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文献名1出口王仁三郎全集 第2巻 宗教・教育編
文献名2【宗教編】第4篇 神霊世界よみ(新仮名遣い)
文献名3第26章 神霊問答よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考2023/10/04校正。
タグスエーデンボルグ(スエデンボルグ、スウェーデンボルグ)、お紋狐(オモン狐)、堺峠?(峠境) データ凡例 データ最終更新日2023-10-04 03:39:28
ページ343 目次メモ
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本文 時……昭和七年八月六日
所……天恩郷高天閣
人……出口王仁三郎、信徒A、同B、同C、同D、同E、同F、同G

A『霊夢の判断の方法とか態度に就て、お伺ひ致し度うございますが』
王仁『レイムつてなんじやい、夢か?』
A『例へば夢で聖師が或る家に来られて、天津祝詞を奏げられた時の聖師の着物とか姿が、ハッキリわかるとかした場合は何ういふ御心がお働きになつてゐるのか、判断に苦しむことがありますが』
王仁『その夢の事か、じや、夢の種類から云はねばならぬが、神夢、霊夢、実夢、虚夢、雑夢、悪夢といふのがある。神夢といふのは、神が姿を現はして、或ひは白衣の老人が現はれたとか、或はわしの姿が表はれたとかして、そこで色々の事を教へる、といふやうなのが神夢じや。霊夢といふのはもう少しぼんやりして居つて、或は太陽が出たとか、富士山に登つたとか、或は鷹が来たとか、さういふやうな瑞祥の夢を見る時や、それを秩序整然と初めから終ひまで憶えてゐるのが霊夢や。併し霊夢には良いのも悪いのもある。この前にかういふ霊夢を見た者があつた。葬礼の夢といふのは納まるといふて非常に良い夢やといふのや。古から鷹の夢といふのは、一富士、二鷹でよい夢といふことになつてゐる。それから黍の夢、黍の夢とか粟の夢は実が多いから良い夢やとある。が、四方春三が上谷に居つた時葬礼の夢と、鷹が三匹来た夢を見た。それからズル黍といふて一穂に一万粒も実のなる黍の夢を見た。良い夢を三つ一緒に見たのだ。それをわしが判断してやつて『ソレ見タカヨイキビ』と言ふた。二鷹なら良いのや、併し一富士、二鷹、三茄子の夢は良いけれども、之は本当は夢の事でなくて、徳川家康の心得としてゐた事なのだ。家康は黄金を沢山有つて居つた。軍用金を沢山有つて居つたから天下をとることが出来たのだが、その黄金を貯へるのに、例へば奢りをし度いとか娯みをし度いと思つた時に、富士を見たのだ。今の人なら花見だとか芸者買ひに行くとかするのだが、そんな時に富士の風景を見て、それを第一の娯しみにして居つたのぢや。二つ目の楽しみは鷹を飼ふこと。他人に御馳走をする時でも自分は金を出さずに鷹に鳥を捕らしてそれで料理して御馳走した。それから茄子を作つて浅漬けを非常に楽しみにして居つたのぢや。その位の心得で金をためてそれで天下を取つた。家康は実際はその様な心得のあつた人だつた。それで一富土、二鷹、三茄子の夢を見たら、その心得になつて居れば教訓になるから良いと云ふのぢや。併しその心得にならなんだら何にもならない。
 悪夢は妙なものにおそはれたりするやつ。雑夢は木に竹を接いだやうなことで、今亀岡に居るかと思ふと東京に居たり、又綾部に居つて見たり、梅の木ぢやと思つて居つたら牡丹の花が咲いて下に筍が生へたり、木に竹を接いだやうなのを雑夢と云ふのぢや。
 それから人の心気が霊に感じて、気分の良い時には霊夢を見る。雑念のある時には雑夢を見る。良い夢を見るのは総じて右の肩を下にして、平仮名の「さ」の宇になつて寝た時には愉快な夢、左を下にした時には悪夢、仰向けになつた時にも胃腸の弱い時等には悪夢を見る。又かういふ夢もある。河内といふてわしの親爺の生れ故郷ぢや。其処に宗三右衛門といふ長者があつたが、若い時は貧乏で、上下といつて京都行の荷物をして居つた。或日京都からの帰りに鳥羽村の川縁で連の男と二人で一服して居つた。さうすると宗三右衛門はおきて居つたが、連の男が眠つてしまつた。見てゐると、その寝てる者の鼻の穴へ蜂がは入つて出て又別の穴から出て行く。起してやらうかと思つたが、放つとくと又蜂がは入つて行つて又こつちの穴から出る。出ると近所の荊棘の中へは入つて行つた。終ひに起してやると「小判がドシンと落としてあつたので拾はうと思つたのに、起したもんだから…」と云ふ。「そんならその夢を買はうか」と云ふと「買ふ買はんて、何つちにしても夢の事ぢやないか」「そんなら今日儲けたのを皆やらう」「それなら…」と云ふのでその夢を買ふてしまつた。「お前の夢を買ふたんやさかい、実行しても俺の物やぞ」と云つておいて、翌日その蜂のは入つた処へ行つて見ると、ザクザクといふ程小判のは入つてある財布が隠してあつた。泥棒か何かが隠して置いたものだらう。そうして長者になつた。それから之はわしの実見した夢だが、之も鳥羽で、家の親爺と二人で──わしは十二三だつたが、──河内へ鮎を獲りに行つた。丁度この頃の気候で、雨が降ると鮎を獲りに行くのだ。鮎を獲つて鳥羽まで帰つて来ると丁度十二時頃、さうすると火の玉がころげて居る。こわくて仕様がない。それから家の親爺が癇テキ者だから杖で火の玉をドツキに行つた。さうしたらシユッと逃げて三軒程先の家の中へは入つてしまつた。でその家を「もしもし」とたたき起して「変な物がは入つたが、何ぞ居りやしませんか」と云ふと、こつちの方で「ああこわいこわい」と云ふて「大きな男が子供連れて出て来て、ドツキに来たからびつくりして逃げたら夢やつた」と云ふてゐる。わしはそれを聞いて寒気がした。かういふ風に向ふが夢を見てゐたのぢや。それは人玉が飛び出したのぢや」
