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文献名1座談会
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3出口王仁三郎聖師と出口寿賀麿氏を囲む座談会 第二夜(六)よみ(新仮名遣い)
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本文

【林】 『お釈迦さんは三千世界を見たと言っているが、そんな詳しい事は知らんやろう』
【聖師】 『ある程度しか見ておらんな。……俺の方が、よう見ている』
【中井】 『今の学者で見た見たという人があるが』
【聖師】 『あんな幼稚な学者ではまだ判らんわい』
【中井】 『話は違いますが天体は実に神秘ですなア。ある学者はフロックコートを着てレンズに向かったそうで……天体をのぞくと荘厳の気に打たれるからだと言ったそうです。
 また、普仏戦争の時フランスの天文学者が一心に天体を観測していると弟子が飛んで来て、「先生プロシヤの兵隊が攻めて来ましたから早くお逃げなさい」と言うとその先生、やおら向き直って、そして「なんじゃ地球界の事か」と言ってまたレンズをのぞいたという話がありますが、宇宙は全く神秘ですなあ』
【聖師】 『今の学者は天界の事はおろか現界の事も判らん、物語にあるように天人の一言で判る事も現界人には数十万言費やしても判らんというように、俺が説いたものは現代の学者が一代かかって話しても了解するものはおらん。物語のあれだけの程度で判る人でないといかん。あれでも書き過ぎているくらいや。それでもあれで判る人が時たまはある。それが本当に判った偉い人や。京都の三雲さんは天文が好きで物語の第四巻を見て入信したのや』
【林】 『火星との通信あるいはロケットで月世界へ行くとか……あれらは出来る可能性のあるもんでしょうか』
【聖師】 『火星には人がおらんのやでよ。たとえ出来たかって人もおらんに返事はあらへんが……、(笑声)物語の十五篇に空中の手紙の事が書いてあったやろう、あれはもう実現しているのやでよ。新聞に出ていたがな。それどころだあらへん。今に飯もたかんでも食べられるようになる。ボタンみたようなものを押すと汁でも何でも好きなほしい物が出て来るような機械が出来るで。そして電灯代を取りに来るようにートルを見て代金を払うようになる。それはもう五十年待たんでも出来る。俺はもうチャンと見ている』
【中井】 『イギリスのH・G・ウエルズがたしかそんな世界の事を書いていたと思います』
【聖師】 『それはキット出来る。飛行機でもワシらの子供の時は、出来んと思ったもんや。そんな事いうたら人が馬鹿にしたもんや。それでも立派に飛べるようになったでのう』
【林】 『しかし、そういう風になると人間は仕事がなくなって何もやらん人間になってしまいますなア』
【聖師】 『その代わりにまた他の仕事が多くなる。それはやっぱり人間やで仕事をせんならん。機械が動いておっても人がそばに居らねばならぬし、他の事に時間を費やさんようになるだけで、他の仕事が出来るから同じ事や』
【寿賀麿師】 『今はそういう無駄な事に使う時間が多過ぎますなア』
【聖師】 『今の仕事とはウンと違うて来る。それやさかい俺は長生きがしたいのんや。どこまで行くのかって今みたような不完全な飛行機ではなしに立派な絶対に安全な飛行機で行けるようになる。あと五年したら、どんな事があっても決して落ちん絶対安全という飛行機が出来るぜ。そういう世の中やからウカウカしとったら何をやっても失敗するのや。古はバクローをしておってもウンと儲けた。但馬の牛などを京都へ連れて行ってウンとボロイ儲けをしておった。また京都で牛が安い時に但馬へ連れて行って儲けた。今頃は電話やラジオで値段をいうとしまうから、ちょっとも儲からへん。
 だますより他には儲けようがないのだから……。今ではだませんから売りにくい。材木かてそうや。京都で安い物を買って八木あたりで高く売ろうと思っても電話や新聞がスックリいうてしまうからボロイ事は一つも出来ぬ。御筆先に「升かけ引きならすぞよ」と書いてある事はこれや。社会主義のように財産を同一にするというような事とは違う。
