文献名1大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動
文献名2第2章 昭和神聖運動 >第2節 昭和青年誌(抄)よみ(新仮名遣い)
文献名3出口王仁三郎を囲む農村座談会よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
ページ562
目次メモ
OBC B195502c2202071
本文のヒット件数全 1 件/メ=1
本文の文字数15724
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい
霊界物語ネット
本文
(速記者井上照月)
(「昭和青年」昭和七年八月号)出口王仁三郎氏を囲む農村座談会
時……昭和七年七月十六日処……天恩郷高天閣
速志 『本夕は農村問題についていろいろおきゝ致し度いと存じまして御集り願ひました。そして聖師様に種々御尋ね下さいまして最上の解決を得て農村の羅針盤たらしむべく御願ひ致し度いと存じます。では芦田さん辺から一つ願ひます』
出口氏 『何でも云ふて呉れ、知つとる事丈は話そう』
負債整理について
芦田 『現在農村は疲弊して居りますが、その最大原因の一つとして借金があると思ひます、この借金の事に就いて御意見を承り度いのです』
出ロ氏 『借金か、借金は悪いに決まつてる。併し今では借金せん様にしようとしてもどうにもならん。今の田舎は田舎らしくない。都会の真似をみんなしてるから費用がかゝる、或は又教育費に殆どいつてしまう。
それに小学校で大学以上、中学以上の設備をしては誇つとるが之は第一に悪い事だと俺は思ふ。そんな事は要らぬ事だ。第一に百姓と云ふものは借金の出来ぬ様にすべきだ。それは本当の百姓の心になつたら出来る。
話が今とは同じ様には行かぬけれども俺は若い時分は小作ばかりやつて居つた。当時一町出来るものなら、今頃では機械でやるから倍とれる勘定になる。それから田の草取りでも一町の所なら二町楽に出来る。その時代は一段に一石五斗の年貢であつてその割から見て上田で三石から二石五斗位で、悪いのになると二石、一石七、八斗である。それに肥と石灰を一寸やるのと油粕を一寸やれば充分三石以上取れる。吾々が百姓した時分には草を刈取つたのやら、藁を腐らして肥に使ひ、それで金の要らん様にして二石八斗位取れた。その当時米一石が四円五十銭であつた。
四人家内が毎日朝から晩迄働いて一日八厘だつた。それでは何ぼ米が安うても八厘では食へん。それだから麦を作る。田のふちには畦豆を作る。そしてお粥にし、小米はだんごにして食ふ。それでもまだ食はれない。
小作には臼秋と云つて臼を廻しとるその間が小作人の秋でこきくいと云ふのだ。正月でも米の飯を食べるために商ひして見たり、車引きをしたり、草鞋をつくり縄をつくりして、それでおかゆ位を食つたものぢや、着物でも一つの物を三年でも五年でも十年でも着て、ぼろくになつたらせんぐり布をついで穴をふさいで着る。冬は綿を入れ夏はそれを出して着た。若し布のついでないのを着とると『あれは百姓とは違ふ』と云つたもんだ。それから地下足袋なんかは絶対にはかぬし今の様にゴム靴をはいたりしなかつた。冬でも田甫へは素足で入つたものだ。朝でも早くから起きて朝飯時迄に草一荷刈る。この朝仕事と云ふものを夜が明ける迄やる。それから御飯食べて一日百姓して日が暮れてから帰つて来ると草鞋など作つて夜仕事を必ずやる。それでゐて米の飯が食へなかつた。
魚などでも月に一回、それもからいからい鰯一匹が満足に食へなかつた。
それでも不平を云はなかつた。その代りその時分の地主はぼろかつた。
今は一石二斗で二割引いて百姓は非常にようなつとる。本当は倍になつとる、俺等が百姓しとつた事から考へると、今の百姓位結構な者はない。
電燈もあれば自転車もある。醤油も買へば巻煙草も吸ふ。其で百姓が食つて行ける道理がない。之は根本的に百姓の心を入れ換へねばならぬ。
地主も決してぼろくはない。何ぢやかんぢやとかゝるものが多い、百姓は地主がぼろい事しとる様に思つてるが実際やると損ばかりだ。農園でもこの人に(笹原氏を指し)やつて貰つたが勘定したら損位だ。月給丈位しか上らん。農村の借金と云ふものはこれでは出来る。出来たらしようがないけれども此儘でやつたら借金は何時迄も返す事は出来ない。俺はこの儘やつたらつぶれるより仕方がないと思ふ、借金は暫くモラトリアムでもやつて、そして皆が改めて来たら又行ける様にしたらいゝ。本当の事を云ふと今の地主はちつともぼろい事はない国税も払へば名誉税も払う。働いて居る小作もつらからうが地主もつらい。之は資本家と労働者が一緒になつて地主と小作が実地に農作からすべてやつて見れば地主の苦痛がわかり又労働者の苦痛がわかる、併し今日の百姓は昔の人の半分しか働かない。それで倍の仕事が出来る様な工合になつてゐる、若し昔の様に働いてやつたら十倍位の仕事が出来る筈だ。とても今の百姓は見とつてもはがゆくて仕様がない、献労者でも俺等が見ると何をしとるやら判らん』
