文献名1大本史料集成 3 >第2部 第二次事件関係
文献名2第2章 裁判所資料 >第2節 地裁公判速記録(出口王仁三郎)よみ(新仮名遣い)
文献名3地裁公判速記録(8)よみ(新仮名遣い)
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データ凡例長いので12ページに分割した。行頭●記号で始まる小見出しは底本にはない(うろーの狭依彦氏作成)。底本は漢字と片仮名だが、読みづらいので片仮名を平仮名に直した。
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本文
●争点 ミロク大祭の意義
午後三時開廷
問 始めますがね、此のミロク大祭に於ては出口家以外の者を至聖殿に昇殿せしめた、と云ふのは、このミロク大祭に重大な意義があるのぢやないのですか。
答 別に重大な意味はありませぬです。見た通りです。
問 いや、今迄出口家の者以外には、祭主以外には……。
答 いや祭主は今迄皆上つて居ります。
問 祭主以外の者は至聖殿に昇殿したと云ふ者はないのでせう。
答 ないのですが、今度の十六人の者はいつも祭主になつて居つた者ですから、いつも上つて居つたのです。
それは、一名も上らぬなんと云ふ者はちつともないのです。今迄上つて居つた者ばかりです。お祭に上つて居つた者ばかりです。
高木であらうが井上であらうが、全部上つて居つた者です。今迄上つて居らぬ者を一人上げたら、又ごてごて、「わしを上げい上げい」と言ひますから……。
問 この三十五回の三問答の三千五百十六頁に、「従来、至聖殿には出口家の者及び祭典係以外の者は昇殿を許さないことにして居りましたが、諸面諸菩薩に擬した十七名は大本の最高幹部として、同大祭を機として一致団結して大本の目的達成の為に本格的活動をなすこととなつたのでありますから、従来の例を破つて」、「破つて」と書いてあるが……。
答 それは、そう仰つしやつたから、しやうがないけれども、今の十六人と云ふ者は祭主以外の者でも主なる人ですからいつも上つて居つたのです。
それで、外の人は、今迄上つて居らなんだ人は一人も上つてやしまへぬです。
それは、けれども、「初めから特に昇殿さして、斯うやらう斯うやらう」と言やはつたから、もうしやうがないから、「そんなやうなことは向ふの云ふ通りでどうでも宜いわい。さうでなくても、外にもえらいことを言はれて、それだけでも罪になるのだから」。そんなことは無茶だけれども、向ふの仰つしやつた通りに言ふて居つたのですわ。
もうこんなやうなことは、向ふ言やはつた通りに、「斯うやらう斯うやらう」と言やはつたから、「はいはい」と云ふて来たのです。
問 それから、被告人は右十七名の者に対して、「三月三日一日は右十七名の者及び大宣伝使等が役職を返上して無役となる」と云ふことを言ふて居りますが、全部が無役となると云ふ趣旨も含めて言ふたのですか。
答 あヽそうです、皆が一旦なると云ふのですけれども、皆では大変やから上の者だけが代表的にやつたのです。
問 あヽさうか。
答 詰りなんでも彼でも皆がもう一遍は無役となり、無信者にもなりしてしまうても宜い、と云ふやうな心持で居つたのです。
けれども、矢張り信者は信者で居り、役員だけが謹慎を表する為です。信者は止めてやらせぬのです。役員を止めたのです。
問 この十七名の役員だけが無役になると云ふのではなくて、大本の役職員全部が無役になると云ふことなんだね、 之は、十六神将の人は判つて居りますか。
答 それは判つてやしまへぬ。
誰も誰も唯心の中で神様に何す為に、お詫びをする為に……私の心だけです、十六人の人にはそんなこと言ふてありやしまへぬもの。
「お前も悪かつたから、お前も悪い一部分やから、お詫びする為にせい」と、そんなことは言ひやしまへぬ。
問 大本役員達が三月三日一日だけ無役になる、と云ふのはどう云ふ意味だ。
答 「お詫びをする」と云ふ意味です。
唯責任を感じて、神様の御宮を潰されたりしたことは、我々が行届かぬからさう云ふことになつたのだから、お詫びをする為に、神様に謹慎の意を表する為に止めたのです。
私も止め、役員も止めたのです。
謹慎を表する為に止める、と云ふことは、それは役員も知つて居りますやろ。
問 なんで謹慎せにやならぬの……。
答 それはあヽ云ふ事件が起つて、御宮さんまて潰されてしまうた、それで我々は申訳がない、と云ふのです。
それで、謹慎の為にしたのです。無役になつてしまうたのです。役だけを止めてしまう。信者は止めませぬけれども、役だけは止めてしまう。其の一日だけ遠慮したのです。
