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。(2023/12/19)
文献名1
大本史料集成 2 >第1部 明治・大正期の運動
文献名2
第1章 出口王仁三郎関係文書
よみ
(新仮名遣い)
文献名3
随筆『神霊界』大正8年8月1日号掲載
よみ
(新仮名遣い)
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2022/10/12底本と照合して校正。
データ最終更新日
2022-10-12 03:43:57
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霊主体従(幽の顕)の主宰神たる天照大神様は、世界を御統一遊ばさるるに就て、表現神たる天津日嗣天皇を、豊葦原中津国に降し玉ひ、体主霊従(顕の幽)たる大国主命を帰順せしめて、天の下四方国を安国と平らげく安らげく知食し給ふ時代が、既に到来したのであります。大国主命と云ふ意義は、世界各国の帝王や大統領の総称であります。大国主命なる各国の主権者は、八十万の従神を引率して八千矛を振舞はし、荒れ狂るふて、欧洲の大戦争を惹起しましたが、一時は休憩になりました。併し天之穂日命(血染焼尽の神)や天若彦(天理人通布教者)ぐらいでは、到底(体主霊従)の大国主命を帰順せしむる事は不可能であることは、神典の既に太古に於て予言警告し玉ふ所であります。まだまだ是から大国主命は荒び廻はりますから、改めて天津神より武雷男神、経津主神を降下せしめられるのである事は、神典の予言で証明されて居ります。
日本天皇の世界を統一経綸遊ばすのは、外国の大国主系の主権者のやうに、侵略したり、殖民地を拵らえたり成さるのでは無い。天照大神の神勅は言向和はすのである。徳を以て世界を導くのである。武力や威圧や法律の力では、到底真の平和を招来する事は出来ぬのであります。又た各国土には国土相応の国魂があるから、支那は支那の国魂、朝鮮は朝鮮、英国は英国、露国は露国、所生の国魂が之を統御し、大統御は地球上唯一の我天津日嗣天皇が遊ばすのが天照大神の万古不易の御精神であります。此御精神に少しでも反した政治は、到底ダ
メ
である而已ならず、従来の儘の行り方であれば、幾百千万年経つても、世界の真の平和は来らぬのが当然である。現今は世界経綸の司宰者たる日本臣民の、猛省改心いたすべき焦眉の大急務であります。
アヤベのアの言霊は天なり、海なり、自然也、丸めるなり。ヤの言霊は文なり、和なり、家なり、水火の両面を主るなり。以上の言霊より見るも、アの霊は天の天照大神の直教を天下に宣伝し、海の内外を問はず、天地自然に帰へらしめ、億兆の蒼生を平和円満に治め玉ふ国土を、常永に立て行くべき言霊であります。ヤの言霊は文明の文である。即ち日月を文なすと云ふ意義であり、世界を言向和し、和ぎ睦び、世界に精神的大家族制度を確立し、水火の両面を主る大本大神、火系厳の御魂大神、水系瑞之御魂神の顕現さるべき言霊であります。ベの言霊は経、緯との意義で、棚機姫命(三大歴)が世界経綸の神機を織らせ玉ふ霊地である。又た何処までも限り無く澎張する言霊であるから、此地に発祥したる事は悉く成就する言霊である。是を見てもアヤベを世の大本と、神界より神定め玉ふた御主旨が判然するのであります。是は言霊学の体たる大本言霊に由るのでありますが、次に言霊学の用即ち活用を説く日本言霊学(仮に曰ふ)に由つて、アヤベの使命を説いて見ようと思ひます。