芦田 『たしかにそんな』(言葉終らぬ中に)
出ロ氏 『百姓は其の上に贅沢になつとる。百姓は百姓の天分を守ればよい。地主は地主で考へを持たねばいかん』
芦田 『併し現在、之れ丈けの機械文明が発達して居りますが、之を大いに使用して行けば昔の様な肉体的の苦痛をしなくても、もう少し楽にやつて行けるもんぢやないでせうか』
出ロ氏 『楽に行けん事はない。この百姓と云ふ者は極収入の少いもんぢやからそれで機械を利用して生産高をウンと上る様に働かねばいかぬ。
大体楽をしようと云ふ事を考へて居るのが第一間違つてゐる。どんどん働いてさへ置けば夜でもよく寝られるし、又身体も健康になる。今の人は機械を使つて楽をして収入を沢山出さうとする。そんな事はとても駄目である。つまり機械を使ふて余計に働き、田を作ると云ふ事にせねばいかん。労力を少のうする代りに余計つくつてそれで人が余れば海外に出ればよい。幸ひ満洲でも朝鮮でも行けばよい。北海道でもまだ未開墾地が多い。十分の九位は葦原の地だ。俺は何時もそれを考へて居る。四十年前の百姓もえらかつたが、大概今でも、何ぢやろ、一日働いて十銭にならんだろ。昔俺等がやつとつた時分は八厘にしかならなかつた。それで米や麦は別として薪木は山でとつて来る、醤油は家で作る。今は税金を取られるが税金はとられても家で醤油をつくつた方が安くて味がよかつた。買ふものは塩丈けだつた。処が今日の百姓の生活から見ると、とても借金等返せるきづかいはない。今迄に余り使ひ過ぎとる。兎も角三つの子供に二十貫程の荷を持たせる様なもんぢやからどうする事も出来ぬ』
芦田 『これは一体どうすればい』んでせうか』
出ロ氏 『どうにもならん。それよりも今後借金しない様にするより仕方がない。それでなかつたらこの上益々借金がふえる。それから今の百姓は本当の文明の知識々々と云ふけれども、本当にどんな知識を吹き込んでやつとるか知らんが、実際に役立つものは少なからう。それよりも色々な事は何んでも、ぢさんばさんの云ふとる事の方が非常に賢い真理がある。俺はそればかりを覚えて居る。今頃俺が色々と書いとるがみんなそれを思ひ出して書くのぢや、今の学者の云ふ事はすこたんばかりだ、どうしても実地と理窟は違ふ。こう云ふ話がある。……穴太に阿呆で大飯食ひで丹波与作と云つて皆は阿呆与作と云つてゐた。
明日の晩どこそこで皆米を四、五合づゝ出し合うて食べると云へば、そいつは今日から飯を食はんで皆が二、三ばい食ふても、そいつ丈けは二升でも三升でも喰ふ、そして翌日一日寝てゐて仕事をせん。それでも勘定すると野良で働くより徳だ、一日位百姓だから寝ても別に差つかへない。……とても大飯食いで少しは阿呆だつたけれど……あんまり与作が喰うもんだから、皆が余作は食へる丈食はしたら何んぼ食うだらうか。
三升は喰はんだろと云つてゐたら五升は喰ふと云ひよる。それだつたら五升喰ふたら金を一円やると云つて、それで与作を呼んで来ると、「俺は一円も何もいらん、五升炊いて呉れ、五升だから大分副食物がいるから蒟蒻と焼豆腐、小芋、それから酒を一升つけてどつさりく炊いて呉れ」と云ふ。何ぼ与作でも五升は喰はんだらうと云ふてゐた。すると与作がニ三杯食つたらウンウン云つてゐる。そして五杯程食つたらウーンウーンとうなり出した。三升や五升食ふと云ふとつたのが五杯だから三合も食ふてゐない又おかず食つて二杯程食うてウンウン云ふてドタンドタンと腹つくばいになつて苦しがつてゐる。「何だ、この飯胸にさはつて食へん、これには毒が入つとる、おさいにも毒が入つとる」と云つてウンウンと云ふ、さア賢い連中が吃驚した「そんなら与作、毒があつたらいかんから捨てるのもいかんし持つて帰つて呉れ」と云ひ出した。それで与作は六、七杯食ふた残りと酒一升と御馳走をどつさり持つて帰つて「ア丶之で五日寝て御馳走が食へるワイ」と云つた。何の事はない、賢い奴の方が阿呆にされたのだー。マア百姓は与作位の考へを持つて居らねばいかん』
芦田 『借金を少くする』(云ひ終らぬ中に)
出口氏 『百姓と云ふものは実際食へなかつたものだ、それで一人でも子供が殖へたら困つたのだ。子供でも七ツ八ツになつたら学校にいれて尋常丈終つたら食はすのがかなはんから直ぐに丁稚にやつた。何しろ口を殖やすのが、百姓でありながら食はすのがかなわんのだ、それから藁を細工して縄とか云ふ様なものが小使になつたものだ。茄子やきうりを作つて売るより金のとり様がない。それから百合根なんか町へ売りに行く、しかしこの百合は五年せねば実がいらん。山芋でも三年せねば芋にならん。冬は囲ふといて作るのだが、その代り三年分以上の金は上る、高いもんだから』
