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文献名1霊界物語 第37巻 舎身活躍 子の巻
文献名2第1篇 安閑喜楽よみ(新仮名遣い)あんかんきらく
文献名3第6章 手料理〔1018〕よみ(新仮名遣い)てりょうり
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2022-10-18 15:12:28
あらすじ喜楽の姿が消えたことで、最初は母や兄弟も、女のところへ憂さ晴らしにいったのだろうと思って気にも留めていなかった。しかし二日経っても三日たっても帰ってこないで、そろそろ近所の大騒ぎになってきた。皆それぞれ、占い師や祈祷師のところに行って、喜楽の行方を探索しようとしていた。七日目の十五日正午前に、喜楽は帰ってきた。家族は喜び、近所の人々は詰めかけて、喜楽を問い詰めた。自分は神様に連れられて修行に行ってきたのだ、とだけ答えたが、神勅を重んじて後は無言で聞いているのみであった。飯を食って一日寝たり、父親の墓に参ったりしていたが、十七日の朝から自分の身体はますます変になってきて、四肢は強直し口も舌も動かなくなり、身動きがまったくできないようになってしまった。家族は医者を呼んだり祈祷師を呼んだり手を尽くしていた。自分は耳だけ鋭敏になり、周りのことはすべて聞こえていた。しかし医者も祈祷師もさっぱり効験がなかった。次郎松は、狸が憑いているに違いないと言って、青松葉に唐辛子や山椒を混ぜいぶし出そうと準備を始めた。自分はこれでは殺されてしまうと思い、全身の力をこめて起き上がろうとしたが、びくともしない。次郎松が火鉢に火をおこして唐辛子と青松葉の煙を団扇であおぎこもうとしている刹那、母がそれを止めて嘆願し、母の目から落ちた涙が自分の顔をうるおした。そのとき上の方から一筋の金色の綱が下がってきた。それを手早く握りしめたと思ったとたん、不思議にも自分の身体は自由自在に活動することができるようになった。一同は歓喜の涙に打たれ、自分も復活したような喜びに満たされた。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年10月08日(旧08月18日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年3月3日 愛善世界社版72頁 八幡書店版第7輯 56頁 修補版 校定版75頁 普及版34頁 初版 ページ備考
OBC rm3706
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本文の文字数5618
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本文  喜楽の姿が、郷神社前の喜楽亭から二月九日の夜より見えなくなつたので、母や兄弟は……大方女の所へでも憂さ晴らしに遊びに行つたのか、但は亀岡あたりへ散財に往つたのだらう……位に思つて気にも留めなかつた。二日立つても三日立つても帰つて来ないので、ソロソロ例の次郎松、其西隣のお政後家を始め、株内近所の大騒ぎとなつて来た。
 長吉と云ふ男が、亀岡の五軒町の神籬教院中井伝教といふ稲荷下の所へ参拝して、稲荷大明神の託宣を請ふと、伝教先生は白衣白袴に烏帽子を着し、恭しく天津祝詞や六根清浄の祓、心経などを神仏混交的に称へ上げ、少時すると忽ち神霊降臨あり、
『水辺に気をつけよ、早く捜さないと生命が危い、此男は発狂の気味があるぞよ』
との御託宣を得て、あわてて帰り来り、池や井戸や川などを探し廻れども、少しの手係りもなかつた。
 お政後家サンが株内のこととて気を揉み、宮前村の宮川妙霊教会所へ参つて神宣を請うた所、西田清記といふ教導職の神宣に依れば、
『言ひ交はした婦人と東の方へ向けて遠く駆落してる。併し一週間の内には葉書が出て来るから安心せよ』
との滑稽な神宣もあつたさうだ。お政後家サンは、又もや篠村新田の弘法大師を祀つて居る立江のお地蔵さまと称する婆アさまに占つて貰うた所、