問 この点に付てね、準備手続に於ては、「ミロク大祭に依つて大本を立替立直をしやうと云ふのである。従来の大本ではいかぬから、改めて大本と云ふものを組織する意味だ」と云ふことを言ふて居りますね、それは大本を組織する……。
答 それは……。
問 ちよつと聴いて居なさい。
弁護人からも釈明訊問に依つて、「之は大本の役員の解除」と云ふやうな見方をして居りましたがね。
さう言ふて居つたのぢやないのか。
答 さうですとも。
私の申上げるのは下手なことを申しますけれども、詰り、云ふたら、機構とか何とか云ふものを暫く変へただけです。
一日休んで……それで依然として元からの大本なんです。
其の時に、別に、ミロク教とも何教とも名を変へてやしまへぬ。前からの通りの名で行つて居るのです。
それは、大本はちやんとやつて居る。唯其の責任上、役員だけが一日止めると云ふ意味だつたのです。
止めると云ふよりも、遠慮すると云ふ意味です。一日だけ遠慮して辞職すると。元の何もなしの真裸にならうと……。
問 ……さう云ふ意味か。
答 又、翌る日から改めて役をさして貰ふ。
私もそれ迄神さんの席に坐つて居つたのを止めて、私も役員になつたのです。
問 何もそんなことでは罪亡ぼしにもならぬぢやないか。
答 誠意を表するのです。
詰り、之は心の問題です。誠意の問題です。
それで以て、神様に許して貰ふと云ふ気なんです。縦令万分の一でも許して貰ふと云ふ意味です。
問 併し、先に認めて居つた、教主殿に於て十六神将に言ふた言葉の中には、「明日以後は立替立直をしたる大本に於て重大なる役職に」……。
答 そんなことは言ひまへぬわ。
立替立直と云ふことは、心の中からの立替立直をすると云ふ意味です。
今迄のやうな、ふわふわした心持でなしに、と云ふ意味であります。今迄のやうな、ずんだらな意味でなしに、本当の精神を立替立直さう、と云ふ意味であります。
問 さうかね。
この点に付て訊くのだが、三十五回の三問答の三千五百十五丁以下に斯う云ふことが書いてあるがね、「三月三日のみろく大祭を機として、従来の大本を立替立直して、同人等と共に、大本の真の根本目的達成の為本格的活動をなす所の団体を組織することを促しました所、之はニ日のことでせうな、集つた人等は私の意中を察して、私の言ふ所を全部承諾するに至つた。私及び幹部十七名、並に大宣伝使全部が無役となる、と云ふことは、それ以外の大本の役職員及び宣伝使等も全部無役となると云ふ趣旨のこと。之は、まあそれで、新に三月三日一日だけ、私、初め、大本の役職員及ひ宣伝使が従来の役職を辞すると云ふことは、従来の大本と云ふ団体を解散をして、新にみろく神政成就の為現界的活動をなす所の大本と称する団体を組織する訳であります。」
斯う云ふことを書いてあるがな。
答 それは私が言ふたのぢやありまへぬ。「斯うぢやないか」と言ふて、ずつとお書きになつたのです。
しやうがありまへぬもの。違ふと言つたつて、怒鳴られるのでしやうがありまへぬもの。
そんな意味ぢやございまへぬ。最前申上げた通りであります。
問 王仁三郎、……このみろく大祭に依つて澄なり昇殿者十八名と共にみろく神政成就を目的とする団体を組織して本格的活動をすることになつたのぢやないのか。
答 さうぢやございまへぬ。唯お祭をしたのです。
其のお祭、三月三日のお祭を期して、それを大本としてそれから皆心の立替をしやう、と云ふ意味になつたのです。信仰をもつと励んで活動しやう、と云ふ意味になつたのです。
唯之は精神上の革新をやつたのです。
問 之は其の三十六回の三問答の三千五百二十六丁の所に、「之迄は大本の準備時代であつて、この時に一つ団体を組織して、之から本格的活動をすることになつたのだ」と云ふことを、詳細述べて居るがね。
答 それは、もう、さう言はれるから仕方がないのです。
けれども、別にそれは、大本は今迄ごちやくして居つたが、之から大本がまだまだ拡大する、と云ふことを言ふたのです。
それがさうなつたのですけれども、前からの大本ですもの。其の大本を廃して、又、大本を拵へたのぢやないのです。
大本を之から益々拡張しやうと、それを一つの……一紀元としてやらうとしたのであります。この祭を紀元としてやらうと云ふ意味なのです。
問 併し、「大本は其の儘であつて、役職員を変へたのみで、別に新たな組織は出来て居らぬ」と云ふて居るが、瑞祥新聞の、証拠品の第百四十四号、昭和三年三月十一日発行の瑞祥新聞ですがね、此処に、「大本とは神意を実行する団体、真の力の神の顕現」と題して……。
答 それは誰の説ですか。
●争点 大本は宗教団体か
問 瑞祥新聞に書いてあると云ふのだよ。