速志 『愛善新聞行脚隊でも金はないから甘薯を持つて行つて呉れと云ふのがあつたそうです』
出口氏 『百姓には金の儲け様がない。唯茄子や胡瓜を売るより仕様がない、それだから甘藷を作つたり田の横に豆を植ゑたり、すつくり何処もかも屋敷の中でも猫の居るとこでも、作物を作つた。よく百姓は猫の額でも作物を作れと云つて地を遊ばさん様にして苦しい金をとる。俺でもそんな苦しさはなめて来とる。今頃は少々庭があいてゐても他に働かんならんからほつとる。そんな事やら何やかで今の百姓は倍楽をしてゐる。
昔の様な働きしとつたらi穴太へ行つて見ても俺等の百姓しとつた時分に同じ様に小作で苦しんで居つたものが、反対に裕福になつてゐる。
田の二つや三つ買うてやつとるが-その代り、地主をやつとつた者が、没落してしもうて苦んでゐる』
絹常用につき
成瀬 『私のお伺ひしたいと思ひますのはすつかり御諒解願ふのに五分間ばかし申し上げて置かねばなりません、構はないですか』
速志 『かまひません』
成瀬 『私は農村振興につき地租改廃と云ふ事が一つ。も一つは絹の常用と云ふ事に就いて大正十四年頃から考て居ります、それで絹を全国に使用せられる事を主張して居ります。この木絹は非常に経済の様でありますがこの綿花のために日本は外国に十億円内外の金を払つて居ります。
最近昨年及一昨年ニケ年に亘つてあの支那との関係で品物が売れんために非常な損をして居ります。木綿は非常に安い様で、綿花を外国に求めるから将来を考へて見ても不経済が多い様であります。それから昨年名古屋の人が桑の皮から製綿を発明したが非常に安く上る。それは桑から出る綿でありますが、将来立派に消費する丈出来ると云つて居ります。
併し日本人全体が、贅沢品でなく実用的な絹を家庭工業で農家の副業と致しまして、其生産品を国民全体が使ふ様になれば農家の収入が増し又消費者も得でありますから、誠に有利な策と思つて居ります。即ち地租の改廃と絹の国全体の使用はどんな事かと思つて居りますが開祖様は絹を着る事を禁じられて居られますが、これが私にとり大きな疑問となつて居ります』
出ロ氏 『それは開祖様のとめられて居つた時代は絹が高くて、木綿は安かつた。教祖様が云はれたと云つても決して永遠的のものではない。経済的な問題は其の時、その時の事で、その時絹が無茶苦茶に高くて経済上から云はれた事である。併し俺等でも百姓しとつた時分には綿を作つた。一段に五本位より出来ない。一本と云ふと十貫目ぢやから、それが五本で五十貫。その五十貫の綿と米五石と換へごとしたから米一石と綿一本の勘定だ。それだから一段に米が五石とれたわけになる。他の者は三本位しかようとらなんだ。其の時分はまだ皆んな自分の内で綿を作て着物を拵へてゐた。それでこゝの先の八木でも沢山綿を作つとつた。八木の綿と云つて日本国中に名高い。あの舟の帆をこしらへるのは、八木綿が一番強くてよかつた。それでその時分に綿を作つとつたものは儲かつた。その中に綿がどんと安くなつて、蚕が一変に高くなつたので皆が蚕をやる様になつた。教祖さんでも木綿でないといかんと云はれて居られたけれども、六十越えたら絹でよいと云ふ事を云はれてゐた……、年をとると身体が重くなるから絹物ぢやないといかんと云はれて居つた。
併し若い者は木綿の方がよい。木綿を着とると心配なく働ける、これは又経済ばかりではない。絹物等を着て若い者はとても労働なんか出来るもんぢやない。絹物を着てべらべらしとるのと、木綿の法被を着てゐるのと、働きが非常に違ふ。一寸一口には云へんが、木綿を着とれば働きが出来るが絹物を着てると働けない。棒をかたいでも滑つてしようがない。又労働したらべりーと破れてしまう』
笹原 『一寸生糸の御話が出ましたから申しますが、私はこの蚕糸業が極度に行きづまつて居りまするが、之はこの際思ひ切つた生産制限を行つて、三分の一位に制限する必要はないかと思います』
出ロ氏 『兎も角外人の個人のふところ勘定はどうか知らんけれども、外国は何んでも絹は余計は取らん。絹を輸出して、綿花を輸入しとるから同じ事である。絹でも日本で必要な丈は作つたらよいだろう』
笹原 『各学校ともに絹が非常によいと云ふ事を奨励でもして』(話中に)
出口氏 『食糧のウントとれる所はよいとして、傾斜面の多い所で食糧品をとるにどうしても具合の悪い所丈桑を作る様に制限したらい丶と思ふ。
併しこの頃では桑をつくつて養蚕しても引き合はんから静岡県でも桑をすつくりおこしてしまつて果物に植ゑかへとる。
青物は胡瓜など一抱へ位で十銭だ。お茶でも一貫目が十銭か十二銭ではとても引き合はん。一貫目のもみ賃が四十銭かゝる。それからつみ賃が十七、八銭いる。之が十二銭なのだからどうにもこうにもならん』
