文献名1霊界物語 第47巻 舎身活躍 戌の巻
文献名2第3篇 天国巡覧よみ(新仮名遣い)てんごくじゅんらん
文献名3第20章 間接内流〔1253〕よみ(新仮名遣い)かんせつないりゅう
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日2023-05-01 18:35:29
あらすじ高天原の天界は、天国と霊国に区分されている。日の国・天国は、人身に例えれば心臓および心臓に属している一切のものと相応している。月の国・霊国は、肺臓および肺臓に属している一切の諸機関と相応している。心臓と肺臓は人間における二つの国土である。霊界の二つの国土も一は意志の国、一は智性の国である。意志は善に対する情動より、智性は真に対する情動によって、人身内分の二国土を統治している。心臓は天国であり意志の国、肺臓は霊国であり智性の国に相応している。天国と霊国の奸計は、人における心臓と肺臓の関係に相応している。今ここに、高天原の全体を巨人にたとえて説明する。天界の頭部に居るものは愛、平和、無垢、証覚、智慧の中に住し、歓喜と幸福に住する。天界いたるところ、この頭部における善徳に比すべきものはない。人の頭部は高天原の最高天国・霊国に比すべきものである。胸部は仁と信との善徳中に住して胸部に流れ入り、これと相応する。腰部および生殖器官に属するものは夫婦の愛に住し、第二天国の情態である。脚部にあるものは下層天国の徳、自然的および霊的善徳の中に住している。腕と手にあるものは、善徳の中より出で来る真理の力に住している。目にあるものは智に住し、耳にあるものは注意と従順に住し、鼻孔に属するものは知覚に住している。また口と舌に属するものは言語の中に住し、内腎は研究調査すべき真理、肝臓、膵臓、脾臓に属するものは、善と真といろいろに洗練するに長じている。治国別一行は、人体における心臓部に相当する第二天国のもっとも中枢部たるところを巡覧している。各天国内も上中下三段に区画され、各段の天国は個々の団体をもって構成されている。愛善の徳と智慧証覚の度合いによって幾百ともなく分立している。霊国も同様である。高天原においては惟神的な天然律にしたがって勝者が劣者を導くので、皆その分度に応じて安んじ、不安・怨恨・不満の起こることなく平和の生涯を送り居るのである。治国別ら三人は美しい丘陵の上に着いた。天日晃々として輝きわたり、被面布を通しても霊光が厳しく放射し、治国別は目がくらみ、竜公は身体の各部に苦悶を兆してきた。五三公は依然として被面布もかぶらずにここまで進んできた。五三公は二人の様子を見て、ここで景色を眺めながら休息することにした。治国別はもう一度霊丹が欲しいものだというが、五三公は、大神の直接内流である愛の熱をいただけばもはや霊丹は必要ないのでは、と指摘した。そして五三公や竜公との会話から、惟神霊幸倍坐世という御神文の方が霊丹よりも効能が顕著であることを悟らしめた。大神はこのように第三者の口を借りて、治国別に諸々の真理を諭させたのである。天国の太陽について尋ねる竜公に対し、五三公は、天国では大神様が日輪となって現れ、霊国では月となって現れるのだと教えた。そして高天原にては、大神様が日輪様として現れる東をもって方位を定めると続けた。一切のものの生命の源泉は日輪様たる大神様から来るゆえに、天界では厳の御魂、瑞の御魂をお東様と呼んでいると説明した。治国別は五三公、竜公の口を通して間接内流にてお示しをいただいたご高恩を感謝し、厳の御霊・瑞の御魂に祈りを捧げた。
主な人物
舞台
口述日1923(大正12)年01月10日(旧11月24日)
口述場所
筆録者北村隆光
校正日
校正場所
初版発行日1924(大正13)年10月6日
愛善世界社版273頁
八幡書店版第8輯 574頁
修補版
校定版286頁
普及版135頁
初版
ページ備考
OBC rm4720
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