B『さういふ時には、精霊が飛び出て居るのですか』
王仁『さうだ。これ等は実夢で、最前云つたのも実夢だ。わしはそんな火の玉を何遍も見たが……。子が生れる時と、その子が死ぬ時と二度見たがね』
B『今度の神の国に、生れる時に人玉がは入るといふのは……』
王仁『実際わしは見たが、は入るのと子が生れるのと一緒だ。そしてそれが出たと思ふと死んでしまつた。それから之は綾部の話だが、鹿造の親が死んだ時に、鹿造が長火鉢に丹前姿で威張つて居る。すると其処にウイロ饅頭みたいな物が火鉢の傍にある。何じやおかしいなアと思つて見ると、ウイロでもないし、妙な物があると思つて取らうとしたら、母親の口の中ヘポツとは入つてしまつたのぢや。おかしいなアと思つてゐると、又コロコロと出て来て火鉢の上へのつた。今度こそはパツと掴んだと思つたら、婆さんが『キヤツ!』と云つた。それで死んでしまつた。病気で寝とつたのであるが……』
B『それを夜見ると、光るのでせうね』
王仁『フーム。穴太の金剛寺の隣座敷に風呂岩と文助勝といふ二軒の家があつて、其庭から見ると其処に井戸の傍に火玉が出ると云つて、村の者がみな見に行つた。プーツと上がると後が褌を引ずつたやうに見える。そいつがバシヤツと家の椋の木へつき当つた。ガバツと落ちてグシヤグシヤと光つて居るのぢや。翌日見たら雪隠虫のやうなものに一寸ばかり毛の生えたものが、毛どうしからみ合ふて円くなつて居つた。いまだに何か分らん。毛許りで雲隠虫のやうな物が二百位居つただらう。未だにわしはその椋の木の下へ行くと思ひ出す。溝があつて、西側に椋の木がある今は大きくなつてゐるが、其の時はそんなに大きくはなかつた。
 それから夢といふ物は、例へば君がこつちに「彼の女」があつて恋慕して居るとする。何とかして一つ口説いてやらうと思つて居るが、又一方で振られたら耻かしいから云ふまい、といふ反省力がある。処が寝てしまふと、他の思想が皆寝てしまつて、何とかして云ふてやらうやらうといふ心だけが独り起きとる。それで夢の中で「あなたを好いとつた」とか何とか云ふと、又向ふも亦うまいこと云ふ。さうするとそれが夢やハハハハハ……。金が欲しい欲しい思つてゐるけれども、起きてゐると金が滅多に落ちて居りそうな事はないといふ反省力があるが、寝てしまふと金が欲しい欲しいといふ精神計りが起きてゐる。それで金を拾ひかけたりする夢をみる。神から知らすといふのはあるけれども、神夢を見るといふのは余程魂が清浄でなければならん。
 今年は日の出の夢を見たとか、富士の山を見たとかいふのは霊夢ぢや。
 実夢は、何処そこに何が落ちとつたといふやうな事を見て、翌日行つて見ると実際にそれがある。蜂が鼻の中に、は入つたのなんかは実夢だ。自分は蜂でないにきまつてゐる、夢で見たのだからな。悪夢はおそはれる奴だ』
B『こわい物におそはれるのは、矢張り霊でせうか』
王仁『さうだ。そこら中霊ばかりだから。霊が充満してゐるのだから』
C『今修業に来てゐる人で、お伺ひして呉れと云はれてゐるのですが、近江の長浜の人で建築の技師で御座います。今まではお大師さんを大変信仰して居りまして、去年の十二月から大分長い間夫婦でお四国詣をしとつた人です。服部といふ長浜の支部長さんと神様のお話しで喧嘩するやうな議論をしたのです。別れてからあんまり言ひ過ぎたからお詫をせなならんと思つて寝たんです。さうすると夢に、伊吹山の直ぐ上の処に星が三つ現はれて、二つはとても光るのです。ダイヤモンドのやうに大きく光るのです。その二つの下の処には一寸暗いのがあるのです。不思議だと思つて醒めたのです。それでお詑に行かう行かうと思つて行かないで居ると、又夢を見たのです。六畳の間で寝て居りましたところが、大きな蛇体が欄間を巻いたのです。色は金色に光つて、それがザラザラと動き出したのです。汗みどろになつて醒めました。で愈々服部さんにお詑に行かうと思つてゐると服部さんが来て呉れました。「実はこんな夢を見たのですが」といふと「あなたは半ケ年の中に屹度亀岡に修業に行きます」と云つたのです。それから話しが接ぎ接ぎになりますが──水口に広瀬といふ信者さんがあるのです。同じ職業なものですから、そしてその方が口を探して居られたものですから、其処へ行らつしやい、といふので、広瀬さんのところへ行くといふと、「早く修業に行きなさい。私が旅費なんか立て替へますから行らつしやい」といふのでとんで来たさうですが、今日で四日許り泊つて居られます。さうした所が、夢で聖師様が現はれて「よう来た、お前に何か書いてやる」と仰有られて書いて下されるといふところで、眼が醒めたさうです』