而して……能く聴きなさいよ、「大本は所謂宗教ではない、大本は真に活用をする団体である。神意を実行する団体である。神の教を教へる団体である。単に教を布いて人に所謂信仰心を起させる所のものではない。実用、活用する団体に変つた。」
趣旨が変つたのぢやないか。
答 それは誰か人の意見ですわ。
問 「今迄のやうな、善男善女を集めて説教するやうなものぢやない、神の意思を実行する団体。」
答 ははあ。
問 ははあぢやない。此処に出て居る。
答 ちよつと見せて下さい。
問 二段目に大きく、「大本は宗教団体ぢやない」と書いてある。
(此時、裁判長は被告人に証拠品を示す)
答 詰り、之は、大本は公認した宗教ではない。
詰り、今の所は、神意を実行すると云ふのですけれども、矢張り之は神の道を弘めてやると云ふのですから、矢張り之は宗教です。
之は、表面の宗教ぢやなくても、宗教的の皇道を説いて居るのです。
誰が書いたのか知りまへぬけれども……。
問 北村隆三が書いた……。
答 之は北村隆三の考へでさう云ふ風に書いたのです。
問 ……ではあるが、大本の考へでせう。北村が書いたのは大本の考へでせう。
ちやんと予審に出て居る。三十六回の三問答で、「私等は最早や、外形的の教説や組織に依つて惑はされない」……。
答 そんなことは私は申しまへぬ。
問 申さぬと言ふけれども書いてある。そんなものは掃き出す程どこにでもある。
「併し、真の力の神が出現して居るところは世界中我が大本の外にない。だから大本は今迄のやうに善男善女を集めて単に教を説くだけの宗教ではなくして、積極的に世界を立替立直す団体なのである」と……。
答 今迄の宗教のやうに、と云ふ意味でせう。それでなければ、善男善女を集めて金を取つたりしては居りまへぬもの。
今迄の各宗教のやうに善男善女を集めるのぢやない。唯惟神の道を説く、日本の本当の惟神の道を説く団体である、実行する団体である、と斯う云ふ意味を言ふたんでせう。
それは、総て大本のものは今迄の既成宗教のやうな、なまぐさ坊主のやうな宗教と同じやうに同視されることは非常に嫌ふて居りますから、それで勢ひさう云ふことを書いたと思ひます。
私は……。
●争点 宗教公認の問題
問 所で、この宗教公認の問題を訊ねるがね、弁護人からも話があつたが、宗教公認の運動は、当時、して居つたのか。
答 して居つたのです。
昭和二年からして居つたのです。私の所へ岡崎鉄首と云ふ者が来たのです。
問 まああの経緯は訊いたが、あの通りですか。
答 あの通りです。
問 それで、平渡信と云ふ人に五万円渡して居ると聴いたが。
答 五万円か、殆ど五万円か渡したのであります。
問 渡したのはいつですか。
答 二年から三年頃迄です。
問 三年のいつ頃。
答 それは覚えて居りまへぬ。
之は岩田さんも居りましたし。何か知つて居ると思ふのです。
中野岩太に御田村が──それで私は其の金は大本から出したと思ふ。
問 平渡信に出したのは、いつ出したかそれは覚えないか。
答 覚えまへぬ。
併し、之はニ年から三年迄の間です。昭和三年迄の……。
問 昭和三年のいつ頃。
答 二月頃でせう。
問 二月頃迄の間。
答 へえ。
問 二年の六、七月頃からだと思ひますと、それで相当見込があつたのだね。
答 それは向ふが見込があるさかいに、之は高等政策で、向ふの方から大本をぐらぐらさせて居つてはいかぬから早くやれと、之は間違ひないと……。
問 平渡と云ふ人が誰に手続をするのだ、運動するのだ。
答 それは私い……。
問 話の相手に依つちや可能性もあるのだらうが……。
答 それは政友会の何に話がしてやらうと言ふたのです、鈴木さんに──。
問 鈴木喜三郎と云ふ人か。
答 はい。
それからもう一人、文部大臣は其の時なんとか云ふ人でした。水野錬太郎さんでしたか。其の時分の文部大臣、其の人に話せば出来ると、「兎も角も挨拶に行け」と警保局長の家に私を連れて行つたのです。
それから、又警視総監の所へ私を連れて行つたのです。
それから、京都府の知事の杉山三四郎とか云ふ人、其の人が内務次官になりました。其の人の家にも連れて行かれ、其の時にも話したのです。
問 其の時に手応へがあつたのか。
答 私は手応へがあると思ひました。
問 とんちんかんの話ぢやなかつたのか、平渡に連れて行かれた時に……。
答 一緒に平渡と私と居つて、之は確にあつたのです、私はあると思ひましたのです。
さうしました所が、梅田寛一と云ふ代議士が信者になつて居つたのです。さうしたら、「梅田寛一が今年御許しになつた所ぢやないか、事件が済んだばかりぢやないか、余り平渡に言はれても、そんなことは却て不謹慎になるから」と話したので、それもそうだな、と私思つたのです。
