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文献名1霊界物語 第67巻 山河草木 午の巻
文献名2第4篇 山色連天よみ(新仮名遣い)さんしょくれんてん
文献名3第19章 絵姿〔1721〕よみ(新仮名遣い)えすがた
著者出口王仁三郎
概要
備考
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あらすじ旧主人の太子に出会うことができ、シャカンナの現政権に対する敵愾心も消えてしまった。密かにスバール姫の夫になろうとしていたコルトンは、太子の出現で、とうてい恋の敵としてかなわないことを悟り、出奔する。太子、アリナは再びシャカンナに政界復帰を要請するが、かたくなに断られる。太子はシャカンナの小屋を去る前に、スバール姫の姿を絵に写す。絵の出来具合のすばらしさにシャカンナは感嘆し、太子・アリナは絵を携えてシャカンナとスバール姫に別れを告げる。帰途、コルトンが太子を狙うが、逆に二人に諭される。
主な人物【セ】コルトン、スダルマン太子、アリナ、スバール姫【場】-【名】カラピン王、出口、松村、北村、加藤、ガンヂー、玄真坊=天真坊 舞台 口述日1924(大正13)年12月29日(旧12月4日) 口述場所祥雲閣 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1926(大正15)年8月19日 愛善世界社版249頁 八幡書店版第12輯 122頁 修補版 校定版251頁 普及版68頁 初版 ページ備考
OBC rm6719
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本文の文字数6357
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本文  十八年のお慈悲の牢を漸く脱出し、寵臣のアリナと共に、心ゆく迄山野の清遊を試み、其嬉しさと愉快さに帰路を忘れ、一切を忘却し、心の駒に打ち任せて、思はぬ深山の奥へ迷ひ込んだタラハン城の太子も、又太子の意を迎へて山野に案内し、方向に迷ひ、帰路を尋ねて連山重畳たる谷川を瞰下す山腹に月光を浴び乍ら、ライオンの声に心胆を奪はれ、忽ち恐怖心にかられ、顔色青ざめ、生きたる心地もなく、体内の地震を勃発したる左守の倅アリナも、山麓に漸く一炷の火光を認めて死線に立つて救ひの神に出会したるが如く、俄に勇気百倍し、太子を導いて、小柴を分け、漸く一つの隠れ家に辿りつき、主人の情に仍つて、形許りの萱葺の掘込建に一夜の宿泊を許され、いろいろと物語の末、十年以前カラピン王に仕へたる重臣なりし事を悟り、或は喜び或は驚きつつも、ヤツと心が落着き、綿の如く労れ切つたる身を横たへて、茲に露の滴る如き美青年は前後も知らず露の宿りについた。あゝ此主従二青年は其夜は如何なる夢路を辿つたであらうか。数奇な運命に見舞はれて、喜怒哀楽の風に翻弄され、天人忽ち地に降り、土中に潜む地虫は羽翼を生じて、喬木の枝に春を歌ふ。人生の七変化、口述者も筆者も読者も興味を以て、主従二人が夢の成行を聞かむと欲する所である。