 それから山の奥で材木を腐らして置いた奴は便利が良くなって汽車や何かでドンドン市場に出す。だから京都あたりで買うのと同じようになっている。古は綾部で家を建てたりするくらいは何ほどもかからなんだ。大本の前の家は教祖はんの夫が建てた。山に木があって仕方がないくらいで、もみも杉も檜もみんな同じや。大きい奴ほど安かった。大きい奴は切りにくかったからや。松でも杉でも檜でも何でも一本何ほどといった。それが今では交通が便利やからドンドン山から切り出す。阿里山の山奥まで行って、どえらい仕掛けで切り出しとるが、こうなって来たのが、つまり「枡かけ引きならす」のや。今まで悪かった所は良くなり、良かった所は悪くなり……宝の持ちぐさりにしておった所は良くなって来ている。これがミロクの世になったのや。
 人間の心が悪うなったというのも世の中に戦争があるためで、人民は軍備のために困っている。軍備をすっかり撤廃すればみな楽をする。
 今の教育も変えたら──本当の自然の教育にしたら人間が良くなる』
【寿賀麿師】 『軍備撤廃も世界各国がみな一緒にやればいいが、一国だけ先にやると損しますなア』
【聖師】 『人類愛善もそこまで行かんといかん。一国だけやっても他の国がやらんから人類愛善会を世界にひろめて、世界各国に人類愛善のノロシを上げねばならぬ』
【林】 『食糧問題等は、こう人類が殖えて来ると一体どうなるんでしょう』
【聖師】 『いくら殖えても食料には困らん。天は不食の民はつくらん。今まで手を付けなかった所はどんどん開けて行くし、日本人でも何ほど殖えた所で、三千万や五千万の人間は北海道へ行けば、充分食べられる。人さえ行けば、ああいう土地はドンドン良くなる。十万石の米をたった二十軒でつくる。他はまだ荒地や。北海道はどこへ行っても荒地や、何しろ広い所やからなア。九州、四国、台湾の三つを合わしてもまだ三百方里から広い』
【高見】 『北海道はとても大きいよ』
【聖師】 『米はどこででも取れる。食物が足らんようになるという事はあらへん。いくらでも取れるように発明されて行くのや』
【林】 『古の米は握りこぶし程あったとも聞きましたが』
【聖師】 『大きいのもあれば、小さいのもある。数を多く取ろうと思えば小さい。大きい米を取ろうと思えば二石か三石しか取れぬ。小さいのやったら四石くらいは取れる。満州でも米はとれるのやでよ』
【林】 『あの辺りにも水田になるように水が豊かにあるんですか』
【聖師】 『水は来るようにさえすれば、いくらでもあるわい』
【寿賀麿師】 『古ある大名が子供の持ってた、こんな大きな米(手にてゼスチャして)を何だろうと学者を集めて色々しらべさしたそうですが何だか判らずいろいろの説が出て、最後に一老人がこれは米だと言ったのに驚いたという話がありますが、そうすると余程大きな米があったに違いないんですなア』
【聖師】 『そういうのがあった。大原神社は、こんなに(と手で形を造られ)大きなモミが二つ米粒二つか御神体として祭ってある』
【寿賀麿師】 『はじめて葦原の中津国に米を降ろされた時には、そんなに大きかったんだそうですね』
【聖師】 『始めは三粒天から降されたのが今日のように立派な米になったのや。山にある天然の柿は、こんなに(手で親指と人差し指とで形を造られて)小さい。それを人間が、あっちの木をついだり色々手を入れて今日のような立派な大きなのが出来るようになった。人工を加えるから、それで人間は天地経綸の主宰者じゃ。自然の米ならみんな小さい』
【林】 『そこで現在の失業問題なんですが』
【聖師】 『今の失業問題かな? 機械の良いのが次から次へと発明されたからや。それから労働者でもあまりに、贅沢や。昔は百姓などは大根やら菜っ葉やら畑の物ばかりで年に二回の氏神様のお祭りとお正月にサバくらいを食べたものや。良い所でも十五日に一遍くらいしか食べなかった。そういう具合にして麦二升に米二升の割合の炊事でそこに菜っ葉や大根を入れて食べたものや。それから比べると今の労働者は贅沢や。贅沢をやって食って行けそうな事あらへん。今は丸で生活の程度が上がっているから……蒙古では生活の程度が低く一日八厘で生きて行かれる』
【林】 『結局各人の自覚が無ければ失業者救済は出来ないのですね』
【寿賀麿師】 『仕事のないって奴は随分困りますね』
