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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第5編 >第3章よみ(新仮名遣い)
文献名3指導精神の統一よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2017-09-30 17:34:38
ページ190 目次メモ
OBC B195402c5307
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本文  一九三五(昭和一〇)年一月四日から、さらに統管の地方旅行は四国にはじまって九州におよんだ。六日の四国高知における発会式をかわきりに、七日高岡・八日三好・九日那賀・一〇日徳島・一一日仲多度・一二高松・二二日丸亀・一四日新居浜・一五日今治をまわり、海路大分県別府へむかった。一六日には別府で、以下一七日延岡・一八日宮崎・一九日鹿児島・二〇日八代・二一日久留米・二二日佐賀・二三日佐世保・二四日長崎・二五日唐津・二六日福岡・二七日飯塚・直方・二八日八幡・二九日中津・三〇日小倉・三一日門司・二月一日には山口県長門の各支部発会式にのぞんで、ひとまず亀岡天恩郷にかえった。節分人祭がせまっていたからである。
 日出麿総統補は、統管の活動と昭和神聖会の発展を、「神聖運動賦」と題してつぎの詩をよんだ。

千歳一遇天業之時、神剣発動して大命降る、聖師身を挺して陣頭に在り、言霊の勇士火の如く進む、風格堂々場を圧倒し、熱誠始めて能く人を化すべし、凱歌常に揚る神護の中、善戦宇宙の究極を清めん。(「人類愛善新聞」昭和10・1)

 統管の精力的な活動により、人類愛善会・昭和青年会・昭和坤生会員の地方における活動はまさに白熱的なものになったが、しかしその指導精神のうけとりかたは、ところによって多少のくいちがいを生じてきた。また全国の新聞が報道するなかにはあやまったおくそくを含むものもあり、昭和神聖会運動を政党化運動と誤解されるむきもでてきた。そこで、昭和一〇年二月三日の大本節分祭にあたって開催された昭和青年会・坤生会合同総会で、副統管宇知麿は「……昭和神聖会の運動もここに第二年を迎へ、未だ半歳余にして全国的に三百に達せんとする支部の設置を見、賛同者は実に七百万を数ふとみられる素晴らしき大進展ぶりであります。……昭和神聖会の大精神、運動の方針等に関しましては、既に発会以来明かになっている事でありますけれども、一層会員としてこれを心得たる上にも心得べく、尚又外部にあつて我が運動を充分に認識せざる人々に対し、正しく理解せしめる」ことが必要であるとして、つぎの五項目にわたる指導精神を指示した。
 「本会は政治結社に非ず、又所謂宗教運動に非ず、御詔勅を奉戴し、皇道精神発揚宣布を期する国民精神運動の団体なること」「本会は大義名分を明かにし、国憲を重んじ国法に遵ひ、総て合法的に運動を進むべきものなること」「本会は憲法に制定されたる帝国議会の神聖を尊重するものなること。(所謂政党政治なるものは皇道精神に副はざるものと思惟す)」「本会の提唱する皇道経済は総て皇道の大精神に立脚すべき根本原理を明にするにありて、徒に枝葉の具体論に走るべきものに非ざること」「其他国民常識として不穏なる言動、又は既成宗団を初め各種団体及び個人に対し排撃的言動は之を慎むべきものなること」。ついで、運動方針として
 「イ、昭和神聖会支部結成並に入会、賛同勧誘のため極力活動すること。ロ、全国各市町村に於て講演会、座談会等を開催、全国大遊説を白熱的に実行すること。ハ、愛善陸稲栽培奨励に努むること。ニ、皇道宣揚展覧会を順次全国各地に於て開催すること。ホ、神聖運動躍進のため重要なる使命を有する人類愛善新聞の倍増大拡張に邁進すること」が指示された。
 これらの方針内容にみえる皇道宣揚展覧会は、昭和青年会において作製され、昭和九年八月亀岡天恩郷の更生館において開催したのをてはじめに、すでに各地で開かれており、好評をえていた。それを昭和神聖会と共同主催するようになってから、内容もいっそう充実させ、さらに拡大して昭和一〇年二月からは全国に約一〇班を派遣して、全国主要都市はもちろんのこと、各町村にいたるまであまねく開催されることになった。
 他方、昭和神聖会運動などに信者が没頭する結果、信仰的な面がおろそかになりがちな面も否定できない事実となってきた。そこで日出麿総統補は宣伝使会合の席上において、