さうした所が、平渡が「政府に心配かけぬ方が宜いのやから、ちやんと許されるのだから」と、又、一万円出し、一万円出し、約五万円位取られたのかと思ひます。
運動やとか何とか言つて──其の時に平渡の家では猪野毛利栄と云ふ人に会ひました。
さうした所が……。
問 相当見込があると思ふたのだね。
答 思ふて居りました、それで願書まで出したのです。
問 願書を出したのはいつだ。
答 願書を出したのもニ年の中やと思ひます。
問 それで三月三日のみろく大祭と、それから宗教の公認の問題はどう云ふ具合に……。
答 それは、私、平渡に、「三月三日迄に許可して欲しい」と云ふたら、「もつとく早く出来る」と申しました。
それは、早く出来ても三月三日に御祝をしやうと思つて居つたのです。
問 自分だけの考へか。誰にも言はなかつたのか。
答 誰にも言ひませぬでした。
若し、不許可になつたら、皆に却て悪い、と思ひましたから──けれども私は金がありまへぬから、金を拵へて貰はにやなりまへぬから、宇智麿とか、それから井上さんとか、それだけの者でこそこそやつて居つたのです、それから御田村さん……。
問 其のみろく大祭の其の当時は公認になると……。
答 ……思つて居つたのです。
問 其のお祝の意味でもあつたのか。
答 さうです。
其のお祝の意味も入つて居つたのです。
問 さう云ふことはちつとも言ふて居らぬね。
答 言ふて居りまへぬ。
問 記録にも文献にもないね。
答 ありまへぬ。
問 どうしてだね、調べる時にも……。
答 それは秘密でやつて居つたけれども、失敗しましたから。
五万円も金を使ふて失敗したと云ふたら、御田村さんでも私でも信用を落します。
問 平渡から一杯食はされたと言つて、願書を何か裂いてしまつたとか言つて居つたね、準備の時に……。
答 私が裂いたのぢやない、向ふが願書をすつかり破つてしまつたのです。
大海原知事が……。
問 此処の知事だね……いつ裂いた。
答 それは三年頃に裂いたのです。
平渡が金を……警視総監の前で、私が思ふて居りませぬのに、一二十万円も政友会に出させますから──「それは大きに」と言ふて。
それで、私は迷惑してしまうた。其の金は出来まへぬ。
さうして、「手紙を書いてやる」と言つて、警視総監が警察部長やとか知事さんへ手紙をニ、三通書いて呉れて、それを持つて知事さんに会つたのです。
問 それで、其の平渡と云ふ人に対する五万円が、其の運動が大海原と云ふ人に関係あるのか。
答 それはどうか判りまへぬ。向ふがやつて居るのですから。こちらでは判らぬです。
後から、裂いたと云ふことが判つたのです。それは十月頃に判つたのです。
紅卍会が出来まして、さうして東京へ行つて、東京の震災に付て、金を何万円とか、米を二千石とか云ふのを寄附して呉れたのです。支那から──
それで、東京市長がそれをお礼の為に招宴した、其の時私も居たのです。
さうした、其の時、電話が掛つて来て初めて判つたのです。破つたと云ふことが……。
問 それぢや、公認と云ふことも一緒にお祝ひしやうと云ふ意味があつたのぢやな。
答 それが大本だけの所謂神政成就だつたのです。
問 二色の意味があつた訳だな。
答 さうです。
●歴史 昭和時代の役職員と組織
問 それから、三月三日当時に於ける大本を構成する主なる役職員はどうなつて居つたのだな。
之は、三十七回の一問答に依ると、斯う云ふ具合に書いて居るが。之は之で間違ひなからうな。
(此時裁判長は被告人に対し記録を示す)
答 それは其の時には……覚えて居りまへぬが、大本の何か文献を調べてお書きになつて居つた。
文献から取つたのなら、間違ひありまへぬ。
問 お前が書いたのだから、間違ひないぢやないか。
答 それは、私も雑誌を見て言ふたのです。れて居つたから……。
問 間違ひないのでせう。
答 書いてあつた通りですから。間違ひありまへぬ。
問 それから、昭和三年の三月三日以後昭和十年の十二月上旬迄の大本の組織、役職員の氏名、之は東尾に対する予審の十二回訊問調書にだね、附して居る第一表乃至第六表の通りとありましたですがね。
組織のことは東尾に詳しく訊いて居るが、間違ひないことと思ひますが……
之を見て御覧なさい。
(此時裁判長は被告人に対し右書類を示す)
答 それは、書いてあることやつたら、間違ひありまへぬわ。
問 書類を調べて……。
答 はあ、書類を調べて書いたのなら、間違ひありまへぬ。
問 昭和十年の十二月頃は、本部統理は出口元男で伊佐男ぢやないと云ふこと、之はちよつと訂正してあるやうだが。
答 俄かに変つたのです。
問 変つた。
答 何か変つたと云ふことを聞いて居ります。