【聖師】 『無いって事は無いのやけど、やらんのや。ボロイ事をしようと思うから無いので、百姓でコツコツやったらいい。何でもやろうと思えば幾らでもあるがな』
【井上】 『みな贅沢してやろうと思うから身体が自然と弱くなって働くのが邪魔臭くなるのやね』
【聖師】 『中途半端の学問をやっているので生意気になっているからいかんのや。今の者は本当に贅沢に成り切っている。昔の生活なんて一日働いて五銭や、日当がやで……。それから向こうで食うて晩に一本付けて貰うと一日三銭や。それが十銭くらいになって、よく「米が十両しているような顔をしている」等ちょっとムッとしている人を冷やかしたもんや。それが本当に米が十両するようになって喧しゅう言うたもんや。
 学校の校長が月給五円やからなア。正教員が三円、俺なんぞ二円やった。十四の年から二円ずつ毎月二年間貰っておった』
【林】 『「不景気や不景気や」と言いますが、いろいろ本などで見ますが徳川時代等も相当やかましく不景気は云々されていたらしいんですなア、この不景気という奴はどの時代にも付き物と見えました』
【聖師】 『天保の飢饉かて食べる物がなくて路に餓死している人がとても多かったのや。その時分は今のように交通の便が発達しておらなんだから、他から食物を今のように送る事が出来なかったからなア。昔は丹波では米がクサルほど沢山出来ておっても、もう美濃あたりでは、そうなると食に米なく困ったのやね』
【寿賀麿師】 『北海道はとても素晴らしい沃野なんですね……。それからね、あの樺太あたりの森林は絶えず山火事がありますが惜しいものですなア』
【聖師】 『あれはなア。アイヌが焼くのやでよ。他の人間が山を買って地図を持って境を見に行くと、それまでに境が判らなくなるようにするために焼いたもんや。何しろ地下はすべて泥炭と言って良いくらいなんだ。それだから三間も五間も地底にあるその泥炭に火が入っているから、冬は雪があるから表面は焼けていないようだが、夏が来て雪が溶け始めるとまた表面へ燃え上がる……だからあの火は消える事はあらへん。不尽の火や。樺太あたりの地底は泥炭ばかりで北海道あたりでも土を掘って干しておけば燃やす事が出来る所があるでよ。何しろ神代時代からの大木が埋まり埋まって地の中でクサル。だから草も何も一緒に石炭になっているのや』
【寿賀麿師】 『あの泥炭などでも日が経つとピカピカした石炭になるんですね』
【聖師】 『古くなると、木でも草でもみな石炭になるもんや……俺はちょっと一プクするでよ』
…………
【聖師】 『どっこいしょ』
と床に横になられたがムクムクと起き上がられて
【聖師】 『何人や』
と言われながら大きな饅頭を持たれて元の座に持って来られ
【聖師】 『先刻やったもんにはやらへんでよ』
と言われながら一座の人数にほうられる。
 白い饅頭がゆるい弧を描いて飛ぶ。
【皆】 『有り難うございます』
【井中】 『さあこれで……』
【林】 『聖師様どうもいろいろ有り難う存じました。皆さんこれで座談会を終わらしていただきます』

    ◆   ◆

 四月二十七日、五月九日両日に亘るこの座談会は、実に大本始まって以来の企画であり、広くまた、世界の大衆に呼びかけるべき意義をも持つものであります。
 出口氏は常に御機嫌よく、野人吾等の素直を愛されてか無遠慮な質問にも快く座にくつろがれ、他のいかなる会合にも見ざる朗談、厳訓、或いは痛烈なる○○を与えられ、日出麿氏、寿賀麿氏は特に今回が初めてである自画像まで御描き下さいました。哀心、吾等の敬慕してやまざる、出口氏を始め日出麿氏、寿賀麿氏に対して感激を表すると共に、席に列したる人々は誠心誠意言うべきを言い、しかして敬意を失わず、堂々座談を終始した事は、また大いに吾が昭和青年のために誇りとするところであります。
 敢えて、後世の人達!
 兄等が青史編纂の折り、この春風の駘蕩、この爽快の大空は独り吾等の出口氏が青年吾等に付与さるる最大の慈果であるを記録されんことを。

    ◆   ◆

 座談会の席上において聖師は申されました。

【必ず必要の時が来るからみな梅干しを用意しておかないといけんがなア!!】 

 特に御注意までに

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