文献名1大鏡
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名312 明智光秀よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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データ凡例『神の国』昭和10年(1935年)10月号
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本文
明智光秀は稀に見るの明将であつたのである。太閤秀吉にあの偉業を遂げさした裏面には光秀の功績を無視することは出来ない、然し表面伝はつて居る歴史では、主殺し親殺しの大罪人の汚名を着て居るが決してそんな大悪人ではない、天下の将来を達観して大所高所から身を殺して仁を為した大勇者である。それでわしは其城趾を手に入れて亀岡に皇道の大法城を築いたのである。建設当時数百年土中に埋没して居つた石垣の根石を掘起して現在の石垣の大部分を築いたのであるが、其の石には毛利とか小早川とか西国大名から献じた印のある石が沢山出て来た、是らから推測しても其当時すでに西国大名の多くは光秀に款を通じていた事が判る。太閤記の十段目の文句に「主を殺した天罰に報いは親にも此の通り」と言ふのがあるが、天恩郷ではそれを絶対に口にすることを禁じて居る。其外光秀を悪ざまに言ふことを一切禁じて居る所以である。人為の歴史といふものは信ずるに足らぬものである。