外的な活動が真剣に盛大になればなる程、内的な信仰方面はより益々真剣味を加へ熱を高めるべきでありまして、これを両々一致さしてをるのは恐らく吾々の団体だけと思ふてをります。霊体一致であり、心と身体とは一致でありまして、この点はもうすでにご存じではありますが、なかには此頃は天恩郷へ修行者を送るなどといふことはまどろしい、もう外的な活動さヘー生懸命にやつてをれば宜いといふ風に考へられてをる方も極少数ではありますが、あるかも知れんと思ひます。一方外的な活動に拍車をかけると共に一方内的な自己の信仰を高めること、同時にまたその信仰の仲間をふやすことこれが根本的に大事なことでありまして、誤解のないやうに

 と注意をあたえ、これにつけくわえて、宇知麿は、「本年一月末現在の大本の分所支部数は一九二三、宣伝使の現在数は八五二〇で……」昭和八年中の修行者数はのべ三万〇九五五人、一日平均八五人弱の割合にたいし、九年はのべ二万二五七六人で、一日平均六二人たらずとなっている実情を報告し、各宣伝使の奮起を要請した。外的運動にとらわれて、内的なものをおこたったりしてはならないと各宣伝使をいましめたのである。
 節分大祭の行事もおわった二月七日には、穴太の泉郷に築造された神聖神社の鎮座祭が挙行された。統管はその当日「神聖神社の建設のことは明治三十一年に御神命をうけていた。……この神社は神聖会の霊界の中枢になるものである。神聖運動を起した今日、まことに意義の深いものである。尚、私は四十年来、旅行或は祭典に臨席の日など絶対に雨、風、雪というものかなかったのであるが、今日の大吹雪は、神聖運動に従事する者にとつて一つの暗示と警戒とである。故に会員たるものは一段の自重と覚悟とが必要である」(「真如の光」昭和10・2)と訓話した。またかねてから工事がいそがれていた透明殿(現在万祥殿のある場所)も二月七日に完成の祭典がおこなわれ、ここに「昭和神聖会統管部」の大表札がかかげられた。
 一九三四(昭和九)年一二月一日には皇道大本講座の内容もあらた妨られ、神聖運動が講座のなかにとりいれられることになって、信仰と実践の統一が意図された。さらに二月二〇日からは、皇道大本講座と併行して神聖講座が特設され、三日間を一講座として連続的におこなわれることとなった。その内容は、「皇道の本義・日本及び日本人の使命、昭和維新と神聖運動・世界覆滅の陰謀、国防と農村問題・世界平和と愛善運動」であったが、五月以降は本部での神聖講座をとりやめ、昭和神聖会主催の皇道講座として、全国各地でおこなうこととなった。皇道講座には本部より講師が派遣され、一講座を五日間とし、「皇道政治・皇道経済・皇道教育・人生行路の大方針」など、より具体的な問題が追加されて、神聖運動の指導精神は、ひろく信者の末端へと浸透するよう配慮された。

〔写真〕
○皇道宣揚展 会場の大阪偕行社と自動車宣伝隊 来場の海軍軍人と説明をする昭和坤生会員 p192
○活動がはげしくなるにしたがい研修にも力がそそがれた 研修部開講式 p193
○にわかに大吹雪となった神聖神社の鎮座祭 出口統管の玉串奉奠 亀岡 泉郷 p194
○昭和神聖会統管部のおかれた透明殿 亀岡 天恩郷 p195
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