文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3大正5年旧2月8日よみ(新仮名遣い)
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データ凡例
データ最終更新日2022-05-26 18:42:34
年月日1916(大正5)年3月11日(旧2月8日)
神霊界掲載号大正8年12月1日号(第99号) 13頁
神霊界八幡書店復刻版第5巻 535頁
七巻本第7巻 40頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os232
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本文の文字数2105
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本文
ミロク様の御教示を地の先祖の大国常立尊が、出口直の口と手とで、元の昔の根本の事から説き聞かすぞよ。
世の元の天の御先祖様が、茲に成りなさるまでの御艱難を成された事を、地の世界の先祖が、出口直は因縁の深い御魂で在るから、とことん苦労を致す身魂にこしらへて、此の世が回りて来た折りに、元の古き世の根本の大神が、是れ程苦労致して、世界を構うて居りたと言ふ事を、世界中へ天晴れと現はして、世界の人民を改心させる為に、永らくの苦労艱難を命せて、二度目の世の立替の大望な御用を命せたなれど、是から世界中に、元の活神の神力を現はして、昔から苦労艱難口惜し残念の凝りの花を開かねば、世界中が日の出の守護に成らんから、その御用で在るから、此の大本の御用を致さうと思ふ人民は、余程胴の据りて居る身魂で無いと、とことんの辛い辛棒をよう致さんぞよ。
変性男子の御魂は是れ程辛い身魂は、此の世に外には無いので在るから、苦労が永かりたなれど、モウ判るが早うなるから、此の中へ早うから来て居りて、今に何も判らいでは、早ふから辛い所へ来て居りて、変性男子の行り方を見習うて、茲に成りて来た折には、出口がチット気が楽に御用が出来るやうに成りて居らんと、何時までもコンナ辛い目に合はして置いては、神の威徳も判りはせんし、人民と申すものは、上から見た丈けにより、腹の中に思うて居ることは判らうまいがな。
それで直接奉伺の取次は辛い目を致すので在るぞよ。
初発から申して在るぞよ。此の中が辛く成りて来て、出世はさせて欲しいなれど、余り辛うて逃げて去ぬものが出来るぞよ。
此の大本に居りて辛棒が出来んやうな人民で在りたら、男にも女にも、此の大本の神の御用は到底も出来んぞよ。
今の行り方で、此の中が辛い様な人は、未だ未だ辛く成りて来るぞよ。まだ修業には成りて居りは致さんぞよ。
天地の御恩と言ふことが判明て来たら、どんな辛い事でも忍行れるなれど、今の行り方で辛棒の出来んやうな守護神に使うて貰うて居る肉体は、行業と言ふことが為て無いから、辛棒が出来んぞよ。
それで嬢や坊で育ちた人は、此の中の実地の生神の誠の御用は出来んぞよ。
改心致して身魂を磨いて、大本へ出て来たら、出来ることを為せて与るなれど、修業も致さんと仕放題にして来て、モウ此の先きは悪では一足も行けんやうに成りたと申して、昔から今に修業を仕て居る綾部の大本へ出て来ても、初発は楽にあるなれど、チクチク判る程大本の中は辛くなるから、明治廿五年からの筆先きを見詰めて居りて、筆先通りに仕て居らんと、俄に辛くなると、辛棒が出来いでは成らんから、行り方を変へるから、斯う言ふ様に致せと申して、何から何までの事が、落度の無いやうに、初発から詳細尽心と気が附けてあるぞよ。
天の大神様の御艱難の思ひを致したらば、ドンナ辛棒も忍行れるなれど、世に出て居れる方の悪の行り方で、茲まで前後を構ずに自利中心主義で、是からまだ悪で行らうと、今に仕て居る悪魔の行り方で行りて、何程気を附けても気の附かん、悪の守護神が気の毒で在るぞよ。
善の方の教示が遅くなる程、総損ひに何彼の事が遅く成りて、判らん方の守護神が苦しみが長くなるから、いろいろと申して今に知らして居るなれど、苦労知らずの悪で育ちた守護神が、天の先祖の苦労の思ひを致さずに、汚す斗りにかかりて居るが、是程金を掛けて勉強致さいでも、此の世の根本からの事が、実地正真の判る時節が参りて来て居るのに、金を入れて致した学で無いと、誠で無いやうに思ふと、大間違ひが出来るぞよ。
嬢や坊で育ちた人民程、金銀を只出来たやうに思うて、冥加の悪い事に、湯水を蒔く如くに、テンと行けんやうに成る事にも、気が附かずに使うて居るが、家々の先祖は皆苦労して貯蓄へたのであるぞよ。
先祖の其の恩を何とも思はんのは、我れに苦労が仕て無いから、その家財を取りもどす事はナカナカ出来んが、先祖が皆気の毒で在るぞよ。
天地の御恩を知らん守護神に使はれて居る世界の人民が、我れに苦労が仕て無いから、天地の先祖がドレ丈けの苦労をして、此の世を建造たと云ふ事が、世に出て居れる方の守護神に判りて居ろまいがな。
天地の先祖の大神が、茲までの艱難を致した事が、判りて居りたならば、コンナ酷い事には此の世界が成りは致さねど。
神の思ひが判らんから、我れさへ上へ上りて出世致したら、人の事なぞ見むきも致さん、国が潰れて今此の世が泥海に成りかけやうが、チットも構はずに、仕たい放題を致して、誠といふ事は、薬ほども無いやうに成りて居るぞよ。
天地の先祖は茲へ成る事が、世の太元から能く判明りて居りて、世をこしらへる折りから、日本の霊主体従国には、他の身魂ではよう為ん事の、判らん事が、一厘の経綸で九分九厘と成りた所では、手の掌が反す仕組が仕てあるから、其の経綸は何の身魂でもでは出来ん事であるから。
天地の御恩と言ふ事が、此の一厘の経綸で判然るから、腰を抜かさん様に、其処で屁垂らん様に、腹帯を確かり〆めて居らんと、ヘドロイ肝玉の肉体は、腰が抜けて早速に足が立たん様な事の無いやうに、確りして御座れよ。