文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第8編 >第1章 >4 信徒の指導と巡教よみ(新仮名遣い)
文献名3信徒の指導よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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〈清純な教風〉 三代教主は、いわゆる宗教家というよりは、多分にせんさいなすぐれた芸術的気質と、きわめて謙虚な天性の持主である。そのひたむきな精進そのままが、全信徒へのおおきな指導力となっている。またもとめられれば、あらゆる問題にたいして即座に明快な解答をあたえ、それらの言葉が「木の花」誌や、のちには「おほもと」誌などに掲載され、やがて花明山新書『私の手帖』(昭和32・3)『続・私の手帖』(昭和33・10)として刊行されている。それらにもとづいて、その指導精神がしだいに具体的に把握されるようになった。
三代教主によって教団のあるべき姿がその都度しめされてきているが、一つの力点は、開祖時代の清純な教風を作興することにおかれていた。それは教主によってものがたられた開祖についての、つぎの言葉のなかからもうかがうことができる。
開祖さまは、幼ないころから、父よりも、母よりも、一ばん好きなお方でありました。……開祖さまは、いつまでも清純な乙女の感情にぬれていらっしゃるような、みずみずしい尊い人間的なものを、その御生涯のきびしい崇高さのうちに、もちつづけられたお方でありました。……開祖さまの、神さまとお話をされたり、お筆先をお書きになるお時間のほかの御生活は、禅宗の修行堂での雲水のそれに似通うものがありました。そうして、その立居やおふるまいなどのしずけさや美しさは、高い茶の世界そのものであるようにうかがわれました。……それがまた、開祖さまの周辺の人々にも影響して、清純にして犯すべからざる教風を形成していました。……身の行跡の定まらぬ人や、偉そうなことをいったりすることも大のおきらいで、ひそかに目立たないところに注意してゆくというのが、そのころの気風でありました。
また一九五八(昭和三三)年の節分大祭における教主の教示のなかでも、「教団の教風にも潮のうねりに似たございます。開祖さまの時代には真剣な精進により、小乗的には整ったものがございました。聖師様の時代には大乗的に飛躍しましたが、一面、小乗的な精進が足らなかったことはいなめませぬ。今日の時代においては、個々して足もとを固めつつ、神さまのお道を絶えずひろめてゆくという、両面あいまったより良き教風を高めていきますよう、皆さまと共に励んでゆきたいと念じております」とのべられている。さらに「〝この教団に不平もつ人ら去りたまへ残れる清きが道を守らむ〟。教団も、現在までは、父も母も善悪合せ呑むという態度で進まれてきましたが、私は、良いものは良い、悪いものは悪いとして、是は是、非は非として明らかにしたいと思っています。教団の中に不平不満のある人で、他の教団に行ったり、新しい教団を作ったりして出てゆくものがありますとも、そうなればそうとなったで、小さくとも真剣なものだけで、正しい立派な道を立ててゆきたいと思います」と教主は不退転の態度をもちながらも、一面くりかえし懇切な言葉によって、正しい信仰への方向が見定められようとしてきた。
〈低級な神秘主義へのいましめ〉 大本の神示のなかから予言のみをとりだして、それに興味をもつ、いわゆる予言信仰、また世の大立替えの勃発を待望する立替信仰、霊異現象のみをつぎつぎとおいかけてゆく霊異信仰というような、かたよったひくい神秘主義にたいしては、一九四六(昭和二一)年の新発足以来、その是正がのぞまれてきた。それはつぎの言葉にもはっきりとしめされている。「私にいわせれば、奇蹟を望むような人たちが期待するような神秘は、神秘でも何でもないくだらない憑霊現象なのです。底が見え透いています。……大ざっぱにみても、明治時代の日本と昭和時代の日本とでは、あらゆる意味で大きな変化がみられます。世界の情勢においても同様です。思想の面、芸術の面、科学の面、あるいは世界各国の国家制度の面、一世紀にみたない近年のめまぐるしい変わり方は、ここ数世紀にない激しい大きな変わり方をしています。しかも、その変わり方が、筆先に具体的に端的な言葉で示されたとおりになり、またならざるを得ないような状勢に進みつつあります。『気もないうちから知らせるぞよ』と示されてある言葉どおりになってきています。一日々々、大きな神の力が世界に働きつつあるという事実、このことにこそ、大きな神秘を感ぜずにはおれません。小さな神秘、低い神秘にとらわれた気持では、この大きな神秘を切実に感じることが出来ないのではないでしょうか。筆先に示された『立替立直し』ということについても、神さまが筆先に示されたことの一つ一つが間違いなく現われてきているのをみるとき、何時かはあるものだと思っています。ただ、立替のみを待つ人たちが思うように、その時期が何年先とか、何十年先とかいうような気持にはなれないのです。……神さまだけが知っておられることと思います。ただ私は、〝この秋は雨か嵐か知らねども今日の務めに田草とるなり〟の歌のこころで、日々をつつましく、楽しく、学び働かしてもらいたいと思います。……
