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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第4篇 神軍躍動よみ(新仮名遣い)しんぐんやくどう
文献名3第30章 岩窟の奇兆よみ(新仮名遣い)がんくつのきちょう
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/2/11出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ宣伝師(宣伝使) データ凡例 データ最終更新日2024-02-11 13:41:26
あらすじ岩山を乗り切って高原地帯に出たが、牧草はあっても一滴の水溜りも見つからない。携帯の食料は次第に残り少なくなってきた。そのうち日出雄は神がかりとなり、山の岩窟の中に瞑目静座してしまった。一向は盧占魁の動きが怪しいこともあり、しばらくこの地に宿営することに決めた。後から殿の張彦三の部隊がやってきて、盧占魁に代わって日出雄一行を保護しようと申し出、一緒に腰をすえてしまった。しばらくして盧占魁は約五十四里前方に屯営しており、部隊の整理が済み次第、戻って迎えに来ることなどが報じられた。
主な人物【セ】源日出雄、坂本【場】真澄別、守高、白凌閣、温長興、王讃璋、康国宝【名】張彦三、盧占魁、劉陞三、西王母、山田文次郎(第13章の山田文治郎と同一人物か?)、岡崎、萩原 舞台 口述日1925(大正14)年08月 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版265頁 八幡書店版第14輯 644頁 修補版 校定版269頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  夏期に相当する二三ケ月の間は、蒙古奥地は西比利亜方面と同じく夜が非常に短い。西北の空に夕焼の名残が消えたかと思ふと、間もなく早や東天紅を潮すると云つた調子である。月なき夜でも午前二時過ぎる頃から、危険な山路でも安全に旅行が出来るのである。張彦三の所謂神譴の雨を岩影に避けた全軍も、其中雨が小歇みになつたのでヤツと胸を撫で下し、六月七日(陰暦五月六日)午前二時半頃全軍に出発命令が伝はつた。騎馬にての旅行は兎も角、二頭或は三頭立の牛車や騾馬と(馬と驢馬との混血にて牽引力最も強き種類)三四頭立の轎車が、山と云はず川と云はず岩石崎嶇たる難路を、相当の重量を積んで無茶苦茶に進み行くのだから、便乗した人は中々安き心もなかつた。頭を打ち、肱を打ち、時には転落の犠牲も払はねばならぬと云ふのだから……荷物があつては黄金の大橋は渡れんぞよ……といふ大本の警告の如く、人世の行路はヤハリ身軽に限るてふ感を禁ずるを得ない。此日岩山を乗り切つて次第々々に高原地帯を、山と山との間を縫ふて進んでゆく。空は漸く晴れて赫々たる太陽は冬服その儘の全軍を照しつける。而も行けども行けども牧草はあつても、一滴の溜水も見付からない。携帯の食糧は已に残り少くなつてゐる。無論人家は見付からず『アーア』と云ふ歎息の声が何処からともなく聞えて来る。水を探ねて馬を急がす者、食糧車を待ち合す者、隊は遂に三々五々となつた。此時日出雄の側には真澄別、守高、坂本、白凌閣、温長興、王瓚璋、康国宝の七人が轡を列ねて居た。坂本は堪へかねて、
坂本『先生皆先へ行つて了つた様ですけれども、先生のお荷物や食糧品を積んだ轎車はまだ遅れてますから、どつかそこらで一服したらどうでせう。人も馬もこれではヘトヘトになつて了ひますよ』
日出雄『さうだね、では此処は可なり牧草もある様だから一休みしよう』
坂本『先生、私は今少し位辛抱も致しませうが富士ちやんが可愛相です』