 雲上高く翼をうつ鳳凰も、霞の天海を浮游する丹頂の鶴も、土中に潜む虫けらも、恋には何の区別もなく、情の淵に七度八度、浮沈するは世の倣ひ、花にも月にも譬へ難きタラハン城内の太子と、背は少しく低く、色は少しく赤みを帯たれど、其容貌は見まがふ許り酷似せる左守の悴アリナが死力を尽しての珍しきローマンス。大正甲子の霜月の空に祥雲閣に例の如く横臥し乍ら、能く語り、能く写し、山色雲に連なる黎明の空を眺めつつ、言霊車に万年筆の機関銃を備へつけ乍ら、出口、松村、北村、加藤の四魂揃うて丹波名物の霧の海原分けてゆく。
 シャカンナは珍しき客、只空の月日を友となし、松籟を世の音づれとして、最愛の娘と共に、一切の計画を放擲し、年来の志望を断念して、娘を力に深山の奥に打ちはてむものと覚悟の折柄、三代相恩の主君の寵子が、吾身に辛く当りし左守の悴と共に夢の庵を訪はれ、且つ喜び且驚き、太子に会うた嬉しさに、十年以前の左守ガンヂーが吾身に対せし冷酷なる振舞に出でしを酬ゐむとせし敵愾心も忠義の為にスラリと忘れ、思ひもよらぬ珍客と、夜の目も碌に眠り得ず、朝まだき篝火を要する刻限より、スバール姫と共に、まめまめしく朝餉の用意に取かかり、せめては旧恩の万分一に報ゐむと、貧弱なる材料を以て力限りの馳走を、僕のコルトンにも云ひつけず、自ら調理して献らむものと、心の限りを尽し、朝餉の調理に全力を尽してゐた。コルトンは今朝に限つて、炊事の業を免ぜられ、木の枝で作つた箒で以て、茅屋のまはりや庭先を掃き清め、恰も氏神の祭礼の前日か、大晦日の田舎の庭先の様に、掃目正しく、破れ草鞋の如くに隅から隅迄掃きちぎつてゐる。
コルトン『あーあ、何といふ不思議な事が出来たのだらう。一ケ月以前に玄真坊とか天真坊とかいふ糞蛸坊主が、女神様の様な女と共に、タニグク山の岩窟に乗込んで来て、大酒を喰ひ、酔つぶれた其隙に、俺に優しい言葉をかけ、チツと許り秋波を送つてくれた美人のナイスのシャンに、イヌだの、サルだの、カヘルだの、ネンネコだのと、仕様もない悪戯をされ、すつぱぬきを喰はされた時の三人の面付が、今も俺の目にや有り有りと残つてゐる。あの桃色縮緬を白い薄絹を通して眺める様な美人の顔色、白玉で拵へた様な細い麗しい肌理のこまかい美人の手から、鹿の巻筆ではないが、棕梠の毛で造つた手製の筆に、墨をすらせ、俺の額にサル、カヘルと記念の文字を残して帰りよつた。俺はいつ迄も此記念は吾額に止まれかし、一層の事肉に食ひ入つて、美人が情の筆の跡、仮令サルといはれやうが、カヘルと言はれやうが、そんな事に頓着はない。どうぞ何時迄も消えずにあれと祈つた甲斐もなく、いつの間にやら、スツカリと足がはへて、サル、カヘルといふつれなき羽目に会はされ、有情男子の俺も聊か罪を造つたが、日を重ぬると共に、煩悩の犬はどつかへ逃失せ、本心に立カヘル様になつた所だ。それに又々同じ十五夜に、天女にも擬ふ様なる白面郎が、二人も揃ふて此門口へ降つて来た時の驚きといつたら、未だ生れてから経験をつんだ事がない。余りの吃驚で、天狗の孫ではあるまいかと、いろいろ言葉を構へ、帰らしめむと、死力を尽して拒んでみた。それが何ぞや、親分御大の旧主人だとか、タラハン城の太子様だとか、左守の悴だとか、聞くに及んで二度吃驚、三度吃驚、五臓六腑はデングリ返り、何とはなく恐ろしさ勿体なさに、昨夜は床の上に休むのも勿体なくなり、土間に四這となつて、イヌ、カヘルの境遇に甘んじ、ヤツと一夜を明かし、御大に小言を頂戴するかと案じてゐたが、世の中は杏よりも桃が安いとか云つて、幸に御大の光る目玉の一睨みも、秋霜烈日の如き言霊も、何うやら斯うやら赦されたらしい。併し乍ら内のお嬢さまも、子供とはいひ、モウ十五の春を迎へてゐらつしやるのだ。