王仁『その夢が何うや。何も別に判断するやうな、夢じやないぢやないか』
C『私はこんな判断をしたのです。伊吹山に現はれた明るい星といふのは、厳霊様と瑞霊様じやらう。暗い星はお大師さんでお大師さんは仏、仏の世は済んで、厳霊様と瑞霊様の処へ来いといふ意味だらうと、こんなに申しましたが……』
王仁『それはさうに決まつて居る』
C『それから大蛇といふのは、督促係じやないかと思ひますが……川田さんといふ尾道の信者さんが良く云はれますが、神様の事を反対してゐると其処へ大蛇が出て取巻いたので閉口して、飛んで来てお参りした。その時は恐ろしくて、と云はれますので』
王仁『それは金竜海の金竜だ。修業して金竜海へ参れといふことだ。此処(亀岡)で修業したら金竜海へ行くだらう。金竜海には──金竜と銀竜が、あそこへ納まることになつて居ると云ふ歌があるだらう──。四ツ王山に居つた金竜で、それが大八洲へ行くのだ』
B『現在お鎮まりになつて居らないのですか』
王仁『なつて居るとも、大蛇で、天保銭程の鱗をわしは有つて居るよ。黄金閣か何処かへ置いてある。天保銭より一寸大きいぜ。証拠を見せて呉れといふと鱗を二枚落として行つた。血がついて居る生生の奴を残して行つた』
C『大正八年頃拝見しました。薄桃色のでございますね』
王仁『それが大阪の松島へ出て来て落したのだ。谷前の所へ来て、神島を祭つて呉れといふので、何ぞ証拠を見せて呉れといふと、この鱗を見て呉れたら大抵大きさがわかるといふので落して行つた』
B『夏樹が先日大病した時、初恵が蚊帳の外に居たので、パンヨが夏樹も居るからサアおは入りと蚊帳を上げてやると中には入つて、夏樹の側に寝た相ですが、その翌日からダンダンよくなつた相で、私が浦和からの手紙を見て霊前で夏樹を守つてやれと祈つた時だつたのですが、霊が行つて看護したのでせうか』
王仁『霊が来て居るのや。執着が強いと五年も六年も付いてゐる。わしの祖父さんも五つか六つ位まで付いて居つた。それから、弟の吉公が祖父さんと同じことだ。祖父さんは博奕許り打つて死んだのだ。その祖父さんは畑の草を取る時に其処へ埋けといたら良いのに又生ると云つて、口にくわへて向ふの畔まで行つて畔の外へ放る癖があつた。吉公が四つの時に両親が畑へ草取りに連れて行くと、吉公が又祖父さんと同じやうに取つた草を口にくわへて、向ふの畔まで行つて畔の外へ放るのだ。又博奕打ちの祖父さんが生れ変つて来た、と云ふて居つたが、矢つ張り博奕許り打つて、家から牛からわしの金時計から何も彼も打つてしまつた。博奕打ちの親分の河内屋が引つ張りに来てしやうがない。わしが鳶口で弟の首筋を引つ掛けて連れて帰つた事があつた。さういふ風に同じ癖をやるものだね、生れ代りと云ふ奴は』
D『病人が熱が高いのは、邪神がやつてゐるのですか』
王仁『邪神が憑つて、悪霊におそはれて熱の高いのもあるし……。それから癒るのは九分まで信念が助けるのだから、例へば柚の話をしたら口が酢うなるだらう。人の精神作用によつて肉体も直変る。嬉しい時には顔色が良くなり、失望すると青くなり飯も食へなくなる。それで熱も此人が来たら救けて呉れるといふ信念と神様の神霊とで癒る。頑固な人は滅多に癒らない。そんな人が癒るのは神様のお力許りだ。信念のない人でも癒る事がある。そんな人は此世にまだ用がある人なのだ』
B『癒つてから矢張り神様があるなといふやうなもんでせうな』
王仁『そんなのは一遍は救けて呉れるが忘れると今度はいかん。肺結核でも四十以上になつてゐる人は癒つて長生きする。二十台の人は癒らない。人は情欲の発生する病気でそれをしたら屹度悪くなるのだから……』
D『三十までの人で癒つた人はありませんね』
王仁『癒るけれども、又あれをやるさかいに。年寄りは癒ると固まつてしまふのだ。それから猩紅熱や何かでも──西田元吉が猩紅熱になつて居つた。わしが行くと、警官や医者や衛生係が居つて、は入ることならぬと云ふ、フト考へると──西田は鍜冶屋をして居つたが、その弟子が他の鍛冶屋から金を三円貰ひ、西田を呪ひ殺せといふ依頼を受けて、産土さんの杉に釘を七本打つてあるといふ事がわしにわかつた。西田は上手で安ふするものだから、他の鍛冶屋が恨んだのだ。家の奴が釘を打つのがわしに見えたのだ。それから衛生係や何か居つて騒いで居つたが、之は猩紅熱でも何でもない。産土さんの杉に釘が七本打つてあると云つて、近所の人やその打つた奴にも行かしたら、そいつは吃驚してその晩に紀州へ去んでしまつた。それから翌日釘の穴に餅を買つて詰めといてやつた。釘を抜くと同時に、病人は四股を踏んで、『こんなもんや』と云ふて逹者になつた。医者も帰つてしまつた。それから本当に癒るまで百日かかるといふて置いたが、果して毒が残つて後がなやみ出し、体がはれてこんな畳の敷居の高ささへも這ふて越せん位になつて居つた。ところが百日目に臀部から破裂して、三升程泥水みたいな膿が出て、それで癒つてしまつた。それまで西田といふ奴は神様に反対して困り者だつた。まだその杉の木はある』
