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文献名1出口王仁三郎全集 第1巻 皇道編
文献名2第5篇 皇道と国体よみ(新仮名遣い)
文献名3第2章 皇国の道よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
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ページ249 目次メモ
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本文    (一)

 天神地祇を崇敬するは、皇国建始以来の国風にして、上は天津日嗣天皇より下庶民に至るまで、之を苟且に附したる事なく.国家安穏にして淳厚の俗を為し、天下は実に平安であつた。故に上下の国民の行動たるや、凡てを神祇に依托し、亳も私心を交ヘず、百般のこと皆神意を奉じて処理し決行したものであつた。
 神武天皇の長髄彦以下の諸賊を征服し給ひし時にも、先づ天神地祇を礼祭し、その神意に従つて行動し給うた。又崇神天皇の天業を経綸遊ばし、景行天皇の筑紫の土蜘蛛を征討し、神功皇后の三韓を言向け給ひしも、ことごとく神意を奉じて行ひ給うた。
 天孫降臨以後、崇神天皇の御代までは、神と皇との際遠からす、常に同殿同床にましましけるが、天皇は天下の形勢を洞察し給ひし結果、和光同塵の神策を採り給ひ、天照大神及び草薙の劒を大和の笠縫邑に遷して斎き祀らしめ、外国の文物を輸入して大いに国家の経綸を行ひ給ひ、垂仁天皇の御代更に伊勢の国宇治の五十鈴の川上に宮柱太敷立てゝ大神を斎き祀らしめ給うた。
 次いで応神天皇の御代に至り、孔孟の教儒教なるもの初めて渡来したるによりて、淳朴の良風は次第に移りて、浮華の俗に浸潤し、国民思想上に稍変化を来たすことになつた。けれども、大和魂の本元は微動だもなく、忠孝仁義の大道は昭々乎として日月と共に光りを放ちつゝあつた。それより欽明天皇の御宇に至り、仏教始めて渡来し、その説くところ前の儒教に比して大いに趣を異にし、因果応報の説をもつて我が国民の精神に驚異を与へたのである。

開闢のはじめの神祇を崇敬し神意のままに動きたる国
何事も神のまにまに働きて国開きたる大和神国
惟神神の教をよそにして我が日の本は治まらざるなり
御代御代の天皇は大神をいつきまつりて世を治めましき
応神天皇の御代より儒教渡り来て国民思想動き初めたり
孔孟の教をうまく咀嚼して政治のたすけと為せし我が国
欽明天皇の御代に到りて仏の教渡来せしより風俗変はれり
淳朴の美風はことごと地をはらひ浮華軽佻の俗に変ぜり
天地の神の恵みに地の上の国のことごと生れしを知らす
釈迦孔子ヤソの教の渡り来て誠の道を失ひにけり剛
切萬事行き詰りたる世を生かす道は神祇を祀るにありけり

 仏教の渡来に就いては、国人の未だ曾て耳にせざりしところなるを以て、その奇異にして仏像の華美なるに眩惑され、これを信奉するもの多く、物部の守屋と蘇我氏の正面衝突となり、途には崇仏派勝を制し、殊に当時上下の尊敬最も厚かりし厩戸皇太子の如きも、ひたすらに仏教を政策上より尊信採用されたるにより、仏を尊奉するものますます多くなつたのである。
 然しながら舒明天皇の御代に至りて、唐の使節に御酒を賜ひて神の威徳を示したまひ、次いで孝徳天皇の御代には、先づ神紙を鎮祭して後に政事を議し、もつて内外国人をして神祇の当に崇敬すべきを知らしめ給ひしごときは、何れも敬神を以て主とせられたる証拠である。次ぎに文武天皇の御代には、律令を撰定し給ふや、大いに唐制を模倣されたりといへども、獪神祇官をもつて百官の上に置かせ給うた次第である。
 斯くして歳月を経るにしたがひ、仏教を信奉するもの多くなりしが、神紙を崇敬することは建国以来の風習にして牢として抜くべくもあらず、彼等仏教者の布教は意の如くならざるを憂ひ、茲に神仏の調和を計画するものさへ出で来り、元正天皇の御代には、既に気比の大神のために神宮寺を造りしものさへあつた。それより空海、最澄の僧輩出でゝ本地垂迹の説世に普伝さるるに至り、神社の祈祷にも僧侶をして読経せしめたり、神職の外に別に又社僧なるものを置いて奉仕せしめ、遂には仏神の文字を国史上に見るに至り、冠履顛倒を来たすことになってしまったのは、我が皇道の上から見て遺憾至極である。