そして夕の話に依れば、御大は十年以前迄、カラピン王の左守の司だつた様だ。流石お嬢さまも由緒ある家の生れとて、見れば見る程気品の高い、そして絶世の美人だ。太子と嬢さまとの中に、何だか妙な経緯が出来はせまいかな、どうも怪しく思はれる。法界恪気ぢやなけれ共、何だか腹立たしいやうな、可怪しい気分がして来出した哩。俺も今迄、御大の気に入り、何とかして養子にならうと、お嬢さまの成人を待つて居たのだが、最早今日となつては、どうやら怪しくなつて来た。俺の日頃の忠勤振りも、嬢さまに対する親切も、サツパリ峰の薄雲と消え去り相だ。百日の説法屁一つの効果も上らないのか、エー残念至極だ。雨の晨風の夕、お嬢さまお嬢さまと云つて、其成人を待ち、タニグク山の名花を手折らむものと楽み暮した事もサツパリ夢となつたか。あゝ残念や腹立たしや、何程俺が悧巧でも、一方は王の太子、而も旧御主人、其上玉の如うな美青年と来てるから、到底俺の敵ではない。地位名望から云つても、最早駄目だ。エー、テレ臭い、こんな所に何を苦んで、不便な生活を続ける必要があるか。手に持つ箒さへも自然に手がだるくなつて放れ相だ。エー、小鳥の声迄が、俺を馬鹿にしてる様に、今朝は聞えて来る。微風をうけて騒いでゐる木の葉も今朝は俺の失恋を嘲笑つてゐるやうにみえる。潺湲たる谷川の流れの音も、昨日迄は天女の音楽の如く楽しく聞えたが、今朝は何だか亡国の哀音に聞えて来た。希望にみちた俺の平生に比べて、失望落胆の淵におち込んだ今日の俺は、最早天も地も、大親分も、可憐なお嬢さまも、俺を見すてたやうな気がする。エー馬鹿らしい。今の間に密林に姿を隠し、どつかの空へ随徳寺をきめ込んでやらう。オヽさうぢや さうぢや、エヽけつたいの悪い』
と呟き乍ら、満腔の不平を箒に転じ、『エーこん畜生ツ』といひ乍ら、谷川めがけて力をこめて投げやり、黒い尻をひきまくり、二つ三つ打叩き乍ら、体をくの字に曲げ、腮を前の方に突出し、田螺のやうな歯を出して、二三回イン イン インとしやくり乍ら、早くも此場より姿を隠した。
 太陽の高く頭上に輝く頃、太子、アリナの主従は漸く目を醒ました。
太子『あゝ爺、お蔭で昨夜は気楽に寝まして貰つた。どうやら之で元気が回復し、人間心地になつた様だ。白湯を一杯くれないか』
シャ『若君様、最早お目醒で厶いますか。どうぞゆつくりとお寝み下さいませ』
太『や、もう之で充分だ』
アリナ『昨夜はお蔭で、太子様のお招伴を致し、気楽に寝まして頂きました。此御恩はどこ迄も忘れませぬ』
シャ『オイ、コルトン、お客様にお湯を汲んで来い。コルトンは何をしてゐる』
 幾度呼んでもコルトンの返詞がせぬ。干瓢頭も見せない。そこへスバール姫が稍小綺麗な衣服を着替へ、髪の紊れを解き上げ、花のやうな麗しい顔に笑を含んで、
スバール『若君様、お早う厶います。御家来のお方様、夜前は寝まれましたか。御存じの通りの茅屋で厶いますから、嘸々お二人様共、お寝み憎からうかと、案じ参らせて居りました。サアどうか渋茶をあがつて下さいませ』
と云ひ乍ら、手元をふるはせ、稍顔をそむけ気味に、恭しく太子に茶を汲んでささげた。太子は……床しき者よ、麗しいものよ……と思ひ乍ら、静に手を伸べて、スバールが差出す茶を受け取り、二三回フーフーと吹き乍ら、静かに呑み干した。
スバ『若君様、モ一つ何うで厶いますか』
太子『ヤ、構うてくれな、余が勝手に頂くから』
シャ『コラコラ、コルトン、何処へ行つたのだ。早く太子様に御挨拶を申上げぬか』
