文献名1王仁文庫
文献名2第9篇 道の大本よみ(新仮名遣い)
文献名3第10章よみ(新仮名遣い)
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データ最終更新日2018-11-05 02:10:49
ページ39
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本文
〔過ぎ来し方を顧みて〕
一、王仁現世の明りを見てより、最早三十五歳の年月を送りたり。されどこの辛き世の風に翻弄れつつも、さのみ長かりしとは思はず、夢の如くして過ぎ来りぬ。
二、回顧すれば、王仁、曽我部宮垣内に産声を挙げてより、何一つこの世の為となることをもなさず。道の為となることをもなさず。ただ天津神の御前に罪を作りしのみ。
三、天のなし玉ふわざか、王仁は至つて貧しき家に生れたりければ、相当の教育を受くる事あたはざりき。されど、天は殊更に憐みたまひし事を感謝するなり。
四、王仁貧しき家に生れたるが為に、世の中のあらゆる辛き苦しみに遭ひて、心胆を練り鍛ふることを得たるなり。貧しき人々の苦しみを味ふことを知れり。神の太き功績を知り親の深き恩愛を味ひたるなり。富める家に生れしならんには、愚に神を知らず、吾れはさぞ今頃は罪業に亡びしならむ。アア思へば、貧しき家に生れしめたまひし、真の神の有難さよ。
五、今や救ひの旗を飜へして、浪風荒ぶ世の中に立ち、天国を地の上に建てんとする時を得たるは、これ王仁が貧しき家に生れし、その賜物なればなり。
六、王仁若かりし時は、雪の晨霜の夕に田を耕し、深山に分け入りて薪を樵り木の芽を苅り、雨の日には藁仕事、時には父上と共に車などを曳き、星を戴きて家を出で、月を踏んで家に帰ることありし。かくの如くにして二十三歳の年まで易ることなかしりなし。
七、王仁の境遇は実に憐れなるものなりし。されど心の裡に抱へたる一條の希望は、常に王仁に笑顔を与へ、楽しみを降して、よく勇ましめたり。
八、二十三歳の夏、初めて父上母上の御許を得て、医師の道を学ばむものと、叔母の家に行きて、書生を勤むること満二年に及ぶ。
九、二十六歳の春、初めて牛飼ふ業、牛の乳を搾りて、生命をつなぐ業を興したりき。
一〇、二十七歳の年、悲しきかな、力と思ふ恋しき父上は、幽界の人とならせ給へり。
一一、アア吾れかくも賤しき生業を忍びてなせるは、全く父上を歓ばし奉らんが為なりしに吾が天職をも打捨てて世の中の生業に交はりしも、父在ませばなり。最早その父に別るいかでか一身一家の為にのみ心を砕くに忍びんやと、ここに初めて救ひの道を開くの心を定めたりしなり。父上の神去りは、実に悲しかりし。されど吾が父の国替は、吾れをして神の国の勇者として立たしむる、天津神の慈けの笞なりしなり。神の深き御恵みを謝し、父の死して吾れに笞うちたまひし、その慈愛を感謝す。
一二、二十八歳の二月十日、皇神の命もつて勇を振ひ、愛の旗を挙げて、皇大神の正道に躍り入りぬ。
一三、高熊の巌山に籠りて、神の御教を聞き、予言者の文を与へられぬ。初めて綾部の予言者を訪ひしは、この歳なり。
一四、二十九歳の年、すなはち明治三十二年の七月、招かれて園部より綾部に来り、常にここに根を下し、様々の苦しみを味ひたり。蜂の室屋、蝮の室屋に入れられ、また千座の置戸を負ひたりき。それも邪神に犯されたる偽善者を、根の国より神の御国へ救はんが為。
一五、少しの学問ある為に、愚昧なる輩より、外国人なぞと誣ひられたり。日本の国には神力、外国は学の国であるから、王仁は外国人なりと、枉津神ともより七八年の間罵しられたり。されど王仁はよく忍びたり。小人の言葉、鼠輩の罵り、何事をも無し得ざるを知ればなり。
一六、王仁は常に神の勇によりて忍び、神の愛によりて活き働き、神の親によりて交はり、神の智によりて覚悟したりき。
一七、皇神の御心を正しく悟るとともに、新に三十四年前の赤児と生れかはる心地したりき。
一八、惟神の瑞の霊を振ひて、この世の光となり、塩となり、苦き薬とならんと思ひ定めてここに惟神の筆を揮ひて、天津神の御勅を書き初めたり。
一九、王仁も永く悪魔の五月蝿なして、誠の道に塞りしには、痛く苦しみたりしが、今や時来りて真の神を知るものあるに至れり。半ば醒つつあるに至れり。されどここに勇と智と少し加はらば、思ひのほか早く悟らん。されど枉津神に恐れなば再び迷はん、アア。