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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第4篇 神軍躍動よみ(新仮名遣い)しんぐんやくどう
文献名3第22章 木局収ケ原よみ(新仮名遣い)むちずがはら
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/1/21出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2024-01-21 07:43:36
あらすじ日出雄は軍の編成が終わった後、野山に兎狩りを催し、野生のにらやにんにくを採集しなど、愉快に索倫の日を送っていた。すべての制度がせせこましかった国から、十六倍の面積を有するという蒙古へ来て、たくさんの兵士や畜類を相手に自由自在に勝手なことをして飛び回るのは、生まれて五十四年来なかった愉快さ、のんきさだった。五月一日、盧占魁がやってきて、大庫倫に進むには、興安嶺付近に駐屯する赤軍と一戦交えなければならず、熱、察、綏三区域にある吾が参加軍が到達するには、遠すぎる。そこで、本年はこの区域で冬ごもりをし、完全な兵備を整えてから、来週を待って大庫倫入りをなすようにする考えである、と諮ってきた。また、張作霖からは、兵備が整わないうちは軍資金、武器を送ることができないので、我慢してくれ、という意味の伝言が来た。この地はいく抱えもあるような楊、柳、楡の大木が山野に繁茂し、トール河の清流はソーダを含んでゆるやかに流れ、天然の恩恵は無限に遺棄されている宝庫である。盧占魁によれば、ジンギスカンが蒙古の原野に兵を上げてから六百六十六年となり、頭字の三つそろったのを見れば、いよいよ本年は三六の年だと言って、勇んでいた。一日、野にて萩原や坂本が原野に放った火が、大風に吹かれてあっという間に身辺に広がってきた。日出雄は日本武尊が焼津で、神剣で草を払って賊軍の火計を追い返したという故事を思い出し、身辺の草を薙ぐと向かい火をつけて、天の数歌を奏上した。不思議にもにわかに風向きが変わり、危うく難を逃れたのである。
主な人物【セ】盧占魁、蒙秘書長【場】-【名】源日出雄、馮巨臣、岡崎鉄首、萩原敏明、猪野敏夫、名田彦、温長興、王讃璋、王盛明、守高、真澄別、坂本広一、李連長、成吉思汗、日本武尊 舞台 口述日1925(大正14)年08月 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版201頁 八幡書店版第14輯 621頁 修補版 校定版203頁 普及版 初版 ページ備考
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本文 王仁(日出雄)、松村(真澄別)、矢野(唐国別)、植芝(守高)、名田音吉(名田彦)、佐々木(榊)、大石(大倉)

 日出雄は軍の編成後、護衛長馮巨臣以下十数名の兵卒を伴ひ、北方の野山に兎狩を催し、或時は野生の韮や蒜を採集し、枯草の芒々たる原野に向つてテンリチエブナをなし、愉快に索倫の日を送つて居た。岡崎鉄首、萩原敏明、猪野敏夫の三名は数十人の兵士に送られ馬に跨りて途中馬賊や官兵の囲を衝いて無事日出雄の許に着いた。名田彦は日出雄及盧の命に依つて数名の衛兵を従へ軍使として奉天の水也商会へ引き返した。