各自の守護神に就而、天之御中主の大神は、一霊即ち直日魂と、四魂即ち荒魂、和魂、奇魂、幸魂を以て真心を造り、之を所在活物に賦与し給ひ、国祖大国常立尊は剛、柔、流の大三元素と、動、静、解、凝、引、弛、合、分の八大元力を以て万有に与ヘ給ふのである。故に例之杢兵衛の肉体を守つて居るものは、杢兵衛に体内に賦与されたる一霊四魂そのものである。是が所謂本守護神と云ふものである。又杢兵衛の体内の霊魂を保ち留めて、其霊性を完全に発揮せしむるのは杢兵衛の肉体である。故に杢兵衛の肉体なるものは、杢兵衛に宿る霊魂に対しての守護神である。霊魂即ち真心が肉体を守護すれば、霊主体従、尊心卑体となりて善の本となり、肉体が勝て霊魂を守護すれば、体主霊従、尊体卑心となりて悪の始を為すのである。要するに善良なる守護神も悪逆なる守護神も、只だ霊主と体主との差異より生ずるので、決して他方(外部)に特殊の守護神なるものが有つて、杢兵衛の霊なり体なりを守護するものでは無いのである事は、万古不易の大真理である。道之大原に曰く、上帝以一霊四魂造心賦之活物地主以三元八力造体与之万有故守其霊者其体守其体者其霊 有他神非守之也是即上帝之命永遠不易と示されてあるのであります。
自己天賦の真霊魂を守護神と霊学上から唱へるのである。是が大本で謂ふ所の本守護神である。大本で副守護神と謂ふのは、他から憑依した霊魂である。憑依した霊魂を古事記にては神懸と書き、他の古典には神憑と書き書記には帰神と書いて、何れもカムガカリと読ましてある。自己の真心を発揮して、活用せしむるを帰神と曰ふ。帰神は他神の憑依したものでない。他神の憑依したのを神懸又は神憑と云ふのである。
古典にも有徳な神人に神霊の憑依された例証は散見されるが、大本教祖の如き御方には神憑が在るが、俗世界に沈溺した人々には真正の神憑は無いと断言して良い。神憑は沢山に世界にもあり大本の信者の中にも見受けるが、慨して邪神の憑依者である。吾師長沢先生が数十年間霊学を研究され、真正の神憑を造らんとして焦心して居られるが、今日に至つて未だ是なら真正の神憑と認めて差支なきものは、出来て居らぬのを見ても、神憑の容易に修得されない事が判るのである。
普通の世間に神憑と称ヘて居るものは、大抵狐や狸や蛇や亡霊の憑依であつて、約り俗に曰ふ稲荷下げ梓巫の如うなもの斗りである。容易に鎮魂の修行をしても、真正の大神が憑られる事はない。大神の憑依さるる場合は天下国家の一大事を人界に警告さるる場合に、有徳の人、殆んど神様のやうな水晶の如うな霊魂を有する神人に依りて、神憑の手続を採らるるのである。
日本は善言美詞を以て、万霊を言向和す神国であるから、実際に於て人々の霊魂や肉体に害悪を加ふる邪神の霊でも、是を頭から悪霊邪神と称えず、善言美詞を以て妨害神でも一時之を守護神と曰ふ美名を与ヘて、改心帰順せしむるのである。要するに真正の守護神は自己特有の真心の別称で、副守護神と称するのは、他から妨害に来て居る悪霊を指したり又た善神に憑依したのを云ふのである。
又た天照大神や国常立大神や、其他の神聖な神々が、真の神人に憑依された場合は、之は天地の守護神国家の守護神と曰ふのであります。
金竜殿で鎮魂帰神の修行をするのは、決して神憑りに成ると曰ふ目的ではない。元来は至純至粋の真霊魂が臍下丹田に隠れ、他の憑依物が、肉体及び良心を犯して了ふて居るのを駆除し、払拭して清浄無垢の大本の神霊(所謂本守護神)の進路を開拓し、各人天賦の使命を自覚遂行せしむる大目的である。病気直しや神占を施行するのが目的では無い。病気直しや神占位は狐狸でも蛇でも亡霊でも、少々腕の有る霊は行るものである。神占が的中し、病気を直すから真正の神と思ふたら、大なる誤解である。大神は左様な事の為に、不潔な人間の曇つた霊体に憑依さるるものではない。神占をしたり病気直しは人間界で言ふても、易者や医師や按摩の職業である。高等官が易者をしたり、按摩を為ないのと同様に、高級な真正の神は左様な事を成さる暇がない。モツト他に重大なる御任務を以て居らせられるのである。