『此男は神かくしに会うたのだ。悪い天狗に魅まれたのだから、生命に別状はないが、法外れの大馬鹿者か、気違になつて、キツと一週間の後には帰つて来るから安心せよ』
との託宣であつたと云ふことだ。
 次郎松サンは亀岡の易者の所へ行つて、判断をして貰つた所、
『牧畜場の売上金を一百円計り持つて出て居るが、此奴は外国へ行く積りだ。思はぬ野心を起こして、朝鮮から満洲に渡り、馬賊の群に加はる積りだから、一時も早く保護願をして、外国へ渡らないやうにせよ』
との途方もない判断であつたと云ふことだ。
 人々の噂は……節季前だから、支払に困つて夜ぬけをしたのだろ。余り金使ひが荒過ぎたから……などと云つて居る者もあり……○○の女と駆落をしたのだ。イヤ天狗につままれたのだ、発狂したのだ、狐狸にだまされて山奥へつれて行かれたのだ。河内屋の勘吉や若錦がこわさに親を振捨てて、どつかへ逃げたのだ、余程不孝な奴だ、大馬鹿者だ、分らぬ奴だ、腰抜だ……とまちまちに評議の花が咲いてゐたといふ事だ。
 喜楽の机の上に残してあつた一通の巻紙には、左の如き歌が記されてあつた。
『我は空行く鳥なれや
  我は空行く鳥なれや
 遥に高き雲に乗り
  下界の人が種々の
 喜怒哀楽に囚はれて
  身振足ぶりするさまを
 われを忘れて眺むなり
  げに面白の人の世や
 されども余り興に乗り
  地上に落つることもがな
 御神よ我れと共にあれ』
と毛筆で認めてある。何の意味だか誰も知る者はなかつた。
 七日目の如月十五日正午前、宮垣内の伏屋へ問題の男喜楽は帰つて来た。家族の歓喜は云ふも更なり、株内近所の人々が、帰つたと聞いて追々つめかけて来る。死んだ者が冥途から帰つて来た様に珍しがつて、
『コレ喜楽サン、お前はどこへ行つて来たのだ、どこで何をして居つたのだ、お前の不在中の心配は大抵のことでなかつた』
とウルさい程質問の矢を放つて来る。一々応答してる日には際限がない。自分も何だか恥かしくなつて来たので、
『神さまにつれられて、一寸修業に往つて来ました。何でも神界に大望があるさうなので……』
と云つたきり、あとは無言でゐると、例の次郎松サンは口をとがらして揚面をしながら、
『ヘン、人を馬鹿にするない。皆サン、眉毛に唾でもつけて居らぬと、堺峠のお紋狐につままれますぞ。田芋か山の芋か、蒟蒻か瓢箪か知らぬが、余程安閑坊……ぢやない安本丹だ。そんなこと云つてゴマかさうと思うても、此松サンの黒い目で一目睨んだら、イツカナ イツカナ外れはせぬぞ、アハヽヽヽ、なまけ息子の俄狂言もモウ駄目だぞよ。こんな奴に相手になつて居るとしまひのはてにや尻の毛までぬかれて了ふ。険呑だ険呑だ、皆サン気を付けなさい』
と面を膨らし、半破れた畳を蹴つて足をひつかけ乍ら、スタスタと帰つて行く。
 それから代る代る四五人の親切屋が、何とかカンとか云つて忠告や意見をしてくれる。自分は神勅を重んじ、無言で聞いてゐる許りであつた。又何程弁解してみた所で、神さまの御用で行つたなどと説いても駄目だからである。俄に腹の虫が空虚を訴へる。自ら膳を取出し、冷い麦飯を二杯許り矢庭にかき込んでみた。実に山海の珍味にまさる心持がした。
 堤防の決潰したが如き勢で睡気が襲うて来た……ねむたい時には馬に五十駄の金もいや……といふ俗謡の文句の通り、一切万事の執着にはなれ、其まま暗い部屋の破畳の真中にゴロリと横たはつた儘、後は暫く白河夜舟で再び天国をさまようてゐた。其間の楽しさは、後にも先にもなき有様であつた。
 十六日の午後二時頃になつて、漸く目がさめて来た。枕許には依然として四五人の男女が見舞に来て、いろいろの噂をし乍ら、介抱してゐた。目がさめて見ると随分きまりが悪い。忽ち産土の小幡神社へ無我夢中になつて参詣し、其足で山伝ひに、父の墳墓へ小松を根曳きして供へに行つた。
 後から見えがくれについて来たのは、南隣の八田繁吉といふ三十男であつた。日のズツポリ西山に沈んだ頃、重い足を引ずつて不安の顔色をし乍ら伏家に帰つて来た。次郎松サンやお政後家がウルさい程つめかけて、いろいろと聞糺さうとする、自分は首を左右にふつて、何にも答へなかつた。