 富士と云ふのは坂本の乗馬の名で、実際交通機関不備の地方を旅行すると馬が唯一の友であり、馬亦騎乗者を慕ひ、人間同士に此情愛が保てさへすれば、喧嘩など夢にも起らないであらうと思はれる位だ。而して日出雄の馬は白金竜、真澄別の馬は白銀竜、守高の馬は金剛と命名され皆白馬であつた。馬は鞍を外されて牧草の間に放たれ、人はポケツトに残つた煙草を譲り合ひつつ青草の上に寝ころび、紫の煙りを天に向つて吹き出し乍ら、相変らず減らず口の叩合をして轎車を待つてゐる。併し轎車は何等か故障の起つたものか、中々追ひついて来ない。遅れ来る兵士に訊いても『まだまだ大分後方だ』と云ふ。日出雄は『ナアニ牛や馬の喰ふ物が人間に喰へない筈はない』とて、其処等の草を引抜いては美味い美味いと喰べ初める。附添ふ人々も『なる程そらさうだ』とシヤリシヤリとやり出した。
坂本『併し盧占魁は怪しからぬ奴ですな、先生に何の答もなしで自分が大将面をして轎車に乗つて先へ行つて了ひよつた。自分が護衛を直接に申し上げるから、外の者の側へ御越しにならぬ様になんて云つておき乍ら……』
守高『何でも劉陞三と盧占魁との間に、先生を中心として勢力争ひが起つてるといふ評判もあるがね』
坂本『それなら尚更先生のお側を離れなきや可いぢやありませぬか』
真澄別『マアそれはそれとして兎に角、も少し位水のある場所がないとも限らぬから、モウ一息進みませう。其間轎車も参りませうから』
日出雄『それが宜からう』
と再び鞍上の人となり、宣伝歌やら出鱈目歌を唄ひ乍ら行を続けた。日は益々照り渡り綿入の肌着は愈々熱して来る。雨少なく空気が乾燥してゐる地方だから余り汗は出ないが、喉の渇く事夥しい。何うしたものか此日に限つて水らしい物は馬の小便の溜すら見付からぬ、さりとて他に取るべき手段もない、行路を馬に任せつつ進むうち、奇岩を折り重ねた如うな岩山の麓に達した。時既に午後五時を過ぐる頃であつた。岩山を取り巻く麓の青野原の一部に、土地の一間許り陥落した場所があり、地下層解氷の為か真黒い水が湧きこぼれてゐる。馬を其畔に近付けて見ると、馬は喜び先を争うてガブガブと呑み出した。スルト如何にしけん日出雄は『俺はモウ此処から動かぬのだ』と大喝したかと思へば、もう其姿は見えず、其馬は素知らぬ面で草を食むでゐる。坂本は早速下馬してウロウロと捜し廻り、軈て走せ来つて真澄別に向ひ、
坂本『先生は彼の山の腹に岩窟がありますが、其中に瞑目静坐してゐられます。何うしたら可いでせう』
 真澄別は守高と共に直ちに岩窟に到り見れば、日出雄は神懸となつてゐる。真澄別はその意を悟り、
真澄『守高さん、今の進路は吾々の想うて居るのと違ふ様だし、大分怪しい点もあるから、暫く此処を根城とする事にしようぢやないか』
守高『さうだ、僕も賛成だ此処は高熊山の岩窟に能く似てもゐるし、尋常事ぢやなからう』
 一行は此処に当分宿営の決心を定め、王瓚璋をして此事を報告せしむべく盧占魁の後を追はしめた。日出雄の荷物即ち西王母の服、宣伝師服その他手廻り品並に食糧の残品を積んだ二台の轎車は約一時間半遅れて此処に到着した。此二台の轎車は山田文次郎が便乗監督し、洮南より軍需品等を積載して索倫に来り、其儘帰途の危険を慮つて随伴したのである。轎車より材料を取出して野営の準備に着手される、一方、馬の渇を医やした真黒の水は、明礬を利用して飲料用に浄化せられる。枯木の枝を集めて之を沸かす、『茶を入れたら黒インキになつたから、こら鉄鉱泉ですよ』と騒ぎ立てるのは坂本である。
 日は漸く西に臼搗き空に星の輝き初むる頃、張彦三の部隊が殿りとして到着し来り、真澄別より事情を聴取り、
『それでは私が盧に代つて御保護申上げます、私の方には未だ米も牛肉も幾らかあります、先生がお動きにならねば、私も何時迄もお側に止まつて御保護いたします』
とて部下に命じて炊き出しを開始し、スツカリ腰を据ゑて了つた。やがて日出雄も岩窟より出で来り賑やかな野天食堂が開かれた。
 此時王瓚璋馳せ帰り、盧以下全部隊は約五十支里前方に屯営し居り、其処には人家四五軒あれど飲料水の不足なる事や、盧は水を索めて急いだのであるが部隊整理次第直ぐ迎ひに来る事など報告した。真澄別は更に岡崎と萩原に対し何事か名刺の裏に認め、温長興を使として前方の駐屯所に向ひ馬を急がしめ、茲に一同寝に就くこととなつた。
(大正一四、八、筆録)
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