仏教の渡来は我が国上下の人の心を迷はせにけり
仏教の奇異なゐ説や金ピカの仏に国民酔はされにけり
やうやくに仏を信する人ふえて物部蘇我氏の衝突となれり
物部の守屋は神の道奉じ蘇我氏は仏に盲従なしたり
神仏の正面衝突勃発し物部蘇我はにらみ合ひけり
仏教派の勝利となりて惟神神のをしへはおとろへにけり
さりながら大和魂なほうせず仏をこばむ者も多かり
仏教の宣伝容易ならざるをさとりて神仏調和をこころむ
倫の空海最澄等により神仏の混淆まつり始まりにけり
仏教は日本の祖先崇拝の教をのこらす我がものとせり
空海は本地垂迹説を唱ヘ神を仏の権現といふ
神社には神職の外に社僧ありて祈祷に経読み珠数をつまぐる
仏教の渡来せしより益良夫の睾丸のこらす割去されたり
勇壮なる大和男子も仏のため骨なし蛸となり終りたり
因果応報等の愚説を唱へつゝ淳朴の民の心乱せり
三千年の昔の風俗にねじ直す道は神紙を敬ふにあり
動きやすき国民なれどしんそこの大和心はうつらざりけり
  日の本を仏教国に化せんとし世世僧侶の計画とげずも
(昭和八、九号神の国)

   (二)

 玉鉾の道は多しと雖も、萬古に亘り干載を経て変易磨滅すべからざるものは実に斯道なり。畏くも我が 皇祖天神は斯道を以て国を肇め徳を樹つるの基礎となし給ひ、之を天孫列聖に授け賜ヘり。されば、彼の延喜格の序にも『我朝家道出二混沌一』と記せるが如く、其の源泉は遠く萬世一系の天津日継と共に、同じく高天原より此葦原の中津国に傅はり、久遠の間未だ嘗て一日も地に墜ちたることなく、天日と共に弥益々に其光輝を角しつゝあるなり。
 此の如く斯道は天授の真理にして、至粋至美至真至善至正の極たり。故に鬼神も之に依りて立ち、人民も亦之に依りて活き、萬物も亦よりて安息するを得るなり。畏くも、 明治天皇の下し給ひし教育勅語に『斯ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ、朕爾臣民ト共ニ、眷々服膺シテ、咸其徳ヲ一ニセム事ヲ庶幾フ』と詔らせ給ひしも、実に斯道が宇宙の真理、天地の大道なるを表白せさせ給ひしものと仰ぎ奉らるゝなり。
 此を以て、彼の儒仏道若くは天主回々耶蘇等の如き、大疵小醇真偽相半するが如き薄弱なる教理とは、実に霄壌の差と云はざるを得ず。見よ、至聖と称せらるゝキリストの本国猶太の滅亡して露の苛政の下に呻吟せるを、大聖と仰がるゝ釈迦の本国印度の仏教の感化によりて滅亡し、独立の体面を失ひて英の配下に涙を呑みつゝあるを、先聖と称せらるゝ孔子の生国支那の未開半亡国同様にして、国勢の振はざるを。そもこれらは皆何に因由する乎。則ち其の教理に欠点ありて、天理人道に適合せず、説く所根元なく、薄弱信を措くに足らず、以て治国平天下の道に稗益する所なき而巳か、却つて害毒を流布したる結果にあらずして何ぞ、然らば斯る教理を以て、治国の本、修身の要と思ひ、心酔せる外教崇拝者こそ、実に国家のために獅子心中の虫と日はざるを得ざるなれ。此に於てか、此の虫を退治し、以て国家のために臣民たる義務の萬分の一を尽さむの真情より、益々斯道研究の要務なるを感じ、茲に学生の身なるをも顧みず敢へて一言を贅して余白をけがしゝにこそ。
(明治四〇、七、二七、このみち第三五号)

   (三)

 世人往々曰ふ、在来の学説は陳腐なり、在来の宗教は腐敗せりと。然らば之に代るべき活学真宗教は如何と反問すれば、一も成立したる確固不抜の形式を有するものなし。万一之ありとするも五十歩百歩の相違のみ。日進月歩開明の人心を満足せしめ、信従せしめ、安堵せしむるの学説宗教あるなし。かくいふものの決して皆無といふにはあらず、世の開明、精神的文明に伴はざる為、天授の一大真理を発見し能はざるのみ。王仁は慥に、世界の哲学を凌駕し、一変し得べき、真活学の吾古典に明記されあるを知る。心身安堵し立命すべき活教理は、吾皇国に、然も古今に通じて謬らず、中外に施して悖らざる真教哲理の存在するを、断言して憚らざるなり。今人の蒙昧頑固なる、自国固有天祖相承の哲学神法を度外に置きて顧ることなく、外尊内卑の弊は依然として上下に拡がり、何事も皆法を外に求め、其術を異に尋ぬつるの慣習常となり、惟神の神州を日に月に汚しつつあり。噫悲しい哉。