E『そんなに釘を打たれたりしても、こちらの霊魂が正しい信仰をして居つたら、そんなにならないですむものぢやないのですか』
王仁『併し生木だからな。彼奴を殺つたら「抜いてやるやる」と云つて打つのだから、木にも魂があるから……木魂に響くといふが天狗や何かは木魂で、魍魎はスダマだ』
B『その釘を打つた奴は、何うなるのですか』
王仁『紀州へ行つて病気になつた。それから西田に「行つてやれ。そして恕してやるさかいにと云ふてやれ」と言ふたが、さう云つてやつたら矢つ張り百日かかつて癒つた』
D『人を化すのは、狐や狸の外にもあるのですか』
王仁『今はなかなか狐や狸は直接には欺さない。私等は欺された。昔は嘘つくといふやうな事はなかつた。わし等の若い時でも嘘ついたら交際しなかつたものぢや。今の狐やなんかは人の身体の中へは入つて、サツクにして使つてゐる。人間も賢うなつて飛行機に乗つて空を走つたりするから、狐も人の体をサツクに使ふのだ。それから亀岡の士族で、川上さんといふ先生があつて、犬飼の学校に居つて、又佐伯の学校に転任になつた。峠境にオモン狐といふ悪い狐があつたが、或日その川上といふ先生が、峠をどんどん上つたり下つたり許りしてゐるのぢや。フツと見ると天狗岩の処に狐が居つてペツと尾をこちらへ振ると、どんどんどんどんとこつちへ下りるし、あつちへ振ると、又どんどんとあつちヘ上つてゆく。たうたう死んでしまふたけれども……。今は狐に化されたといふのは聞かんね』
B『この頃は聞かんなア、本当に』
王仁『ちつと人智が進んでくると化すことは出来ない。昔の人は狐が欺すもんじやといふ事を、自分が思つてないでも、腹の中からさういふ血を受けてゐるから欺されたのだ。先祖代々血液の中に渡つて来てゐるのだから、今はそんな馬鹿な事があるもんかい、と思つてゐるから……』
B『河童が欺すと言ひますが、河童とかいふ物は本当に居るのでせうか』
王仁『居るとも、家に河童が居るぜ。小国の上野さんのところから持つて来て呉れたのだ。上野さんの先祖が川へ酒樽を洗ひに行くと、酒の香を嗅いで河童が出て来て、向ふの方で踊つて居る。それで石を投げたらその川の中へ跳び込んでしまつた。川は滋賀瀬川といふ川だ。今度来たら切つてやらうと思つて、片方の手で樽を洗つてゐると、樽に妙な手をかけたので差添へを抜いてパツと切ると、その手を置いて逃げてしまつた。それを大事にして残して置いたものだ。さういふいはれを書いたものがある。細い手で矢つ張り五本指がある。穹天閣の宝物の中には入つてゐる。人の手とちつとも変らぬ。三つ位の赤ン坊の手位で、指が非常に長いし、爪も大変長い。乾物になつてゐるのだから、腕の骨もこの拇指程しかないね』
D『河童が血を吸ふと云ひますが、本当でせうか』
王仁『河童といふけれども、蝦蟇も河童の一なんだゼ。蝦蟇が鼬をこつちから狙うと、鼬が其処で何うしても動かれん。そして血を吸ふのだ。蝦蟇と鼬の間に板をやると血が付くといふ。わしは実験したことはないけれども、良い程血を吸ふて殺してしまふてから、蝦蟇が草原の中へ持つて行く。四五日経つと腐つてしまふ。蝿がたかつて虫がわく。さうすると又蝦蟇が這ひ上つて行つて、その虫を皆食つてしまふ。
 も一つ不思議な事がある。家の祖母さんの話じやが、家の庭の上に燕が巣を組んで子を産んで居つた。すると蛇が梯子を上つて、燕の巣を狙うてると一尺程届かん。どないするかといふと、半日程見てゐると、蛇の中から又蛇が出て食うてしまつたさうだ。性念魂が出て来たのだね。それから金剛寺の屋根替の時の事だが、屋根の高いところに雀が巣をしてゐた。そいつを蛇が這ふて上つて雀の巣をとらうとして、誤つて屋根から石庭へ落ちて頭を打つて死んで仕舞つた。それで寺内の薮の中へ蛇を放しに行つた、三日程すると雀が巣の中で騒ぎ出した。見ると赤蟻がずつと柱から続いて巣へ来てゐる。さうすると、ずーつと赤蟻の続いてゐる終ひはその捨てた蛇のところで、蛇は骨だけになつて居つた。蛇から蟻が続いて居つた。三十間位あるだらうね。それはその時分にみな見に行つてえらい事だつた。霊といふものは怖いものや。蛇の霊と云ふのは良い霊ぢやない。人が死んで大蛇になつたと云ふ古事はいくらもあるが、人の想念が凝り固まつて、つまり霊魂が凝結したら蛇になる』
B『そんな一心は、すごいもんですなア』
王仁『それ位一生懸命になつたら、病気でも何でも癒つて了ふ。俺は歯が痛うてもう三十日程も癒らんが、精神作用一つで、必ず癒るものと思つて痛い歯で物を食べてゐる』
D『戦争に行つて同じ処へ行つて、一方弾丸に当らん人と、その傍で戦死する人もあるし、そんなのは霊的に何かあるのですか』
王仁『それは霊的関係もあるし、都合よく繰り合はせして貰ふのもあるけれども、弾は横へ曲んで来んからじつとして居つた方がよい、蒙古で俺の乗つてゐた驕車は、金々ピカピカで誠に良い標的であつた。それで当つたらいかんと云つて、慮占魁が外から判らん様におほひをしたので、暑いから外に出て馬に乗つた処が弾丸がいくらでも飛んで来る。併し隠れたりする奴に皆当る。松村とわしとがじつとしてゐたが、じつとして居つたら其処丈けしか来んだろう。飛び廻ると一瞬間に当る場所が広くなる訳だ。金的と尺の的では金的の方が当らん。わしは弾が来るとじつとしてゐた。あわてるとやられる。走ると余計受けるやうなものだから』