僅に数ケ月間の修業の結果、天津神や大神が憑られたり、大国常立尊が憑られたりする如うな事は、絶対に無いと曰ふても差支はない。夫は皆邪神の誑惑にかかつて居るので有るから、各自に注意せねばならぬ。大抵は野天狗の憑依して、大きいホラを吹き立て、信仰の浅い人達を迷はすものである。ソンナ神に憑られた人は実に気の毒なものである。自分から厳重な審神をして、一日も早く祓つて了ふか、審神者に除けて貰つて、真正の帰神になつて貰いたい。帰神と曰ふ事は天賦の本霊に帰復する事であります。
神人合一とか、魂肉一致とか、精神統一とか曰ふて、種々の霊的研究が行はれて居が、要するに吾人の霊魂も肉体も、天地の神霊から応分に賦与されたものであるから、教祖の御神諭に現はれて在る通り、生れ赤子の心に帰れば夫れで真の神人合一である。天地合体である。霊肉一致である。精神統一である。一升の舛に一升の酒が容れてあればそれで良のである。肉体は一升の舛でも霊魂が五六合しか無い。後の四五合は不純な泥水や異物が補充して居るとすれば、清らかな酒の味も、力も、香も無いやうに、他の邪霊と云ふ泥水や、異物が混入して居る霊体は、人としての味も力も香も徳も無い、是を大本では体主霊従、悪霊の宿と云ふのである。此の悪霊の宿を清めて大神の御在所と改造するのが鎮魂の大目的である。生れ赤子は今と云ふ瞬間の事より何も考ヘて居ない。過去を恨みず畏ず、未来を遠慮せず、今と云ふ瞬間に自己の使命を惟神に遂行して行くのである。人間は各自一定の目的が在る以上は、士農工商何れにしても、一度其目的に向ふて進む以上は、過去を思はず未来を遠慮せず其目的に向つて最善と思惟する所を、時間と共に水の流れに任すが如く、易々として進めば良いのである。今といふ瞬間には神も悪魔もある善悪正邪の分水嶺である。其の刻々に善を思ひ、善を言ひ、善を行ひ、過去と未来に超越する。是れが所謂生れ赤児の心で神人合一、天地合体、精神統一の真の状態である。鎮魂法で無理に精神の統一を為さむと思ふ其心が、既に統一を欠いて居る。太霊道や静座法や其他神霊法で統一せうと思ふのは大なる誤解である。鎮魂の必用は是以外に在るのである。
本田親徳先生や、長沢先生の帰神法と曰ふのは、第一に幽邃の地と閑静の家を撰むと曰ふ事になつて居ります。本田先生は深山幽谷で修業をなし、田舎の寂しい一ツ家とか、奥深い神社などを選むで、最上の修業地とされて居る。是は従来の行者なぞの行り方である。大本の霊学は、神界から定められた霊地、下津岩根の地の高天原で修業する事であるから、何程喧しいでも、人家密集の場所でも少しも構はぬのである。又た一切の妄想を除去する事が一つ条目になつて居りますが、到底深山へ入つて見ても、妄想を除去する事は、肉体の在る限りは無理な注文である。不可能である。何人が実験されても、吾人の説が首旨〔肯〕されるのである。其の妄想を除去する迄に神人合一を行のが大本の霊学である。又た感覚を蕩尽し意念を断滅するのが一の条目であるが、是も到底肉体の生命の在る限りは、感覚を蕩尽し、意念を断滅する事は無理である。否な不可能である。大本の霊学は決つして感覚を蕩尽したり、意識を断滅せしめたり、左様な妖術的な事は神界が許さぬ。大死一番の境とか良く云ふ事であるが、意志の薄弱な人で、無智蒙昧でなければソンナ状態に為る事は出来ぬ。人格を失つたもので無ければ、到底実験上本田先生や、長沢先生の行り方は駄目である。中には特殊の人に右の様な状態の現はれる事は在つても、一般的には行かぬ。或る特殊の人物に限つて出来る神術なら、是を社会へ布衍する資格の無いものであると思ふ。