 直霊軍は、今や時代の要求に駆られて生れたり。万邦無比の国体を?明し、惟神の徳性を宇内に拡充し、国恩の万一に報ぜむとす。斯国の大君に臣事し、斯国の恩に浴し、斯国に安全なる生を托し、斯国の粟を食む同胞諸氏よ。斯国の為、斯道の為、本軍に参加し来て敬神忠君愛国の至誠を涵養し、以て祖先の遺風を顕彰せられんことを希望して止まざる所なり。
 宇宙の大精神、所謂独一真神たる天帝、天之御中主大神は、至善至美至真の御徳性を有し玉ふが故に、天地万物を創造し玉ひ、終に人類を生成し、之に霊魂を賦与し玉ふたのは、人間に限り無き幸福を永遠無窮に得させやうとの難有神慮に出たのである。故に人間は、此至尊の神より霊力体を分与せられたる以上は、神と同様一元であるから、天地の花万物の霊長と誇称し、生き乍ら神たるの働きを為す事の出来得る最も貴きものである。然るに外教の徒の曰ふ、人間の元祖が造物主に背きたる其罪の為に、世界は変じて人間の為に難儀苦労を与ふるやうになり、人性は涜れて智は昧み、情は捩れ生れながらにして悪に傾き、今世の幸福のみならず、来世の終りなき幸福をも失ふ可きものとなつた。そこで造物主が之を憐み玉ふて、人間の罪を救ふ為に耶蘇基督を降誕せしめられたので、この救世主を信ずるものは救はれる、信じないものは救はれないで、地獄に陥り無限の永苦を受くるなどの邪説妄語を真面目になつて唱導して居るは、実に憐然の至ではないか。宇宙の大精神素より至正至直毫も悪無き御方で、その分派たる吾人の始祖も亦悪無きは当然である。裔孫千百中に於て偶悪罪あるものは、悉皆自業自得で、始祖の遺した悪罪では無い。皇典に所謂改言は則ち改過無悪の意味である。人間は造物主より至真至善なる直日の魂を賦与されて居るので、自ら正邪理非曲直を辧知する自省の念所謂良知良能が在つて、事に触れ物に接し時々刻々に、過つては悔いたり、或は覚り、或は畏み、或は耻ぢらひつつ、悪を消し善に遷るといふ自然の戒律を、霊魂中に包有して居るから、吾人の始祖も、亦決して裔孫に罪科を遺して子孫を困らしむるといふ如き、道理のあるべき筈は無い。我襟のシラミさへ探し尽せず、白紙一枚を隔て前の見へない様な、不完全なる人間の作為した現行刑法でさへも、父が罪を犯して刑に処せられたからといふて、其子や孫に迄罪を及ぼさないが法律の精神である。況んや、全智全能にして一視同仁毫も偏頗なき神の、立玉ふたる御制規に於てをや。然るに外教の徒が、斯る根拠も無き知れ切つた虚言を、啌とも思はず畏ち怖れ、救世主に泣付いて未来の冥罰を免れんとして騒ぎ廻つて居るのは、恰も祖先の借りもせぬ金の利子を附けて返済せねば、身代限に成つて、其上懲役でもさせられる様に思ふて恐れて居るのと同一で、実に幼稚な愚昧な思想と云はねばならぬ。神眼赫々固より幽顕無く、死生理を一にす、生きても死しても吾人の住む所は大地球の神国なり、神国に生を享けたる最幸福なる我同胞諸氏よ、生き乍ら神たらんことを思ひ、仮りにも未来を恐怖せず、既往を顧み現在を慎みて、以て根の国底の国の方へは見向もやらず、勇壮に活溌に立働き、天下国家の富強ならんことを祈るべきなり。

   (四)

 今や世界に行はれつつある宗義学説は、千種万様、一も確固不抜の真理を捕促し、且つ唱導して、吾人を安心せしめ立命せしむる者あるなし。曰く庶物教、曰く多神教、曰く一神教、曰く自然神教、曰く万有神教、曰く汎神教、曰く無神教、曰く儒教、曰く仏教、曰く報徳教と、是等の教義学説は、悉皆人為教にして大疵小醇真偽相半し、所謂天授の真理にあらざれば、宇宙万有の根本、大極、大本体、大現象の全きを知ること能はざるは勿論にして、何れも宇宙真理の僅に一端を説明し得たるのみなれば、我二十六世紀の人心には何処となく物足らぬ心地せらるるなり。
 故に今後の社会は、猶更斯る不完全なる教義を歓迎して、以て治国安民向上立命の教義直説として耳を籍ざるに至るべく、其結果は遂に無宗教無趣味の社会と変じ、徳義信仰は地を払ひ、牛鬼蛇神白日に横行濶歩し、魑魅魍魎は公々然頭上に跋扈跳梁するに至らん。
 吁これ天下の為に由々敷大変と謂ふべし。然らば今後の社会に於て、吾人が向上し、発展し、安息し、立命し、天賦の幸福を全ふし得る所の活教真理なきか。世人の大多数は、この点に就て大いに迷ひつつあるものの如し。余輩会て天主教の演説を聞きし事ありしが、外国宣教師の言に、此世界は苦みや災の生ずる所にして、善人も衰へ悪人却つて栄ゆる不満足の世界なり。至仁至愛の神は、吾人に永遠無窮の幸福を与へん為めに、未来の天国に安住させ玉ふなり。それも主耶蘇基督を信ずる者に限る。この世界は全く人民の住む国ではない、禽獣の住む汚穢の地なりと。吁これ何たる囈語ぞや。迷語も亦実に甚だしからずや。