問 あとは間違ひないな。
答 あとは間違ひありませぬ。
それだけは正直に書いてあります。文献に依つて書いたのだから。
問 それから、大本総本部及び本部の各課の担当事務、及び支部、分所の使命は矢張り東尾の第七表に書いてあるが、之は此の通りと訊いて宜しいかな。
まあ、間違ひなからうと思ふがね。
答 ちよつと見せて戴きませうか。
問 之は写したのだからね。間違ひないことだらうと思ふがね。
(此時裁判長は被告人に対し記録を示す)
答 それは、書いてあるのやつたら、間違ひありまへぬ。
問 之は東尾が色々調べてやつたのだが。
答 之は、もう、此の通りです。
問 間違ひないね。それから、大本の総本部及び本部の各課の担当事務、之は此の通り今訊いたね。
それから、まあ、色々役職に付いたり辞めたりして居りますがね、王仁三郎は、併し、大本に於ては関係して以来は事実上大本の統轄はして居つたのでせうね。
答 事実上統轄して居つたのです。
問 職を離れたりして居るが、それから又みろく大祭の時は止めたり就いたりして居るが。
答 実際は、皆、私がやつて居つたのです。
問 統轄して居つたのだね。
それから、外廓団体、大本の人類愛善会、其の他大本の外廓団体の創立の時期及び目的は東尾の第十二回訊問調書の第九表に詳しく書いてあるがね。
此処に書いてあるが、ちよつと見て御覧。此の通りだと思ふがね。
詰り創立の時期と目的が斯う云ふことだと云ふことが書かれてあるが、間違ひないだらうね。
(此時裁判長は被告人に対し右第九表を示す)
答 間違ひはありまへぬ。
問 全部は書いて居らぬやうだがね。
答 愛善会の……。
問 愛善会ばかりぢやない、青年会もある。
答 神聖会……。
問 此処に青年会がある。
答 之は、皆、此処に色々と変つて居りますけれども、之は、結局、矢張り大本の為めです。大本の主義と同じことです。
問 之は、又後で、訊きたいと思ひます。之は創立の時期は宜いのですな。
答 之は此の通りです。
問 之は宜いと、今云ふた以外に第九表の外に更始会、大日本武道宣揚会、エスペラント普及会とか云ふ大本関係の団体はありますね。
答 あります。
●歴史 更始会(1)
問 是等はどう云ふものかね。
どう云ふものかね、更始会と云ふのは。
答 更始会と云ふものは大正十三年の甲子の年で、甲子と云ふのは「こうし」と読みます。更始と云ふことと音が相通ずるから、更に始めると云ふ意味で更始会と書いたのです。
それで、私が満洲……満洲ぢやない蒙古のウランバートルの活仏に用があつて会ひに行く為に、道を弘める為に……其の時にあの更始会と云ふものを始めて、さうして此の向ふへ甲子の年に行きましたので更始会としたのであります。
其の時に金を幾らか出して呉れた人を更始会員としたのであります。それが始まりであります。
それから、其の後に大本を助ける為に金を出して呉れる人を更始会員と云ふことになつたのであります。
問 それでね、大本の瑞祥会、天声社、其の他先に述べた所の各種の大本団体の本質はどう云ふ本質か。並に、大本との関係に付てはですね、被告人に対する予審訊問調書の四十七回の二問答に於て詳しく書いて居る。
此の通りに訊いて置いて宜しいかな。
答 ちよつと一遍見せて下さい、判りまへぬから。
大抵間違ひないと思ひますけれども。
問 間違ひないだらうと思つて居りますがね。
(此時裁判長は被告人に対し右記録を示す)
答 書物に依つて書いたのなら、違ひありまへぬ。
問 書物に依つたか何かそいつは判らぬ。ずつと皆書いてありますがね。更始会も総て……四十七回になつて居ませう。
答 さうです、瑞祥会も大本も同じものです。
問 瑞祥会はどう云ふものか、更始会はどう云ふものか、天声社はどう云ふものか皆書いてあるね、エスペラント普及会、人類愛善会……。
答 之は私がしやべつたことかいな……。
問 之はまあ間違ひないと思ひますがね、念の為に……。
答 はつきり見へませぬけれども、此の会の目的は私大抵其の時の更始会やとかなんとかの本を見せて貰ふて言ふたと思ひますから、それに違ひないと思ひます。
問 それでは大本の関係も宜いかね、同じか。
答 同じです。
問 之は外廓団体だと、之は宜しいか。
答 同じことです、宜いと思ひます。
問 まあ考へて見て訂正する点があつたら訂正しても構はぬよ。
答 読むのが迚も……併し大本と其の外の会とはちよつとも変つてやしまへぬわ。
それの為の、大本を拡める為に色々と変つて居るのですから、趣意が違ふて居りやしまへぬ。
●歴史 愛善会と神聖会
問 大本の信者以外の者も入つて居る団体がある。それを、まあ、外廓団体と云ふ。併し、目的は同じだ上言ふことになつて居るのだね。