D『一つは先づ霊でやられて、それから肉体がやられるらしいといふ事を、聞いた事がありますが』
王仁『霊でやられてゐるから、挙措度を失つてしまふのだ』
F『私の兄貴が日露戦争で実見したのですが、非常に勇敢な連隊長で、胸から上をのし上つて指揮をして居つた位ださうで、或朝「僕は帽子に入れとつた天照皇大神宮様のお札がなくなつた」と消気て居つたので「いや品物ですから、なくなる事もあるよ」と口を極めて慰めたが、丁度その日戦死したさうです。その日は特に頭丈けしか出さないで居つたさうですが、頭へ弾丸が当つて戦死したさうです。それから自分が足をやられた時も、何だか気抜けがしたと思ふと、その時やられたさうです』
王仁『神様といふ事を離れたら落胆する。……信念の力は強い』
D『神様にお願ひして置いて、素盞嗚尊様なら素盞嗚尊様、瑞霊様なら瑞霊様と念じて石笛を吹いて居ると、如何にも神様がお出でになつた様な気分がしますが、本当にお出でになるのでせうか』
王仁『それは相対の原理ぢやないか。こつちが神様と思ふた時には、神様の霊もこつちへ来るのだ。死人の事でもこつちから思つてやると向ふで会つて居る。死者の霊が或は夢になつて現はれる事もあるが、思はなかつたら会へやしない。相対的で相応の理だからね』
B『霊の正しい霊であるか、正しくない霊であるかといふ事の見分け方といふやうなものは、ないでせうか』
王仁『感じた時に、正しい霊なら額が熱い。前額から暖かくなつて来る。それは正しい霊で、悪い霊はぞーつと尻から来たり首筋から来たりする。鎮魂すると、『体が熱うなりました』といふだらう。霊魂といふものは善を思ひ善を為せば、恩頼といつて無限大に増へるものだ。悪い事をすると減る。人殺しでもしてゐると、何でもない事に巡査が来ても、すぐ捕まへに来たのぢやないかと思つてびくびくする。良い事をしてゐて『警察からでも褒めて来て呉れんかなア』と思つてゐる位の時は巡査が来ても、ああ来て呉れたか、といふやうなもので平気なものだ。それと同じことだ。神は愛善、神は愛だから神を愛し人を愛するといふ事、之程強いものはない。だから神を信仰する者はいくらでも魂が肥る。信仰のないものは直ぐ落胆するから、魂はやせる一方と云ふ事になる』
B『進取的なものはいいと云ふ事には、ならないでせうか』
王仁『進取的でも信仰のない者は、扇の要のないやうなものでだめだ。でないと得意の時は良いけれども、逆境に立つと見られんやうに気の毒な姿になる。私は随分逆境に立つたが、立つ程面白くなる。之丈け一つの経験を得た、と思つてゐる。蒙古の時に信仰といふものは、こんなに阿呆になるものかと思つたが、あの時は妻子の事も思はなかつた。唯神様の事と世界の事とは思つてゐたが──それは一生懸命だつたから──その他の事はちつとも思はなかつた。銃を向けられた時も「之から天界へ上るのだ、併し天界へ行つても地上の人を守護してやらう」と思つてゐた位だ。別に怖いともかなはんとも、何とも思はない。自分の辞世を詠んで他人のも詠んで、まだ滑稽な歌まで詠んで笑つて居つた位だつた。
  我を待つ天津みくにのわかひめをいざしに行かん敵のなかうどに
 信仰があると、こんな時にでも滑稽な事が云へて来るものだ』
F『霊界に於ける士農工商と云つた様な組織を、御話し願ひ度いのですが』
王仁『霊界物語に、書いてあるじやないか』
F『天界に於ても士農工商があるとか、私利私欲を主にせずに、公共の幸福のために業をいそしむといふやうな事は、お示しをいただいて居りますが、もつと詳しく具体的な方面をお示し願ひ度いと思ひまして』
王仁『わしのは二度言はれん事になつてゐるのだ。神様は一旦言はれたら二度と言はれんのだ。神の言葉は二言はない。それで先きに言つてしまふと本が出来ないから、霊界の事はあんまり言ふのはいやなのぢや。その時一遍しやべつたら、二度と言はれんからな。大祥殿で講師が同じことを何遍も言ふてゐるのは、あれは取次だから良いが、わしのは二度と同じ事を言はれん役なんだから。若し大祥殿でも、私が言ふたら今までに言はなかつた事を言はねばならんから、なかなかむつかしいのぢや。けれども死後の生活や何かはあれ(霊界物語)を見たら大底わかるはずだ。芦田はんの書いたのに詳しく書いてあるが、スエーデンボルグだつたかなあ、霊界は現界の移写であると、之丈け考へて居つたらええ。正しい人の現界と天界とは同じことだ、……この世は形の世、型の世で、お筆先にも「十里四方は宮の内、福知舞鶴外囲ひ」とあるが、お宮さんのこんな小さい形が一つあつたら、無限大に想念で延びる。富士山の写真をとると、小さな写真でもそれで富士山で通るぢやないか。現界は何千何百哩とか云ふて居るが、霊界で見たらどの位になるかわからん。人間も五尺の躯殻だけれども、想念に依つては太陽に頭を打つやうな処まで、拡張するかも知れない。霊魂上の世界と、肉体上の世界とは違ふのだから』
