文献名1出口王仁三郎全集 第5巻 言霊解・其他
文献名2【随筆・其他】よみ(新仮名遣い)
文献名3随筆(九)よみ(新仮名遣い)
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データ最終更新日2021-06-02 13:32:05
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金烏燦燗として東穹に輝き、瑞気靄々天地に盈てる大正庚申の元旦に際し、筆硯を清め、神祇に祈誓を篭め、以て皇道を宇内に宣伝せむと欲し、所懐を述べて年頭の辞に代ヘやうと思ふ。
『三千世界一度に開く梅の花、開いて散りて実を結び、スの種を守るぞよ』
とは国祖国常立尊の神諭である。又神諭に梅の局と松の局の御脇立と云ふ事がある。松の局とは決して人名では無い。地の高天原、竜宮館の松の大本の教壇であり、梅の局とは皇道宣伝発揚の教壇の在る地場の名称である。松の大本は神界経綸の基礎が稍固まつたので、弥梅の局の経綸に着手せねばならぬ時期に向うて来ました。亀は鏡である。鏡は言霊学上の梅である。又透明無欠の神教である。故に皇道大本の神教を普く天下に宣伝するため、三百余年の昔、天正の十年に明智光秀が天下を治めた亀山城趾に道場を開設するのは、国魂の関係上、最も適当なる神策である。天の時と地の利を占め、人の和を得たる要務である。実に亀山は万代不易の皇室擁護の活動地である。昔から鶴は千年亀は万年と祝ひ来る。此の亀の名に負ふ亀山の万寿園に審判庭なり、修行場を設くるは、神界所定の真事業である。明智将軍の後には松平侯の居城であつた。松平とは、松の大本の経綸に就ても何かの因縁があるやうである。次に松は祭政一致の標徴で、天下統一の神意である。万世不易の神政成就の神義で、三種の神器に配すれば、八坂瓊の曲玉である。故に松の大本は、万世一系、天壌無窮の皇運を扶翼し奉る、忠良無比の神民の集る神聖なる霊地である。而して神界と現界との真釣りの中心点であります。
斯の中心点なる地上の高天原下津岩根に秋津島根の根を固め、幹を太らせ、美はしき枝を四方に繁らせたる皇道大本は、弥清き芳しき花の咲く春が来たのである。則ち梅に因縁深き亀山の万寿園に教の園を開設するは、実に神政経綸上機宜に合したるものである。宜なる哉、本年の勅題は田家早梅である。田家とは国語之をイナカと謂ふ。水火の反はイ也。キはかみ又はくに又はきみの反である。則ちイの言霊は息なり生なり。キの言霊を合すれば生国生神である。次にナの言霊は中の反である。のあの反である。また─(水)と│(火)との結びである。数の上から十である。十は十曜の神紋で十方世界の中心の意がある。次にカの言霊は神霊活動の意義である。約言すれば神国の生神の大活動である。故に諺にも『田舎は神が造り、都会は人が造る』と謂うてある。丹波の片田舎から神霊顕現して、皇威を八紘に輝し奉る真人等の共同一致の大活動を、一度に開く梅の花と曰ふ。田家早梅とは、皇道大本の大活動の神示となるのであります。国祖の神諭に『天理、金光、黒住、皆大本の先走りに出してあるぞよ』と示されてあるが、天理教の標紋は梅の花である。金光教の標紋は八並の鏡である。鏡は即ち前に述べた通り、矢張り梅の八方に開いた形である。黒住教の標紋は日の丸である。太陽の形象である。太陽は年百年中東ウの方より昇る。ウの方よりミエるから矢張り是もウメである。(ミエの反メ也)また教は前述の如く鏡である。故に日の丸の中心に教の字を入れて標紋となせる黒住教は、惟神の神理に合致したものであります。