笹原 『今の蚕の問題は生産をウント制限して、そして今度はあべこべに綿の栽培を復活したらよくはないかと思ひます。綿は採算がとれると思ひますが』
出口氏 『綿も二三年はとれるネ。綿の木と云ふものは不思議なもので同じ地面に二年三年と続けてはとれん。今年出来たらその翌年は出来ぬ。
同じ地を嫌ふ。茄子でもそうだが、同じ所に毎年やつたら出来ん、それだから今年田をやつたらその次に綿をやる、綿をやつては又田にする。
こう云ふ具合にいや地を嫌ふから仲々難かしい。何故かと云ふと、其処の肥料をすつかりみな吸うてしまう。綿に必要な肥料を吸ひ上げてしまふから、四、五年は其処で何か他のものを植ゑて肥料をつくる様にする。俺の綿をやつとつた経験からいくと丹波ではそうだ』
笹原 『それは私の方の土地(九州)でも同じ事であります』
成瀬『私は絹を着る事を少しでも多くすればよいと思いますが』
藤原 『絹は雨に弱いから本当の実用に向かないと思ひます』
出ロ氏 『身体のためから云つても絹より木綿がよい。どうしても一番下に着る肌着は木綿でないと毒だ。それだから一番下のじゆばん丈は木綿でないといかぬ。夜ねる時でも木綿のものをつけて居らんと風を引く又病気などを起しやすい。俺等でも木綿を着ないで居ると決まつて風邪を引く、不思議な様だよ』
藤原 『月鏡にもそんな事が書かれて……』
出口氏 『伊弉諾尊の襦袢から生れた神様がわづらひのうしの神で病を救ふ神である。よく信者が私の着た着物を呉れと云うて来るが、着物をやつたつてしようがない。じゆばんをやらななんにもならん。それで後から後からせんぐり拵へてゐる。これは直接肌につくもんだから一番よい。併し絹物は駄目だ、身体によい木綿に限つてゐる』
成瀬 『桑の皮からつくつた木綿と、普通の綿からつくつた木綿と同じ効能がありませうか』
出ロ氏 『やつぱり綿からつくらな効能はない。綿は日本のものではなかつたけれども一番之が身体にもよい。綿は日本にはなかつた。之は渡つて来たから綿と云ふ。海の向うの朝鮮から最初渡つて来たものである。
それより前は日本には絹よりなかつた。日本は蚕よりとつた絹、麻、それから紙とがあつたきりで、昔の神様は麻と紙とを着て居られた。紙と云ふものは身体を温めて非常によい。麻はじかに着たらいかん。下に紙を着て居らないかぬ。天照大神様のつくられたのは木綿ぢやない。みな絹だ、木綿は支那と交通してから、朝鮮を渡つて来たのだ』
神本 『満洲なんかでも服の下に紙を入れて置くと大変温くてい丶そうです』
出口氏 『私は未決に入つとる時、雪ちんに行く薄い紙を三、四枚しか呉れん。それをしまつして一枚でふいて、後の二枚はこういふ所にあてゝやる。いくら寒うても紙をあてとくと、そら温いの温くないのつて、すると監守が来るとしらん顔して居つて、あつちへいつたら又あてる、そら暫くでも当てとくとよい。それを見つけられたらあかんので雪ちんへ捨てとく。それをやらな寒うて居れなんだ。囚人はみな貰うた散紙三枚をかくしてあてゝゐる』
速志 『それでしたら紙で着物の考案したらよろしいでせうね』
藤原 『もう出来てます、こよりで……』
速志 『これからは満洲へ行く人はそれを用意しとるといゝなー』
出ロ氏 『この肩と睾丸へやつとくとよい。紙でやつといたら風邪引く気づかいはないし、寒うてたまらんと云ふ事はない。薄着しとつてもほこほこしてよい。日本の家は冬でも障子一枚だが中々温い』
石坂 『壁に紙をはるのはやつぱりそれもあるのですね』
出ロ氏 『空気の浸透を妨げる、温いのは紙が温いのでなくて、外の冷たい外気があたらない、中の熱丈こもつて、部屋の温度をよく保つ、之は紙が外の空気を遮断するからである。西洋の様に硝子ばかりでなくとも、日本の紙一枚でそれで温い』
笹原 『土地も色々ありまするが、所有権の問題で今大分騒いで居ります、土地そのものゝ地力が非常に衰へて、やせて来て居ると思ひますが、之は肥の使方が悪いのでせうか』
出ロ氏 『それは金肥ばかりをなまくらしてほり込んで置くからで、どうしても廿回卅回は草か藁をほり込まんからで一度つくつたら後は出来なくなる、もう土の力でなく肥丈で出来てゐる。そうすると肥が高くついて百姓は引き合はん。百姓は朝早く田んぼに行つて草を切つてはそれをほり込んでやらねばいかん。それから百姓の家は多く藁ぶきにしてあるが、あれは家の中で物をくすべて煤をつける。そしてそれを切つて田んぼに蒔いてやるためであるが、田んぼに之位よく利く肥は他にはない。
それから百姓は肥料がないものだから肥をよその家から汲むのでも、米五斗、糯米五斗、そしてその上時々の青物を持つて行つた。ところが今の百姓は金を貰わなとらない。それ丈なまくらになつてゐるのだ』
笹原 『昔の米は古くなつても耐久力があるそうですが、この頃の米は一年位たつと駄目になるそうですネ』
