文献名1霊界物語 第47巻 舎身活躍 戌の巻
文献名2前付よみ(新仮名遣い)
文献名3総説よみ(新仮名遣い)そうせつ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日2023-03-24 18:31:06
あらすじ最上天界である高天原には、宇宙の造物主なる大国常立大神が天地万有一切の総統権を具足して神臨したもう。大国常立大神のまたの御名を天之御中主大神と称え奉る。無限絶対の神格を持し、霊力体の大原霊と現れたもう。この大神の御神徳が完全に発揮されたのを天照皇大御神と称え奉る。そして霊の元祖たる高皇産霊大神は、またの御名を神伊邪那岐大神、また日の大神と称え奉る。体の元祖神皇産霊大神は、またの御名を神伊邪那美大神、また月の大神と称え奉る。このことはこの物語にしばしば述べられているとおりである。また高皇産霊大神は霊系にして、厳の御霊国常立大神と現れ給ひ、体系の祖神である神皇産霊大神は、瑞の御霊豊雲野大神またの御名豊国主大神と現れ給う。厳の御魂は天照大神と顕現して天界の主宰神とならせ給うた。ちなみに、天照皇大御神様と天照大神様は、その位置、神格、御神業について大変な差があることを考えなければならない。また瑞の御魂は神素盞嗚大神と現れ給い、大海原の国を統御あそばす御神誓である。神界においては、一切の絶対的神権を宇宙の祖神大六合常立大神に御集めになったのである。さて、厳の御魂に属するものはすべて瑞の御魂に属せしめ給うたのであるから、瑞の御魂は厳の御魂と同体神ということになる。厳の御魂を太元神と称え奉り、瑞の御魂を救世神、救神、主の神と単に称するのである。この物語において主の神とあるのは、神素盞嗚大神様のことである。主の神は宇宙一切の事物を済度すべく天地間を昇降あそばしてその身魂を分け、あるいは釈迦と現れ、あるいはキリストとなり、マホメットとなり、その他種々雑多に神身を変じ給ひて天地神人の救済に尽くさせ給う仁慈無限の大神である。前に述べたとおり、宇宙一切の大権は厳の御魂・太元神に属し、太元神に属する一切は瑞の御魂の属している以上は、神を三分して考えることはできないのである。心に三を念じて口に一をいうことはできないのである。神素盞嗚大神は救世神ともいい、仁愛大神とも申し上げ、撞の大神とも申し上げる。この霊界物語には産土山の高原・伊祖の神館において神素盞嗚尊が三五教を開き給い、多数の宣伝使を四方に派遣し給う御神業が描かれている。これは決して現界ばかりの物語ではない。霊界すなわち天国や、精霊界(中有界)、根底の国まで救いの道を述べ伝え給うた事実である。一方、ウラル教、バラモン教、ウラナイ教などの物語は、たいてい顕界に関した事実が述べているのである。ゆえに三五教は内分的の教えを主とし、その他の教えは外分の教えをもって地上を開いたのである。顕幽神の三界を超越した物語というのは、右の理由から出た言葉である。主の神である神素盞嗚大神は、愛善の徳をもって天界地上を統一し給う。主神は天地を一個人のごとくにして統御し給うのである。数多の宣伝使は主神という一個の神格の一部分として、神経なり繊維なり血管なりの活動をなしているのである。このようにして天人や宣伝使の部分的な活動も、みな主神と一体となって神業の奉仕し、全局は部分のために、部分は全局のために、統一的全体の形式を保持し、かつ相互の福祉を勧め、一体となって活動しているのである。用を遂げるというのは、総局の福祉をまっとうするために他の順利を願うというのがその意義である。用を遂げないというのは、総局の福祉を顧みずにただ自家のために他の順利を願うということである。天界にあるものは、すべて主神をもって唯一とし、万物が由って来る大根源とするため、ことごとく一体となって活動するのである。福祉というのは正義(ただしき)という意味である。現世に在って、国家社会の福祉正義を喜び、隣人の福祉をもって自己の福祉のごとく喜ぶものは、他生においては主神の国土を愛して求めるものである。三五教の宣伝使はみな、主の神の全体または個体として、舎身的大活動を不断に励みつつある神使のみである。実に神明の徳の広大無辺であることに驚かざるを得ない次第である。願わくは大本の宣伝使たる人は神代における三五教の宣伝使の神業に神習い、一人残らず主の神の御意志を諒解し、国家社会のために大々的活動を励み、天国へ永住すべき各自の運命を開拓し、かつ一切の人類を天国の楽園に上らしむべく、善徳を積まれることを希望する次第である。太元神を主神といったり、救世神瑞の御魂の大神を主神といったりしてあるのは、ここに述べたとおり、太元神の一切の所属と神格そのものは一体であるからである。主の神である神素盞嗚大神は、神典古事記に載せられたごとく大海原をしろしめす御天職があらせられることは明白な事実である。主の神は天界も地の世界も治め統べ守り給うが、天国と言ってもやはり山川草木一切の地上と同一の万類があり、土地も厳然として存在しているから、天界地球両方面の主宰神といってもあまり錯誤ではあるまい。天界または天国といえば、蒼空にある理想国、主観的な霊の国だと思っている人には容易には承認されないであろう。天国にも大海原すなわち国土がある。ただ、善と真と知恵と正覚を得た個人的天人の住居する楽土である。ゆえに、主の神は天地を統御按配し給い、また大海原の主宰である主の神が、天界の国土と地上の国土を守護し給うのは、むしろ当然なのである。
主な人物
舞台
口述日1923(大正12)年01月08日(旧11月22日)
口述場所
筆録者松村真澄
校正日
校正場所
初版発行日1924(大正13)年10月6日
愛善世界社版3頁
八幡書店版第8輯 469頁
修補版
校定版3頁
普及版1頁
初版
ページ備考
OBC rm470002
本文のヒット件数全 0 件/王仁三郎=0
本文の文字数3220