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文献名1霊界物語 第32巻 海洋万里 未の巻
文献名2第2篇 北の森林よみ(新仮名遣い)きたのしんりん
文献名3第13章 平等愛〔904〕よみ(新仮名遣い)びょうどうあい
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2022-05-16 18:43:05
あらすじ高姫たち一行は、森林の兎の都の霊場に着いた。鷹依姫はあまねく獣の霊の済度に全力を尽くしていた。高姫は鷹依姫との久しぶりに面会し、嬉しさと懐かしさに涙を流した。高姫一行四人、安彦一行四人、鷹依姫一行四人の合わせて十二の身魂は、天地に向かって七日七夜、間断なく神言を奏上し、すべての猛獣をことごとく言向け和した。肉体を離れた後は必ず天国に至り、神人となって再びこの地に生まれ来て神業の参加すべき約束を与えた。あらゆる猛獣たちは歓喜の涙にくれた。猛悪な獣も、肉体の保存上やむを得ざるときに他の動物の命を奪うのみである。しかるに万物の霊長たる人間は、食物が満ち足りてもなお欲をたくましくし、他人を倒して自己の財を肥やし、わが子孫のために美田を買って他を憐み助ける意思のない者が大多数を占めている。しかしながら神代は社会上の組織はもっとも簡単にして、物々交換の制度自然に行われていた。さまざまな珍しきものが通貨の代わりに使われて、一定の価格も定まっていなかった。それゆえに神代の人はもっとも寡欲であった。大宜津姫神が現れて衣食住の贅沢が始まり、大山祇、野槌の神などが土地山野を区画して占領したとしても、現代ほど貧富の差もなく狭くもなく、安泰なものであった。高姫、鷹依姫、竜国別は、神に許しを受けて、猛獣に対して律法を定めた。肉食を廃すこと時々代表者を兎の都に派遣して、最善の生活上の評議をなすこと鰐によってモールバンド、エルバンドへの防備となし、また河の往来の用に任じること鰐を獅子王の次の位とし、毎年月の大神の神前で鰐を主賓として懇談会を開き慰労すること律法に違反した者は獅子王の命によって肉体は取り食らわれ、その子孫は永遠に獣類の身体を得て地上に棲息する神罰を与えられることこの律法を遵守し、月の大神の宮に詣でて赤誠を捧げた獣は、帰幽するとただちにその霊は天国に上り、人間として再び地上に生まれて来ることになった。国治立大神は、神人のみならず禽獣虫魚に至るまでその霊に光を与え、いつまでも浅ましき獣の体を継続させることなく、救いの道を作り律法を守らせて、その霊を向上せしめ給うたのである。それゆえ、禽獣虫魚が帰幽したその肉体は、ただちに屍化の法によって天に昇るのである。みな、神の恵みによってある期間種々の修行を積み、天上に昇って霊を向上せしめるのである。これ天地の神の無限の仁慈が偏ることなく等しくすべての命に行き渡っていることの証拠である。禽獣虫魚としてのいやしい肉体をもってこの世にあるのは、人間に進む行程であることを思えば、いかなる小さな動物といえども、粗末に取り扱うことはできないことを悟らねばならない。その精神に目覚めなければ、神の神国魂となり、神心となることは到底できない。また人間としての資格もない。ただし、職業として漁師・猟師を営む者は宿世の因縁にして、天より特に許されたものである。しかるに遊猟・遊漁のごとき、自分の心を一時慰めるために禽獣虫魚の命を絶つことは、鬼畜にも勝る残酷な魔心といわねばならない。人には各々、天より定められた職業に一意専心に努めて、士農工商ともに神業に参加することをもって、人生の本分とするものである。たとえば神は、ツツガムシの発生を抑えるためにネズミを作り、ネズミの発生を抑えるために猫を造り給うたごとく、仕組まれているのである。