文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3大正4年旧6月13日よみ(新仮名遣い)
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データ凡例
データ最終更新日2017-07-30 19:55:00
年月日1915(大正4)年7月24日(旧6月13日)
神霊界掲載号大正6年9月1日号(第51号) 7頁
神霊界八幡書店復刻版第1巻 371頁
七巻本第2巻 89頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os055
本文のヒット件数全 1 件/地の高天原=1
本文の文字数3579
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本文
根本の天と地との先祖の大神が、仏界に権現て、世界の守護して居りたなれど、何彼の時節が循りて来て、天の御先祖様と地の先祖が、昔の弥勒様の神道へ立帰りて、昔から査べてありた御魂を立替立直して、安心な世に致すぞよ。仏教と学問とで、爰まで日本の霊の元の大神の国を汚して、天から降りて大神の休む所も無いやうに汚したのは、世界の御土の上は降さんやうに致し、一と申して二の無い日本の国を、山の谷々、野の隅々までも、さッぱり汚して、大神は不用んものと、致してありたであろうがナ。誰の手にも合はん地の先祖の、国常立尊を艮へ押し込めて、此世には最う無い神としておいて、悪魔の仕組で、末代この世を維持うと致し、最う一ツ悪を強う致して、日本の国を悪の先祖の仕組通りに致して、末代悪でやり抜く心算であらうがナ。昔の根本からの事から、何知らん事のない天と地との活証文の、天地の先祖であるから、帳面に記てある如くに、何一ツ知らん事の無い此方を、視損ひを致して居りたが、今度は些と判りかけたであらう。何であらうと、此方の眼で一度睨みたら、滅他に違はんぞよ。小さい事でも、世界の事の大きな事も、眼で見いでも、人の腹の中が見え透く神であるから、此内部は一日ましに気遣ひになるから、これまでの世に出て居れた守護神では、此前途は能く承知を致して居らんと、筆先通りになりて来るから、気をつけるのであるぞよ。末代に一度ほか無いといふやうな、大望な御魂の立替立別であるから、誤解と慢心とが一番にこの内部は畏いぞよ。これ程上り切りた世の中へ、昔から此世出来てから無いと云ふやうな、大望な事が、これほど日々明白に御守護がありても、見えも聞えも致さんと云ふやうナ、惨い事になりて居るのが、暗闇であるぞよ。水晶霊に磨けんと海外の国の申すことを、おっとまかせで居ると、かなはんことが出来てくるぞよ。確乎いたして、元の日本魂の性来に、男も女も成りて居らんと、日本の国の間に合はんから、婦人でも男子が敵はん位に日本魂を固めておくがよいぞよ。皆ンな揃ふて、従来の悪のやり方を全然棄てて了ふて、大和魂の性来に成りて居らんと、外国魂では、日本の国が三全世界を救済るといふ事は六ケ敷いぞよ。天地の根本の大神は、何う云ふ事で今日まで御苦労なされたと云ふ事を弁へて居らんと、真の事が判らんぞよ。世界の人民、鳥類、畜類、虫族まで、息ある物をよくしてやりたいとの、深い思召を汲み取る守護神人民が、今にないといふやうな惨い事に致して居るが、此度の天からの御手伝いが、大本の内部に、これ程結構にあるのに、盲者、聾者と同じこと故、言へば気に障るし、言はな何も判りはせんし、元の日本魂に立返りたら、天の事が視え透いて、人間界が厭になるぞよ。天からは水晶魂ばかりが降りるやうになりて、御三体の大神様の御手伝が明白にあるが、人間界は醜くて、神とは何も反対ばかりで、善と思ふて為す事が、神には気障りのことばかりであるぞよ。神の為にと思ふてして呉れる事が、皆反対の事ばかりより出来ては居らんぞよ。天地の大神様を、一日も早く顕はさんことには、大本の信者と成りた甲斐が無いぞよ。一日も早く、これ丈のことがあるのに、些ッとは判りさうなものではないか。出口直の前に、これ丈の事があるのに、真実に致す人民が無いが、能くもこれまで、曇りたものである。実証をこれだけ見せても詐欺師とより見えぬぞよ。言ふてやりても、未だ真実に致す人民が無いなれど、そンな事に心を悩んやうに致して、日々出る筆先を人民に見せんと、何時になりても、御蔭が取れんぞよ。世界中が総曇りであるから、善き事をして居りても、左程に思ひはせんし、悪い事を仕て居りても、それ位な事は当然ぢゃといふやうナ、混乱ナ真暗がりの中に居る人民であるから、大出口直に実地を見せておいて、その実地を筆先に書いて見せるから、それを見て改心を致さねば、日本の国の御地の上には、置いて貰へんやうになる守護神が多数出来るぞよ。