出口氏 『それは肥料の関係で、だぶ肥や人糞をやらないからだ、米や作物は何故人糞を好くかと云へばそれは親だからだ、人の身体に這入つて糞になつては又米になつて、そうして土に清めて貰うて循環してをる』
成瀬 『この肥のことで私は聞いたのですが、学校や軍隊の様な男ばかり居る所や又女ばかりのところは肥が利かないそうですがそんな事は本当でせうか』
出ロ氏 『そんな事はない。美味いものを食つとるのが一番よい。魚なんか食つとるのは特によい』
藤原 『空気中の肥料をうまく農家が直接利用する方法はないでせうか』
出ロ氏 『智識が要るね、日当りの関係や風の吹き工合を土台にして田をつくらないかん。今の百姓はそう云ふ事を考へずに杓子定木に何でもやるが、それでは駄目だ、風の吹き工合をよく考へて風通しをよくし、それと太陽の照し具合をよく見てやらねばいかん。そして稲の植へ方はこつちの株からこつちの株へ日中影があたる様な事をしたらいかん。今頃の百姓の植へ方はそいつを見んから損をしてゐる。成可く日が当る様に稲の間隅をとつて置くのもよい。ずつと広く三度作の様にしてやれば日がこつちからと、こつちから真直ぐにあたる。この二度作をやるのでもせまいこの稲の間を広くやるからそれでよう出来る。風と日が当るから田の水が湧く、それで又肥がよく廻る。それから茄子畑でも何でも日焼けするが日焼けせない工夫がある。古草履でも古いむしろの様なもんでもよいが畑にかぶせて置くと、藁と土がしめつとるから日焼せない。それから茄子に肥をやるのは頭から何処もかも一緒にかける。それから茄子でも葱でもだが暑い日中にやらねばいかん。梅雨にやつたら腐つてしまう』
藤原 『総て作物は日の当たる所にやつたらいゝのですか』
出ロ氏 『それは何んでもそうやらねばいかん。肥のやり方でもよつぽど注意せないけぬが、俺に時間でもあつて直接百姓をやらしたら、この辺の百姓には負けない。永い間経験してゐるからやつたら出来る』
笹原 『先の土地の問題でありますが、地主も課税が多くて困つて居りますが、之は根本的に土地の税と云ふものを排して自由にやれる制度に出来んもんでせうか』
出ロ氏 『それは先の時節を待たねばならぬ。実際地主は負担で困つてゐる。小作は小作で之丈働いて食へん、地主はぼろい事をしとると思つてゐるが、之は両方とも認識不足だ。地主も小作も一緒に働いて一緒に計算して見れば一番よくわかる、地主も働けば小作も働くと云ふ風にしてそれで計算し後で両方に分配して見たら、小作の方もわかれば、成程地主も得はないと云ふ事がわかる。そうすると和合も出来て問題はなくなる』
藤原 『現在は両方とも利己主義ですネ』
出ロ氏 『そうだ、今は両方とも利己主義だ』
成瀬 『北海道の或地方では土木工事なんかに村中が出て来てやつてるそうですが……』
出ロ氏 『俺等の時分でもそうだつた。橋が落ちたと云へば、あつちの家から、こつちの家から木を一本づゝ持つて来て橋を架けたもんだ、そら村中総出でやるのぢや、それだから橋一本落ちても直ぐ架かつた。百姓はそうせないかん。又秋の彼岸には農家は皆道造りに出た、猫もしやくしも男も女も鍬を持つてやつたが日給も何もとらない。めいめいの事にしてやる。それで一寸長雨でもあつて大水が出ると橋が落ちない様に村中が総出でかゝつた。それに今の奴は橋が落ち様が落ちまいが知らん顔をしとる。又落ちたらこつちが工事を請負うて、ぼろい事をしてやろうと思つてゐる奴ばつかりだ』
速志 『結局土木事業を始めて農村を救済すると云つてますが、その点からいくと損なわけですね、税金になるばつかりで……』
出ロ氏 『みな人からやつて貰うとると思ふとるが自分から出してゐる。それだから俺等の時分には堤防が一所切れても村中がどうもならん、それで夜中でも自分とこの古い畳を持つて来たり、或は蓆を持つて、土手の泥を水に洗ひ流されん様に守つたものだ。そうしたら経費はいらない、今は河の砂利一つ上げ様と思ふても京都府へ願はな取らさない。河の砂は自由自在に取らした方が土手が切れんで、とつて貰うた方が、かへつて喜ばんならんのだ。それを一々願はねばいかんなんて、何か宝物でもある様に大事にしとるから損をするのだ。総て杓子定木なやり方だからしようがない』
藤原 『土木事業は昔の方が余程上手ですネ、肥後の緑川の堤防は絶対に切れないそうです。それをこの間切開して新らしくして見たがすぐ切れたので、又元の通りして置いたそうです、加藤清正なんか仲々上手でしたらしいですネ。今日の学問は大分土木の知識が遅れて居ります』
出ロ氏 『こ丶の石垣でもこんな穴が明けてあるが、皆こんな石がつゝこんである、それが何故かと云へば雨が降つたら流れ出る様にしてある。