 翌十七日の早朝から、自分の体は益々変になつて来た。催眠術でもかけられた様に、四肢より強直を始め、次いで口も舌もコワばつて動かなくなつた。最早一言も口を利くことも、一寸の身動きをすることも出来ぬ、生きた死骸の様になつて了つた。併し乍ら耳丈は人々の話声がよく聞えて居る。懐中時計の針の音までが聞える位、耳丈鋭敏になつて居た。家族や株内の者がよつてたかつて、いろいろと撫でたりさすつたり、やいとを灸えたりしてゐる。
『今日で三日ぶり、鱶の様によう寝た者だ、よほどくたぶれたと見える。自然に目のさめる迄寝さしておくがよからう……』
と一座の相談がまとまつたのが自分の耳にはハツキリと分つてゐた。四日たつてもビクとも体が動かぬ、眠からさめぬ。家族や株内の人々は、忽ち不審の雲に包まれて、俄に慌出した。……『モウ駄目だ、お参りだ、用意せなくてはならぬ……』
と松サンの言つた詞が瞬く間に拡がつて、見舞客の山を築いた。誰が頼んで来た者か、お医者さまの声が聞えて来た。自分は医者が来よつたなと思うてゐると、柿花の名医で吉岡某といふ先生、叮嚀に脈をとる、熱を計る、打診、聴診、望診、問診、触診と、非常の丹精をこらし、
『実に大変な痙攣です。此強直状態が此儘で今晩の十二時頃まで持続すれば、最早駄目です。体温は存して居りますから死んだのではない、つまり仮死状態とでも云ふのでせう。兎に角不思議な病気です』
と頻りに首を振てゐる様子であつた。自分は病気でも何でもありません、神界の修業ですと云つて、ガワとはね起き、皆の分らずやを驚かしてやらうと思うて、全身の根力をこめてきばつて見たが、ヤツパリ体はビクとも動かない、口もきくことが出来なかつた。お医者さんの靴の足音が次第々々に自分の耳に遠く響いて来た。これで医者の帰つたのだと感じられた。
 転輪王明誠教会所の斎藤といふ先生が、二人の弟子と共に、誰が頼んだ者か祈祷の為にやつて来た。天津祝詞も神言も上げず、直に拍子木をカチカチと打ち、
『悪きを払うて助け玉へ転輪王の命、一列すまして甘露台、一寸はなし、神のいふこと聞いてくれ、悪きの事は云はぬでな、此世の地と天とを形取りて夫婦を拵へ来るでな、これが此世の始めだし』
と唄ひ乍ら、大の男が三人、日の丸の扇を開いて拍子木をカチカチ叩き囃し立てる。祈つてゐるのか、踊つてゐるのか、チツとも見当がつかない。随分騒がしい宗教だなア……と思つて居た。斎藤先生は諄々として、十柱の神さまの身の内話を説いた末、
『此病人サンは全く天の理が吹いたのだから、一心に天十柱の神さまを御願ひなされ』
と親切にくり返しくり返し説きさとし乍ら、
『又明日伺ひます』
と言葉を残して帰り行く。家内や株内の者が感謝して居る声が聞えて居た。
 法華経信者のお睦婆アサンが親切に尋ねに来た。そして『お題目が有難いから』と云つて喧しう『南無妙法蓮華経』を幾十回となく珠数を揉乍ら、繰返し称へてゐる。そして頭、顔、手足のきらひなく、珠数で打つ、こする、撫でる、しまひの果には、お睦婆アサン、妙なことを言ひ出した。
『コレ、お狐さまか黒さまか知らぬが、お前さま一体何が不足で、ここの喜楽に憑きなさつたのだえ。お不足があるならば遠慮なしに、トツトと仰有れ。小豆飯か揚豆腐か、鼠の油揚が欲しいのか、何ンなつと注文次第拵へて上げませうから、それを喰つて、一時も早う肉体を残して山へ帰つて下さい。渋とうなさると、お題目で責ますぞや』
と云ひ乍ら、無茶苦茶に珠数で脇の下の肋骨をガリガリ言はせ乍ら、コスリつけるのであつた。自分は心の中で……馬鹿者が寄つてたかつて、人を馬鹿にしやがる……と憤慨してゐた。
 二十三日の早朝、京都の誓願寺の祈願僧が尋ねて来た。溺るる者はわらしべ一本にもたよらうとする諺の如く、何でもかでも助けてやらうと云ふ者さへあらば、無暗矢鱈に引張込んで来る。此祈祷僧は皺枯れた声で『南無妙法蓮華経』と幾回もくり返し次に心経を二三回許り唱へ乍ら、一人で拍子木を叩く、太鼓をうつ、まだ其間に鐘を叩く、汗みどろになつて勤行する、其熱心さ実に感謝に価すると思うた。併し自分の耳がつんぼになり相であつた。これ程喧しう騒がねば聞えぬとは、余程耳の遠い仏さまだなア……と心の中で可笑しくて堪らなかつた。