F『例へば……農業等でもやつぱり種を蒔いたり、草を除つたりするのですか』
王仁『それは天国で蒔いて居らなければ、地上に蒔かれん』
F『みな同じやうな手続きを、踏むのですか』
王仁『──このものは青人草の食ひて生くべきものなり、天の狭田長田に植ゑしめたまひ……とあるやうに、天の狭田長田に植ゑられるから、現界にも田植が出来るのじや。天国といふけれども雲の上にあるのぢやない。かうして居るのもみな天人がかかつて働いてゐるのだ。稲を植ゑる時には妙な心を持つて植ゑるものはない。他人の悪いことを思つたりなんかしやしない。邪念も何にもない天国的想念でやつてゐるものだ』
F『食事も現界の人が食べるやうな、同じ方式でやるのでせうか』
王仁『霊身だから霊気を食ふのだ。現界の人間が食べて糞をたれるやうなものじやない。白い米を食べても黄色い糞をたれて赤い血を出す。黄色くなるのもそれは霊がしてゐるのだ。で之は人が食ふとつても、天人が食ふとるのだ』
F『煙草はあるのですか』
王仁『こつちにやつてゐる事は、皆ある』
B『酒は如何でせう』
王仁『酒もあるとも、町もあれば、士農工商皆ある』
F『地獄の方は、そんな職業はないのでせうか』
王仁『それはない。生産的の事はない。争議団を興して他人の物を分配して、食はうといふやうな事を考へて許り居るのだ』
F『商売なんかは──呉服屋もあり米屋もあり八百屋もあり、といふやうにあるのでせうか』
王仁『あるとも、現界は移写だから、売買はこつちとは一寸違ふが、約りいふたら、一村なら一村は誰の物でもない、村長が皆神様から預つて居るのだから』
F『その分配の便宜を計るといふやうな者が、商売人でせうか』
王仁『そうだそうだ』
F『工業や何かでも……大工とか機械工業など』
王仁『大工はこつちで大工して居つた人が大工するので……機械工業も発達してゐる。霊界から現界へ写る。現界が進むから霊界が進み、又霊界が進むと現界が進む。霊肉一致だ』
F『それにも地獄的のものもあり、天国的のものもあるのでせうか』
王仁『地獄的のものは、天国には居れはせん』
F『営利的な、腹の黒いのは、地獄的にやつて居るのでせうか』
王仁『それは八衢的だね。本当の地獄へ行けば、生産といふ事はないから』
F『現界では日本などは親と子といふやうに、経の関係を本位として居りますが霊界では神様が親様で、あとは皆子に当るといふことになつて居りますが、一つの家庭に於きましては、夫婦の他に祖父母とか父母とか子孫とかが、一緒に住むといふことはありませんのでせうか』
王仁『意志想念が合ふて居ると同じ処で同じ団体に住める、意志想念といふものが合ふて居れば、村中幾ら家があつても一つの家だから』
F『現界では子供が生れると大騒ぎを致しますが、霊子の生れる時にも、それに似た様なことがあるのでせうか』
王仁『意志想念の世界だから、人間のやうに妙な処へ○○せんでも、頬と頬とくつつければ出来るといふやうなもんだから、おして知るべきだ』
G『この間北海道の雑誌を見たら、お神酒の香を嗅いでも、修業の妨げになる守護神が多いといふて、神様に上げるのまで止めてると書いてありましたが、少し矛盾してゐると思いますが』
王仁『自分が嫌ひだからといふて、上げんといふやうな事はない』
G『聖師様が、お神酒を上られたら』
王仁『わしの肉体は嫌だ。自分が撒饌後いただいたら上げたんぢやない。教祖はんは──「神様に上げるものといふたならお燈明丈けや。外の物は皆こつちがいただくのや。神様が皆食べはつたら誰もよう祭らへん」──と始終言はれた。「今日はかしわ買ふて来い。今日は何買ふて来い」と云つて毎日五合も御酒を飲まれたら本当によう祭らんだろう、それでも召し上つても供へる、自分が食ベないでも神様に上げるといふ信念でなければならんのだ。主一無適といふのは「神に仕ふること、生きたる人に仕ふるが如し」といふ精神だ。家が無からうが、自分が食へなからうが神様にお供へする、といふのならば本当の信仰だけれど』
G『物語に、男の人が改心すると女神さんが現はれます。あれはやさしいといふ事を表はして居られるのでせうか』
王仁『愛を表はして居るのだ。愛は女性的のもの。愛の女神といつて女は愛で男は勇気を司る。艮の金神が稚姫岐美命のみたまを借りて、出口の神と現はれると書いてあるが開祖はんは稚姫岐美命の生れ変りだ。それの体を借りて霊を借つて開祖と現はれられたのだ。所謂国常立尊は稚姫岐美命であり、稚姫岐美命は出口直でありといふ事になつて居る。神と現はれるのや。神になるのぢやない。酒呑んで首を振つて虎になるのだつたら、本当の虎になるのだ、が虎となるのだ』
G『霊学三分で筆先七分とありますが、何ういふ程度でせうか』
王仁『それは何時までもと云ふのじやない。あの時分は一生懸命霊学許りやつとつた。鎮魂許りして居つた。神が在るか無いかといふ事を人に証明する為に、三分位は見せても良い、といふ事だ。先きになつたら霊学などせんでもわかつて来る。それはその時の戒めだつたのだ、永遠の戒めでも何でもない』
