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文献名1霊界物語 第22巻 如意宝珠 酉の巻
文献名2前付よみ(新仮名遣い)
文献名3総説よみ(新仮名遣い)そうせつ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ谷口雅治(谷口正治、谷口雅春) データ凡例 データ最終更新日2023-10-28 17:08:36
あらすじ天下万物の中で、もっとも身魂が優れている存在である人間は、天から上中下三段の御魂を授けられて各自の御魂相応に世界経綸の神業を負わせているのである。しかし今の世は身魂の位置が転倒していて、悪霊などが人類の霊魂を狂惑している。そのために地上は霊主体従・弱肉強食の暗黒世界となってしまっている。天下経綸の神業に奉仕すべき人類の御魂が抜けてしまい獣の心になってしまっていては、世界は行き詰まり、急変事が突発しないとも限らない。世界の人類は一日も早く目を覚まし、誠一つの麻柱の道によって霊魂を磨き、神心に立ち返られなければならない。真心とは、天地の先祖の大神の大精神に合致した清浄心である。至仁至愛にして万事に心を配り、泰然として動かず焦らず、物質欲に淡く心神を安静に保ち、天意を本として人と争わずよく耐え忍ぶ。宇宙一切を我が身魂の所有となして春夏秋冬、昼夜風雨雷電霜雪、いずれも言霊の御稜威に服従するまでに至るならば、初めて神心を発揚したと言えるのである。災難や艱難苦難に会っても意に介せず、幸運に会っても油断せず、生死を一如と見、世事一切を神明の御心に任せる。心魂常に安静にして小さな我を捨てて大我に合し、天の時・神意に従って天下公共のために舎身の活躍をなす。善を思い善を言い善を行い、奇魂の真智を照らして大人の行いを備える。意思を常に内に向かわせて、自己独り知ることを慎み、力量才覚を人にひけらかすことを望まない。神明の代表者たる品位を保ち、自然にして世界を光輝かし、一点の私心もなき時は、その胸中に永遠無窮の神国がある。善者・老者を友として悪人愚者劣者を憐れみ、精神上・物質上に恵み救い、富貴をうらやまず貧賤をいとわず、富貴に処しては神国のために心魂を傾け、貧に処しては簡易なる生活に感謝する。我心我欲を戒めて他を害せず傷つけず、失敗しても自暴自棄とならず、天命を楽しみ人としての天職を尽くし自己の生業に励む。天下修斎の大神業に参加するときも頭脳を冷静にして騒がず、心魂洋々として不動にして寛仁大度の精神を養い、神政成就を補佐する。神界の律法に照らして善悪を判断し、天意にしたがって一々最善の行動を取り、至仁至愛の真心を持って万有を守る。公平な精神を持つ人格を備える。これらが備わったとき、すなわち神人にしての心魂は真心なのである。逆に利害得失のために精神を左右して、体主霊従・利己主義を標榜するのは小人の魔心なのである。魔心の帰結として、執着心強くして自ら地獄道を造り邪気を生み出し、自ら苦しむ者が天下に充満する。この阿鼻叫喚の惨状を座視するに忍びず、大神は苦集滅道を説き道法礼節を開示し給うたのである。それがこの物語である。非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず。天定まって人を制するという真諦を神のまにまに二十二巻まで口述し終わった次第である。いよいよ大正十年九月八日に神命が降り十日間の斎戒沐浴を終わって、同十八日より口述を始め、大正十一年旧三月三日までに五百六十七章を、続いて五月五日までに王仁に因んだ七百十二章を述べ終わった。神界経綸の少しも違算のないことに驚くばかりである。瑞月が本書を口述始めるや、パリサイ人の非難攻撃現れ、編集者以下筆録者もずいぶん苦しんだが、神助のもとにかろうじて本巻まで口述筆記を終わり、神竜の片鱗をここに開示することができたことを、大教祖の神霊に謹んで感謝し奉る。また筆録者一同、関係者一同にここに謹んで感謝する次第である。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年05月28日(旧05月02日) 口述場所松雲閣 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年7月30日 愛善世界社版3頁 八幡書店版第4輯 379頁 修補版 校定版3頁 普及版1頁 初版 ページ備考
OBC rm220003
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本文  天の下に生きとし生ける万物の中にありて、最も身魂の勝れたる人間には、天より上中下三段の御霊を授けて、各自の御霊相応に世界経綸の神業を負はしめ給ひ、天国の状態を地上に移してそれぞれ身魂の階級を立別けられてあるけれども、今の世は身魂の位置顛倒して霊肉一致の大道破れ、八頭八尾の邪霊や金毛九尾の悪狐の霊や邪鬼の霊魂なぞ人類の精神を誑惑し、終には地上の世界を体主霊従、弱肉強食の暗黒界と化せしめたるため、今の世界の惨状である。是だけ混乱した社会を何とも思はぬやうに成つたのも、地上の人類が皆邪神の霊魂に感染し切つて居るからである。
 天下経綸の神業に奉仕すべき人類の御魂が全然脱退て了ひ、九分九厘まで獣畜の心に堕落して世界は上げも下しも成らぬやうになり、彼方の大空より此方の空へ電火のひらめくが如き急変事の突発せずとも断定しがたい。世界の人類は一日も早く眼を覚し、誠一つの麻柱の道によりて霊魂を研き、神心に立帰らねばならぬ。
