文献名1大本史料集成 1 >第2部 出口王仁三郎の思想
文献名2第4章 道の栞よみ(新仮名遣い)
文献名3第12節 道の栞 第二巻中(二)よみ(新仮名遣い)
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道の栞第二巻中(三)
三一 神の御国には、暗の夜もなし。照り輝ける日の御光は、とどまる事なくして、暖かに且つ穏かなり。
三二 神の御国は、万物一として、枯れ死する事無く生茂り、なりなりて止まざるの楽しき園生なり。
三三 神の御国は、戦ひもなく、乱れもなし。君は喜びに充ち溢れ、民は楽しさに勇みて其美はしき事例へがたし。
三四 肉体は一度、生れて死したる上は、二度と此の世に生るゝ事能はざるものなり。二度生れざる身を持ちながら、浮か浮か此世を過ごすこと勿れ。
三五 肉体の生命ある中に、努めて信仰を養ひ、行状を全くして、自ら天国の門を開くべし。
三六 肉体ある中に、天国の門を開く能はざるものは、霊魂の身になりてから、如何で神の国の門を開く力あらんや。
三七 肉体ある中に、悔ひ改め、行状を修めて、其罪を贖ひおかざれば、死して後許さるベきものにあらず。生ある中に罪を許されし霊魂は、死しての後も許され、生ある中に許されざる霊魂は、死しての後も許されざるなり。
三八 生ある中、神の御国を知らざる者は、死しての後は猶更、神の国を知る事能はず。
三九 神より受けし霊魂は必ず神に返さざるべからず。神の国より来りし霊魂は、必ず神の国ヘ帰らざるベからず。利慾に迷ひて、正しき四魂を、傷つけ破り損ひて、遂に根の国の火の中へ落ち入りなば、何を以て世界の父なる天帝に、申し開きあらんや。
四〇 汝等常に、神を畏れ、身を慎み、心を研き、行状を正しく直くし、善なる道に向ひて、生きたる働きを為し、以て天帝の大御心に叶ひ奉る事を努むべし。
四一 瑞の霊の言葉に従ひ来れ。我は喜んで従ふ汝等を、天帝の御側に伴はん。必ず世の主なる、大本の御神の御側に導かん。我が導く国は、動く事なく、変る事なき国なり。
四二 神は真如の霊の、瑞の霊なる事を知り給ヘり。故に真如の体と霊とを借りて宮となし、神の国の嬉しき便りを述べ伝ヘするなり。
四三 故に真如の伝達せる言葉は、神の国の言葉なり。
四四 清く湧き出でつゝある、曽我部穴太なる宮垣内の清水は、世の人の心の垢を洗はん為に、神の御心より湧きて流れ出づるなり。
四五 此の水の精より生れ出でたる真如は、世界の泥を澄まし清むる、天の御使人にして、此の世の救ひ主なり。
四六 水は清く、山は青く、野にも山にも畠にも結ぶ実は盛んなり。汝等かゝる尊き神の御国を、眼の当り眺めつゝありながら、猶も神の御徳を悟り得ざるものは、心の盲目にして、憐むベきものの至りなり。
四七 初めより終りまで、辛さ苦るしさを堪へ忍びて、神に仕ふるものは、瑞の霊と共に天津国に至る事を得ベし。
四八 忍耐と勉強は、国を治むるにも、家を治むるにも、其身を治むるに於いても、欠くべからざるものと知るべし。
四九 耐へ忍びと、努め励みは、万事を成し遂ぐるに於て、第一の要点なりとす。神の道には猶更なり。
五〇 忍耐勉強は天の助けを得るの基なりと知れ。
五一 汝等人嫌ひする事勿れ。漫りに人嫌ひする者は、又神よりも嫌はるべければなり。土三尺下には、高き卑しきの別ちなし。
五二 汝等常に穏かなるべく、憐れみを持つべし。憐れみは、許々多久の罪科に打勝つべきものなり。
五三 心を広く肝を太く持つべし。小さき事にも心配をなし、小言を並べ、或は漫りに人の過ちを責むる事勿れ。
五四 兄弟姉妹よ。汝等口を最も慎むべし。口の先より毒を吐き、刃を出す。世界の諸々の罪穢、大方は口より出づるものなれば、最も口は慎まざるべからず。