禽獣虫魚はすべて、引く息をもって音声を発するのに対して、神国人は吹く息をもって臍下丹田より喨喨たる声音を発するのである。また禽獣虫魚はすべて、その性質に見合った言霊を発することで動・止・進・退するものである。言霊の真意活用を悟った真人は、天地を震撼し、風雨雷霆を叱咤し駆使し、山草木を鎮定せしめ、安息を与えるという妙用を行いうるのである。これより高姫、鷹依姫、竜国別たち一行は、月の大神の前に拝礼を終わり、猛獣たちに兎の王に仕えさせた。そしてアマゾン河のほとりに出て、モールバンドとエルバンドの一族に向かい、善言美詞の言霊を与えて彼らを悦服せしめた。遂にモールバンドとエルバンドは言霊の妙用に感じて雲を起こし、竜体となって天に昇り、雨風を起こして地上に雨露を与え、清鮮の風を万遍なく与る神の使いとなった。しかしながらまだ悔い改めない怪獣類は森林、幽谷、海底、河底などに潜伏して、面白からぬ光陰を送っているものもあるのである。古の怪しい獣は、今日よりも数も種類も多かった。しかし三五教の神の仁慈と言霊の妙用によっておいおい浄化し、人体となって生まれて来ることになったのであった。ゆえに霊の因縁性来等によって今日といえども、高下勝劣の違いを来すことになったのである。しかしながらいずれもその根本は、天御中主大神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神の陰陽の水火より発生したものなれば、宇宙一切の森羅万象はみな同根にして、いずれも兄弟同様なのである。ただし、幽玄微妙なる霊魂の経緯によって区別ができるのである。物質文明の学は泰西人によって先鞭をつけられたが、現今は霊魂学においても先鞭をつけられているのは主客相反する惨状と言わねばならない。邦人はいかなる深遠なる真理といえども泰西人の口と筆から出でなければこれを信じない悪癖がある。この物語も、一度泰西諸国の哲人の耳目に通じ、再び訳されて輸入し来るまでは、邦人の多数はこれを信じないだろうと予想し、深く嘆く次第である。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年08月23日(旧07月01日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1923(大正12)年10月15日 愛善世界社版146頁 八幡書店版第6輯 202頁 修補版 校定版153頁 普及版61頁 初版 ページ備考
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本文
 高姫外七人は鰐の橋を渡り、南の森林に数多の兎に迎へられ、漸くにして、青垣山を繞らせる森林の都、月の大神の鎮祭しある霊場に辿り着いた。鷹依姫は白髪の冠を頂き、凡ての猛獣を子の如くなつけ、普く獣の霊の済度に全力を尽してゐる。
 高姫は久し振りに鷹依姫に面会し、固く手を握りものをも言はず、嬉しさと懐しさに涙を両頬より垂らしてゐる。ここに愈高姫一行八人と、鷹依姫の一行四人を加へ十二の身魂は、天地に向つて七日七夜の間断なき神言を奏上し、すべての猛獣を悉く言向け和し、肉体を離れたる後は必ず天国に到り、神人となつて再び此土に生れ来り、神業に参加すべき約束を与へ、所在猛獣をして歓喜の涙に酔はしめたり。
 如何に猛悪なる獅子、虎、狼、熊、大蛇、豺、豹と雖も、口腹充つる時は、決して他の獣類を犯す如き暴虐はなさないものである。只飢に迫り、其肉体の保存上、止むを得ずして他の動物の生命を奪り食ふのみである。