耳にタコが出来る程言ひきかしてあるぞよ。今の守護神につかはれて居る人民は、外国の性来になりて了ふて居るから言ひきかした位に、聴く者が無いぞよ。一ッ平に上流と下流とが、いッち改心が出来難いぞよ。三段に区分てある身魂を立替立直して、眼口鼻を着けねばならんのであるから、何につけても大難事であるぞよ。身魂の立替立直しが中々の大事業であるから、人民の思ふて居るやうナ、小さいことで無いぞよ。二度目の世の立替を致して万古末代の事をきめて、今後は悪といふやうナ道を、さッぱり平げて了ふて、昔の弥六様のお造りに成りた善一ツの真正の道を開くから、これまで悪で思惑立てた身魂の性来を、平げて了ふから、悪の霊は利かんやうに致してやるぞよ。善に立返るなら、亦善くしてやるなり。この先きの世を、団子に致さうと、棒に致さうと、三角に致さうと、四角に致さうと、此世を自由に致すぞよと、毎度申して筆先に出して知らしてあるやうに、何も出て来るぞよ。玉水の竜宮の乙姫どのが、日の出の神と引ッ添ふて、筆先通りに致すぞよ。玉水の竜宮館が、高天原と定まりて、昔の天の規則を地の高天原で決めてあるから、此規則を背いたら、今後は末代まで赦しはなき事にきびしくなるぞよ。
直の規則破りの御魂は、二度目の世の立替の御用を勤め上げて、赦して貰ふて、今後は善と悪との亀鑑を先繰にだすから、悪の亀鑑にはならんやうに、誰によらず致されよ。今後の懲罰は、末代御赦るしが無いから、此大本の内部は、男も女も身を慎みて不調法の無いやうにして下されよ。今後は大本の内部は、大変日に増しに、きびしくなるぞよ。初発から大分悪い亀鑑が出て居るぞよ。大本に善き事も悪るい事も、末代名を書き残して、不調法の出来ぬやうにきびしくなるぞよ。何も時節がまゐりたから、従来の世に出て居りたズンダラナ守護神では、この大本の勤めは辛いぞよ。今では好きなやうにさせてあるなれど、善悪を立て別けて、規則を決めると、天と地とが揃ふて来て、上下揃へて昔の神代へ世が戻るから、この内部も今のやうなズンダラな事はさせんぞよ。一度何でも申したことは用ふる人民でないと、天地の大神はズンダラな人民は使はんぞよ。この綾部の大本からは善悪の鏡が何時になりても出るぞよ。現在の醜誤人を、さッぱり立別て了はんと、何彼の事が判らんから、日に日に自己の精神が間違ふて居らぬかと、自己の腹の中を日々改めて下されよ。人民といふものは、ちょッと行きよると、知らぬ間に自己の心が上り詰めて居りても判らんぞよ。他人からは能く判るから、取違と慢心とが一番に怪我の元となるから、気をつけた上にも気を付けるぞよ。神の気を付ける折に気がつかんと、此大本は後で何程お詫びを致しても、聴き入れは無いから、これまでの世は、前後構はずに、その場のがれの処世術で、嘘でつくねた世でありたから、誠実は些ッとも無いから、天地の大神の御心に叶はん、やり方でありたぞよ。毛筋の横幅でも混ぜりの無いやうに、立替を致すのであるから、世に出て居れる方の守護神には、大分辛くなるから、今ぢゃ早ぢゃと申して、急き込みたなれど、今に判らん守護神に、使はれて居れた人民が可哀想なから、今に気を付けるのであるぞよ。天地の大神は、大の字が上を向いて、元へ戻るから、結構になるなれど、天地の大神を無いやうにして置いて、利己主義で、下の御魂が上へあがりて、神はこの世には不用ものと申して、末流の神やら、渡りて来た身魂が上に登りたなれど、以後は最う降るより為様は無いぞよ。今後は上る身魂と下る身魂とで世界中の混雑となり、掌は反るし、ビックリ筥は開くし、何彼の事が一度になりて来て、盲目が眼が明き、聾者が耳が聞えるやうになりて、其辺が、眩うて、耳が鳴りて、彼方からも此方からも、変な所からも護光が射すぞよ。眼の前で光り、耳の側で鳴るばかりで、何が何やら判らぬやうになるぞよと、毎度筆先で気が付けてあるが、申してあるやうになりて来るぞよ。燈台脚下は真ッ暗がり、此村の人引ッ付いて居りても、心がないと判らんぞよ。昔から無い事であるから、御魂に因縁が無いと判りはせんから、改心が出来難いのであるぞよ。外国の身魂では、耳に這入りかけが致さんぞよ。可哀想なものであるぞよ。神といふものは、暑さ寒さの厭いもなく、昼夜も構はずに守護致して居りても、人民には判ろまいがナ。大出口直には判るであろうがナ。人民といふものは万物の長でないか。日本の霊の元の大和魂の性来でありたら、何も見え出して、今の人民の中には、居るのが厭になるぞよ。天地が光り渡り出すぞよ。斯ンな結構な世になるのに、外国の身魂になり切りて居るから、何実地の事を申しても、善い加減な事を申して居る位に見えようが、実地が来るぞよ。