其の代り奥の方へ一間も小石が入れてある。今時のはセメントでキチツとつめてある。体裁はその方がよいが雨でも降つて土の中に水がしみ込んでゆくと、土の中で水が一杯になる。すると土がふくれて一ぺんにバサッといつてしまう。昔のは絶対にそんな事はない、雨が降れば水丈みんな洩つてしまふ様にしてある。それに今の石垣はぼうずだ、きれいにするばかりだ。昔のは奥へ長くする。地震でもあつてゆらゆらゆれゝばゆれる程しまつて固くなる。この亀岡の城の石垣はみなそうしてある。
一度石垣をつんで又其の上に三重にも四重に積んである。奥へ一間程は石ばつかりだ、それだから絶対にくだけない。穴を掘つて入ろうと思つても入られん。その一つをわつて入つても又石がある。どんな大きな大砲を持つて来ても中迄は砕けない。そう云ふ石垣の積みかたになつとるから、俺が石を掘り出したのは築城法を知つとるのと、も一つは石が地の中にあると雨が降つたりするとだんだんそこらがかわいて来る。かわきかけると石のある所だけ、石の形をして乾く。石は水を吸ふから……それで其処を掘れば決まつて出て来る。知らない者は聖師様は神様だから何処でも知つてゐられると云ふけれど俺は考へて掘らしてゐるのだ。
霊眼でも何でもないマア之を智慧証覚と云ふのだ。それが霊眼と云ふのかも知れぬ。天恩郷のこれ丈の石を出したのはみなそうだ。草の生とる所でも下に石があると草の元気がちがふ。之は関係がない様でも始終乾きつける所と、水の保てる所とはどうしてもちがふ。雨上りにでも歩いたら石のある所は、はつきりこゝからこ丶にあると云ふ事が書いてある。何でも一つ智慧で考へねばいかん。みな一つ考へて見よ』
藤原 『理窟ではわかつてもなかなかそれはわかりません』
物価統制策としての米専売
笹原 『物価の統制をはかる方法の一つとして米の専売をしては如何でせう』
出ロ氏 『それは都会ではいゝが、田舎ではかへつて困る。専売にすると田舎では融通が出来なくなつて了ふ。百姓同志はよく米を借りに行く。
一寸米借してと云つて行くと快く貸す様な訳ぢや。農村に行けば二十軒も五十軒もみな株内ばかりだ。今年五斗借つて置いては来年返すと云ふ風で、都会では知らん事を農家はやつとる』
芦田 『私は二、三年前九州へ煙草の栽培しとるのを見に行きましたが煙草の農作しとる人の云ふ事には煙草の買入は殆ど三分の一、四分の一にさげたが、とてもやつて行けんと云つて泣いて居りました。そう云ふ様な事を思ひますと米の専売は決してよくないと思はれますが』
出口氏 『俺は米の専売は都会の労働者にはよかろうが、百姓にはやつたらかへつていかんと思ふ』
藤原 『百姓は金が相手でなく、現物相手だから米の専売にはとてもよい結果は見られないと思ひます』
出口氏 『マア現状の借金状態と、今日百姓の収入関係から消費関係から考へてとても収支つぐなわんだろう、モツト働いて贅沢をやめて百姓らしい、元の五十年前の百姓にかへらねばいかん』
速志 『土地を一時奉還して再び天皇陛下から拝借したらどんなもんでせう』
出口氏 『同じ事だ。今でも拝借しとる。大名時代、徳川時代には田地の売買は許されなかつたが売買が盛んになり自由権が出来たのは明治になつてからだ。明治以前にはこつちの田が一石五斗とれるものなら、こつちの田も一石五斗とれる。するとお前とこの分五斗分の金をやるからそれからきりを呉れ、すると一石五斗の田が一石でいゝわけになる。こつちの田に二石かゝつて居るだから二石の田を持つてゐても金で買はれてゐると得田と云ふものが出来る。昔云ふてゐた得田持ちと云ふのはこれだ、得田を持つとると一石五斗の年貢でも一石払つたらよい。一段で五斗でもよい事がある。全然ただの事もある。こつちで全部買うてしまうてあるから金がやつてあるから三石とれても一段の分をやらんならん事もある、それで私有財産を禁じてもうちうらでそういふ事をやるから同じ事だ。そういふ事で売買するから地上権の売買みた様なもんだ』
笹原 『それが行はれる間は駄目ですな』
成瀬 『それであの満州の野にどんどん内地人を移民して、米をどしどしとらしたら如何なるもんでせうか』
出ロ氏 『満洲に米を作る様にしたら米が余計とれる代りに、こつちの農村が行つまる。又米をいくら専売にして見たところで政治家がうまい事をしてしまうばかりで煙草見た様なもんだ。之は今日の経済組織と云ふものを根本から立替へなければ直らない。そして農村が自給自足し、国家が自給自足しなければいかん、俺の考へでは』(以下書くなとの事にて途中約三百字略)
農村負担軽減に就いて
田盛 『現政府は公租公課の軽減策として田畑の地租を全廃して、その変りに相続税とか資本利子税、等の累進課税をずつと上げようとしてゐますが、それよりも聖師様が前に仰言られましたオホツク海の漁業を……』