 然るに万物の霊長たる人間は、倉廩満ちても猶欲を逞しうし、他人を倒し、只単に自己の財嚢を肥し、吾子孫の為に美田を買ひ、決して他を憐み助くるの意思なき者、大多数を占めてゐる。併し乍ら、神代は社会上の組織、最も簡単にして、物々交換の制度自然に行はれ、金銭と雖も珍しき貝殻、或は椰子の実の種をいろいろの器になし、之を現今の金に代用し、又は砂金などを拾ひて通貨の代用にしてゐたのである。さうして一定の価格も定まつてゐなかつた。それ故神代の人は最も寡欲にして、如何に悪人と称せらるる者と雖も、只々情欲の為に争ふ位のものであつた。時には大宜津姫神現はれて、衣食住の贅沢始まり、貧富の区別漸く現はれたりと雖も、現代の如き大懸隔は到底起らなかつたのである。
 大山祇、野槌の神などの土地山野を区劃して占領し、私有物視したる者も出で来りたれども、これ亦現代の如くせせこましき者にあらず、実に安泰なものであつた。
 高姫、鷹依姫、竜国別は、茲に猛獣に対し、神に許しを受けて、律法を定め、彼等をして固く守らしめた。其律法の大要は、
一、熊は熊、虎は虎、狼は狼、獅子は獅子、蛇は蛇、兎は兎として或地点を限り、其処に部落を作り、互に他獣の住所を侵さざる事
一、各獣族は一切の肉食を廃し、木の実又は草の葉、木の芽などを常食とし、而も身体少しも痩衰へず、性質温良になり、互に呑噬の争ひをなさざる事
一、時々各獣団体より代表者を兎の都に派遣し、最善の生活上の評議をなす事
一、鰐をして、モールバンド、エルバンドの襲来に備へ、且つアマゾン河の往来の用に任ずる事
一、鰐を獅子王の次の位と尊敬し、年々、各獣、月の大神の社前に集まりて、懇談会を開き鰐を主賓となし、年中の労苦を犒ふ事
一、右の律法に違反したるものは、獅子王の命により、其肉体は取り喰はれ、其子孫永遠に獣類の身体を受得して、地上に棲息するの神罰を与へらるる事
等の数ケ条の律法を定め、獅子王を始め各獣の王をして、之を其種族一般に布告せしめた。
 これより其律法を遵守し、月の大神の宮に詣でて赤誠を捧げたるものは、一定の肉体の期間を経て帰幽するや、直に其霊は天国に上り、再び人間として地上に生れ来ることとなりぬ。
 又此律法に違反したる各獣は、其子孫に至る迄、依然として祖先の形体を保ち、今に尚人跡稀なる深山幽谷森林などに、苦しき生活を続けてゐるのである。あゝ尊き哉、月の大神の御仁慈よ。
 国治立大神は、あらゆる神人を始め禽獣虫魚に至る迄、其霊に光を与へ、何時迄も浅ましき獣の体を継続せしむることなく、救ひの道を作り律法を守らしめて、其霊を向上せしめ給へり。故に禽獣虫魚の帰幽せし其肉体は、決して地上に遺棄することなく、直に屍化の方法に依つて天に其儘昇り得るは、人間を措いて他の動物に共通の特権である。猛獣は云ふも更なり。烏、鳶、雀、燕其外の空中をかける野鳥は、決して屍を地上に遺棄し、人の目に触るる事のなきは、皆神の恵に依りて、或期間種々の修業を積み、天上に昇り、其霊を向上せしむる故なり。只死して其体躯を残す場合は、人に鉄砲にて撃たれ、弓にて射殺され、或は小鳥の大鳥に掴み殺され、地上に落ちたる変死的動物のみ。其他自然の天寿を保ち帰幽せし禽獣虫魚は残らず神の恵によりて、屍化の方法に依り天上に昇り得る如きは、天地の神の無限の仁慈、偏頗なく禽獣虫魚に至る迄、依怙なく均霑し給ふ証拠なり。只人間に比べて、禽獣虫魚としての卑しき肉体を保ち、此世にあるは、人間に進むの行程であることを思へば、吾人は如何なる小さき動物と雖も、粗末に取扱ふ事は出来ない事を悟らねばならぬ。其精神に目覚めねば、真の神国魂となり、神心となることは到底出来ない。又人間としての資格もない。