信者の中には、世の中になにか大変なことが起ると、それは人類にとって不幸な出来事であるのに、筆先どおりのことが起ってきたといって歓ぶような人のあるのを見受けることがあります。そういうことを見受けるたびに、私は割り切れぬ気持にならされます。……教祖さまは、その生涯を世界の大難を小難に、人類の不幸を幸いにと、朝夕一すじに祈りつづけておられました。そのお姿が今でも強い印象となって私の胸に宿っています。〝国々にきたる大難小難にのがせ給へと祈る御開祖〟と教祖さまを偲び、〝大難は小難なれや小難は無難にすめと祈る節分〟と詠んでいる母の一生も、ひたすらに人々の幸せを念ぜずにはおれぬ心で貫かれておりました人柄がいくら純朴でもしかいくら熱心であっても、人類の不幸な出来事に対して、悲しみの心の起らぬような信仰のあり方は、どこか信仰の箍がはずれているのではないでしょうか。大難は小難にと祈らずにおられぬ心、人類の不幸を悲しまずにおれぬ心、これが本当の信仰者の心であり、うつくしい心であると思います」。
〈地についた生き方〉 三代教主はまたお土を尊ぶという、開祖以来の教えを信念として、「人間は、或る期間は何らかの方法で土に親しみ、農を体験さしていただくことによって、社会の底深いなりたちというものを少しは感じることが出来、それによって私たちの生涯を尊いものとして、生活の上に、文化の上に、浮き上ったものでない地についたものを求めるようになることを信ずるのであります。それは、みながみな、ぜひ農をしなければならないというのではありませんが、この大地の上に生をうけた以上、お土への親しみ、お土への信念を、人生を通じて抱くことは、その人の生涯を落着いたもの仕合わせなものにする上に、もっとも役立つのではないかと思うのであります。それは又日々の食物をいただくごとに、そこに、農に生きる同胞との相互扶助的な社会を感じ、それぞれの使命に誠実であることが出来るという結果をもたらすことになるのではないか、と思うのです。ことに政治家とか、宗教家とか、この国の文化の指導的な立場にたつ人々には農の体験は、欠くべがらざるものとさえ思っております」とものべられている。
〈美しい生活〉 さらに三代教主の信仰生活についての態度は、「大本の本質を体得するということは、現在のめいめいの生活のなかで、日々、み教えを研修し、教えを践み行うために、刻々、自己と対決してゆくことよりほかにはないと思います。……そこに自ら日々の生活に知足安分のよろこびを創りつつ、さらに、人生の向上に不断の活動と希望を呼びおこすことになりましょう。
そうした時、茶の楽しみも、歌のよろこびも、大本の信仰の世界に必然的に芽ばえてくるであろうことを思います。真剣に信仰の道を深めてゆくとき、必然的にとものう形で、それらが求められるであろうことを私は信じます。
それは、神の創り給うたこの天地間に人として生をうけ、ことに日本のすぐれた気候風土の中に四季を感じつつ、日々神恩を感謝しつつ暮すときに、人は互いに相求め、ともしい中からも分かち合い、なぐさめ合い、楽しみ合うべく、そこにおのずから、茶の道のすぐれた方法が求められるのは、信仰を深めた者の世に生きる当然の道でありましょう。さまざまの抵抗を感じ、抵抗しつつ生きる世にも、信仰によるゆとりごころを持ち、人生を深く味わいつつ歩むとき、そこに深いよろこびがうずまき、歎きや憤りをも、同じく詩歌として訴えたき感動をもつことが、真実に生きる人々の自然の姿でありましょう。私たちは、つねに今を省み、自分の魂の声をよく聴き、勇気をこして、今をふみ越えてゆくことにより、魂を向上せしめつつ、そこに、おのずからなる美しい生活を創り出してゆきたいものです」という教示にもみいだされよう。
〈大衆のなかへ〉 大本の立教とその発展は、民衆生活との密着のなかにあった。その点についての教主の言葉に、「宗教そのものは、本来……人を集めるとか、集まらないとかいうことから超越したものでしょう。道を求めてくる人があれば、道を説くまでのものでありましょう。
しかし、宗教運動となりますと、これは別なものと考えたく思います。その運動によって社会を教化し、人を救おうというのであれば、やはり教団を組織し、目的に向って合理的に運動を進めることを考えなくてはなりません。一番大衆が手近に感じ、求めて受け入れる、効果のある宣伝法が行われなければなりません。
高い理想に立つことは、正しい意味で必要であります。しかし、それだけでは、目的が果せない現実であれば、いたずらに高い理想をのみかかげて、宗教家の誇りとしていたのでは、それは宗教家の見栄でしがありません。
高い理想に立つと同時に、一面は心をへり下り、それが現世利益的な方法であっても、その時の大衆の切実に求めるものの中に飛び込み、大衆の要求の中に救済の証を立て、順序を経て精神界の向上をはかるのでなければならないと思います。……私たちに身近な問題といえば、人間性の問題─夫婦の問題と、いろいろ複雑な問題もあります。これらを現実的に解決するために、まず、みずからがこれに当らなければなりません。真剣に祈り、お蔭をいただいて、頂いたお蔭の光りによって、隣人の共通の悩みにプラスしてゆくことが、世界に平和を来らす上に、どうしても欠くことの出来ないものであると思います」という教諭もある。
以上は、三代教主によってかたられた言葉をとおしての、大本のあり方についての教主の態度の側面をのべてみたにすぎないが、そこには「初心忘るべからず」がつねに強調されるとともに、開教の精神を尊重し、教えを本質的に把握して、地についた信仰生活を体現してゆくことの大切さがおしえられていた。宗教運動がいたずらにたかき理想をばかりもとめるのをいましめ、大衆の現実的なむやみの解決に密着して、同時に人間の本質的な欲求を、美しく、ゆたかに、うるおいのあるものにたかめてゆくことがくりかえし説かれてきた。そこに宗教と芸術の生活化という特色ある教風と諸活動か現出されてきたことは、いつに三代教主の独自の指導力にまつところがおおきい。
〔写真〕
○出口直日筆 p985
○〝百姓の道に道にひたすらはげみゆかむ寂かなる生をただ願ひつつ〟 田植にはげむ教主 p988
○炎暑もいとわず管巻にいそしまれる教主 綾部梅松苑 p991