文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治40年旧7月11日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1907(明治40)年8月19日(旧7月11日)
神霊界掲載号大正7年10月15日号(第72号) 4頁
神霊界八幡書店復刻版第3巻 255頁
七巻本第4巻 108頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻104頁
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os142
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本文
艮之金神国常立尊が現はれて守護致すには、元を造へた神代の活神は、沓島の山へ落ちて居りたぞよ。力量のある、元の肉体のある活神は、沓島に住居を致して居りて蔭からの守護で居りたなり、龍宮の乙姫殿は海の底の御住居で在りたなり、冠島が龍宮の入口で在ると云ふ事を、出口直に、初めて冠島へ参拝を致した折に申してあるが、明治三十三年に沓島が開かしてあるのはこれから分るぞよ。初発には出口直、出口王仁三郎、出口澄子、八木の福島寅之助、鷹栖の四方平蔵二人の御供で開かしたなり、冠島でさへも、今に女人は能う行かん所であるぞよ。沓島は昔から人は行かなんだ所であるなれど、今度二度目の世の立替があるに就て、沓島が女人に開かしてあるぞよ。これには深い因縁の霊魂であるから………。龍宮は冠島から沓島の荒海が乙姫殿の御住居所、海の御守護は、乙姫殿が御大将であるぞよ。昔から無い事が出口直にはさしてあるぞよ。分らなんだ事が分る世界の大本であるぞよ。三十三年の初発には、冠島へ参れと申したでありたが、三十三年の六月の八日に、出口直、王仁三郎、澄子、四方平蔵、木下慶太郎二人の御供でありたなり、沓島を開いて貰ふたのが七月の八日、四年の六月の八日にも船の都合で十日に成りたが、其折には京都方々から御供が多数ありたなれど、思念が皆違ふて居りたから、沓島へ参拝を致してから違ふた事がありたら、綾部の大本へは寄り附かれん様になると申して、即座に筆先で気がつけてあるが、世界の大本と成る大望な所が、余り粗末な所にしてあるから、皆これ迄には取違を為て居るぞよ。今度二度目の世の立替を致したら、末代に続かせな成らん世界の大本であるから、何時に成りても善い亀鑑と悪るい亀鑑とが出来る大望な所であるのに、見当が取れんやうにしてあるから、取違ひも致したなれど、これも身魂の因縁やら性来やらで、元の此世を造へた、根本の骨折の御恩といふ事が分りて居りたら、取違慢心といふやうな事は出来は致さねど、天地の御恩が今に分らんから気の毒な身魂があるぞよ。明治三十八年には出口直が七十歳で、後野市太郎、直の六人目の伝吉と二人の御供で、出口直の行の終結と世の元の御用と出来、結構な事ばかりである。あのお光りは世の初まりの結構なお光りでありたぞよ。今度の境界の峠を越すのは、身魂の洗濯をして居らんと、物が前後になりたから、世界の洗濯が早い所と、身魂の洗濯とが一度になる所もあるぞよ。今度の境界の峠は金銀では越せんから、神徳で無いと越せんから、身魂の磨き合ひを為て居りてくだされよ。醜しき心で何程金銀を積みて居りたとて、悪るい方へ止むを得ず附いて行かな成らん事が出来るから、今は掛りで左程には無いが、よく見て御蔭を取るが可いぞよ。醜い心で蓄めて居りても、蓄めて居るものは皆罪穢であるから、罪穢を除去て居ると楽に峠が越せるぞよ。この世の物は皆天地の所有であるから、一旦天地へ引きあげて了ふから、人民の心を入れ直さんと畏いぞよ。