神諭に『大の字逆様の世であるぞよ』と示されてある。大の字とは一人と云ふ事である。神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の司宰者である事は、大本神諭所示の通りである。人は大宇宙に対して小宇宙であり、天地の神明に対して人は小なる神であります。その小なる神とは大の字なる一人の意義である。現今の人間は日々の行為と云ひ心性と云ひ、一切万事天地の真理に反して居るのを警戒する為に、大神様が『今の世は上から下まで、山の谷々まで大の字が逆様になつて居るぞよ』と仰せられたのであります。仏祖の所謂天上天下唯我独尊とは完全なる人間の人格を指したものである。現今の日本神国には、遺憾ながら一人として真の人格者が現はれず、人面にして獣魂なる反道者ばかりが天地間を汚して居るとの神示であります。
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『スとフとヨの戦ひが始まるぞよ』と現はれて居りましたが、斯の神諭に就て諸方から解説を要求されますから、今茲に略解を試みて置きます。要するに神仏耶の戦ひと云ふ事であります。
スとはセムの反なり、フとはハムの反なり、ヨとはヤヘツトの反なり。而してスは昇水の言霊、フは正火の言霊、ヨは火水の言霊である。又スはシムの反である。シムは即ち神である。フはフツの反である。フツは即ち仏である。ヨはヤヘツトの反である。又ヤソの反はヨである。ヤソは即ち耶蘇である。
我日本神国は、古来磯輪垣の秀妻の国と称へて来た。シは水なり、ワは国土または潮である。即ち海潮を以て国土の四周を囲ふと云ふ言霊であります。
次に秀妻の国のホは天地万有の初めにして、且つ日の霊であり、ツは続き列るなり。マは周なり、眼なり、円なりの言霊である。要するに世界太初に神の造られし神国にして、天津日嗣の万世一系天壌無窮に連続するてふ国名である。而して海の潮は七五三に浪が打つのである。故に七五三を国語でシメといふ。七五三を天地開闢の初めより惟神に張回した国は、我日本国の地形であります。今迄は日本は此の七五三の内に平和の夢を貪りつつあつたが、米国の使節ペルリの来航と共に三千年間の七五三は撤去されて了つたのである。七五三が撤回されると共に、日本人も何時迄も松の内の如うに安楽な考へを持つては居られないやうに成つて来たのである。就ては今日の日本には、七五三が精神的に取外されて居るから、外国の危険なる思想がドシドシと、遠慮会釈もなく侵入して了つて、目下の処にては、到底政治や教育や法律や宗教の権力では、如何ともすることが出来ない様に成つて来て居るのである。アア吾等は飽く迄も褌をシメ、腹帯をシメ、鉢巻を確りとシメて、国家の為に皇祖皇宗の御遺訓を天下に宣伝し、以て国恩の万一に報いるやうにせねばならぬ事を、最も適切に感ずるのであります。併し皇道大本にては七五三を張りませぬが、其理由は天地の大神の御稜威を新年早々から天の下四方の国々までも発揮し奉りたい精神より出でたるものであります。
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三倉棚の神と古事記に現はれてゐるのは、恒天暦、太陽暦、太陰暦の三大暦である。現今の日本国は一般に太陽暦を用ふる事に成つて居るが、地球上に棲息する以上は、地球と最も関係深き太陰の循環に従へる太陰暦に拠らなければ、瑞穂中津国の農作上に於ける支障が最も多く、実に種蒔なども不便極まる次第であります。況や農は国家の大本なることの最適切に実証せられたる今日に於ては、是非とも神諭にある如く、太陰暦を採用するやうに、当局に於て断行されむ事を望む次第であります。併し太陰暦に復旧する時は、月給取りの官吏に対して、三年目毎に十三ケ月(一年に)の月給を支給せねばならぬ事に成るから、大蔵省の予算が狂ふかも知れぬが、それはまた何とか都合は付くものであらうと思ふ。綾部地方では新の一月にも、旧の正月にも年頭祝をするものがある、約り一年の間に新年が二度来るやうなものである。
『新で(死んで)しまへと、役場は謂へど、旧々(窮々)いうて、しんで仕舞はぬ』など云ふ口合ひが流行つた事があるさうである。