答 さうです、さうです。
愛善会が少し信者以外の人が入つて居るのです。
それから、神聖会と云ふのが、あれが殆ど入つて居るのです。
それより外は皆大本信者でせう。
問 目的は同じでせう。
答 同じです、さうして神聖会は、あれは思想団体で皇道発揮の為に特にそればかりやつて居つたのです。
問 それからと、今度は大本の機関紙、本だね並に其の目的は……。
清瀬弁護人 裁判長、其の今の四十七回の団体のことですが、之で宜いと言つたのはどの辺迄宜いと言つたのでありませうか。
この中で、例へば、日光運動は……。
裁判長 ちよつと、どこですか。
清瀬弁護人 今の四十七回を挙げて、「各団体はこの通りだらうが」と云ふお問に対して……。
裁判長 詰り、皇室と大本との関係……。
清瀬弁護人 関係ですが、七項迄ありますが、どの辺迄を総括してのお調べでありませうか。
全部と云ふことになりますと……。
裁判長 さうしたら、斯う云ふことにしませうか……関係と云ふので判ると思ひますがね。
清瀬弁護人 全体と云ふことになると……。
裁判長 大本の本質と大本との関係と云ふことだけで、判りやせぬかと思ひますがね。
●争点 昭和青年会
清瀬弁護人 大本の外廓団体なることはそれで宜いのでありますが、この中には第七の昭和青年会の記事が……。
裁判長 それはまあ、訊かなければならぬが、目的の……。
清瀬弁護人 「決死隊が出来たり、平生より旅費を持つて居つた」と云ふやうなことなどがずつと書いてありますが、之などが認められたやうなことになりますと、此処では判りますけれども、「其の機会を利用して、みろく神政を成就しやうと思ひます」と云ふのは、之は前のみろく神政成就……。
裁判長 昭和青年会のことが……。
答 そんな細かいことが書いてありますか。それは、ちよつと申上げなければならぬことがあります。
昭和青年会のことが其処に書いてありますか。
問 それは青年会のことを言ふて居ることも覚えて居りますか。
答 大抵覚えて居ります。
其の日光部とか月光部とか分けてありませう、それは信者会員には言ふて居りませぬけれども、之は「一つ時に招集する」とか何とか云ふことを言ふて居るけれども、之は私が南洋のポナペ島に四百町歩程認可を受けて土地を政府から買ふことになり、又百町歩程は既に買つてあるのです、其処に南洋を拓く為に、私は蒙古を開くとか、満洲を拓くとか云ふことは寒うて迚も苦労が多くして益が少い。
南洋やつたら、非常に都合が良い、と云ふので、私は其の準備をやる為にさう云ふ青年会を拵へて居つたのです。
問 それでは、此処迄を訊いて置きませう、昭和青年会はだね、「会員は皇道の本義、人類愛善の大精神に基き──誓ふ」とありましたね。
それから、一番後に、「昭和青年会の目的は、同会の目的は大本と同一であります」と、之迄にして置きませうね。
其処迄、それから組織訓練とか旗のこととか動員令のことやら色々書いてありますが、この点はどうですか。
答 私は動員令と云ふても兵隊を動かす意味でも何でもない。今日の国民の精神総動員と云ふやうな意味も、私は含んで居つて、皆一緒こたになる──神の命令に依つて、さうして開墾事業なり総ての事業に尽す、と云ふ意味を私は言ふて居るのです。さう感じて居るのです。
それで、其の動員と云ふたつて、兵隊ばかりの動員ぢやありまへぬ。けれども、京都府では動員と云ふことを何して、「お前は之から謀叛を起して青年隊を使ふて戦をするのやらう」と言ひましたが、そんなことは違ひます。
問 さう言ふことにして置きませうね。それ迄は宜いでせうね。
之はもう判つて居ると。
答 はあ。
●歴史 機関紙(1)
問 それから機関紙の問題だがね、東尾が十三回の三問答で詳しく述べて居るのだがね。之は略した方が便宜かと思ひますがね。
之は簡単だから読まぬで宜いでせうね。東尾の十三回の三問答です。「機関紙の問題を大正十年以後の皇道大本の機関紙は、月刊雑誌神の国、之は大正十年八月以来大本から発行し、大本の主義主張の宜伝機関紙で、神の国には大本の教義に関することを中心として掲げてあります。神の国は神霊界を改称したものであります、それから瑞祥新聞」……。
答 宜しうございます。
問 「同新聞は大本の主義主張の宣伝機関紙で、同新聞には大本の主義主張を掲げてあります」、宜しいか。
答 はあ。
問 それから、其の次は、月四回発行の雑誌真如の光、「之は大正十四年十一月以来大本から発行し、それから、大本の本部と支部分所等との連絡機関紙で、大本本部及大本の各外廓運動団体の会報、地方通信等を掲げて居る、前からあつた瑞祥会報を改題したものであります。」