 蒙古の家屋は前述の通り極めて不潔で、南京虫の横行甚だしく、加之に幾十日も湯を使はない為めに衣服には虱発生し、一行は日々南京虫と虱退治に日を費し、南京虫の予防の為めにとて、いやな香のする蒜を顔をしかめて食事毎に喰つて居た。日出雄も蒜を喰ひ慣れて遂には、葱や野菜の生を平気で嗜食するやうになつた。温長興は日出雄一行の炊事長となり、王瓚璋は馬夫長となり、王盛明は随従長、守高は近侍長、名田彦は近侍となつて日出雄の身辺の凡ての用務に仕へ、真澄別は一切の代理権を行使する事となつた。又萩原敏明は写真係、坂本広一は近侍、外に李連長以下二十名の兵士が直接保護の任に当つて居た。総ての制度がせせこましかつた国から十六倍の面積を有すると云ふ蒙古へ出て来て、沢山の兵士や畜類を相手に自由自在に勝手な事をして飛び廻るのは、生れて以来五十四年間未だ嘗て経験した事のない愉快さ呑気さだ。大丈夫たるもの現世に生れて狭い国で強い圧迫を受けて居るよりも、勝手気儘に知らぬ外国の空で、外国人と面白く遊ぶのは実に壮快だと日出雄は喜んでゐた。
 索倫山の本営には馬隊の頭目が日々二百人三百人と部下を率ゐて、喇叭の声も勇ましく参加し軍気大いに振つた。盧総司令は五月一日日出雄の館に出で来り、
『大庫倫に進出せむとすれば、此処より二百支里を隔てたる興安嶺の或地点に赤軍七千人駐屯し、警戒なかなか厳重なる事が斥候に依つて判明致しました。それ故、貴下の命に従つて、此儘大庫倫へ直進するは、兵を損じ弾薬を消費するばかりで、且つ熱、察、綏三区域の我が数万の参加軍の到達するは、道遠くして容易でない。それ故、貴下の意に背くかは知りませぬが、軍事の経験上、熱、察、綏の特別区域に進出し、本年は此区域に於て冬籠りをなし、完全な兵備を整へ諸王を招撫し、来春を待つて大庫倫に進み赤軍と交渉を開始し、若し和議成らざれば止むを得ず開戦の挙に出づるを可とすべく、大庫倫には約一万の赤兵駐屯し、戒厳令を布き居れば、小数の軍隊にては容易に目的を達すべからず、来春にならば些なくとも十万の兵が麾下に集まるは確なる事実でありますから、其上にて大庫倫入を為し、茲に根拠を定め、勢に乗じて新彊を合せ、西比利亜の赤軍を帰順させ、飽迄も人類愛の為め、貴下の為め、一身を捧げ、此上如何になり行くとも神の思召と信じ蒙古男子の初志を貫徹さす考へです。此目的を達した暁は支那四百余州は言ふに及ばず、東三省も必ず貴下の命に服するでせう』
と誠意を面に現はして軍の行動につき命令を乞うた。
 日出雄は遠く故国を去つて不知案内の奥蒙の地、しかも言語不通の支蒙人を相手に開闢以来の大神業に従事する──彼の得意は果して如何であつただらう。各地の王や馬隊の頭目、活仏などよりは見舞として、豚や野羊、炒米などを日出雄及び盧総司令に送つて来る。日出雄は盧と共に日々感謝の生活を送つて居た。万有愛護の教を立てて居る日出雄も、かかる国へ来ては否でも応でも豚や羊、鶏肉などを喰はねばならなかつた。真澄別はヌール、チヤカンナ、マチナ(顔面の吹腫物)に苦み、守高は出国以来の風邪未だ癒えず、坂本も亦風邪の気味にて全身痛み、日出雄は南京虫に攻められて居た。一日、蒙秘書長来り、支那語を以て左の如く談じた。
『昨天到来、二百槍馬完全今日送給肥猪両口肥羊二隻、不出五日又来隊伍六百槍馬完全的。司令近非常歓喜所愁的款項無有的又苦於告貸将来隊伍均到来的無款的怎麼必実在投法子。
閣下不愁不遇現状況難一点的事作到張作霖必能付給款項俟将隊伍招斉款就不困難了』