 拍子木打ち太鼓鐘叩き経を読む
  法華坊主の芸の多さよ

 此坊サン次第々々に声がかすれ出し、御幣を手に持ち、又もや「高天原」に「六根清浄」の祓を上げる。俄に彼の身体はドスーンドスーンと上下に震動し、稲荷下げのやうな事を始め出した。そして狭い部屋中をグルリグルリところげまはり『ウンウン』と言ひ乍ら座に直り大声を張り上げて、
『われこそは妙見山の新滝に守護いたす、正一位天狐恒富稲荷大明神なり、伺ひの筋あらば近うよつて願へツ』
との御託宣であつた。一座の者は低頭平身、息をこらして畏まつてゐる。次郎松サンは容を改め両手をついて、
『有難き恒富大明神さまに御伺ひ致しますが、一体これは何者の仕業で御座いますか、どうぞ御知らせを願ひます』
恒富『これは今より三十年前、此家の株内に与三郎といふ男があつたであらう。其男に狸が憑いた。此家の者、其外近所の者が当家によつて来て、其与三郎に牡丹餅が出来たから食てくれと言つて、ここへ引よせた。与三は牡丹餅をよんでやらうとは有難い……といひ乍ら手をニユツとつき出した。近所のお睦婆アが、与三には古狸がついて居るから、此奴を追出した後でなくては牡丹餅はやらぬと、与三に見せつけておき乍ら、狸退治だと云つて、青松葉に唐芥子をまぜて、鼻からくすべ、与三の肉体まで亡くして了つた。其恨をはらすが為に、与三の怨霊が、自分についてゐた狸をお先に使つて、ここの息子をたぶらかし、腹の中に巣をくんで悩めて居るのだ。併し乍ら此恒富大明神の神力に依つて、怨敵忽ち退散さす程に有難く思つて信心致せ。一時の後には与三の死霊も古狸もサツパリ降服するぞよ。ウンウン』
と言つて正気に返つて了つた様子である。これを聞いて居つた自分の可笑しさ。一座は此託宣を命の綱と信じ、有難涙にかきくれて、鼻を啜る声さへ聞えて居る。併し乍ら、一時間たつても、半日経つても、死霊も退散せねば、古狸も去なぬと見えて、喜楽の体は依然として強直状態を続けてゐる。祈祷坊主は尻こそばゆくなつたと見え、雪隠へ行くやうな顔して、何時の間にか、礼物を貰つた儘姿をかくしたやうな按配であつた。黄昏時になつて、又例の次郎松がやつて来た。
『あゝヤツパリあの糞坊主も、尾のない狸だつた。とうとう尻尾をみられぬ先に逃げよつたなア。偉相に吐して居つた坊主の御祈祷も、恒富稲荷の御託宣も、当にならぬ嘘八百をコキ並べよつた。それよりも手料理に限る。第一此奴が墓へ参りよつたのがウサンぢや。キツとドブ狸がついてゐるにきまつて居る、昔の与三に憑いて居つた奴だろ。青松葉位でくすべた所で、此奴は余程劫を経て、毛が四つ股になつてる奴ぢやから、中々往生は致すまい。七味や唐辛や山椒をまぜて、青松葉でくすべたら往生するだろ。本人の喜楽は二三日前に死んで了うてゐるのだ。只狸の息で体がぬくい丈だ。……オイコラ狸サン、モウ駄目だぞ、覚悟はよいか、いいかげんに去にさらせ』
といひ乍ら、失敬千万な足をあげて、自分の頭を蹴つたり、鼻を捻ぢたりしてゐる。青松葉や唐辛の用意が出来たと見え、次郎松は得意になつて、
『オイたぬサン、これから七味や唐辛山椒粒に松葉くすべの御馳走だ。サ、ドツトと遠慮なしに上つてくれ』
と迷信家が寄つて殺人の準備行為をやつて居る。耳のよく聞える自分は、モウ斯うなつては何所でない、全身の力をこめて起上らうとしたが、ビクともしない、口も利かない。次郎松はふちの欠けた火鉢に火をおこし、唐辛と青松葉をくべて、団扇で鼻の先へ扇ぎこまうとしてる一刹那、母が、
『松サン……一寸』
と何か頭の先で歎いてゐられる。そして母の目からおちた涙が、自分の顔をうるほはした其一刹那、どこともなく、上の方から一筋の金色の綱が下つて来た。それを手早く握りしめたと思ふ途端に、不思議にも自分の体は自由自在に活動することが出来るやうになつた。一同は歓喜の涙にうたれてゐる。自分も復活したやうな喜びに充たされて居た。
(大正一一・一〇・八 旧八・一八 松村真澄録)
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