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文献名1大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動
文献名2第2章 昭和神聖運動 >第2節 昭和青年誌(抄)よみ(新仮名遣い)
文献名3昭和青年会第二回総会席上にて 青年よ 昭和青年よよみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
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ページ560 目次メモ
OBC B195502c2202070
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本文 昭和青年会第二回総会席上にて「青年よ昭和青年よ」出口王仁三郎
 総て人間といふものは天津神様の精霊を分けられて、この世へ降つてゐるものでありまして、この精霊は神様が幾万劫の昔から幾万年の末に至る迄不老不死におはします如く、吾々の魂も亦何処迄も不老不死であります。
 私は本年六十二歳の青年でありますが(笑声)決して六十二年前に私の精霊が出来たのではない、これはその時のこの家が――肉体が出来た丈であります。この五尺三寸の家が出来た丈である。その家も精霊と共に段々大きくなつて少し古くなつて来たけれども、(笑声)この魂は何処迄も青年なんであります。それで人は女の人ならば二十歳位の心、八十になつても二十乃至十八位の心であります。姑の十八といふ事がありますが、杖をついて歩けん様になつて居つても矢張り十八位の気持なんであります。これは人間の本体その物が年が寄らない証拠であります。私達も二十八位のエロを漁つて居つた時代と少しも変らない(笑声拍手)精神の上から行けば私も青年であります。
 又寿命――命といふ事は誰も彼も同い年であつて、オギヤツと今生れた子供が若いか、吾々が若いかそれはわからん。吾々が八十歳迄仮りに生きるとして、その今生れた子供が十歳でなくなるとすれば、その赤ん坊の方が年寄つて居ると思わねばならぬ。(笑声)
 吾々は日本人の癖として、もう六十になつた。七十になつたといふ様定して自分から心を弱らせて行くのである。これは非常に悪いことであります。私が蒙古に行つた時に蒙古人に年を尋ねた時に蒙古では自分の過ぎ去つた年を数へる様な馬鹿はない、と答へた。私は成る程と感心した。諺に死んだ子の年を数へる様なものだ、又は後月の富の札を買ふ様なものである、と云うてゐるが、自分の年を考へて何ぼになつたと考へに年許り勘て――金が溜まつたと云つて喜んでみるのはよいが、年が溜つたと云うて考へて居る様なそんな馬鹿はない。それで昭和青年会は外の青年会と違つて何歳迄といふ様な制限がない。総て青年は――赤ん坊から死ぬ迄青年でありますけれども――そんなシシババの世話をせねばならぬ者迄入れても世話がやけて仕様がないから、(笑声)十五歳以上として上には制限を加へなかつたのです。つまり気持であつて、上には制限はないのだから、実際神様からゆけば年に制限はない、生通しの、不老不死である。それから此の昭和といふ事は愈々御代の昭和である。それが為に、昭和青年といふ名をつけた様にもありますが、昭といふのは日月昭々として輝く所の、明かな朗かな意味であります。昭といふ字は日といふ字に召といふ字である。これは日の神の御召にといふ意味である。御召によつて応ずるといふ意味である。和は和睦して行くのであります。
 亀岡方面でも昭和青年会の一部の中には幹部のやり方が悪いとか云つて、たたきつけるとかいふ様な、さういふ様な非常な暴力的の考へをもつて蠢動して居る処の青年がある。併し大本の幹部は所謂私の代理をしてくれて居る人である。又神様に一々伺つた上で任命して居るのであつて、云はば神様の代弁者である。各々に人の顔が違ふ如く心も違ふのである。又御筆先にある通り同じ役は一人もない――これ丈の人が居つても、皆役が違ふのであります。それに自分の意志に合はない事をするから、たたきつけて仕舞ふ事はこれは非常に僭越な乱暴な事であつて、これは昭和青年といふその名を恥かしめるものであると思ふのであります。つまり役員をたたくといふ事は私の頭をポンとやる事と少しも変りはない。私に頬かむりさせてたたく丈の話である。頬かむりを脱げば私をたたいてゐるのである。役員をたたくのは頬かむりをさして私をたたく様なものだから痛いのはこつちやが痛いのである。