五五 口程恐るべきものはなし。剣も口より出で蛇も口より出で、悪魔も亦口より出るなり。故に我が身、我が魂を、地獄ヘ落し入るものは、多くは我が身の口なり舌の災禍なり。
五六 人を罵る口を持ちて、人を誉め称ゆベし。人は神の御子なれば、人を罵るものは神を罵るが如し。災禍の酬ひ忽ち至らん。恐れ慎むべきなり。
五七 誠の道にある者。誠の道を学ばんとする者よ。必ず人を嫉む勿れ、罵る勿れ、漫りに人を審判く勿れ。人の身を悪しき様に云いなすものは、其身の悪しきと暗きとを、自ら人の前に自白するが如きものなり。
五八 地上に於ける善悪は神の御国の善悪に比して雲泥の相違あり。至善の道は只神を愛し、神の為に天国の発展を期するより外に絶対の善なし。而して善は愛善なるべし。愛悪は邪神の所為なり。
五九 神の道は人を偏り見るべからず。口には如何なる善言を吐くと云へども、其の行状に偏頗あるときは、是即ち正しき誠の道に非ずして悪魔の行くべき道なり。
六〇 誠の花咲きて、誠の実を結ぶは、常に誠の木を培ひ養ふにあり。取次たるもの、心を配りて善し悪しと、理非の分別を培ひ養ふべし。
六一 取次の行状は野山を焼く処の炎の如きものなり。極めて小さき炎のはしくれも忽ちにして大いなる火となる如く、取次の言葉や行状は、一つと雖も、世界を動かすものなれば、慎まざるベからず。
六二 今の世の中の人と和らぎ、共に行かんとすれば、即ち清き神の御心に叶はず。神の清き大御心に叶ふものは、濁れる世の中の人と合はず。故に第一に荒魂と和魂の入用が起るものなり。
六三 口に誠を称へ、心に誠を積むと雖も、之を行ふの勇気なければ、それこそ死にたる誠なるべし。生きたる誠は、神の最も好み給ふ所にして、死せる誠は、神の最も忌み嫌ひ給ふ所なり。
六四 何程誠の行状を為さんと思ひて、心にわずらうとも、其時廻り合はせの悪しき為めに、行ひ能はざるものは、神是を知り給ふ。故に暫時、是れを許し給ふべし。
六五 故に廻り合せ能くなりし時、直ちに行はざるべからざるなり。
六六 口先のみの誠は仮面なり、偽りなり。神は之を知る。故に束の間も許し給ふ事無し。
六七 限りある所の生命の為に、悪しき事を敢て為し、天帝の怒りに触れて罪を得、限りなき長き誠の生命を捨つる事勿れ。
六八 世の中には忠義なるもの数多あり。されど誠の曇りなき忠義は、今の世には絶えて無きに至れり。
六九 誉の為めに、俸給の為めに、尽す忠義は当り前の忠義なり。
七〇 誠の忠義は、名誉もなく、俸給もなく、賜物もなし。唯大君の為めに、御国の為に身を尽し、心を尽くして神の御業を助け奉るものを、誠の忠義と云ふベし。
七一 心を一つにして、神を敬ひ愛すべし。神は正しき者の頭に宿り給ひて、其身を守り心を照らし給ふべし。世の中に神より外に尊み敬ふべきものは非ず。
七二 我国の現人神は皇祖天照大御神の裔なれば最も敬はざるべからず。現人神を敬ふは、即ち大神を尊み敬うに等しきなり。
七三 砂の上に家を建つるものは、水出の時に倒され流さるベし。信仰浅きものは斯の如し。其者の中に一つ二つ不幸続くことある時は、直に神を恨みて、其の信仰を失ふものなり。斯の如き信仰は、神の最も忌み嫌はせ給ふものなり。
七四 神に忌まれ嫌はるゝものは、天国に至る事、思ひも寄らざるなり。天国に至らん事を願はば、先づ神と親しみ、神と和らぎ、尽さざるべからず。
七五 世界万物は皆是神の司どり給ふ処なり。故に何事も一つ一つ神に願ひ、その御許しを得て為さざるベからず。
七六 神の御許しなくして、我儘に事を為す者は、神に敵するものと知るべし。