 斯く曰はば人或は云はむ、魚を捕る漁師なければ吾等尊き生命を保つ能はず、獣を捉ふる猟夫なければ日常生活の必要品に不便を感ず、無益の殺生はなさずと雖も、有益の殺生は又已むを得ざるべし。斯かる道を真に受けて遵守することとせば、社会の不便実に甚しかるべしとの反対論をなす者がキツト現はれるでありませう。併し各自にその天職が備はり、猫は鼠を捕り、鼠は人類の害をなす恙を捕り喰ひ、魚は蚊の卵孑孑を食し、蛙は稲虫を捕り、山猟師は獅子、熊を捕り、漁師は魚を捕り、海漁師は海魚を捕りて、其職業を守るは皆宿世の因縁にして、天より特に許されたるものである。故に山猟師の手にかかる禽獣はすでに天則を破り、神の冥罰を受くべき時機の来れるもののみ、猟師の手に掛つて斃れる事になつてゐるのである。海の魚も魚も皆其通りである。
 然るに現代の如く、遊猟と称し、職人が休暇を利用して魚を釣り、官吏その他の役人が遊猟の鑑札を与へられて、山野に猟をなすが如きは、実に天則違反の大罪と云ふべきものである。自分の心を一時慰むる為に、貴重なる禽獣虫魚の生命を断つは、鬼畜にも優る残酷なる魔心と云はなければならぬ。人には各天より定まりたる職業がある。之を一意専心に努めて、士農工商共神業に参加するを以て、人生の本分とするものである。
 ペストが流行すると云つては、毒薬を盛り鼠を全滅せむと謀る人間の考へも、理論のみは立派なれども到底之を全滅する事は出来ない。又鼠が人家になき時は人間の寝息より発生する邪気、天井に凝結して小さき恙虫を発生せしめ、其虫の為に貴重の生命を縮むる様になつて了ふ。神は此害を除かしめ、人の為に必要に応じて鼠を作り給うたのである。鼠は恙虫を最も好むものである。故に其鳴声は常に『チウチウ』と云ふ。チウの霊返しは『ツ』となる。併し乍ら鼠の繁殖甚しき時は、食すべき恙少き為、止むを得ず、米櫃を齧り、いろいろと害をなすに至る。故に神は猫を作りて、鼠の繁殖を調節し給うたのである。猫の好んで食するものは鼠である。鼠の霊返しは『ニ』となる。猫の鳴声は『ニヤン』と鳴く、『ヤ』は退ふこと、『ン』は畜生自然の持前として、言語の末に響く音声である。故に『ニヤン』と云ふ声を聞く時は、鼠の『ニ』は恐れて姿を隠すに至るは言霊学上動かすべからざる真理である。人試みに引く息を以て、鼠の荒れ廻る時、『ニヤン』と一二声猫の真似をなす時、荒れ狂ひたる鼠は一時に静まり遠く逃げ去るべし。『ニヤ』の霊返しは『ナ』となる。故に猫の中に於て、言霊の清きものは『ナン』と鳴くなり。
 すべて禽獣虫魚は引く息を以て音声を発し、神国人は吹く息を以て臍下丹田より嚠喨たる声音を発し、又引く息、吹く息の中間的言語を発する人種もあることを忘れてはならぬ。
 又鳥の中にも、吹く息、引く息の中間的の声音を一二声発するものが、たまにはあるものである。馬は陽性の動物なれば、『ハヒフヘホ』と声音を発し、牛は陰性の動物なれば、『マミムメモ』の声音を発す。其他一切の動物、各特有の音声を有し、完全に其意思を表示することは発端に述べた通りである。
 馬は陽性の獣類なれば、人其背に跨り、『ハイ』と声をかくれば、忽ち無意識に前進す。『ハ』は開き進むの言霊であり『イ』は左右の息である。即ち左右の脚を開きて進めと云ふ命令詞となる。牛は陰性の獣類なれば、人あり、後より『シイ』と言へば前進す。『シ』は水にして且つ俯むき流れ動くの意である。『イ』は前に述べた通りである。馬は頭をあげて、陽の息を示して進み、牛は頭を下げて陰の水火を示して進む。陽性の馬は『ドー』と言へば止まり、陰性の牛は『オウ』と云へば止まる。『ド』は陽的不動の意味であり、『オー』は陰的不動の言霊の意味である。
 之を以て之を見れば、禽獣虫魚一切、惟神的に言霊によりて動止進退することは明白なる事実である。其他の禽獣皆然りである。
 或古書にミカエル立ちて叫び給へば、山草木、天地一切これに応ずとあるも、言霊の真意活用を悟りたる真人の末世に現はれて、天地を震撼し、風雨雷霆を叱咤し又は駆使し、山草木を鎮定せしめ、安息を与ふる言霊の妙用を示されたものである。あゝ偉大なる哉、言霊の妙用!