F『この間青木中尉が上海から帰つて来て、日本でも扶乩なんかで出して呉れると神様が直ぐわかつて、いいんですがと云つてゐました』
王仁『扶乩でも幾分そうだが、神様といふものは、人をたらすことがある。開祖さんのお筆先でも、「平蔵どの……」とかいつて、三千世界の神様が「平蔵どの」等とおかしいけれど……扶占でも「井上留五郎に酒一杯飲まして、二十円やれ」といふやうな事迄あるのだ。神様の神策で勢を付けて働かすためだ。お筆先にでも「御用きいて下さつたら手柄さす……」と書いてあるが、交換条件みたいに手柄等さして欲しくはない、と思ふけれども、初めは手柄のし度い人が居つたのだから、対者によつてさう言はなならんのだね』
G『みろくの世には、飛行機は要らないとありますが』
王仁『みろくの世には飛行機より、もつと良いものが出来るからだ。今の飛行機みたいにあんな事をしないでも、よいやうになる』
F『大本でも航空といふ事に努めて居りますが……』
王仁『過渡時代には、必要なのだ』
F『宣伝は勿論、聖師様がたが各所を往来される為、お乗りになるといふやうな事もあるのでせうか』
王仁『それはある。航空といふ事の観念を国民に持たす為には、こつちが範を示さねばならぬから……』
F『我々としては将来に対し、大なる抱負を持つて……小さい気持ちで引つ込み思案ではいけないと考へてゐるのですが。それから救世主がくもに乗つて、再臨されるといふのは船に乗つてお出になることだと、お示しになつて居られますが、我々としては何うも飛行機にでもお乗りになつて文字通り、雲の上からお降りになつていただき度いやうな気が致しますが』
王仁『くもは船の事で、飛行船の事だ』
B『その時分にはツエツペリンよりも良いものが出来るだらうよ』
E『誠心と信仰といふものがあつたら、所謂霊覚といふやうなものがなくてもいいやうに思ひますが』
王仁『霊覚と霊感とある。霊感といふ奴はまだええ事はない。霊覚といふのは、所謂神は愛善だから神の心を覚つたのが霊覚だ。ほとけは覚者といふことで、愛と善とが徹底したのが霊覚なのだ。神様を見たとか何とかいふのは霊感だ。それから霊は所謂霊ばかりでなしに、霊妙不思議なといふ意味もある。霊鷹がとまつたとか、霊鳥がとまつたとか云ふだらう。わしが作つた霊学会といふのは霊魂学許りでなしに、この上もない尊い学王学だから、之を霊学と名付けたのだ。霊魂学と霊学とは違ふ。あの始めに拵へたのは、その意味からだつた』
E『では普通の人は霊感ですね』
王仁『霊感者と霊覚者とは、品位の高低が違ふ。ほとけは覚者といふ。そこへまだ霊が付けてあるのだから』
B『結局は愛と善が最上のものであると云ふ事になるのですね』
王仁『世の中に善といふものは愛より外にない。最も力の出来るもの、総て成功するものは愛と善だ。キリスト、ムハツドは愛を説き、仏教は慈悲を説き──之も愛だが孔子は仁──仁といふことは隣人を愛するといふ事で、仏教もキリスト教も愛を経に、善を緯に説いて居る──キリスト教はそれで十字架なのだ。総ての宗教は愛を経に、善を緯に説いでゐる。人類愛善といふことは、各既成宗教および今までの道徳教の総てを一つに纏めた、まあ云ふたら抱擁したのだ、肝腎のエキスをとつたやうな名である。仏教とかキリスト教とかは、米みたいなもので、米の中から出た酒の汗が、愛と善なのだから』
A『霊心と霊魂は、何う違うのですか』
王仁『それは同じことだ。魂といふのは心といふ事なのだから四魂で心となる。つまり勇親愛智が『心』といふ字だ。左の⼃は智でLは愛が受けてゐるので、上の左ヽは親、右のヽは勇である。鎮魂帰神は安心立命といふことだ。鎮は安也。人の陽気を魂といふ、魂は即ち心である。それで鎮魂は安心となる。帰神は元の神の心になれば、それが帰神である。別に手を震はしたりせんでも、安心立命すればそれで良いのだ』
C『尸解の法について、お伺ひ致し度いのですが』
王仁『ガツト虫が蝉になるのも、みな尸解の法である。ガツト虫に羽が生へて変るだらう。麦の中から虫が発生て、蝶になる。之もみな尸解の法だ。天狗になつたとかいふのは、人間の中尸解の法によつてなつたのだ。鳥等は自然に従つてゐるから、何でも出来る』
C『尸解の法によつて霊界に入る以外に、霊界に入ればそれ等の血液はどうなるのですか』
王仁『鶏なんかは大抵食ふやうになつてゐるから、殺された時に霊が抜ける。それが霊身を作つて鶏なら鶏になつてゐる。人間の体は死ぬと血が黒うなつてしまふ。霊のある間は霊が流通さしてゐるけれども、霊が抜けてしまふと肉体の中に入つてしまふ。滓が残つてゐるが、血が血管の中を廻つてゐるのは霊が動いてゐるからで、人間の血は霊なのだ。霊が入つてゐるから赤い。霊がなくなつてしまつたら水分が、体内へ吸収されてわからんやうになる。静脈血は初めから黒いが、本当に良い奴は融和してしまふ。水気が屍体と一緒になつてしまふのだ。血液は元通りあるのだけれども、屍体の中に一緒になつてしまふので、分らなくなつて了ふのだ。霊といふものは形のないものだから、形のないものが、血液の中に廻つてゐるから赤いのだ』
E『私が病気の人を鎮魂して、病人の体に手をあてますと、あてる所によつて指が激しく動く所と、余り動かない所がありますが』