七七 神の許しありし事は、何事も成り遂げざる事はなし。若し成就せざる事のあらば、そは神の未だ御許しなきものなり。斯かる場合は、宜しく心を沈めて、善悪理非を省みるベし。
七八 真如の身は神の宮なり。此の宮に神々入り給ひて、神の国の福音を述べ伝ふなり。
七九 救ひ主なるものは、釈迦にもあらず、基督にもあらず、誠の世の救ひ主は、瑞の霊素盞嗚尊なり。
八○ 釈迦基督孔子等は世の救ひ人なり。救ひ主には非ざるなり。国家の為めに功績を立てし人々も亦是世の救ひ人なり。
八一 我が身と我が心を捧げて、天が下公共の為めに尽す者も、皆是世の救ひ人なり。
八二 瑞の霊の救ひ主、再び世に降りて、救ひの道を開き給ヘり。
八三 天津罪、国津罪、許々多久の罪の贖ひ主は、素盞嗚尊の瑞の霊なり。
八四 故に人々の一代かゝりても贖ひ尽し得ざる所の余れる罪は、此の神の御名によりて贖はれ許さるべし。汝等素盞嗚尊を措いて、外に罪障消滅を祈るとも、一寸の効も非ざるなり。
八五 始めより終りまで、耐ヘ忍びて能く神に仕ふる者は、神の幸ひを受くるなり。そは神は常に己れに正しく仕ふる者と共に坐しませばなり。神と倶にある時は、野にも山にも海にも河にも恐るべきものは無し。
八六 神と倶に世を渡る時は、迷ふ事なく亡ぶることなし。そは神は明かにして、生ける誠の生命の神なればなり。
八七 誠の誓ひを、神の御前にて立て、限りなき神力を得て、悪魔の栄ゆる世の中に打勝ち、神と道とを明かにするは、大本信者の務めなり。
八八 神と道とを明かに世に現はすものは、神又天国にありて、其者の身と魂とを明かになし給ふべし。
八九 利慾と貪りの雲出でゝ、心の海に波風荒く、立騒ぐ時と雖も、瑞の霊の教に依りて省みなば、直に雲晴れ、風凪ぎ波も静かに治まりて、戒めの日現はれ、慎みの月、照り渡るベし。
九〇 人の体も、魂も、残らず神よりの借り物なり。神は高天原に坐しまして、現世幽世共に、一つに守り玉へり。誠の信仰の道に入らんとする者は、此事を束の間も忘れざるより始まるものなり。
九一 神は常に人々の暗きに彷徨ひつゝあるを見て、明きに導き之を救はんとして御心を配らせ給へり。
九二 汝等神の御心を等閑にして争ひの道に到る事勿れ。
九三 悪の群に引き落され、心を苦しめつゝあるものを、甚く憐れみ給ひて、之を救はせ給はん為め、再び瑞の霊を、下津国へ天降し給へり。
九四 醜めき悪魔の国より、美はしき神の御国に救はれん事を、天帝に祈るべし。瑞の霊の案内の名を通して祈るべし。神は霊なり。故に汝等汝の天より与へられたる正しき霊魂を以て、其霊魂なる天帝に祈るべし。霊を以て霊に対するは、真の信仰なり。
九五 今の世の中の人々は皆、暗き道を旅立しつゝあるものなり。一寸先は闇の夜と称へつゝ、危き旅路をなせるなり。暗がりの旅するものは足元にある溝や深溜りを知らざるなり。
九六 神は人の暗がりを行くを見て憐み給ひ、瑞の霊の光りを、此世に降して救ひの道を開き給へり。
九七 邪なる道を捨てゝ、正しき神の道に、猛く進むベし。外国の教は蹶き易くして生命を失ふ事あり。神の道は平かに安らかにして、生命の都に至る事を得べし。
九八 諸々の罪穢を払ひ清めて、高天原に生命を受けん事を願はば、斯道に従ふべし。救ひの門は斯教にあり。入るも易く出るも易し。
九九 食事する間も死の影は襲ひつゝあるなり。時計の針の進む毎に、人の生命は刻々に死ぬるに向つて走りつゝあるなり。死んでから後の準備は豈忽にする事を得んや。信仰なくては現世にも幽世にも立つ事叶はざるなり。
一〇〇 今死するとも、恐るゝ事なき迄に、霊魂を研き置くベし。死の影は常に襲ひつつあれば、無情の風何時吹くとも、わきまふべからず。常に信仰を養ひ置かざるべからざるなり。
(「神の国」大正十四年十一月八日号)