 真心とは天地の先祖の大神の大精神に合致したる清浄心である。至仁至愛にして万事に心を配り意を注ぎ、善事に遭ふも凶事に遇ふも、大山の泰然として動かざるが如く、微躯つかず、焦慮らず、物質欲に淡白く、心神を安静に保ち、何事も天意を以て本となし、人と争はず能く耐へ忍び、宇宙万有一切を我身魂の所有となし、春夏秋冬、昼夜風雨雷電霜雪、何れも言霊の御稜威に服従するまでに到らば、始めて神心を発揚し得たのである。又小三災の饑病戦、大三災の風水火に攻められ、如何なる艱苦の淵に沈む時ありとも介意せず、幸運に向ふも油断せず、生死一如と心得、生死に対しては昼夜の往来を見るが如く、世事一切を神明の御心に任せ、好みなく憎みなく、義を見ては進み、利を見て心を悩まさず、心魂常に安静にして人事を見る事、流水の如く天地の自然を楽しみ、小我を棄て大我に合し、才智に頼らず、天の時に応じ、神意に随ひ、天下公共の為に舎身の活動を為し、万難に撓まず屈せず、善を思ひ、善を言ひ、善を行ひ、奇魂の真智を照らして大人の行ひを備へ、物を以て物を見極め、他人の自己に等しからむことを欲せず、心中常に蒼空の如く、海洋の如く二六時中意思内にのみ向ひ、自己の独り知る所を慎み、その力量才覚を人に知られむことを望まず、天地の大道に従つて世に処し、善言美辞を用ゐ、光風霽月少しの遅滞なく神明の代表者たる品位を保ち、自然にして世界を輝かし、心神虚しくして一点の私心なき時は、その胸中に永遠無窮の神国あり、至善至美至真の行動を励み、善者又は老者を友とし、之を尊み敬まひ、悪人愚者劣者を憐み、精神上に将又物質上に恵み救ひ、富貴を羨まず貧賤を厭はず侮らず、天分に安んじ社会のために焦慮して最善を竭し、富貴に処しては神国のために心魂を傾け、貧に処しては簡易なる生活に感謝し、我欲貪欲心を戒め、他を害せず傷つけず、失敗来るも自暴自棄せず、天命を楽しみ、人たるの天職を尽し、自己の生業を励み、天下修斎の大神業に参加する時と雖も、頭脳を冷静に治めて周章ず騒がず、心魂洋々として大海の如く、天の空しうして百鳥の飛翔するに任せ、海の広大にして魚族の遊踊するに任すが如く不動にして、寛仁大度の精神を養ひ、神政成就の神業を輔佐し、仮令善事と見るも神界の律法に照合して悪ければ断じて之を為さず、天意に従つて一々最善の行動を採り、昆虫と雖も妄りに傷害せず、至仁至愛の真情を以て万有を守る。又乱世に乗じて野望を起さず、至公至平の精神を持するの人格具はりたる時は、即ち神人にしてその心魂は即ち真心であり神心である。
 利害得失のために精神を左右にし、暗黒の淵に沈み良心を傷め、些少の事変に際して狼狽し、忽ち顔色を変へ、体主霊従、利己主義を専らとするものは、小人の魔心より来るのである。内心頑空妄慮にして、小事に心身を傷り乍ら表面を飾り、人の前に剛胆らしく、殊勝らしく見せむとするは、小人の好んで行ふ所である。霊界を無視し万世生き通し生死往来の神理を知らず、現世の外に神界幽界の儼存せる事を弁へず、故に神明を畏れず、祖先を拝せず、単に物質上の欲望に駆られて、天下国家のために身命を捧ぐる真人を罵り嘲り、死を恐れ肉体欲に耽り、肝腎の天より使命を受けたる神の生宮たることを忘却する小人数多現はれ来る時は、世界は日に月に災害と悪事続発し、天下益々混乱し、薄志弱行の徒のみとなり天命を畏れず、誠を忘れ利欲に走り、義を弁へず富貴を羨み嫉み、貧賤を侮り己より勝れたる人を見れば、従つて学び且つ教へらるることを為さず、却つて之を譏り嘲り己れの足らざる点を補ふことを為さず、善にもあれ悪にもあれ、己を賞め己に随従するものを親友となし、遂に一身上の災禍を招き、忽ち怨恨の炎を燃やすもの、是魔心の結実である。執着心強くして解脱し能はず、自ら地獄道を造り出し邪気を生み、自ら苦しむもの天下に充満し、阿鼻叫喚の惨状を露出する社会の惨状を見たまひて至仁至愛の大神は坐視するに耐へず、娑婆即寂光土の真諦を説き、人生をして意義あらしめむとの大慈悲心より、胎蔵せし苦集滅道を説き、道法礼節を開示したまひたるは、此の物語であります。非は理に克たず、理は法に克たず、法は権に克たず、権は天に克たず、天定まつて人を制するてふ真諦を、神のまにまに二十二巻まで口述し了りました。神諭に曰ふ、
『三月三日、五月五日は変性女子に取りて結構な日柄である云々』
と、いよいよ大正十年九月八日に神命降り十日間の斎戒沐浴を了つて、同十八日より口述を始め、大正十一年壬戌の旧三月三日迄に五六七の神に因みたる五百六十七章を述べ了へ、続いて五月五日までに瑞月王仁に因みたる七百十二章を惟神的に述べ了りたるも、又神界の御経綸の毫も違算なきに驚歎する次第であります。本年五十二歳の瑞月が、本書を口述し始むるや、パリサイ人の批難攻撃相当に現はれ、随分編輯者以下筆録者も甚だしく苦しまれたのですが、神助の下に辛ふじて本巻まで口述筆記を終り、神竜の片鱗を爰に開示し得たるを、大教祖の神霊に謹んで感謝し奉り、外山豊二を始め加藤女史、松村真澄、谷村真友、近藤貞二、谷口雅治、桜井重雄、北村隆光、山上女史その他本書関係の諸氏が渾身の努力を、茲に謹んで感謝する次第であります。
   大正十一年五月二十八日 旧五月二日 於松雲閣
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