「それから、月三回発行の人類愛善新聞、之は同新聞は十四年の十月以来人類愛善新聞社が発行して居る。」
「同新聞は最初は人類愛善会の機関紙でありましたが、昭和九年の七月に昭和神聖会創立後は同新聞は人類愛善会及び昭和神聖会の主義主張の宣伝機関紙と為し、愛善会及び神聖会の主義主張を掲げて居ります。」
「月刊雑誌の昭和。之は昭和六年の十月以来昭和青年会から発行して、同雑誌は昭和青年会及び、昭和坤生会の目的及び主義の宣伝機関紙で、同雑誌には青年会及坤生会の指導精神である、青年会を大本主義に指導して行く記事を掲げて居ります。」。宜いかね。
答 昭和青年と云ふ雑誌が後には昭和と云ふことになりましたのは其の通りです。
問 「月刊雑誌神聖、昭和九年の十月以来昭和神聖会より発行して、同雑誌は神聖会の目的及主義の宣伝記事を掲げて居ります。月刊雑誌明光。明光は昭和二年八月以来大本本部内に在る明光社より発行し、文芸運動を通じて、大本教義を宣伝し、信者に大本主義を会得せしむる為の機関誌で、明光には大本の主義主張を礼讃する趣旨の和歌、冠句を沢山掲げてあります。」宜しいか。
答 はあ。それは、其の明光は大本の何を礼讃するばかりぢやありまへぬ、総ての歌もあれば総てのこともあるのですから、それも掲げてあるのです。一部は……。
問 宜し、それぢや大本の機関誌、東尾に対する十三回の三問答のことはさう訊いて置いても宜しいでせうね。
機関誌の配布数に付ては、伊佐男の三十三回の五問答に於て斯う云ふことになつて居るのだがね。
答 配布の部数ですか。部数は私判りまへぬ。
伊佐男が言ふて居るやらうと思ひます。伊佐男がそれは知つとるのですから、私はそれを知りまへぬ。伊佐男が言ふて居るのが私は本当やと思ひます。
自分が直接に掛つて居るのですから……。
問 大した問題ではないのですけれどもね。
答 私は部数はちつとも存じまへぬ。どれも之も存じまへぬ。
問 三十三回の五問答に、神の国は約一万四千、瑞新は約一万二千、真如の光は約四千五百、人類愛善新聞は約二、三十万、昭和九年頃には百万部を突破したことがある、昭和は約一万、神聖は約三万、明光は約千数百部、之れは本当でせうね。
答 そんなものです。
●歴史 昭和の教勢発展
問 この大本が昭和三年の三月三日以来は目覚しい発展をしたのぢやありませぬか。
答 幾分か日に月に進んでは居りますけれども、余り目覚しい発展をして居りまへぬ。
信者が殖へもすりや、死んだ人もあり減つた人もありますから、余り目覚しい発展はして居りまへぬが、併し、支部の数を殖やしたと云ふのは、一つ支部が四つも五つも分れて余計になつて居るので、支部がたつた三人か四人の信者が居るやうな所もあるのです。
それで、表から見ますと非常に発展したやうですが、実際の数に於ては発展して居りまへぬ。
其の本を見たら判ります。其の雑誌の売れ方を見たら……。
問 あヽさうか。それで三十七回の四問答に依ると斯う云ふことが書いてありますね。
答 私のですか。
問 うん。「三年三月三日以後、同日至聖殿に昇殿した私等十九名、大本の最高幹部信者等が協力して組織した大本の目的を達成せしめんとして、天恩郷に月明殿を建て、綾部には穹天閣、亀岡には透明殿を建て、其の他第十表に御示しの……
之は色々な建物がありますがね。
答 其の意味の発展はして居ります。建物の意味の──私は信者のことやと思ひました。
問 建物の意味ね。
「大本の……それから大本の補助機関、外廓団体である人類愛善会の拡大、人類愛善新聞の読者百万人獲得運動があつた。」
「それから、大本の信者及び分所、支部の倍加運動を起し、それから大本の活動機関として昭和青年会、昭和坤生会を創設し、大本の補助機関外廓団体として、昭和神聖会を組織し、同会の会員百万人、賛同者一千万人獲得の運動、大本及び大本の外廓団体に於て各種の機関紙を発行し、既に発表した私の主張及び所説を纒めて、王仁三郎全集を発行し、其の他大本教義を書いた単行本を発行し、大本の本部及び分所、支部に於て、大本教義の講義、講演を為し、特派宣伝使を派遣して大本の教義を宣伝せしめ、且つ主会、聯合会、分所及び支部の活動等を監督指導せしめ、それから昭和八年の一月二十六日に大本瑞祥会を廃すと共に、それ迄、単に大本と称して居つたのを再び皇道大本と、今度は改称した。」
之は遠慮して元に復した訳だね。
答 遠慮して居つたのです。
問 「大本の拡大強化を図つた結果、三年三月三日熊本県吉松村と横浜市滝の上とに別院があつて、分所、支部は五百八十数ケ所、大本信者は約一万人余りでありましたのが増加をして、昭和十年の十二月の検挙当時に於きましては、大本の別院は二十七ケ所、分院は三十九ケ所、主会は三十四会、聯合会は百四十数会、それから分所、支部は千九百八十数ケ所、大本信老数、約七万人位になりました。」