出ロ氏 『カムチヤツカをロシヤ人に独立さしたらえ丶と思ふがね。それから所得税や相続税を幾程上げたつて同じ事だ。毎月々々とられるか一年してとられるかと云ふのと同じ事で百姓でも何んでもとるもんはとるのだ。地主資本家でも地租税やら所得税、附加税やらと非常に負担が重い。それでみんなだんだんとつぶれて行く。それで中堅階級と云ふものがなくなつてしまふ』
速志 『税金の種類は沢山ありますな、国税、県税、村税、それに何々附加税と』
出ロ氏 『税金は何重にでも払はされてる。酒になるまでにでも、何回と云つてとられてる。菓子一つにしても、先づ第一菓子屋で税をとる。それから砂糖で税をとる、砂糖をつくる田地でとる。砂糖をとつて得た収入で一つとる。こんなに数へて行つたら何ぼとられとるやらわからない』
速志 『しぼれる丈しぼつてるのだな』
笹原 『教育は今後どういふ風にしたらいゝんでせふか』
出ロ氏 『教育に就いては、特殊なものは専門教育を施す。つまり天才教育にするのだ。商ひの好きな者は商ひをやらす。航空の好きな者は航空ばかりやらす。今の教育はみんな何でもかでも教へるが、とても浅く広くやるのでは偉いもんは出ぬ。天才教育の方法で行くと自分は之より外は出来ぬと思ふから失敗はせない。ところが今の教へ方はみんな色々な事を教へるから、こつちがいかなこつちをやる。ちよこちよこかぢりさしばかり覚えとるから何をしても駄目だ。天才教育だつたら好きなもんだから教育せんでも、ほつといても自分から進んでどんどんやつて行く。
それから学校は余計こしらへんでもよい……そうだから必要もない官吏が後から後から出来る。そのため役目が非常に多くなる、大体日本位役員官史の多い国はない』
速志 『天才教育は結果に於いてどうなるでせふか』
出ロ氏 『新聞を統一するのが一番え丶と思ふ。それには立派な学者が居つて新聞紙上に色々発表してゆけば、勉強したいものは新聞を買うて読む。そう云ふ風にすれば教育するのに費用もかゝらねば学校の必要もない。すれば仕事の暇にでも出して勉強が出来る。
柿は毎年はならん。なる年とならん年がある。沢山ならん年の柿はこんな大きなのがなる。いつもこの位の柿がなるのならこんな大きなのがなる。それで中の種は一つか二つ位しかない。肉は太つて居て味がよい。つまりそれと反対に余計なつた年は種がぐぢやぐぢやとあつて小さい柿しかならん。むいて見ると種ばかりで食へる所はない。それで味が悪うて仕様がない。今日の教育が丁度それと同じだ。種を揃はすために、八つの種は出来る、併し食へるところはない。肉が出来なくても一生懸命鉢巻してきばつとる。大体試験制度はよくない。天才教育だつたら試験せんでも勝手に進む』
笹原 『父兄も子供も互に学校を盲信してゐる』
出ロ氏 『女学校なんかでも嫁入道具の様にして入れてゐる。昨日も署長さんに話をしたが女学生があんな格好して家へ帰つて草取りするが、あんな風しとつては田の草どころか、裁縫せよと云つても出けんだろ。あれなら男か女かわからん。女がみんなあんな男の風をすると日本はつぶれてしまふ。テニスやなんやかんやと走らすもんだからおはりなんか出来るものではない』
神代になつた時の農村の組織
速志 『もし神代になつた場合農村は一体どんな組織になるんでせうか』
出ロ氏 『それは何でも自由自在になつて来るだろ。村に一人の長が居つて、その人が村長もやれば、校長もやりと云ふ具合で村を一人の長で治ある。今は一つの村に村長も居り、校長も居る。神主は居る、農会長は居る、産業組合長も居る、之は一人でも充分出来ることで徳さへあれば人は動く。今の有様ではどだい人が多過ぎる。何でも構はぬ長と附けて欲しいもんだから、何ぢやかんぢやとこしらへて長がついたらえゝ様に思とる。それだからちよつとしたら長々と長ばつかりだ(笑声)それから町会議員やたら村会議員やたらが、今度は村会だ、町会だと寄つて何ぢやかんぢやと云ふとるが悪い事ばつかりやつてゐる。昔は村の代表が一人で何でもやつて、今度これこれにするからと云ふ時には鐘を叩いて村中が集まる。それでよく治まつてゐたのだ。これが本当の村の政治だ。
この頃の奴は村会議員になつたとか、町会議員になつたとか云ふて威ばり散らしよる。中には町会議員になつたからとぶらぶらして金一文にもならんのに俺は議員だから百姓は出来ん。肥持ちも出来んと云ふ様な奴もある』
速志 『何でも名誉職だつたら嬉しいんですな』
出口氏 『尻の穴が小さい。無鳥郷の蝙蝠だ。蝙蝠が鳶の真似をしたいのだ』
鈴木 『漁村疲弊の原因として……』
出口氏 『あいつもあんまり機械でがアがアと蒸気でやるだろ。それだから泥の中にある魚の卵をつぶしてしまうから出来るもんも出来んのだ。
