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文献名1霊界物語 第67巻 山河草木 午の巻
文献名2第3篇 多羅煩獄よみ(新仮名遣い)たらはんごく
文献名3第12章 太子微行〔1714〕よみ(新仮名遣い)たいしびこう
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ太子とアリナは、タラハン城の東北にある城山に分け入った。すばらしい光景を目にして太子は感慨無量の思いとなり、ますます宮中を捨てたくなった。太子の希望により一行はさらに山を越え、奥山へと進み行くアリナは途方にくれたが、太子の意思は堅く、さらに北へ北へと歩を進めていく。
主な人物【セ】スダルマン太子、アリナ(左守ガンヂーの息子)【場】-【名】カラピン王 舞台 口述日1924(大正13)年12月28日(旧12月3日) 口述場所祥雲閣 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1926(大正15)年8月19日 愛善世界社版157頁 八幡書店版第12輯 88頁 修補版 校定版159頁 普及版68頁 初版 ページ備考
OBC rm6712
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本文  スダルマン太子は左守の一子アリナと共に窮屈な殿内生活を逃れて心の駒の進むまま膝栗毛に鞭ちタラハン城の東北に当る樹木鬱蒼たる城山を目指して進み入つた。今迄見た事も、聞いた事もない麗はしき羽翼を拡げた百鳥、木の間にチユンチユンと囀り、デカタン高原名物の風は今日は殊更穏かに吹き渡り自然の音楽を奏し、山野の草木は惟神的舞踏を演じ、谷川の流れは激湍飛沫の絶景を現じ、太子の目には一つとして奇ならざるなく珍ならざるはなかつた。
太『オイ、アリナお前のお蔭で俺も窮屈な殿内をやつとの事で脱走し、造化の技巧を凝らした天然の風光に親しく接し山野の草木や、禽獣を友として気楽に逍遥する心持は余が生れてから未だ初めてだ。見れば見る程、考へれば考へる程、天然と云ふものはなんとした結構なものだらう。人間の造つた美術や絵画とは違つて云ふに云はれぬ風韻が籠つて居るではないか。余は不幸にして王族に生れ、十八年の今日迄狭苦しい殿中生活に苦しめられ、かかる広大なる原野に天地を友として、悠然として観光する余裕がなかつた。あゝ平民の境遇が羨ましい。人生貴族に生るる程不幸不運のものはないぢやないか。余は何の天罰で斯様な窮屈な身の上に生れて来たのだらう。そしてお前は左守の悴で、貴族の家に生れたと云つても余に比ぶれば余程の自由がある。余は王族と云ふ牢獄に投ぜられ、かかる無限の天地の恩恵に浴することの出来ないのは実に残念だ。代れるものならお前と代つて貰ひたい、あゝあゝ』
と溜息をつき感慨無量の体であつた。
ア『若君様、さう思召すのも御尤もで厶いませうが、何程苦しくつても、そこを辛抱して頂かねばなりませぬ。殿下は一国の親ともなり、師ともなり、主ともお成り遊ばして国民を愛撫し、指導し、監督なさらねばならない天よりの御職掌で厶いますから、御境遇には同情致しますが、どうぞ左様な事を仰せられずに、父王様の跡をお継ぎ遊ばし天下に君臨して頂かねばなりませぬ。私はどこ迄も殿下の為には身命を賭して働きませう。又成可く御窮屈でないやうに取計ひますで厶いませう』
太『ウン、それもさうだな。余は残念に思ふわい』
ア『殿下如何で厶いませう、此絶景を殿下の妙筆で描写なさいましては。殿中に居られます時とは、余程変つた立派なものが出来るでせう。そしてお心が安まるで厶いませうから』
太『いや、余はもう絵筆を捨てた。殿中許りに居つて園内の景色を今迄得意になつて写生して居たが、かう山野に出て造化の芸術を目撃しては、もう筆を揮ふ気にはなれない。何程丹精を凝らしても万分一の真景をも描写することは出来ぬぢやないか。これだけ雄大な山川草木が目の前に横たはつて居ては、どこから筆を下ろしてよいやら、其端緒さへ認むるに苦しむぢやないか。唯一本の樹木を描写するにも余程の丹精を凝らさねばならぬ。際限もなき山野草木渺茫として天に続く大高原、どうしてこれが人間の筆に描き出されるものか。王者だとか貴族だとか、高位高官だとか、国民に対し威張つて見た所で、神の力、自然の風光に比ぶれば殆んど物の数でもない、児戯に等しいものだ。天地万有は余に対しては唯一の経文で無上の教だ。これを見ても人間たるものの腑甲斐なさに呆れ返らざるを得ぬではないか』