スバ『お父さま、コルトンは一時ばかし前に飛び出しましたよ。最早帰つて来る気遣は厶いませぬ』
シャ『ナニ、コルトンが逃げたといふのか、なぜお前は其時とめないのだ』
スバ『お父さま、妾、可い蚰蜒が逃たと思つて、とめなかつたのですよ。いつも妙な事をいつたり、厭らしい目付をして妾を見るのですもの。何だか其度毎に悪魔に襲はれるやうな気が致しまして、何時も胸が戦いてゐたのです。之でモウ親と子との水入らずで、こんな気楽な事は厶いませぬ。お父さま、コルトンがゐなくても妾が炊事万端を致しますから安心して下さい』
シャ『アハヽヽヽ、到頭、コルトンも山中生活に飽いて逃亡したかなア、無理もない。若い奴が何楽みもなく、こんな髭武者爺と辛抱してゐたのは、実に感心な者だつた。逃たとあらば追跡の必要もない。彼の自由に任しておいてやらう。アハヽヽヽ』
スバ『お父さま、コルトンは何時も、こんな事を云つてゐましたよ、……こんな山奥に不自由な生活をしてゐるのは、若い男として本当に約らないのだけれど、私が帰れば忽ちお父さまが困らつしやるだらう。併し乍ら一日も、こんな山住居はしたくないのだけれど、スバールさまの其美しい顔を、朝夕見るのが、唯一の慰安だ、命の種だ。それだから淋しい山奥も、淋しいと思はず喜んで親方さまの御用をしてゐるのだ……と、何時も申しましたよ』
シャ『アハヽヽヽ、女の子といふ者は油断のならぬものだな。美しい花には害虫がつき易い習ひ、娘を有つた親は中々油断は出来ぬ哩』
スバ『お父さま、そんな御心配は要りませぬ。何程初心こい娘だつて、子供上りだつて、あんな男の云ふ事を諾く者が厶いますか。太子様の……』
シャ『アハヽヽヽ、蔭裏の豆も時節が来れば花が咲くとやら、不思議なものだなア』
アリ『モシ、前左守様、斯うして太子様のお伴をして、一夜の雨宿りをさして頂いたのも、深い縁の結ばれた事で厶いませう。タラハン国の窮状を救ふ為、太子様のお伴をして、今一度都へ出で、国家の為に一肌ぬいで下さる訳には参りますまいか。嬢様も都見物を遊ばしたら、又お目が新しくなつて嘸お喜びで厶いませうから』
シャ『イヤ御親切は有難いが、仮令太子様のお慈悲の言葉に甘え、都へ出た所で、最早一切の権利は其方の父が掌握してゐる。十年も山住居をして、世の開明の風に後れた骨董品、到底国政の衝に当るなどとは、思ひもよらぬ事だ。却て大王様のお心を揉ませる様なものだから、御親切は有難いが、私はモウ此山奥で、娘と共に朽ちはてる積りだ。断じて都入は致しませぬ』
アリ『それはさうと、斯かる名花を山奥に老いさせるのは実に勿体ないぢやありませぬか。貴方も娘の出世は望まれるでせう。何時迄も此山奥に厶つては、貴方は老後を楽んで花鳥風月を友とし此山奥に簡易生活を楽み暮されるとした所で、莟の花のスバールさまを、此儘此処で一生を終らせるのは、何う思うても勿体ない。そんな事を仰せられずに、太子様を蔭乍ら守る為に都へ出て下さい。そして政治がお厭なれば、どつかの家に身を忍び、お嬢さまを守立て、立派な花になさつたら何うですか』
シャ『何と仰せられても、元来頑固な生れ付、一度厭と申せば何処迄も厭で厶る』
太『左守、余の頼みだから、余と共にタラハン城へ帰つてくれる気はないか』
シャ『ハイ、何と仰せられましても、之許りは平に御免を被りたう厶ります』