三年程ほつといて四年目位からとれば、ウント魚は出来るが──それでもトロール船で引き上げるとか云ふてやるのは全然駄目だ。魚と云ふものは何処にでも居るかと云へばそうではない。沿岸しか居らぬ又十里二十里底には居らん。虫が居ないから……。太陽の光線の届かん様な海底には居らん。魚はどうしても太陽の光線の届く五尋位のところでそれ以上になると居らない。(底か)せ引網だいや何ぢやと今頃の漁り方は魚を吃驚さしてとると云ふ風だから魂と云ふものは入らない。魚を苦しめてとるとまづい、一匹々々釣つたのが一番うまい。信者でもその通り、大勢一遍に賛成したのは雑魚を取つた様に味が悪い。一人々々話して解つたのは入信する。百人も二百人も相手にして話して深い話は出来ぬ。成程えゝ話しよつたと其時は聞いてゐても会場を出たり出しなには、がやがやと悪い事ばかり云ふとる、演説は大した効能はない。どうしても味のよいじやこを釣らうと思ふたら一匹々々苦労して釣らないかん。投網なんかでバサッとやると魚は吃驚する。すると魂の行き所がちがふ。釣つた奴は静かにやるから魂がおさまつとる、それでうまい。吃驚さすと魂がいんでしまう。いんだら味なんかなくなる。何でも一生懸命やらないかん。世の中にぼろい事はない』
大崎 『百姓は五十年前にかへらねばいかぬと云はれましたが、世の中が立て替つて、もつと機械文明が進んで来てもやつばり百姓は暗い中から起きて働かねばならんのでせうか』
出口氏 『何ぼ働いても収穫は決まつとる。何ぼ機械が発達しても百姓ばかりはなまくらは出来ん。楽してとろうと思つてもとれない、よく耕して魂を入れないかん』
笹原 『今の為政者は御百姓に対して同情も理解もない様ですが、将来局に当る人は本当に百姓の事を知つとる者が当らねばならんと思ひますが……』
出ロ氏『農林大臣は農村の事に関して実地に当つてよく総ての事を経験しとる人がやらないかん。それが今は間違つとる。いもづる学問ばかりでやつとる。それぢや本当の政治は出来ない。釣り合ひと云ふ事がない。国家の大本は百姓せねば総ては固まらん。一切のものは工業でも商業でも農から始まるのだ。百姓は造化の神と一緒に働いとる、農業をやつてると耳で聞かず口で教へられない教訓を受ける。だから学問に云はれん教育を受けとる。農をやれば政治もわかれば何でも凡てがわかる。だから昔はうからやからと云ふが家族はやからだ、うからは天族だ。世の中の宝は百姓より外にない。今こ丶の天恩郷に居る者でも献労だ奉仕だと云ふとるが献労どころぢやない、こつちが保護してやつとる位だ。
よそから雇うて来た土方の方が余程よう働く。だから一日八十銭位やつて雇うた方が得だ。こつちの献労者は病気や何かで来とるから働きも一人前は出来ん。昔の献労は自分が金を持つて来てやつた。本当の献労しとつたが今頃のはそうでないけれども一つは教育しもつて労働して身体を丈夫にする。又天地造化の働きを信心の上からやつとる、それでなければ邪魔になつて仕様がない。雇うた方が実際能率が上つて得だ。朝鮮人でも使へばただ見た様なもんだ。そだから時々に人をやとつて来る。
献労は一寸雨が降るとすぐ休む。平均すると月の中十日位休むだろ、そんなことでは家内五人は食つて行けない、自分丈でもしまつが出来ないだろう』
笹原 『農村の使命を農民に教へ其習慣をつけるにはどうしたらいゝでせうか』
出ロ氏『それには常に働かないかん』
大崎 『機械文明がどんどん発達しますが世の中が変つて来ても』
出ロ氏 『機械文明はあんまり発達するとかへつて悪いから、五六七の代になつたら発達をとめる。需要丈を生産する様にする。機械文明が発達し生産過剰になつて来てそのため工場労働者は朝から晩迄働かなくともよくなる』
大崎 『百姓ばかりすると働く事になるんですか』
出ロ氏 『そう世の中が変つて来れば百姓にでも遊び日を決めてやればよい。今でも地主やら長やら、国民全体が皆で働けば、毎日一時間づゝ仕事したら仕事は済んで了ふ、夏なんかは暑いから午前中丈働き、冬は時間を決めて温かい時丈働けばい丶』
大崎 『今の世の中では働いても食へんしそれで遊んどるもんが食つてますね』
出ロ氏 『併しみな働いとる。実際働かん者は食へん様になつとる。資本家なんかはある様に見えとるが人のもんばかりだ。人の物で飯を食つてるのだ。あれでもちやんと整理すれば自分の身体の皮を剥いでもまだ足らんだろ。財産より借金の方が余計ある。乞食が茶碗と箸とを持つとるのに比べて、資本家と云ふ者は人のものばつかりだから乞食の方が物持と云ふ勘定になる』
以下の問答は大体左の如し
一、外国為替の信用の下落如何
○金は昔からないので、落ちたわけでもない。
二、農村救済の徹底したる対策は
○麻縄で縛られとるのと同じだ。もがけばもがく丈だ。天の時の到るを待て。
三、神に反く者は滅びると水鏡にあるが何とか罰をあてる方法は?
○それは五六七の代になればすつかり清算される。罰は当つとつてもわからないものだ。
「昭和青年」昭和七年九月号