文献名1霊界物語 第36巻 海洋万里 亥の巻
文献名2第1篇 天意か人意かよみ(新仮名遣い)てんいかじんいか
文献名3第1章 二教対立〔989〕よみ(新仮名遣い)にきょうたいりつ
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日2022-10-03 11:54:33
あらすじアジア大陸の西南端に突出した熱帯の月の国は、後世にはこれを天竺といい、今は印度をいっている。この国の東南端にある大孤島をシロの島といい、現代では錫蘭島と呼ばれ、仏教の始祖釈迦如来が誕生した由緒深い島である。釈迦はこの島から仏教をインド、チベット、ベトナム、タイ、中国、朝鮮と東漸して、ついに自転倒島の日本までその勢力を及ぼしたのである。シロとは、シは磯輪垣の約であり、四方を水に囲まれた天然の要害として垣に囲まれているという意味である。ロは国主があり人民があり、独立的な土地であり、城郭を構えて王者が治めるという意味である。神代の昔からこの島は非常に人文が発達し、エルサレムについでの文明国であった。それゆえに、これをシロの島というのである。シロの別の意味としては、「知る」の転訛であり、天かをしろしめす王者の居る島ということである。シロの島は後世、釈迦が現れて仏教を興すまではバラモン教の勢力の中心となっていた。後世のバラモン教は、生まれながらに階級を決めてしまい、大自在天の頭から生まれたという貴族はいたずらに徒食し、これを神の真理と誤信するに至ってしまった。釈迦はこの国のある一孤島の浄飯王という王者の子として生まれ、悉達太子といった。バラモン教の不公平・不道理を打破して万民を平等に天の恵みに浴せしめんと仏教を創立したのであった。この釈迦は、神素盞嗚大神の和魂である大八洲彦命、後にいう月照彦神が再生した者であることは、霊界物語の第六巻に示したとおりである。地球が大傾斜する以前は、この島は今のような熱帯ではなかった。気候は中和を得てきわめて暮らし良い温帯の位置を占めていた。しかし釈迦が生まれた時代にはすでに赤道直下に間近くなっていた。神素盞嗚大神の八女の第七の娘・君子姫は、侍女の清子姫と共に顕恩郷を出た後バラモン教の釘彦一派に捕えられ、半ば破れた舟に乗せられて大海に放逐された。君子姫は侍女と共に激浪怒涛を渡り、ようやくにしてシロの島のドンドラ岬に漂着した。そしてかつて友彦が小糸姫とともに隠れた神館を尋ねて進んで行くことになった。友彦の神館から数里隔てたところに神地の都があった。ここはサガレン王とケールス姫が館を構えて島国のほとんど七分を統括していた。サガレン王はバラモン教を奉じ、妃のケールス姫はウラル教を奉じていた。都の南方に風景よき小高い丘陵があった。サガレン王に仕えている役人の男たちが休暇でここに蓮の花見に来ていた。男たちの噂話によれば、館の中はバラモン教派とウラル教派に分かれて殺伐としているということである。またケールス姫はウラル教の神司・竜雲を寵愛し、王よりも尊崇しているという。竜雲は神変不可思議の術を使うと恐れられており、館の中に一大勢力を張って重臣の奥方もたぶらかしているという噂であった。バラモン教でサガレン王派のユーズとシルレングは竜雲の所業に憤慨し、なんとか排除しようと画策するが、ベールは竜雲のスパイとして二人の魂胆を暴こうとしていた。ユーズとシルレングは、ベールの言動から彼が竜雲の配下であることを悟り、自分たちのたくらみが露見してはたいへんと組みついた。三人は格闘するうちに蓮池の中に落ち込んでしまった。
主な人物
舞台
口述日1922(大正11)年09月21日(旧08月1日)
口述場所
筆録者松村真澄
校正日
校正場所
初版発行日1923(大正12)年12月30日
愛善世界社版7頁
八幡書店版第6輯 585頁
修補版
校定版7頁
普及版2頁
初版
ページ備考
OBC rm3601
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