 要するにその主旨は兵備が整つた上は張作霖より相当の軍資金及び武器を送つて来るが、それ迄は仕方が無い、暫く辛抱してくれと云ふ意味である。さうして今日も武器を携帯して参加兵が二百名豚や羊を送つて来た。又五日の後には六百の馬隊が此処に到着するとも云うた。
 広大無辺の肥えた原野を雑草の生ふるに任せ乍ら、而も他国人の入り来るを嫌ひ、怖れて外国人と見れば直に銃を以て打ち殺すと云ふ、蒙古人ともつかず支那人ともつかぬ又露西亜人でも無いチヨロマン人種が、十年以前迄此地に割拠して居たが、今は数百支里の北方の森林に退却して居る。兎や雉などは此方面は特に多く、幾抱えもあるやうな楊、柳、楡の大木は山野に繁茂し、洮児川の曹達を含んだ清流はゆるやかに流れ、天然の恩恵は無限に遺棄されて居る稀有の宝庫である。日出雄は日本の当局や政治家が、何故此地に目をつけないのであらうかと怪しんだ。オンクス、アルテチ、ウンヌルテー(放屁臭)など云つて蒙古人を相手に日出雄が戯れて居ると、盧占魁は御機嫌伺ひだと云つて、洮南から送つて来た珍らしい菓子や果物などを持つて来た。さうして盧の話に依れば、成吉思汗が蒙古の原野に兵を挙げてから六百六十六年となり、頭字の三つ揃うたのを見れば、愈々本年は三六の年だと言つて勇んで居た。

 春の野にコルギーホアラ(野生福寿草)あちこちとボルンガチチク(紫色の花)咲き出でにけり

 五月の上旬でありながら、蒙古の奥地では野生の福寿草が白や紫に咲き誇つて、殆んど花莚を敷き詰めた如く美しい。日出雄は此花莚の中に馬を縦横無尽に鞭ちながら、数多の支蒙兵を指揮して野遊を試みた。ケンケンと雉子の声が彼方此方の枯草の中から聞えて来る、其所へ三匹の山兎が飛び出した。蒙古兵は直ちにモーゼル銃を擬し、ポンポンポンと三発続け打ちに三匹の兎を頭許り撃つて捕獲した。総て蒙古人は楊の枝で弓を拵へ、細いので矢を造り、矢の先に石を縛付けて荒き麻の縄を弦となし、空立つ鳥を撃つに滅多に外れた事がない。支那や露西亜で廃物になつたやうな銃器でも、蒙古人が使ふと一々命中するのは実に不思議な程である。殆んど神様ではないかと思ふ程、天性的射術の技能が備はつてゐる。一日、日出雄が喇嘛服を着けた儘司令部の遥か前方で、パサパーナ(吐糞)をやつて居るとシーゴーと云ふ蒙古名物の猛犬がパサを食はむとして七八頭も集つて来た。このシーゴーは蒙古犬と狼との混血児で、非常に強く如何なる猛獣と雖も噛み殺すと云ふ牧畜国の蒙古にあつては天与の貴獣である。日出雄がポホラを捲つてウンウンと気張つてゐると、シーゴーがやつて来た。草原の穴の中に住んでゐた大眼子(チヨロマ)がパサの臭を嗅いで穴から首をつき出した所、嗅覚の鋭いシーゴーが直様四方八方から其穴を前足で掘り、見る見るチヨロマを捕獲して了つた。其の敏捷こい事は実に驚歎に価する。
 スルト折柄蒙古名物の大風が吹いて来た。萩原や坂本が馬に遠乗して原野に火を放つたので、火は風に煽られ一瀉千里の勢で黒煙濛々と日出雄の身辺迄迫つて来た。茫々たる枯草の中到底逃れる事は出来ぬ。シーゴーは盛んに吠え立てる。日出雄は昔日本武尊が東夷征伐の時駿河の焼津で賊軍の計略にかかり火に包まれ、燧を取り出して向へ火をつけ、且叢雲の神剣にて草を薙ぎ払ひ大勝利を得られた故事を思ひ出し、直に佩刀を抜き放ち身辺の草を薙ぎ懐中よりマツチを取出して向ひ火をつけ、さうして天の数歌を奏上した。不思議にも風は俄かに南方に変じ、日出雄も兵士も焼死の難を免かれた。蒙古の野に火を放つて遊ぶのは実に剣呑である。
(大正一四、八、筆録)
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