 彼等の徒の暗愚なる、現世に於て衷心より依信すべき至直の教義を認むること能はず、煩悶苦慮終に絶望の結果斯る厭世的口気を漏すに至りたるか。彼等の曚昧頑固なる、日夜渇仰熱望しつつある唯一無二の天国たる我神洲に上り来り乍ら、猶心附ずして蒼天の彼方をのみ仰望せるなり。
 彼輩等は顕幽不二の真理を解せず、折角神の恩頼殊寵に浴して、上り難き天国神洲に参上り来りながら、その天国に救はれ居る事を覚知せず、恰も富士へ来て富士を尋ねる富士詣、その不二山に居ながら、芙蓉の容姿端正にして優美高尚、言ふ可らざる威厳あるを知らざるが如く、寧ろ気の毒の至りと謂ふべし。
 仰我国の神の建て玉ひし国なり。神の開きて神の守りたまふ国なり。万世一系天立君主たる現人神の治め玉ふ聖地にして、神道を行ふ君子国なり。故に我国は万国に勝れて、尊き国体なれば、又自から尊き道あり、則ち惟神の大道と称し、古今に通じて謬らず中外に施して悖らざる、天来の真教活理ある美し御国なり。 日本書紀の難波長柄朝廷御巻にも、惟神者謂随神道亦自有神道也とありて、上は、至尊の治国平天下の大御業より、下は、万民が修身斉家の法に至る迄、学ばずして自からしり、習はずして自から覚え、書物も無く記録も無く、師匠も無く、而して人々自得して忘るる事なく、自ら神祇の尊敬すべきを知り、君主に誠忠を尽し、国を愛し、父母に孝養を全ふし、夫婦相和し、兄弟互に敬愛し、朋友相信ずる等、醇厚敦朴の美風良俗は、別に外来の不完全なる教義を信頼せざれども、皇祖皇宗の御遺訓に則り、不言無為にして化すてふ神明の戒律を、霊魂中に保有して、事物の正邪理非曲直を自省し、各自その向上発展する処を了知するを得べく、彼の国学の秦斗本居大人の「御国はし日の神国と人草の心も直し行も善し」と詠まれたるも道理にこそあれ。中世以降海外より渡来したる異教邪説は、大に皇国の大道を汚濁し、優美高尚にして至正至直なる人心を邪悪に導き、社会を毒したるは、実に慨歎に堪へざる次第なり。
 同大人の「きもむかふ心さくじりなかなかにからの教ぞ人あしくする」との歌をも思出されて、いとも憤ろしきこと共なれ。振起せよ我会員諸氏、今日の日本は昔の日本にあらず、世界的の大日本にして、皇大御神の見霽かし坐す四方の国は、天の壁立極み国の退ぎ立限り、青雲の靄く極み白雲の墜坐向伕す限り、青海原は棹舵干さず舟の艪の至り留る極み、大海原に船満ち続けて、陸より往く路は荷の緒結堅め磐根木根履みさくみ、馬の爪の至り留る限り、長道間無く立都々気氐、狭き国は広く峻しき国は平らけく、遠き国は八十綱打掛けて引寄する事の如く、皇大御神の寄さし玉へば云々と、雄壮遠大なる我祖先の思想及抱負の、実現せんとする好機運に際会せる大日本帝国なり。
 斯る目出度神洲に生を托する日本男子の、軽々看過し、以て千載一遇の好機を逸すべけんや。
 昔日釈迦はその狭き印度にありて、基督は其小なる猶太にありてすら、邪説にもせよ。妄語にもせよ、自身は深く真理と見做し且つ救世の教義と確信して、終に三千大世界を救ふを期したり。其意気の勇壮に、その願行の広大にして、更にその慈悲博愛の念に富むことの甚深無限なる、終に救世済民の志を立んとせるは、感ずるに余ありといふべし。
 吁神洲清潔の民たるを自負する会員諸子よ、願くは直霊教主の教へ玉へる皇国固有の国教を信奉し、天神天祖の伝へ給へる敏心の日本魂を振起し、真学を修め、真智を啓発し、徳器を成就し、以て惟神の大道を宇内に宣揚し、祖国のため、斯道の為め、直霊軍に参加し、直日魂を元帥と仰ぎ、厳の魂を参謀長となし、荒魂の勇を以て帯剣となし、幸魂の愛を以て軍旗と押立、奇魂の智を以て炮銃となし、和魂の親を以て弾丸となし、大道を進み、邪道に突貫し、以て直日に見直し聞直し、正義を以て上官となし、真理を以て糧食となし、天の下の罪穢過誤を掃清し、以て神皇の造り玉ひし至清至潔の神洲神民を堅盤常盤に擁護せんことを。

   (五)

 神祇に対する一般の行為は、尊崇主義と尊敬主義と信仰主義との三者の区別がある。而て祭祀の実行にも、幽齋と顕齋との二者の区別がある。
