果物を処狭き迄敷き並べ祝宴を開き神恩を感謝したりける。
(大正一二・一・一六 旧一一・一一・三〇 北村隆光録)
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