ア『左様で厶いますな。殿下は観察眼が非常に優れて居られます。私は幸ひ小臣の悴、自由自在に山野を逍遥し得るの便宜が厶いますので、時々自然の風光に接し、日月の光を浴びて、自由の天地に遊ぶ事が出来ます為めか、造化の芸術に見慣れて了ひ、左迄雄大だとも、絶妙だとも考へませなんだ。一木一草の片に至る迄心を留て眺めた時には、如何にも不可思議千万の現象で厶います』
太『どうぢやアリナ、此山を向ふへ越えて些しく珍らしい風景を眺望して来うぢやないか』
ア『ハイ、お伴を致しませう。併し乍ら余り遠方へお出ましになると帰りが遅くなり、頑迷なる役人共に見つけられては、警戒が益々厳になり、殿下とかう気楽に自由に散歩する事が出来ないやうになるかも知れませぬ。さうすればお互の迷惑で厶いますから、今日は殿下の仰せの場所迄急ぎ足に参り、又急いで殿中に帰りませう』
太『ヨシヨシお前の意見にも従はなくちやなるまい。そんなら急いで城山を北に越え、観光を恣にしようぢやないか。サア行かう』
と早くも太子は先に立つて歩を進めた。アリナは写生に要する一切の道具を背に負ひ乍ら木の間を潜つて余り高からぬ城山の頂上にあえぎあえぎ登つていつた。太子は山の頂に立つて四方を見渡しながら、
『オイ、アリナ、タラハンの市街はタラハンの首府といつて、随分広い広いと誰も彼も褒めて居るが、僅か三万の人口。又広大なる王城も、かう山の上から瞰下して見れば、実に宇宙の断片に過ぎないぢやないか。かかる小さい物の数にも足らぬ王城に余は十八年も窮屈の生活をやつて居た事を思ひ出して、心恥かしくなつて来た。此雄大なる天に続いた大広野の中にチラチラ見える人家はまるでハルの湖水に船が浮んで居るやうぢやないか。山野の草木はソロソロ芽ぐみ出し、緑、紅、黄、白などの花は至る所に咲き満ち、白紙を散らしたやうに所々に池や沼が日光に照つて居る。この風光は実に天国浄土の移写のやうだ。名も知らぬ珍らしい鳥はこの通り前後左右に飛び交ひ微妙な声を放つて天下の春を唄つて居る。余も人間と生れて心ゆくまで天然の恩恵に浴したく思ふ。籠の鳥の境遇にある余に取つては、此天地は実に唯一の慰安所だ。命の洗濯場だ。あゝ何時迄も此所にかうして遊んで居たいやうだ。仮令老臣が何と小言を云はうとも構はぬぢやないか。グヅグヅいつたら太子の位を捨て山に入り杣人となつてお前と二人簡易の生活をやつてもよいぢやないか。余は再び以前のやうな貴族生活はやり度くない』
ア『長らく窮屈な生活に苦しみ遊ばした殿下としては、御無理も厶いませぬ。併し乍ら世の中に満足と云ふ事は到底無いもので厶いますから、どうぞ心を取り直して一先づ殿中にお帰り下さいませ。余り遅くなると又老臣共が騒ぎ立てますから』
太『お前は余の云ふ事なら命迄も捨てますと常に誓つて居るぢやないか。老臣共の小言がそれ程お前は怖ろしいのか。矢張り人間並に小さい私欲に目が眩んで居るのだらう。帰り度ばお前勝手に帰つたがよい。余はこの山頂において今夜の月を賞し、宝石の如く輝く星の空を心ゆく迄眺めて帰るつもりだ。十八年の今日迄未だ一回も見た事もない満天の星光、円満具足なる三五の月、其月の玉より滴る白露を身に浴びて、人間の真味を味はつて見たいのだ。汝は是より急ぎ殿中に帰つて呉れ。余はもう一つ向ふの山を踏査して見る積りだ。左様なら』
と云ひ乍らスタスタと尾上を伝ふて北へ北へと進み往かむとす。アリナは途方に呉れ乍ら帰らねばならず、それだといつて太子を山に残して帰るのは尚悪し、仕方なく太子の足跡を踏んで北へ北へと進み往く事となりける。
(大正一三・一二・三 新一二・二八 於祥雲閣 加藤明子録)
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