 幽齋は、神社もなく、祭文も無く、奠幣も無く、只管に霊を以て霊に対する幽玄美妙の神法である。亦顕齋は、形を以て形に対する儀式であつて、神社を容し、祭文も容し、奠幣も在つて、神祇の洪慈大徳に報ゆる大道である。
 然りと雖顕齋のみに偏するも不可なり。幽齋のみに偏するも不可なり。宜く其中道を斟酌せなくては邪道に陥るの恐があるから、祭祀の道は最注意周到で無くてはならぬ。
 顕齋は要するに報本反始的一偏の祭祀で、幽齋は祈祷主義一偏の祭祀である。この二者の区別は明かに成らねばならぬが、大抵は幽顕混合して居るのが多い様である。
 吾師大に之を憂慮し玉ひて、終に皇道霊学を唱導し、祭祀の大義を明にせられた。古事記上巻に『此の鏡は専ら吾御霊として我御前を拝くがごといつき奉れ』とある天照大神の神勅は、尊崇主義の例である。
 日本書紀神代巻下二に『吾は天津神籠また天津磐境を立て吾孫の為めに齋ひ奉らん汝天の児屋根命太玉命、天津神籠を持て葦原の中津国に降りて亦吾孫の為に齋ひ奉れ』とある高皇産霊尊の神勅は、所謂祈祷主義の実例である。亦神武天皇紀に『天の香山の杜の中の土を取り天の平瓮八十牧を造りまた厳瓮を造りて天神地祇を敬ひ奉れ亦厳の呪詛をせよかくなさば虜自ら平ぎなん』とある、天神の神勅も、同く祈祷主義である。
 亦同紀に『我皇祖の霊天より降りて鑑し、朕が身を光らし助け玉ひて今諸の虜已に平ぎ海内無事なり天神を祀りて大孝を申さん』とある。神武天皇の御詔勅は、所謂報本反始主義の例である。
 亦崇神天皇紀に『天皇何とて国の治まらざるを憂ひ玉へる若し能く我を敬ひ祭り玉はば必ず自ら平ぎなん』とある大物主神の神教は、所謂信仰主義の例証である亦仲哀天皇紀に『天皇何とて熊曽の服はざるを憂ひ玉へる是は膂の空国なり豈兵を挙げて伐つに足らんや茲国に愈りて宝の国あり云々、拷衾邪羅国と云ふ若し能く吾を祭らば曽て刃に血ぬらずして其国必ず服ひなん、又熊曽も服ひなん云々』とある向津姫命の神教は、所謂信仰主義の例証である。
 亦推古天皇紀に『旧し我皇祖天皇等の世を宰め玉ふや天に跼り地に蹐して敦く神祇を礼ひ周く山川を祠り幽に乾坤に通ず是を以て陰陽開和し造化共に調ふ今、朕が世に当り神祇を祭祀すること豈怠ることあらんや、故れ群臣心を竭し宜しく神祇を拝すべし』とある推古天皇の御詔勅は、所謂尊敬主義の実例である。
 次に神社の成立の如きも、尊崇主義で成立つたものと、信仰主義で成立つたものと、以上二者の差別がある。之を要するに、伊勢の皇大神宮を初め山城の賀茂別雷神社及び賀茂御祖神社、同国男山八幡宮、大和の大和神社、春日神社、広瀬神社、河内の枚岡神社、和泉の大鳥神社、摂津の生国魂神社の如き各官幣大社も、亦官幣中社、山城の大原野神社の如きは、皆尊崇的成立である。何となれば神の教へに依て創立したもので無く、皆由緒に依て創立せられたものであるから、亦この例は神社の中でも最も多数を占めて居るのである。
 次に信仰的成立の神社は、譬へば、天照太神が雄略天皇の御夢中に告げられた其御告を信じて創立せられたる豊受皇大神宮の如き、大国主神の分魂大物主神の御告を信じて創立せられた官幣大社大三輪神社の如き、天武天皇の天の御柱命、国の御柱命の御告を信じて創立せられた官幣大社龍田神社の如き、其外摂津の官幣大社広田神社は向津姫命の御告に原づき、同国官幣大社住吉神社は底筒之男、中筒之男、表筒之男三神の御告に原づき、官幣中社生田神社は稚日女命の御告に原づき、官幣中社長田神社は、事代主神の御告に原づき、官幣大社豊前の宇佐神宮は誉田別之命の御告に原づき、国弊中社常陸国の大洗磯崎神社は大已貴命の御告に原づき、同国国弊中社酒列磯崎神社は少彦名命の御告に原づき、各々創立せられたものである。
 以上の如きは、皆信仰的成立である。要するに尊崇的成立の由緒に基づいたもので、信仰的成立は神の教に原づいて創立せられたものである。
 而して其教たるや、子孫若くは臣民に対する祖宗の遺訓であつて、之を尊奉履践するは固より子孫臣民の義務である。
 子孫臣民たるものが万一此の義務に背いた暁には、国体上須臾も欠くべからざる天佑保全の道は皆無となつて仕舞ふのである。人の教へつつある所の宗教は又別物で、之を信ずるも、信じないも、之に従ふも、従はないも、それは帝国憲法規定の通り真に人民の自由である。
