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文献名1大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動
文献名2第2章 昭和神聖運動 >第2節 昭和青年誌(抄)よみ(新仮名遣い)
文献名3我等が魂・会旗奉戴式を目出度く終るよみ(新仮名遣い)
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タグ データ凡例 データ最終更新日2016-11-29 10:54:22
ページ543 目次メモ
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本文  法城の秋たけて紅の豪華版開くとき、十一月三日の天恩郷は明治節の佳き日を迎へてすがしい菊花の香りです。
 今日は私共の会旗奉戴式があるのです。
 午後七時!定刻既に集まる者三百、大祥殿は十五才以上の男女で誠に賑はつて居ります。
 会長の初めての出席なのです。御迎ひに上ると出口氏は早くも紗○○の黒綸子の礼服をつけられてお待ちかねの様子です。『御迎ひに上りました』
明光殿から大祥殿へ。
 小さい峠を越される出口氏の頭は、髪は常に変りなく、あの長髪をヘヤーネットにつゝまれて誠に太つてゐられます。
 御神前に進まれた会長の天津祝詞の奏上です。
 違ひます。違ひます。天津祝詞ではありません。神言だつたのです。
 神言の奏上が会長の先達で続けられます。
 黙祈しばしです──。終りました。かねてしつらへた会長席につかれました。
 やおら立たれた会長はツカツカとテーブルを前に立たれました。一場の挨拶です。
会長のお話
 昭和青年会が創立せられてからまだ今晩位沢山寄られた事はないさうであります。
就きましては本年更生祝ひをしたこの私が青年会の会長となりましたが、六十一になつてをつて青年会長としてたつ事はおかしい様でありますけれども、神界から言へば──神界にはタイムも何もない、時間も空間も超越してゐるのであります。過去、現在、未来を一貫してゐるのであります。それで神の方から見、霊的から見たならば人間といふものには年といふものは一ッもないものである。只現界に早やう生れたか、遅ふ生れたかだけのものである。然し六十一のものが九十迄生きるといふとまだ三十年ある。本年十才の子供が廿才で亡くなるといふと矢張り六十一才の親父の方が若い勘定になつて来る。それで今度は規則を改正しまして、十五才以上は総て青年会へはいる人は入れるといふ事になつたのであります。
 大本でも色々とこれ迄に御筆先にも出て居ります通り何となくこの世の中は変転大動乱に近づきましたが、これを何かいゝ様なものが来る様に思つて待つて居た信者が沢山ある、それが嘘やつたといふて止めたものも沢山あります。然しかう云ふ事が来る事は決して喜ばしい事ではない、何処迄も天下太平にこの儘神様は世の中をつぶさずに栄へさして行きたいといふのが神様の御精神でありますが、最早今日は世界的に不景気にもなり、随つて人心が荒んで来、蒙問題が起り、或は内には色々と妙な思想が浸潤し蔓延しまして何時どんな事が起るか判らん様になつたのであります。この際に吾々神様に仕へてゐる者は神様の青年として余程覚悟して置かねばならないのであります。
 何十万、何百万の群衆があつても個々別々の意見を有して争ふのであるならば、これは烏合の衆であつて、何も仕事が出来ないのでありますが、団結力を固めて神様の旗の下に一ッになつたならば、何十万の烏合の衆よりも、僅か十人、或は四五十人かたまつた──一ツになつて動く所の団体の方が何程効力があるか判らないのであります。
 今日は非常の時であり、非常の時には非常の人物が現はれて非常の事をするといふ事は御筆先にも出て居りますが、私も『神霊界』にいつか書いた様に思ふて居ります。愈々瑞の神歌に私が歌つておいた事が、実現する時期になつたのでありまして、老年と云はず、青年と云はず、つまり神様からの赤子──吾々は青年であります。或は幼年かも知れない。この赤子が一致団結してサアといふ時に国家の為に。名実共に誠の道の為に働かねばならない時期がさし迫つたのであります。
 それで今迄宇智麿が会長としてやつて居りましたけれども、私の方から進んで『お前止めて副になれ、わしが会長になつてやる』といふたのであつて、実は推戴されたのでも、何でもない、自分の方から望んでなつたのであります。それに就ては普通の自分の覚悟ぢやない、考へぢやない、余程総てのものが切迫してゐるといふ事を感じたからであります。
 然し乍ら青年の方は何処迄も落付いて、沈着に、静かに、静粛に、団結力を固めて、騒がない様にして貰はねばならぬ。今かう言ふても直ぐになるか、或は二年先になるか、三年先になるか、それは判らない。さう無茶苦茶に動かれるものではないのであります。一度動いたならば屹度これを成功させねばならぬのであります。いゝ加減な事で世の中の物笑ひを残す様な事ではつまらぬ。それで吾々も慎重に時の到るを考へ、そして無茶苦茶に騒がない考へで居りますから、兎に角、内実の力──団結の力を青年会に於いて養つて置き、さあと云へば何時でも蹶起出来る覚悟をして居つて貰ひ度い事を望んで居ります。
 話はこの位で止めて置きます。これ以上色々な事を云ふと却て誤解を受けたり、妨害されては困りますから……私の精神なり、昭和青年会の働き及び目的といふものは判つたと思ひますから、この位で話は止めておきます。
(速記者井上照月)
 終りました。テーブルが取り去られました。伊藤栄蔵が今度新らしく制定規定された吾等が魂である会旗をうやうやしく会長の手に渡します。
 伊藤栄蔵の退いた後へ速志英春がこれも会服姿で会長の前へ立ちます。
 会長は改めて会旗を持ち替へられて三歩進んだ速志の手に、いゝえ全国昭和青年会員に下げられました。光輝に輝く吾等が会旗の奉戴式は今クライマックスです。
 マグネシユームのフラッシユが人々の目をくらまします。渡嘉敷秀三郎の手に最も記念さるべきシーンがカラに収められたのです。
 元の座に帰られた会長です。伊藤栄蔵は宣しました。
 『只今より会旗に敬礼を致します』
 会長は立たれます。会員も当然座つてゐる人はありません。全霊を瞳に集めていとも厳かな起立です。会長の左手に会旗の端は持たれます。
 吾等が会旗は美はしくは全貌を初めて若さに燃ゆる会員の瞳に映ずるのです。
 会員の頭は自然に会旗の前に下ります。
 目出度く会旗奉戴式は終るのでした。
 人々の心は踊るのです。
 人々の心は輝くのです。そして人々の心は未来を会旗の前に只々ちかふのでした。
因に本夕は亀岡の平松福三郎、岩田久太郎或は綾部の東尾吉雄等の顔も見られた。会終了後、北海道からの新任富田如安の話あり、各自の自己紹介に次いで思ひ思ひの隠し芸の続出に笑ひ、笑ひ、笑ひに依つて午後十時一同散会するのであつた。(速志記)
(「昭和青年」昭和七年一月号)
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