文献名1霊界物語 第47巻 舎身活躍 戌の巻
文献名2第2篇 中有見聞よみ(新仮名遣い)ちゅううけんぶん
文献名3第9章 愛と信〔1242〕よみ(新仮名遣い)あいとしん
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ最終更新日----
あらすじ善とはこの世の造り主である大神の御神格より流入してくる神善である。この神善はすなわち愛そのものである。真とは大神の御神格より流入してくる神真である。この神真は、すなわち信である。愛にも善があり、悪がある。愛の善とは霊主体従であり神から出た愛である。愛悪とは体主霊従といって自然界における自愛、また世間愛をいう。これは己が種族を愛し、郷里を愛し、国土を愛するがために他をしいたげ、亡ぼして自己団体の安全を守る偏狭的愛である。信仰には真と偽がある。真の信仰は心の底から神を理解し神を愛し信じ、かつ死後の生涯を固く信じて神の御子たる本分を尽くし、何事も神第一とするところの信仰である。偽りの信仰は内心に悪を包蔵しながら表面宗教を信じ、寄付金を誇示したり処世上の都合で信仰を装ったりする。神仏をかつお節として自愛の道を遂行しようとする悪魔の所為のことである。このような信仰は神に罪を重ね、自ら地獄の門扉を開く醜行である。高天原の天国や霊国にあっては人の言葉はみなその心から出るものであるから、言うところと思うところは一致している。心の中に三を念じて口に一つを云うことはできない。これが高天原の規則である。天国は日の国であり、霊国は月の国である。真の神は月の国においては瑞の御霊と現れ給ひ、日の国においては厳の御霊の大神と現れ給う。厳の御霊の大神のみを認めて、瑞の御霊の大神を否むような信条では、高天原の圏外に放り出されるものである。かくのごとき人間は内流がないために思索力を失い、正当な思念を有しえず、手は垂れ四股関節はまったく力を失ってしまう。また瑞の御霊の神格を無視し、その人格の身を認めるものも同様である。天地の統御神たる日の国にまします厳の御霊に属する一切の事物は、残らず瑞の御霊の大神の支配権に属しているのである。瑞の御霊の大神は、大国常立大神をはじめ日の大神、月の大神そのほか一切の神権を一身にあつめて宇宙に神臨したまうのである。この大神は天上、中有界、現界、地獄を統御したまう。厳の御霊大神は万物の父であり、瑞の御霊の大神は万物の母である。瑞の御霊の大神はすべての神々の御神格を一身に集注したまう。その神より起こり来る御神格によって、高天原の全体は成就し、また個々の分体が成就しているのである。人間の霊体、肉体もこの神の神格によって成就している。そして瑞の御霊の大神より起こり来る神格とは、すなわち愛の善と信の真である。高天原の天人はすべてのこの神の善と真とを完全に摂受して生命を永遠に保存しているのである。現界の人間の志すところ、為すところは決してそれ自身善でも真でもない。それは御神格より来る活力を欠いているからである。御神格の内流を見得し、感得し、摂受して立派な高天原の天人となることを得るのである。人間には一霊四魂がある。一霊は真霊であり、神直日、大直日と称する。神直日とは神様特有の直霊であり、大直日とは人間が神格の流入を摂受した直霊をいうのである。四魂は和魂(親)、幸魂(愛)、奇魂(智)、荒魂(勇)をいう。四魂は人間のみならず、高天原にも現実の地球の上にもそれぞれの守護神として厳存している。信の真は四魂の本体となり、愛の善は四魂の用となっている。直霊は瑞の御霊の大神の御神格の御内流すなわち直流入された神力である。ゆえに瑞の御霊の御神格はすべての生命の原頭とならせたまうものである。われわれ人間の運命は、この神より来る神善と神真をいかに摂受するかによって定まるものである。そこで信仰と生命にあってこれを受けるものは、その中に高天原を顕現する。これを否むものは地獄界を現出する。人間の意志的生涯は愛の生涯であって、善と相関し、知性的生涯は信仰の生涯であって、真と相関するものである。一切の善と真とはみな高天原より来るものであり、生命一切のこともまた、高天原より来ることを悟り得るのが天人である。人の知識や善行もそのとおりである。善のためになせる善は、神格の内流より来ている。自己のためになす善は、決して善ではない。高天原はこのような善すなわち神格によって成立している。人間在世のときにおいて、自ら為した善、自ら信じる真をもって、自らの胸中より来るものとなし、自分の所属と信じているものは、どうしても高天原に上ることはできない。善行の功徳を求めたり、自ら義としたりするものは、大神の神格を観ない真理に暗い痴呆者というのである。またそうした者たちは、もともと大神の所属となすべきものを己に奪おうとするゆえに、神からは天の賊と称えられるのである。そのような人間は、大神の御神格を天人が摂受するものである、という信仰に逆らっているのである。瑞の御霊の大神は、高天原の天人と共に自家存在の中に住み給う。ゆえに大神は、高天原における一切中の一切であることは言うまでもないことである。
主な人物
舞台
口述日1923(大正12)年01月08日(旧11月22日)
口述場所
筆録者加藤明子
校正日
校正場所
初版発行日1924(大正13)年10月6日
愛善世界社版135頁
八幡書店版第8輯 521頁
修補版
校定版142頁
普及版66頁
初版
ページ備考
OBC rm4709
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