 帝国憲法第二十八に『日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ゲズ及ビ臣民タルノ義務ニ背カザル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス』と規定されてあるが、扨この信教の二字を解釈すれば、宗教を信ずると云ふの外に意味は無いのである。
 然らば安寧秩序を妨げないもの、臣民の義務に背かない者、以上は憲法規定の範囲内に於て、宗教の信否去就が自由である。然らば神の教へも、之を信ずると否とが自由であるかと云ふに、決して然うではない。
 神の教は祖宗の命令的遺訓であるから、之が信否は固より国体の係る所であつて、仮にも臣民の自由範囲に放任する事は出来ないのである。
 明治三年正月三日宣布大教御詔勅に『朕恭惟天神、天祖立極垂統列皇相承継之述之、祭政一致億兆同心治教明于上風俗美于下而中世以降、時有汚隆道有顕晦、治教之不洽也久矣、今也天運循環、百度維新、宜明治教以宜揚惟神之大道也因新命宣教使布教天下汝群臣衆庶、其体斯旨』との、明治天皇の聖旨を奉体するは臣民たるの大義務であることを忘れてはならない。
 要するに神社に祭る所の神の教は、概して祖宗の命令的遺訓で宗教の教は、概して人間の立話である。
 神は上下臣民一般の祖宗であるは勿論なれば、臣民はその遺訓を遵奉するは当然の義務である。宗教の教祖たる釈迦でも、耶蘇でも、マホットでも、黒住氏でも、金光氏でも、中山おみきさんでも、日蓮でも、空海でも、彼等は皆人間に相違ない。 その人間の立説に係る宗教は、信仰自由として差支ないのである。神の教は之を信仰して尊崇敬礼を厚くするのが、国体上の一大義務なることを忘れてはならぬ。
 次に祈祷の事に就き、一言せんに凡そ祭祀の礼典を挙行するに於て、全く祈祷的観念を含有して居ないものはない、彼官国弊社に於て行はるる祈念祭なども、大なる国家の祈祷である。
 然るに其名称たるや、宗教家も亦等しく祈祷すると云ふのであるが、そこで彼我の差別を論究する時は、彼は要するに方便的で、之に依て以て人の精神を養ふ迄の者である。仏教にまれ、大体有名無実のものに対して祈る祈祷であるから、利益のある道理がないので、彼の万葉集」にも
  相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼のしりへにぬかづくがごと
 とある如く、実に馬鹿気切つた、獲まへ所のないものである。我は要するに、祖宗に対して事を歎願的請求する訳であるから、之に依つて利益のあるのが当然である。譬へば露西亜の皇帝が軍人の為に、天帝に祈ると云ふのも、要するに軍人の心を信仰的に団結させて、而て戦争に勝と云ふ一編の精神を作るまでのものである。
 斯く論ずる時は人或は曰はん、綾部の真霊教も矢張出口教長の立説であるから、固より方便的で、信仰自由なり、祈祷などは猶更無益なるべしと、之思はざるの甚しきものである。
 真霊教は現今行はれつつある宗教の如く人為的ではない。
 皇祖皇宗の御遺訓を今や忘れんとするの世俗に警告せんとするものにして、所謂神教である。
 法規上止むを得ず宗教部内に加はつて居るので、決して他の宗教のやうに信仰自由の範囲に放任して置く可きものでなく、我正史に明に載せられたる天神地祇の教、亦特に国の元祖国常立尊の御教を伝ふる真理活教であつて、日本臣民たる以上は、神社に祭られ玉へる神の教同様に信奉せなければならぬ。我教長は、唯々神の命の隨々に筆を取りて皇道の大本を講明せられ、毫も私心私説を加へず、可惜世に埋沈せんとする真教、所謂祖宗の遺訓を中外に明かにし、神威霊徳を宇内に宣揚せん為めの神慮に依らせ玉へるものなれば、普通一般の宗教などと同一視すべきもので無いことを断言するのである。

   (六)

 現今我国に行はるる神道宗教は十三派の多きに達し、其盛況は喜ぶ可しと雖も、十中の八九まで殆ど偽善者の団体にして、敬神、尊皇愛国救世安民等、所在美名を楯に、白日公々然不正不義を敢行し、所謂羊頭を掲げて狗肉を売る的山師の巣窟たり。
 白く麗はしく塗立たる雪隠同様なり、巻絵の汁器に馬糞を盛りたるが如く、外観の美に反し内容の醜悪汚穢にして卑劣なる、言語に絶する者あり。
 従って之等の宗教に属し布教伝道に従事せる数多の教導職なるものを見るに、是亦十中の八九は、無学文盲常識を欠ける時代後れの田夫野人妖婦の類のみ、中にも稍文字ある者は概ね奸智に長け、詐偽的の行動を為し、衆愚を引率し大言壮語未来の貫主を以て自任し、派内に頭角を表はし、毒蛇の舌の其如く世俗を傷害しつつあるあり。