    ○
 是より高姫、鷹依姫、竜国別、外九人は月の大神の御前に恭しく拝礼を了り、兎の王をして厚く仕へしめ、アマゾン河の畔に出でて、モールバンドを始めエルバンドの一族に向ひ、善言美詞の言霊を与へて、彼等を悦服せしめ、遂にモールバンド、エルバンドは言霊の妙用に感じ、雲を起し、忽ち竜体となつて天に昇り、風を起し、雨を呼び、地上の一切に雨露を与へ、清鮮の風を万遍なく与へて、神人万有を安住せしむる神の使となりたり。
 併し乍ら、まだ悔い改めざる彼等怪獣及猛獣の一部は、今尚浅ましき肉体を子孫に伝へて、或は森林に或は幽谷に潜み、海底、河底に潜伏などして、面白からぬ光陰を送つてゐるものもあるのである。
 古の怪しき獣は、今日に比ぶれば、其数に於て其種類に於て最も夥しかつた。併しながら三五教の神の仁慈と言霊の妙用によつて、追々に浄化し、人体となつて生れ来ることとなつた。故に霊の因縁性来等に於て、今日と雖も、高下勝劣の差別を来たすこととなつたのである。併しながら何れも其根本は天御中主大神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神の陰陽の水火より発生したるものなれば、宇宙一切の森羅万象は皆同根にして、何れも兄弟同様である。
 同じ人間の形体を備へ、同じ教育をうけ、同じ国に住み、同じ食物を食しながら、正邪賢愚の区別あるは、要するに霊の因縁性来のしからしむる所以である。
 或理窟屋の中には、総ての人間は同じ天帝の分霊なれば、霊の因縁性来、系統、直系、傍系などの区別ある理由なしと論ずる人がある。斯の如き論説は、只一片の道理に堕して、幽玄微妙なる霊魂の経緯を知らざる人である。人の肉体に長短肥瘠、美醜ある如く、霊魂も亦これに倣ふは自然の道理である。要するに人間の肉体は霊魂のサツクのやうなものであるから、人間各自の形体は霊魂そのものの形体であることを悟らねばならぬ。霊魂肉体を離れ、霊界に遊ぶ時は、其脱却したる肉体と同様の形体を備へ居る事は、欧米霊学者の漸く認むる所である。
 物質文明の学は泰西人に先鞭をつけられ、霊魂学の本場たる我国は亦泰西人に霊魂学迄先鞭をつけられつつあるは、天地顛倒、主客相反する惨状と云はねばならぬ。我々は数十年来霊魂学の研究につき、舌をただらし、声をからして叫んで来た。されど邦人は如何に深遠なる真理と雖も、泰西人の口より筆より出でざれば、之を信ぜざるの悪癖がある。故に如何なる高論卓説と雖も、一旦泰西諸国に輸出し、再び泰西人の手を借りて、輸入し来らざれば、信ずること能はざる盲目人種たることを、我々は大に歎く者である。此物語も亦一度泰西諸国の哲人の耳目に通じ、再び訳されて輸入し来る迄は、邦人の多数は之を信じないだらうと予想し、且つ深く歎く次第であります。惟神霊幸倍坐世。
(大正一一・八・二三 旧七・一 松村真澄録)
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