 昭和青年といふのは大神人主義である。全体がよつて一人の『人』となつて居るのである。さうするとみんな昭かに和するのである。これは――私が会長であるといふげれども、私は頭になつて居るのである。頭丈では仕事が出来ない。手も足も総てのものが一つになつて大神人が出来てゐるのである。それは指を怪我しても、針でチヨツとついても矢張り全身は痛いのである。さういふ事をよく考へてお亙ひに相和してやつて貰ひたいと思ひます。然し地方にはさういふ人はない。私がチヨイチョイ亀岡で聞く事がありますので、いつかそれを注意したいと思つて居つて機会を得なかつた。又今後地方でもめいめい意見の衝突が起つてさういふ事が起るかも知れない。そこをよく考へて――鼻は鼻、手は手の役がある。尻の穴でも矢張りそれ相応の役目を果してゐるのである。あいさに臭い屁の一つや二つひつたつて、それは辛棒してやらねば仕様がない。(笑声)
 そこで私は決して年をとつてゐると思はない。それよりも精霊の方から云へば私が一番若い様な気がしてゐる。誰の云ふ事を聞いて居つても、みんな大分年寄り臭い事を云つてゐる。(笑声)大隈さんが百二十五迄生きると云うて、『四十五十は鼻たれ小僧、男盛りは、七八十』――かういふ歌を読んでゐる。私はそれを『五十六十は鼻たれ小僧、男盛りは八九十』と十年延ばしておいた。(笑声)
 男は初めから終ひまで男盛りである。女も初めから終ひ迄、女盛りである。年がよる程、その証拠に五尺のこの家は古びて、あちらの壁が落ちたり、こちらの壁が骨を出したりしてゐるけれども、(笑声)臨終のきわ迄魂はシツカリしてゐる手も足も動かぬ様になり、耳も聞えぬ様になつて居つても非常に気力は確で、益々冴えて来る。人の将に死せんとするや、その声やよし、鳥の将に死せんとするや、その声や悲し――といふ様な具合で今死ぬといふ時にも人の心は、はつきりして居て、そして遺言したりなんかして死ぬのであります。これは所謂、人の精霊が何処迄も生き通してゐる証拠であります。今の唯物論者の云ふ様な健全な肉体に健全な精神が宿るのではなくて、健全な精神の所有者は健全な肉体の所有者なのであります。これは心身相関論から来た話でありますけれども、それでなければ、眼が見えぬ様になり、手も足も自由が利かぬ様になつたならば魂も共に衰へそうなものでありますけれども今はのきわ迄魂は益々明瞭であるといふ事は、厳然として未来があるといふ事を証拠だてて居るのであります。只そこに到つて、この肉体といふものは魂の入れ物である、神の生宮であると云ふ事がはつきりして来るのであります。その意味に於いて吾々は仮令この五尺の古家を宿替しても、天界迄行つても、矢張り昭和青年会で活動せねばいかんと思うて居ります。
 それから青年会の『青』といふ字は、これを分解すると『主なる月』――月を主とする、主はス(主)であつて、主の神の主であり、主の月であります。つまりこの弥勒の世の中が出て来る迄に月光菩薩が先づ現はれねばならぬのである。それでこの月光菩薩を主として働く所の青年の青であつて、世の中で謂うてゐる青年とは同じ字でも意味が遠ふのであります。
 月には臨月というて私の様な大きな腹の様なのもあるし、(笑声)又密月といふ様な甘いのもある。(笑声)色々な月が――ウソツキ、ハナツキ、ヤリツキといふのがあるが、(笑声)然しさういふ月でなくて、月を主として仰いで昭かに相和して行く神の道で、さうして世の為に御神業に参加するのは昭和青年であります。昭和の昭の篇は主の太陽の日である。日は輝く日の本の日であり、元津御神――天照大神の御召によつて現はれた所の、さうした大和魂の和であつて、御召に応じて御神業に参加する一つの活動舞台として昭和青年会が出来たのであります。
 で、私も愛善会の演壇に滅多に立つた事もない。瑞祥会の方にも余り立ちません。併し昭和青年会やと云ふと、名丈でもなんだか生き生きした様な気がしてヂツトして居られない。行つて何かシヤベらうといふ様な気分に本真剣になつて、この昭和青年会に臨んでゐる次第であります。どうかさういふ考へになつて総てが青の気になつて、青年の意気で御神業に参加せられん事を希望いたします。
昭和青年昭和7年8月号
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