 猥りに祈禱禁厭神占等の末技を弄し、且つ荒唐無稽の囈語を吐き、恰も神明の如く、天使の如く、言語動作共に壮重を装ひつつ信者の顔色を覗ひ、其意志を肘度し、愚婦愚婦を瞞着し以て己が衣食の資に供しつつ、神聖なる教導職の本分を忘れて斯道を汚濁するもの而巳。此等の輩は実に我神道の為に獅子身中の毒虫なりと謂ふ可し。
 幾分にもせよ国史神典を解し、演説に説教に或は文筆を以て、斯道を天下に宣揚せんとするの技能あるもの、十七万の頭臚中果して幾十人かある。誠に心細き次第ならずや。
 偶之ありとするも、其素行にして治らず、人の軌範となるに足らず、偏狭奇癖にして高慢に長じ、世の先覚者たる可き要職にありながら、世と共に推移する事さへも覚束なきのみならず、天保時代の夢想を繰返し、現時世俗の軽侮を受け、或は識者の嗤笑を買ひ、殊に当該官衙は近来非常の疾視を以て之を遇し、妄誕虚語を慢にして愚民を籠絡し、変妖奇怪を神事に籍りて私欲を逞ふし、治安を害するものとして検挙せられたるもの、全国の都市を通じて実に夥しき数に達せりと聞く、寧ろ痛快の至と謂つ可き乎。
 此の如き偽教師背徳漢は、容赦なく其筋の尽力に依り、今後倍々清掃されたき事にこそあれ、従来各教派に於て教職を補命するに当り、情実又は金銭の多少に由りて為したりしかば、之が為に俳優にも難波節語にも教正あり、大工桶屋にも講義あり、売卜者にも井戸掘人夫にも訓導等あり、以て教導職の体面を汚し、真価を失墜したる事、世俗の想像以外に在り。
 斯界此の如き状況なるを以て、世間の之を遇すること頗る冷酷にして且つ蔑視する事、売主僧以下にあるが如し。
 茲を以て有為の人材は教導職たるを耻づるの傾向を生じ、意志弱き輩は先を争ふて神職其他顕要の地位を求め、転職するに至れり。然れば我神道界一人の立て哲理を研究し、学識を養成し、実践以て其道を明かにし、論難攻撃斯道の研鑽に従事するもの無く、神道界の衰微此秋より甚だしきはなし。
 是に反し、外教の徒は、盛に布教の従事し、学校を興し、議論を闘はし、書冊を頒布し、人物を養成し、在ゆる手段方法を講じて其道を天下に宣伝し、以て徐々に我日本魂を蚕食し、国民固有の元気と美風を没却せしめずんば止まざらんとせり。亶に痛嘆の至りなり。吁、皇祖、皇宗の伝へ給へる惟神の大道は、斯の如き状態にありて終に世に埋没せんとするかと、思案に暮るるの余り、夜も安眠する事能はず、孤燈の下に端座し国家の前途を想念する時、覚えず法然として泣下し、血涙顋辺に滂沱たり。
 彼神道教師等平素奉読する処の三條の御教憲は、果して何の心を以て迎へ奉りつつ在る乎。斯道の為一時も猶予す可らざるなり。
 吾等教導の任にあるもの、今まで眠り居たらんには、此時宜しく覚醒す可し。今まで怠り居たらんには、此際宜しく奮起すべしと、王仁は初めて決心の臍を固め、毀誉褒貶を度外に置き、皇道霊学の教旗を翻へし、勇気を鼓し、神道家に向って覚醒を促す事数年に及ぶと雖も、盲目千人の世の中、恰も木石に向って説くが如く軽微の反応ある無く、全く道義心の麻痺せるにはあらざる乎と疑はれ、余りに無神経無節操にして無気力なる、到底天下の大事を計るに足るもの無きを看破したり。
 然りと雖も王仁が心中に抱へたる一片の報告心は、如何にもして所信を断行し、有終の美を済す迄は、絶壁前に聳ゆるとも、白刃頭上に閃くとも、真理の為には一歩も退却せず、倒れて而て後に止むの決心なれば、何れの道より進むも君国に尽す精神に於て違変有る無く、只々皇道の真髄を宇内に輝かすを得ば足れりと思惟し、断然神道宗教界を脱し、更に某官幣社神職を奉仕したりき。
 元来王仁が理想たるや、官国弊社の神職なるものは、至って清潔にして汚穢に浸染せず、至誠神明に奉仕し、国家の崇祀に任ずるものにして、相当に国家の待遇あり資格あるを以て、比較的高尚なる人物や、敬神尊皇愛国の精神を有し、斯道の為に尽すの人士も在らんかと、日夜想像せしを以てなり。
 然るに王仁が理想は全然水泡に帰したり。如何となれば、現今官幣社神職の多数は、無能無智一人として立って国民を指導し、皇室の尊厳を維持し、皇道を天下に拡充せんとするの勇者なく、共に天下の大事を語るに足らず、朝に日供を献徹し、夕に賽銭を勘定して能事終れりと為すもの而巳。