私としては本田先生も長沢先生も殊恩ある師である。それにも拘らず、自分の実験上の意見を紙上に発表する事は実に心苦しいけれども、又た多数の同胞を誤らしめる事は、天地の神明に対し奉つて畏れ多いのみならず、大切なる神の御児たる人間に対して済まない。今日までは両師に敬意を払つて沈黙を守つて居ましたが、最早、惟神の時機が切迫しましたから、涙を呑んで此稿を書きました。又た両師の修行法に、心神を澄清にし感触のために擾れざるを務む可しと云ふ事が、一つの条目となつて居りますが、是は要するに大聖人か君子にして、始めて出来る事であつて、普通一般の人にはダ
メ
であり、不可能である。心神を澄清にする為の鎮魂であり、帰神である以上は、最早、神心を澄清にし感触の為に擾れざる様に神力が出来たなれば、それで完全したものである。守護神や鎮魂帰神の法や霊魂上の細密の問題に付ては、今後随筆的に書いて見ようと思ひますが、今日は唯だその大意だけを述べたに過ぎませぬ。
大国常立尊の神諭は、教祖に憑りて書かれたのと、教主に憑りて書かれたのとは、文体が相違して居るが、是は何故に同じ神様であり乍ら、人が変ると文体が変るかと疑問を持つ人が有る様ですが、神は万物普遍の霊であり、伊都の千別に千別て天降り(神憑の意)玉ふもので、恰も水の方円の器に由て其形を変へ、其器の大小に由つて多尠の区別、重量の差か出来るのと同じ事で、千変万化の妙用あるのが、神の神たる所以であります。
天之御中主大神、天照大神、豊雲野大神、伊邪那岐大神、伊邪那美の大神等の傍訓に、ミロクの大神とあるは何如との質問が時々ありますが、総て皇典に現はれたる御神名は、皆神霊の活動の異名でありまして、ミロクは仁愛と云ふ事であり、世界万類を安けく平けく歓こばせ、万世不易の神国を成就せしめ玉ふ、神々の活動を差すのでありますから、大本の真正の役員信者にして、神政成就の為に身心を投じて居る人は、皆なミロクの神の活動者であります。又た国常立尊と申しても、国家を永遠に安立せしめ給ふ神と曰ふ意義でありますから、真に大本の教を解して、其活動を為る人は即ち国常立尊である。神界にて指揮命令を下す為に、教祖に神憑あらせられた生神を、特に大国常立尊と奉称するのであります。斯く申すと、大本教は実際的に無神論の如うに聞こえませうが決してそうではない。大本教では、神は万物普遍の霊にして、人は天地経綸の司宰者なりと曰ふのであるから、人は神と合一して、神の宮と成つて、神と同一の活動をするのであるから、人は神界の表現であるから、神か人か、人か神か、何れも同一の境地に入るのである。故に外教の如く、神は一神と曰ふのは誤りである。八百万の神が存在する訳であります。
大正八年七月二十四日の報知新聞に、□話の種と題して、寺内伯会見事件で名を売つた雑誌アウトルツクの記者グレゴリー、
メ
ーソン君が、講和会議の光景を報導する為、巴里へ行くので、英国の一汽船へ乗つた処、或日甲板で英国の水夫と米国の水夫が口論を初めたのを立聞した。双方口論の果、米水夫は「お前は幾ら威張つても、お前の国は帝国である、皇帝があるで無いか」と叫び、ペツペツと唾を吐いた、スルト英国水夫が「何だと帝国や皇帝は如何でも好んだ。だが此海洋は俺の海洋だから唾を吐くのは止めろツ」と語気甚だ鋭かつたさうな。
メ
ーソン君は「此一語が英国の民主化を簡明に語るものだと告げた」。
右の記事を読んで、吾人大本教信老は肌に粟を生ずるのである。天に一つの太陽ありて万界を照らし、地に一つの主権者ありて地の世界を統御し給ふべきは、天地自然の理である。御神諭に「お照しは一体七王も八王も王があれば、世界の口舌が絶えんから、今度は神が現はれて、霊主体従の一つの王で治める仕組が致してあるぞよ云々」是を承つても、吾々日本人は此際大に発奮努力、神界と皇室と世界の為に、腹帯を締めて掛らねばならぬと思ふのあります。
(「神霊界」大正八年八月一日号)
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