其の通り書いてあるがね。
答 それは申上げますが、二万とか七万人とか云ふことは、之は……。
問 それは大体のことでありませう。約と書いてあるからね。位と書いてあるからね。
之は、「建物の方に於て、宣伝機関に於て、外廓団体に於て、信者の方に於て之だけになつた」と云ふことを書いて居るが、之はどうぢや。
問 それはさうですけれども、其の位のことは……余り華々しいことぢやないと思ひますが。
五万や六万、世界でニ十億もあるのに、たつた大本に六万や七万出来たところで、私は華々しいとも何とも思ひませぬ。
●歴史 王仁三郎の地方訪問
問 さうか。それから、王仁三郎は昭和三年三月以来、昭和十年の十二月上旬迄の間に──決定のことですよ、各所の分所及び支部等を巡回して役員信者等に対して大本の目的達成の為に舎身活動すべきことを激励し、又、随行の役員をして大本の教義宣伝を為さしめた事実はありますか。
之は、決定の通り訊いて居るのだよ。
答 私は最前も申しました通り、何処へ行つても唯歌ばかり書いて居りまして……。
問 日記を……。
答 人に話したことはございませぬ。演説もようせない。付いて行つた人は演説をしたり話したりして呉れました。
私は、只もう、本当の遊歴したやうなものですけれども、私の顔を見ると信者が気が強うなつて拡張の幾分か助けになるのです。
けれども、この神聖会を起してからは、非常に能くしやべるやうになつたのです。
問 激励と云ふ程ではないのですね。
答 併し、私が廻つたから激励になつたかも知れまへぬ。
私の眼から見たら、信者が甦つて来ますから。
問 さうか。
答 それは事実ですから……。
問 其の地方巡回の詳細は四十五回のに問答以下に於て──二問答に於て、それから終り迄の所で詳細述べて居るが、之は此の通り訊いて宜からうね。
答 知りまへぬ。
問 三月十四日には何処へ、五月六日には何処へと書いてあるがね。
答 それはもう間違ひありまへぬ。それは本を見て、雑誌を見て言ひましたから。
問 間違ひないね。
答 それはもうちつとも間違ひないと思ひます。
問 詳細はね……。
答 何日に何処へ行つて、何処へ行つてどうしたと云ふことは文献を見て……。
問 何処へ行つて怎うしたと云ふことを書いてありますよ。
「演説した」とは書いてありませぬがね、「演説さした」とか何とか云ふことは書いてありますよ。
答 さうでございませう、それはもうあつちやこつちやで演説して居りますもの、せぬ所もありますけれども……。
問 それは認めますかな。どう云ふことを言ふたか。
答 宣伝使がどう云ふことを宣伝して居るか、それは知りまへぬ。
清瀬弁護人 何回ですか。
裁判長 四十五回のニ問答。
答 どんなことを言ふて居るか知りまへぬ。
問 宜いと言ふなら宜いのですけれども。
答 宜いです。
問 一、二、三、之はもう別に問題はないね。
何時何処其処に廻つて、何時帰つたと云ふやうなことは、十一、十二は宜しいね。
唯、十六の終ひの所で、「私は以上の如く内地及び台湾の大本の別院、分院、分所、支部を視察し、役員及び信者に対しみろく神政成就の為舎身活動するやう激励し」と……。
答 それは口で言ふたこともありまへぬし。詰り、先程言ふたやうに激励するやうになるかも知れまへぬが……。
問 判りました。それから、其の次、一、二、三の三の終りの所に、「台湾や色々な所を廻つて、昭和神聖会を開いて、同会の信者、賛同者獲得運動をしました」と、斯うあるが、之はどうぢや。
答 神聖会のですか。それは、獲得運動をやつたのです。私は唯演説ばかりして居りましたけれども、皆がそれに依つて獲得運動をやつたのです。
問 やつたか、それはまあ宜しい。其の前にちよつと──大本教の座談会──之はまあ宜いでせうね。
「座談会を開いて大本教義を宣伝し」、之はまあ宜いでせう、「指揮監督せしめました」とあるが。
答 まあ一遍……。
問 「随行の役員をして分所、支部の組織方針、活動方針を指揮監督せしめました」と云ふことになつて居るが……。
答 せしめました、と言つても役員は其の役ですけれども、私は申しまへぬ。
ミロク神政の為に布教すると云ふことは大本の発展の為に宜いと思ふて居りますから、どつか一度位は言ふたかも知れまへぬ。信者に言ふたことがあるかも知れまへぬ。
問 それぢや之は此通り認めたことにして別に差障りないやうですね。
答 もう休まして貰ひたい。
〔省略、次の開廷日の打合せの問答〕
午後四時十分閉廷