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文献名1霊界物語 第23巻 如意宝珠 戌の巻
文献名2後付よみ(新仮名遣い)
文献名3霊の礎(八)よみ(新仮名遣い)たまのいしずえ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2021-07-11 18:30:55
あらすじ現界の人間が死という関門をくぐって神霊界に至る様は、一様ではない。極善の人間が直ちに天国に至る場合でも、素晴らしい音楽や芳香に包まれたり、空中を飛翔するもあり、広大な原野を静かに進んで行く場合もある。そのときの気分は幸福の極点に達した感覚を受けるものであり、現界の物質的な欲望を閑却してしまう。逆に物質界の執着が起こったときは、身体が重くなって地上に再び墜落してしまう。そのため、死者を迎えに来た天人は、音楽や芳香などで現界への追慕の念を失わせようとするのである。これはしかし、人間としての最善を尽くし、神を愛し、天下公共のために善事に励んだ人の場合である。人間の心霊は、肉体が滅びても自己の感覚や意念は引き続き生存する。天上に復活した人の霊身は、肉体があったときと同じように霊界の生活を営む。いったん天国に昇ると、地上との交信は難しい。また望んで地上の人間と交信することはない。ただ地上の人間の側の懇願によって、霊媒を介して交信するのみである。霊媒力が発達した人による交信の場では、霊身が現界人の目に見えるようになることもある。しかし中有界にある霊身は、霊媒によって現界の親戚・知己・朋友と交信することを望むものである。それは自己の執着心を訴えたり霊祭を要求するためである。このような霊身は天国へ行けずに苦痛を感受する。死後の生涯を否定することは、はなはだしい無知である。人間の死は滅亡ではなく、人間の永遠の進化の一段階に過ぎないのである。ただ人間の所在と立脚地を変えたまでであり、個性は残ってそれぞれに天国団体の生活を営むのである。無知にして人情をわきまえなかった悪人は、地獄に落ちて苦しむことになる。生前に地獄に堕した人間は、生前に悔い改めて神を愛して利己心を去らなければ、死後安全な生活はできない。現世においてすでに暗黒なる地獄の団体に加入している者は、現界においても常に不安無明の生活を続けて苦しんでいるものである。一時も早く神の光明によって頑迷なる心の眼を開き、天国の団体に籍替えすることに努めなければならない。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年06月10日(旧05月15日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1923(大正12)年4月19日 愛善世界社版292頁 八幡書店版第4輯 603頁 修補版 校定版298頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm239901
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本文 一、現界の人間が人生第一の関門なる死といふ手続を了つて、神霊界に突入するに際しては決して一様で無い。極善の人間にして死後直に天国に上り行く時は、嚠喨たる音楽や、名状することの出来ぬやうな芳香に包まれ、容色端麗なる天人の群や、生前に於て曾て死去したる朋友、知己、親、兄弟等の天人と成りたる人々に迎へられ、際限なき美はしき空中を飛翔して、荘厳なる天国へ直様上り行くもあり、又四面青山に包まれたる若草の広大なる原野を、極めて平静に進み行くものもあり、又死後忽ち五色の光彩を放射せる瑞雲に身辺を包まれて上天するのもある。その時の気分といふものは何んとも言語に尽せないやうな、平和と閑寂と歓喜とに充ち、幸福の極点に達したるの感覚を摂受するものである。余りの嬉しさに、現界に遺しておいた親、兄弟、姉妹や朋友知己、その他物質的の欲望を全然忘却するに至るものである。万一上天の途中に於て地上の世界のことを思ひ出し、種々の執着心が萌芽した時は、その霊身忽ち混濁し、体量俄に重くなり、再び地上に墜落せむとするに到る。迎へに来りし天人は、新来の上天者が地上に心を遺し、失墜せざる様にと焦慮して、種々の音楽を奏したり、芳香を薫じたり、美はしきものを眼に見せたりなぞして、可及的現界追慕の念慮を失はしめむと努力するものである。山河草木、水流、光線等も亦地上の世界に比ぶれば、実に幾倍の清さ美はしさである。然し斯ういふ死者の霊身は、凡て地上に於ける人間としての最善を竭し、克く神を信じ、神を愛し、天下公共のために善事を励みたる人々の境遇である。
一、凡て人間の心霊は肉体の亡びたる後と雖も、人間の本体なる自己の感覚や、意念は引続き生存するものである。故に天上に復活したる人の霊身は、恰も肉体を去つた当時と同じ精神状態で、霊界の生活を営むものである。一旦天国へ上り、天人の群に這入つて天国の住民となつたものは、容易に現界へ帰つて来て肉体を具へた友人や、親戚や、知己達と交通することは難かしい。併し乍ら一種の霊力を具へて、精霊の発達したる霊媒者があれば、其の霊媒の仲介を経て交通することが出来るものである。その霊媒者は概して女子が適してゐる。女子は男子に比して感覚が強く、神経鋭敏で知覚や感情が微細だからである。又霊媒力の発達した人の居る審神場では、霊身は時に現界人の眼に入るやうな形体を現はし、その姿が何人にも見えるのである。その霊身に対して現界人が接触すれば、感覚があり、動いたり、談話を交ふることが出来るのである。されど天国に入つて天人と生れ代りたる霊身は、自分の方から望んで現代人と交通を保たんと希望するものは無い。現界人の切なる願ひによつて、霊媒の仲介を以て交通をなすまでである。
 さりながら中有界に在る霊身は、時に由つて現界に生存せる親戚や、朋友等と交通を保たんと欲し、相当の霊媒の現はるることを希望するものである。それは自己の苦痛を訴へたり、或ひは霊祭を請求せむが為である。又執着心の深い霊身になると、現界に住める父母や兄弟、姉妹や遺産などに対して、自分の思惑を述べやうとするものである。かかる霊身は現世に執着心を遺してゐるから、何時までも天国へは上り得ずして、大変な苦悩を感受するものである。
一、霊界の消息、死後の生涯を述ぶるを以て、荒唐無稽として死後の生涯を否定する人々は、最早懐疑者では無く、寧ろ無知識の甚だしきものである。斯の如き人々に対して霊界の真相を伝へ、神智を開発せしむるといふ事は到底絶望である。
一、人間の肉体の死なるものは、決して滅亡でも、死去でもない。只人間が永遠に亘る進歩の一階段に過ぎないのである。只人間の所在と立脚地とを変更した迄である。意念も、愛情も、記憶も、皆個性の各部分であつて不変不動の儘に残るものである。死後に於ける生活状態は、現界に在りし時より引続いて秩序的に、各人がそれ相応の地位の天国の団体の生活を営むものである。
一、又卑賤無智にして世道人情を弁へなかつた悪人は、光明と愛と自由の無い地獄に落ちて苦しむものである。生前既に不和欠陥、闇黒苦痛の地獄に陥つた人間は、現界に在る間に悔い改め、神を信じ、神を愛し、利己心を去り、神に対しての無智と頑迷を除き去らなければ、決して死後安全の生活は出来ない。現世より既に已に暗黒なる地獄の団体に加入して居るものは、現界に於ても常に不安無明の生活を続けて苦しんでゐるものである。一時も早く神の光明に頑迷なる心の眼を開き、天国の団体へ籍替を為すことに努めなければならぬのである。(霊の礎八終)


   柳は煙る

モウ何と云つても春である。
ポカポカと暖かい春光に柳が芽ぐんで
寒い綾部にも春が来た事を物語つて居る。
軟かいグリーン色の柳の下に児等が三四
他愛なく遊び戯れて居るのも何んとなく
春の長閑けさである。
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