太『ウン、さうか、それ程厭がる者を、無理に伴れ帰るのは、却て無慈悲かも知れない。そんなら其方の意志に任す。帰つたら此アリナに珍らしい物でも持たして、御礼に参らすから……永らくお世話になつた。惜いけれども、帰らねばなるまい。併しシャカンナ、其方に一つの頼みがある。聞いては呉れまいかなア』
シャ『ハイ、如何なる事でも、最前お断り申した外の事ならば、力の及ぶ限り、御恩報じの為に承はりませう』
太『ヤ、早速の承引、満足々々、外でもないが、スバール嬢の姿が絵に写したい』
シャ『ナニ、スバールの姿を撮ると仰せられるのですか、金枝玉葉の御身を以て卑しき私共の娘の姿をお描き遊ばすとは、余り勿体ないお言葉。之許りは平にお断り申し上げませう。冥加に尽きますから』
太『何、さう遠慮するには及ばぬ。どうか余の頼みぢや、絵姿を描かしてくれ』
スバ『お父さま、若君様のお言葉、お否みなさるのは却て御無礼で厶いませう。妾は若君様の御筆に描かれたう厶いますワ』
アリ『ヤ、お嬢さま、天晴々々、出かされました。御本人の承諾ある限りは、モウこつちの物だ。サア若君様、日頃の妙筆をお揮ひ遊ばせ。私が墨をすりませう』
シャ『アハヽヽ、到頭娘も太子様のお眼鏡に叶ひ、絵姿を取つて頂くのか。ても偖も幸福な奴だなア』
 スバールはいそいそとして、一張羅の美服に着替へ、門に出で、面白い形をした岩の傍に靠れ凭つて、太子の描写に任せた。太子はせつせと筆を運ばせ、殆んど一時許りにして、実物と見まがふ様な立派な絵姿を描き上げた。
太『ヤア、之で国許への土産が出来た。之を床の間にかけて、朝夕楽まう。ヤ、爺、一寸見てくれ、スバールに似てゐるかな』
 シャカンナは『ハイ』と答へて、屋内から駆け出し、
シャ『ヤ、若君様、最早お描き上げになりましたか。……何とマア立派な御腕前、感じ入りまして厶います』
太『ハヽヽヽ、スバールに似てゐるかな』
シャ『どちらが実物だか、親の私でさへ見分けがつかない位、よく描けて居ります。太子様は大変な美術家で厶いますなア』
太『ハヽヽヽヽ』
アリ『学問と云ひ、芸術と云ひ、文才と云ひ、博愛慈善の御心といひ、勇壮活溌な御気象といひ、又と一人天下に肩を並ぶる者はありませぬよ。何から何迄完全無欠な御人格を備へてゐられます』
 シャカンナは首を傾けて、絵画とスバールとを見比べ乍ら、感歎久しうして舌を巻いてゐる。主従は午後八つ時、パンを用意し、惜き別れを告げて、一先づ此庵を去る事となつた。太子は後振返り振返り、名残惜気に父娘の姿を眺めてゐる。シャカンナの父娘は又太子、アリナの後姿を首を伸ばして見送つてゐた。シャカンナは思はず知らず十間許り後を逐うてゐた。二人の姿は山裾の突出た小丘に隔てられ、遂に互の視線は全く離れて了つた。
 主従は元気よく坂路を東へ東へと谷川の流れに沿ひ下つて行くと、途中に日はズツポリと暮れた。止むを得ず、路端の突出た石に腰打かけ、息を休めてゐると、何者共知れず、突然後方より現はれて太子の頭上を目当に、堅い沙羅双樹の幹で作つた杖を以て、骨も砕けと打ち下す。太子は惟神的に体をかわした。其途端に的が外れて、曲者は二人の前に杖を握つたまま地を叩いて、ひつくり返り、頭を打つて悲鳴をあげた。能く能く見れば豈計らむや、シャカンナの僕コルトンであつた。主従はコルトンを労はり起し、いろいろと道を説き諭し、将来を戒めて、又夜の路をトボトボと帰途に就いた。
(大正一三・一二・四 新一二・二九 於祥雲閣 松村真澄録)
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