 其他飲酒に耽り、青櫓に昇り、賤妓に浮れ、放逸不行の生涯を送るもの多数を占め、中にも尤も優れたるものは、僅に和歌を咏じ悪詩を綴り、以て己が才学を誇るのみ。一身一家の名利栄達を計るより外に、一片の報国心を有するなく、王仁は最初の予期に反し、大に失望落胆するに至れり。
 要するに官国弊社神職の大部分は、僅少にもせよ其棒給は一家の生計を支うる事を得るを以て、安堵し、只其職に恋々として地方官吏の鼻息を覗ひ、上職に媚諂ひ、偶心中に一の抱負を有するあるも、後生大事の為に、言語に発し筆紙に托して平素の初志を宣言する事を躊躇せる臆病者と化し去りしなる可く、外教の跋扈するあるも恬として顧みざるは神道家の地位としては、実に冷淡極まれりと云ふ可し。
 然りと雖も退而熟考する時は、亦実に止むを得ざるの事情あるなり。抑官国弊社の神官神職たるや、恰も官吏が国家の機関として法律上一定の棒給を得、司法若くは、行政事務の一部を分掌する如く、固より信仰の有無に関せず、一定の報酬を得て以て直接国家の崇祀に奉仕し、国家の礼典を司掌するの義務を有する者なれば、神社の氏子以外に信徒の依頼を受け、惟神の霊法を施行し、衆庶を接化補導し或は結合するを得ず、自由に各地へ巡教する事能はず、神社内に戦々恐々只管パンの種に離れざらん事を憂うるのみ。
 一挙手一投足の行動も亦四面に心を配り、社頭に侍ふ高麗狗の如く、社前に慎み畏み仕へ奉るより外に活動の余地なきを、如何せん。到底官国弊社の神職として、皇道を宇内に宣揚布演するの至難、否絶対的に不可能なるを看取したる王仁は、邦家の為に、一日も其職に止まり貴重の光陰を空費するの惜しきを覚り、心の駒の歩む儘、断然意を決し、直ちに辞表を呈出し、幸に許可を得たれば再び神道宗教に逆戻りを為し、年来主張せる皇道霊学に拠り、大に天下に雄飛活躍せんとする折しも、某教管長王仁を招いて曰く、余嘗て官国弊社に職を奉じ神祇に奉仕する事前後四十余年、されど神職の地位たる、教導職の如く自由自在に国の内外を問はず接化補導の任を尽すに適せず、陛下の臣子として皇国刻下の状況に想到する時は、斯道家たるもの黙視するに忍びず、断然宮司の職を辞し、幸に今や一教の貫主として、君国の為、斯教の為に尽さんと日夜孜々として活動しつつあり。
 然りと雖も世の中は一に人物なり、二に金なり、其第一位たる人物無きを如何せん。聞く貴下は官幣社神職として社務繫多なるにも拘はらず、斯道の拡張に熱心にして、接化輔導に最も堪能なりと、願くは貴下余が代理となり、且つ本教の総理となり、共に相提携して惟神の大道を宇内に宣揚せんには、如何なる内邪の仇も外邪の敵も、忽にして旭日に露の消ゆるが如くなる可し云々と、一言一句悉く王仁が肺腑に浸潤するにぞ、予ての思望に適合せると歓び、直に其請を容れて入教し、殆ど二十箇月心魂を消磨し、教勢の挽回策を講じ、教風の改革を計ると雖も、元来醜悪の団結なれば、事情纏綿容易に手を下すの余地なく、腐敗堕落の極に達せる部内数万の教師は、却て正義公道を忌み懼るるが如く、王仁を目して私慾を営む為めに大妨害者となし、暗々裡に力を極めて排斥し、表面畏敬するが如く尊信するが如く欽慕愛服せるが如き状態を示し、以て介意懸念なからしめ、而て裏面には満腔の機智権変を運用し、奸謀奇計を講究し、時機の熟するを待つといふ危険なる人物のみ。
 斯る教派に一身を托するも労して功無きのみならず、恰も颶風に軽舸を馳せて岩礁点綴の間を進航するが如し、派内の廓清などは思も寄らぬ難事にして、今日の場合自然の成行に任すの外道なしと断念し、茲に弥々独立独歩、従来唱へ来りし皇道霊学会の主旨に拠り、其組織を改めて新に直霊軍と称し、天下に鵬翼を張らんとす。抑本軍の目的たる、固より治国安民にあり。
 斯る大事業を遂行せんと欲せば、必ず千里独行の決心を以て、万難に撓まず屈せず、勝利の都会に達する迄は、仮令如何なる蹉跌失敗危険等の襲来するある共、百も千も覚悟の上なり。堅忍持久以て他の制裁を受けず、他の扶助を蒙らず、本軍同志と共に独立の体面を保持し、本軍独特惟神の妙法に依拠し、細矛千足の国の神さびを宇内に宣伝し、発揮せずんば、死すとも退却せざるの精神なり。
 願くは天下憂国の志士賢婦、この挙を賛し速に来って、本軍に参加し、神の兵士として奮戦激闘せられん事を。
(明治、四二、二、一五 直霊軍、第一号)
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