文献名1霊界物語 第44巻 舎身活躍 未の巻
文献名2第2篇 月明清楓よみ(新仮名遣い)げつめいせいふう
文献名3第8章 光と熱〔1177〕よみ(新仮名遣い)ひかりとねつ
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日2023-01-21 15:47:21
あらすじここは大自在天を祀った祠であったが、いつとはなしに山神の祠と称えられるようになり、火災にあって再建する者もないままになっていた。万公と晴公は言霊の効用について言い争いを始めた。晴公は万公にからかわれてやっきとなり、山口の森の夜の暗さを晴らそうと言霊を発したが、何も起こらなかった。治国別は自分がひとつ神様に願ってみようと音吐朗々と天津祝詞を奏上し言霊を発すると、真っ黒な闇は薄らいで朧月夜のような明かりが漂った。治国別は言霊の効用があったことについて、神に感謝をささげた。治国別は道(ことば)は万物の根源、造物主だと弟子たちに説いて聞かせた。万公の請いにより、治国別は言霊の詳細を道歌で示した。高天原の天国に住む天人は、智性(神真の神智)と意志(神の善、神愛)とを有する。天人の生命は神の善である熱から来ている。信真の光と、愛善の熱が、天人の智性と意志、生命を形造っているのである。信真の光と愛善の熱は、神界の光と熱に、それぞれ相応している。このことは、地上を守っている光と熱のはたらきを見ても、その道理を悟ることができるのである。光と熱は地上の万物を啓発し、残るくまなく生育するのである。春と夏は、熱と光が相和す時期である。光も、熱がなければ万物を活動させることはできない。光のみで熱が和していない冬を見れば、そのことがわかる。高天原の天界は、熱と光の相応がある。これは地上の春季に当たる。天地の太初に道(ことば)があった。道は神と共にあった。道はすなわち神である。万物はこれによって造られたのである。道には清き生命があった。生命は人の光である。道は肉体となってわれらの間に宿っている。道(ことば)というのは、聖言である。聖言は神真である。これは主神から来た光である。高天原において一切の力を保持するのは神真である。天人は神力を所受するのみならず、神力を治める器でもある。天人はこの神力を有ゆえに、高天原の神光によって地獄界までをも制御することができるのである。神真の中に力があって、すべてのものが造られた。かくも尊い神力が、神真のうちにあるのである。人間の中にある善と真の力、太陽の光と熱の力を見れば、この神の稜威を悟り得られるのである。万公はこの道歌の意味を了解するにはもっと詳しく教えてほしいと請うが、治国別は、この歌を繰り返し繰り返し霊魂にしみこませれば、読書百遍おのずから通じると諭した。またあまり一時に与えると霊魂が食傷して腹痛下痢を起こすから、やめておこうと述べた。
主な人物
舞台山口の森
口述日1922(大正11)年12月08日(旧10月20日)
口述場所
筆録者松村真澄
校正日
校正場所
初版発行日1924(大正13)年8月18日
愛善世界社版99頁
八幡書店版第8輯 174頁
修補版
校定版103頁
普及版44頁
初版
ページ備考
OBC rm4408
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