王仁『そりや矢張り、霊の関係である』
B『狐つき等と云ふものは、どんなものですか』
王仁『宮川の森蘭丸の後裔に、琴太といふ人があつたが、そいつが反対者に狐を憑けられた。さうすると狐が腕の中へ、ふつとは入つて来て、括つても括つても段々奥へは入つて来る。それでとうとう気狂になつてしまつた。
 それからわしが大阪で、狐つきに頼まれて癒してやつたが、体にポコツとふくれたものが出来てゐる。それへ『艮の金神 艮の金神』と書いて段々追ふて行つた。体中みな書いてしまつたら、此処(腕)まで出て来た、指の処まで出て来ると『痛い痛い』と云つてゐたが、とうとう爪の間から蛭のやうな奴が、出やがつてプーツと丸くなつた。でそいつを捕まへやうと思つたら、コロコロと門へ出て丁度門口へ巡査がやつて来たがそれにぶつかると、いきなりサーベル抜いて暴れ出して、ウワーツウワーツと云ふて行きよつた。さうしたらそのおやぢが癒つてしまつた。歯ブラシを作る商売で沢山職人を置いた家だつた。所謂聖書に云ふ鬼だね、鬼といふても角の生えたものではない。悪霊を全部一つの言葉で云ふ言葉だ』
B『一神教と多神教についての御意見は如何でせうか』
王仁『キリスト教は一神教で、「仏教は多仏教、日本の神道は多神教だからいかん」といふけれども、天照大神様は一つだ。キリスト教ではエンゼルといふてゐるがエンゼルにはみな役があるのであつて、日本ではエンゼルを八百万の神と呼んでゐる。太玉神でも総ての神さまは皆一種のエンゼルだ。野立彦の神さまだとかあるけれども、物語ではみなわかり易いやうに宣伝神にして置いてある』
B『国魂の神を生むと云ふ事や、島生み等についてお伺ひしたいんですが』
王仁『国生み島生み、といふてあつても、別に○○○から出たのぢやない。淡路島を生むといふのは淡路島を開拓することである。島を生み神を生みたまひ……とあつても無茶苦茶に生んだのではない。大国主神は国を治めやうと思ふと、その国々へ行つて細女を見てそれと一緒になつて、その子を国魂の神にしたのだ。上根の人だつたらさうやつて、沢山子を拵へたらよいのだが、現今の様な人々がそんな事やるといかん。徳川家康も五十人子があつたといふけれども、本当は落胤とかいふのを合すと二百人もあつた。嫁さんを変へればいくらでも出来る。みな子の種のある奴を流してしまつてゐるのだから。併しそんな事を当り前だと思つてやると、世の中が壊れてしまふからなー』
G『それから竜女といふのはよく聞きますが、竜男といふのもあるのでせうか』
王仁『竜は女性的なものだからみな女である。坊主なんかでも、竜になるやうに修業する人があるが竜でも畜生だから、そんな事するのは畜生以下になつてゐるのだ。狐を拝んだりしてゐるのも、狐以下になつてゐる、昔交通が不便だから、狐が稲の種をくわへて方々へ蒔いたのだ、と云つて稲荷さんの使ひにしてゐる。又御饌の神といふのと、キツネとを間違ふて、そんな風になつたのだ』
D『竜神さんといふのは、竜とは別ですか』
王仁『竜を竜神と称へたのもあるし、竜神といふと幾らか功の出来たものが竜神である。蚯蚓は赤竜、蜴は石竜、壁虎は屋竜、川の竜は鯉、地の竜は馬、海の竜は鯨。それで竜を描くとあんな顔してゐる。馬の首を持つて来たり、鯉の鱗を持つて来たり、髯を持つて来たり、牛の角を持つて来たり、総て寄せて拵へてあるのだ。今の竜の画は……』
B『人の霊魂よりはつまり下なんですか』
王仁『そりやそうにきまつてゐる』
D『××分院に、大竜神として祭つてありますなどは……』
王仁『宣伝使があんな事してしまつたので、顔がつぶれるからしてやつたのだ。それで○○を叱つてやつた。功してからでないと祭られんのだけれど、早く功を立てるやうにと云つて祭つてやつた。たとへ田吾作でも村長といふ名が付くと、役場へ出て幾分でも仕事が出来る。雨の神、岩の神、地震の神、みな竜神である。お働き次第で祭るのだ』
D『子供の時によく蛙を沢山殺したりしますが、何ともないものでせうか』
王仁『阿呆程強いものはない。こつちが何ともないのだからどうもない。精神作用といふものは恐ろしいものだ。医者がこんな実験をした。コレラの黴菌を死刑囚に「これは滋養になる」と云つて飲ませたが何ともなかつた。又葡萄酒を死刑囚に持つて来て「お前は死刑になるのだが、この薬を飲んだら楽に死ねるが、首を絞められて死ぬのと何つちが良い」といふと「そつちの方が良うございます」といふのでそれを飲ましたら、何ともないのにコロツと死んだ。又「お前の指を一寸切つて、かうやつてゐると、百読む中に血が皆出てしまつて楽に死ぬのだ」と云ひ聞かして置いて、寝さして体を包んで耳丈け聞えるやうにして、初め水を指先に落してヒヤツとさして、そして「一ー二ー三ー」と読んで行つて、「九十九、百」といふとコロツと死んだ、といふことだ。人間は神様を信仰して、神の生宮であるといふ事を常に考へて、そして何でも魂を強く持たないといかん』
(昭和七・八・六)
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